Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「できている」と「きっとそうなる」の意味は同じか?!

2013-09-21 | Weblog
猪瀬東京知事は東電福1原発の汚染水問題について、「今は必ずしもアンダーコントロールではない」と述べた。そこまではいい。だったら「コントロールできている」と太鼓判を押した安倍首相を制止すべきだったし、訂正を求めるべきだ。それができないのは一人前の人間ではない。ところが猪瀬知事は「アンダーコントロールにする、なるんだと(首相が)意思表明したことが大事だ」とも言った。首相を擁護したつもりだろうが、「できている」と「きっとそうなる=できるようになると無責任に言い放った」こととの間にはおそろしい距離がある。
そもそも安倍首相が福一原発を視察して「五号機と六号機を廃炉にするよう命じた」と言うが、今まで廃炉にする気がなかったことじたいが問題だ。安倍首相が現場でした質問によれば、彼は原発事故処理が二十四時間体制を必要とすることさえ知らなかったらしい。
下村文部科学相は「状況はコントロールされている」の安倍首相と同じと同じ「コントロールと」いう言葉を、後で東電職員が使ったのは「非常に迷惑だ」と東電を批判したという。原発はコントロールできなくても関係者の言論はコントロールしたいようだ。

東日本大震災の津波で送迎バスが流され、死亡した宮城県石巻市の私立日和幼稚園の園児5人のうち4人の遺族が「安全配慮を怠った」として、園側に損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は17日、園側に要求額のおよそ三分の二に当たる約1億7700万円の賠償を命じる判決を言い渡した。裁判長は「最大震度6弱の揺れが3分間も続いていたから、巨大な津波に襲われるかもしれないと容易に予想できた」と判断、予見可能性を認めたのだ。
いや、どうなのだ。安倍首相も猪瀬知事も今後「もう一度同規模の地震が来たら同様の災害ができることを想定できたはずだ」と言われても、仕方がないということにならないとおかしいのではないか。幼稚園のケースでは「きっと安全だろう」という安請け合いが、かっちり裁かれたのだから。
幼稚園を庇うことが主旨で言っているのではない。
驚くべきことに、原発事故に関しては、東電も、原発推進を行ってきたこの国の政府も、誰も責任を追及されていない。なぜ民間の幼稚園に限って「責任あり」と司法判断が下されるのか。
民事と刑事の違いで仕方がないということですまされるのか。
ならば現状でも少なくとも原発事故を起こした日本政府・東電からも「賠償金」ではなく「原発事故始末金」を期間無制限で支払わせるべきだ。
原発事故のつけを払わされているのは、ただただ国民である。

国身は税金を吸い上げられているだけではない。「労働」「生存権」じたいの搾取も地続きだ。
オリンピック契機に靡いて民間会社の多くは福島よりも東京に目を向ける。福島で原発事故の事態修復のために働く者たちを集めることは難しくなり、労働環境も悪くなる。
生活保護の減額は、ほとんど殺人に等しい。

そんな中、朝日新聞によれば、政府は企業が従業員を解雇しやすい「特区」をつくる検討に入ったという。労働時間を規制せず、残業代をゼロにすることも認めるという。秋の臨時国会に出す国家戦略特区関連法案に盛り込むのだという。
特区で導入する解雇ルールや労働時間規制の緩和は、特区内にある開業5年以内の事業所や、外国人労働者が3割以上いる事業所が対象らしい。
今の解雇ルールでは、やむをえない事情がなければ、経営者は従業員を自由に解雇できない。特区ではこれを改め、働き手と企業との契約を優先させる。例えば「遅刻をすれば解雇」といった条件で契約し、実際に遅刻をすると解雇できる。労働時間規制の原則1日8時間を、一定の年収がある場合にすべての規制をなくし、深夜や休日にどれだけ働いても割増賃金を払わないことを認めるという。「残業代ゼロ」がこれだけ非難されている現状の中でである。
「過労死」の現実がまったく顧みられていない。
こうして「労働」「命」がより軽く扱われるようになることが、オリンピックという「予定」と原発事故という「進行中の事実」を抱えるこの国にとって、何を意味するか。想像するだにおそろしい。
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