今年最初の講義を終え、市ヶ谷に行くために麻布十番駅まで歩いた。
なので大学の生協やサークル部室のある棟の横の坂を下りて正門でない門から出た。
途中に、部室のある棟外から見えたのは、懐かしい「学生会議室A」だった。
四十年くらい前によく稽古に使わせていただいた。
隣は応援団の部室だった。
はす向かいは、学生部。
「学生会議室A」は、教室ではないし、たいへん狭いが、自由に使わせていただけるのはありがたかった。
今は亡き龍前照明の岡本明さんが来てくれた記憶があるから、1986年の『デッド・ゾーン』あたりが最後だったのかな。
部室棟には確か下の階に「ペンクラブ」の部室もあって、なんとなく居場所のない三田で、そこも勝手に入ったことが何度かあるが、たいてい後に青山劇場間人になる能祖氏がいた。
市ヶ谷に行ったのは、二人の作家の方と会うためだったが、話が通じる人と話す、ややこしいことがわかり合える人と話す、というのはいいことで、自分が間違っていないということを確かめられるというだけでも、たいへん意味があった。
三田から六本木まで歩けるというのは確かだが、在学中は一度くらいだ。
六本木で遊ぶような青春は過ごしていなかったのだ。
だが、ガラス屋の地下にあった「自由劇場」には行ったし、「シネマテン」と呼ばれる夜の上映をやっていた俳優座劇場には行ったものだ。その俳優座劇場も、もうすぐなくなる。