Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

犬猫会 『トップ・ガールズ』は、26日 (日)まで

2025-01-25 | Weblog
私の演出助手を何度かしてくれている文学座の水野玲子さんが演出する、犬猫会 『トップ・ガールズ』が、入谷のSOOO dramatic! で、上演中。
26日 (日)まで。

出演は、石村みか、いまい彩乃、及川詩乃、下池沙知、seico、名越志保、山下智代。
全員が健闘している。

『トップ・ガールズ』はキャリル・チャーチルの代表作。
今回のテキストは、常田景子さんの新訳。
初演からもう40年が過ぎているという。

開演前に「写真を撮ってSNSで広めて下さい」ということなので、そういたします。写っているのは、ウェイトレス役兼任の、山下智代。

ロンドンのキャリアウーマンの役員昇進パーティーに、歴史上や文学、絵画の世界で名を残した古今東西の女性たちが続々集い、宴を始める、という設定。
「世界中を旅した女性探検家、イザベラ・バード。日本の帝の寵愛を受けたが尼僧となった、二条。ブリューゲルの絵に描かれる女傑、フリート。男装し法王の地位を得た、ヨハンナ。「カンタベリー物語」に登場する従順な妻、グリセルダ。時空を超えて集う女たちの弾丸トークに、本音が見え隠れする」という、紹介あらすじの通り。
ただ、物語はその後、キャリアウーマンの職場、家庭と、現実世界に場面を変えて展開してゆく。

「パーティー」場面、とてもがんばっている。登場人物全てのセリフが聞き取れることに安堵するのは、セリフが聞き取れない出演者が多い若者たちの芝居を、さいきん何本も見てしまったからでもあるかもしれないのだが。ただ、「パーティー」という特殊な場面なので許される、という部分がある。そこをどこまで自覚的にできているかどうかを本気で考えると、俳優にとってはハードルの高い芝居だ。それでも、がんばっている。というか、押し切ってくれる。それは、良いと思う。
不思議な上演会場だが、ステージングも果敢に挑戦している。

私なんかは戯曲じたい「パーティー」だけで芝居にしてしまった方がいいのではと思ったりするへそ曲がりなのだが、現実世界の物語になってくると、見せ方が難しい。というか、現実世界であることに説得力を与える「リアル」が必要になってくるので、演技スタイルも変わらなければならない。相手役のセリフが全部聞き取れていないといけない。リアクションのためのスイッチは全て書かれているからだ。かっちりとした常田景子訳ゆえに、きちんと演じることが要求される。「パーティー」とは違うリアリティーが求められる。手強い戯曲である。真摯な俳優どうしの関係は、本番を重ねるごとに、より深まってゆくのではないかと思う。

一年後には、水野玲子演出作品を、プロデュースします。
私の戯曲ではありません。
詳細は、まもなく公表します。

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「放射能汚染土の再利用はやめてください!」と書いてパブリックコメントを出しましょう

2025-01-23 | Weblog
先日の「新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会」の、環境省に対するヒアリングのさいにお伝えしたように、「反対する会」は、新宿御苑に対してだけではない、放射能汚染土の全国に向けての「処分」「再利用」について、この国の動きを注視している。
そして、環境省が、説明なく一方的に進めようとしている計画の理不尽さを追及している。

環境省が、多くの反対の声を無視して汚染土の再利用を強行しようとしている事実は、まだ国民に広く知られていない。
福島第一原発事故で放射性物質に汚染された汚染土を、全国で道路の盛土などに「再利用」するという計画である。
そもそも理不尽だし、根拠が不明確なままの強行なのだ。
法律を整備しなければ実行できないため、省令・告示案を発表し、パブリックコメントの募集を開始した。
「低線量放射線被ばく」の危険は、私はビキニ事件の被ばくについて『わが友、第五福竜丸』を創作するときにあらためて知ったことも多々ある。福島第一原発事故後に於いても、がん患者の増加、甲状せん被ばく等の調査でも明確である。

可能な限り多くの人が、このパブリックコメントに応じ、多くの反対意見を出すことによって、環境省の暴走を止めたいと思います。

若者を中心とした人たちを、交通費宿泊費等を出した上で「貯蔵施設」の見学に連れ出し、根拠のない「安全」を信じ込ませるように洗脳している動きもあります。それを垂れ流しにしている政府主導の広報、鵜呑みにしたマスコミの「紹介」も、看過できません。
「少しだけの被ばくならば安全だから受忍すべきだ」というまやかしに、情報を疑わない人たちが誤った思い込みを、植え付けられています。

以下、「放射能拡散に反対する会」の取り組みを、紹介します。

「放射能汚染土の再利用」をやめさせるよう、パブリックコメントを出しましょう。
「被ばくしない権利」を主張すべきです。

締切りは、2月15日24時。
意見は何回でも提出できます。

「放射能拡散に反対する会」が、汚染土再利用の問題点を分かり易くまとめたチラシを作成しました。拡散・複製・転載・印刷は大歓迎だそうです。

「放射能拡散に反対する会」のまとめを、引用します。

【問題1:放射性物質は集中管理が原則】
コメント例⇒
放射線はどんなに少なくても危険です。特に妊婦、乳幼児、子どもへの影響は甚大です。これ以上の被ばくを避けるためには放射性物質の集中管理が原則です。放射能汚染した土壌を「再生利用」と称して全国にばらまいてリスクを拡散させるべきではありません。
解説〕放射能から人を守るための大原則

【問題2:被ばく線量・影響の過小評価】
環境省は8,000Bq/kgの土壌を再利用しても追加被ばく線量は年間1mSv以下で、問題はないと主張しています。とんでもない! 除染当時、環境省がさかんに言っていたように「1mSvは安全と危険の境目(1mSv以下は安全)ではありません。」 
コメント例⇒
汚染の少ない地域に汚染土を持ってくること自体が放射能汚染の追加であり、さらに想定外の自然災害が多発している近年、汚染土が流出すれば回収できません。 放射能汚染された粉塵による内部被ばくも心配です。
〔解説〕 
 年1mSvでも70年続けば70mSv。ICRP(国際放射線防護委員会)の控えめな推定でも、がん死が10万人あたり350人増えます。これは発がん性化学物質の環境基準の350倍です。
 汚染土を再利用しようとすれば、福島にある中間貯蔵施設に埋め立てた汚染土を掘り起こし、運搬し、再生資材化の行程を経て、工事現場に運搬し、盛土にするなどの作業が必要になります。各段階で、土壌の放射性微小粒子の吸入を避けることはできません。粒子の大きさによっては肺の奥まで達し沈着する可能性もあります。また、微小粒子は相当な距離を移動するので住民も被ばくする危険があります。
 工事の作業者にはマスクも支給されません。環境省が年間1mSvまでは被ばくしないと主張しているのは、作業者が鉄板の上に乗って、年間労働時間の6割弱しか作業しない場合を想定しているからで、全く非現実的です。

【問題3:放射能基準のダブルスタンダード】
「原子炉等規制法」では、放射性セシウムについては100Bq/kg以下のものしか再利用できません。今回の環境省の告示案では除染で発生した8,000Bq/kg以下の放射能汚染土を再利用しようとしています。
コメント例⇒
「原子炉等規制法」では100Bq/kg以下を再利用の基準としているにも関わらず、環境大臣が定める告示だけで8,000Bq/kg以下の「除去土壌」なら再利用できると決めるのはおかしい。
〔解説〕
 「原子炉等規制法」は、原発敷地内で発生した放射性廃棄物を扱う際、放射性セシウムについては100Bq/kg以下のものは放射性物質として扱う必要がない(再利用できる)とし、これを超えたものはドラム缶で管理することとしており、今も原子力施設ではこの法律で運用されています。
 一方、福島原発事故後に制定された「放射性物質汚染対処特措法」は、緊急時の特例としてこの基準を80倍も緩め、8,000Bq/kgを一般ごみとして扱うこととし、私たちの生活圏の方が原子力施設よりも緩い規制となっています。今回の省令改正は、この特例を汚染土の再利用にまで拡大しようとするもので、法律違反です。なお、放射性セシウム137の場合、8,000Bq/kgから100Bq/kgに減衰するまでに190年かかります。
 
【問題4:「復興再生利用」には法的根拠がない】
放射性物質汚染対処特措法には「除染土の再生利用」の規定がありません。環境省は41条に書かれている「処分」に「再生利用」という意味が含まれていると主張しますが、言葉の誤魔化しです。
コメント例⇒
多くの専門家も「処分」の意味に「再生利用」は含まれないと指摘しています。国会の審議もせず、放射能汚染土「再生利用」ありきの強引な解釈によって進めるべきではありません。
〔解説〕
 「廃棄物処理法」では「分別、保管、収集、運搬、再生、処分等の処理」とし、「再生」と「処分」を明確に分けています。「再生利用」というからには用途があり「処分」ではありません。事故直後に「原子力安全委員会」が公表した「廃棄物の処理処分等に関する安全確保の当面の考え方について」においても「再利用」と「処分」を分けています。法的根拠はなく、あるのは環境省の基本方針のみで「再生利用等を検討する必要がある」と書かれているに過ぎません。

【問題5:住民の声を聴かず、環境省が一方的に決めている】
コメント例⇒
最大の被害者は汚染土を持ちこまれる全国各地の住民と作業者です。国会の議論や住民との熟議も経ず、拙速に省令案作成・パブコメ手続きを進めることは許されません。
〔解説〕 
 環境省は、こうした様々な問題指摘には応えず、住民と話し合って最善の方策を探るのではなく、「理解醸成」と称して汚染土再利用を住民に押しつけてきました。福島県内での実証事業による作業員の被ばく実態も明らかにされていません。一方で住民の強い反対により福島県二本松市の実証事業は撤回、埼玉県所沢市、東京都新宿御苑では中断しています。昨年発表されたIAEA(国際原子力機関)の最終報告書でも、住民らとの協議の場を設けることが重視されていますが、今回の省令案・告示案には何ら反映されていません。
被ばくを避ける権利は誰にもある基本的人権です。
被ばくを避ける権利を行使し、汚染土の再利用に反対します。


◆意見提出方法  電子政府の総合窓口(e-Gov)の意見提出フォームを利用する場合
https://public-comment.e-gov.go.jp/pcm/detail?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=195240105&Mode=0 
にアクセス、「意見募集要領(提出先を含む)の全部を確認しました。」の左□にチェック。一番下の「意見入力へ」をクリック。
言いたいことを「提出意見」に2000字未満で書き、「内容確認」→提出→控えを保存→PC等に保存。
住所氏名など個人情報は任意。コピペするのが安全。字数を超えたら分割して出すことも可。
どうしても送れない場合は印刷して郵送。〒100-8975 東京都千代田区霞が関1-2-2 環境省環境再生・資源循環局環境再生施設整備担当参事官室 パブリックコメント担当 宛て
◎パブコメの最初に「復興再生利用に反対します」と書きましょう。

放射能拡散に反対する会の問い合わせ先は、


 

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ラーメンのために人は並ぶ

2025-01-22 | Weblog
三田の通用門から出て田町の駅に向かうと、行列である。
ラーメンを求める人たちの行列。
私が現役学生時代はこの場所ではなかったので、店舗が見えない裏からこの行列に出会うと、わかっていても、不思議な気がする。
人は何のために並ぶのか、という理不尽さも、感じる。

私がこの場所ではない「ラーメン二郎」のチェーン店化する前の開業店に入ったのは数度だが、こんなに全国区で知られるチェーン店になるとは夢にも思わなかった。


4年前の「ラーメン二郎」に関する記事


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「はるばる亭」のエドウィナが、NHK WORLDに登場 Follow Your Heart and Listen to the Soup!

2025-01-20 | Weblog
「はるばる亭」のエドウィナが、NHK WORLDに登場。

「Follow Your Heart and Listen to the Soup!」というタイトルです。

エドウィナからの拡散指令を受けて拡散するのだが、
思いの外、長尺の番組になっていて、びっくり。

彼女のオーストリアでの少女時代から、デザイナーとしての活動のことまで。

パートナーのさなえさんが若い頃の写真も出てきて、びっくり。
さなえさんが亡くなられてて、もうすぐ三年になってしまうのだなあ。

閉店の危機を乗り越えて、いまは週に五日間、営業しています。
経堂駅北口、スーパー・オオゼキの裏側です。

いつまで公開かわからないが、以下で見られます。



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近所の炒飯

2025-01-20 | Weblog
街中華の炒飯探求者(求道者)である藤原亮司さんが関西に引っ越してしまったのがなんだか淋しく、近所の中華屋「しむら」で、炒飯をいただく。
松本清張氏も通っていたという老舗だが、まったく何の変哲もない、素朴な中華屋である。はす向かいに専門店的な感じの中華屋ができたが、私は「しむら」一択である。
本当に何の変哲もない炒飯だが、うまい。ここではあらかじめ添えられた紅ショウガが個性である。
こちらで炒飯をいただいいたのは二回目だと思う。ほとんど外食をしないので、「しむら」に寄るのもこれまでせいぜい年に一、二回くらいだったと思う。
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鍋焼きラーメン

2025-01-19 | Weblog
一昨年暮れに高知で『わが友、第五福竜丸』を上演したとき、夜更けに劇団の若者たちと入った店が、「鍋焼きラーメン」の店だった。
写真の通り、濃厚なラーメンが土鍋で煮込まれたものが供された。
寒い時期にはぴったりだった。
しかし。
夏は暑い。南国高知も暑い。はずだ。
夏の真っ盛りにも、人々は汗を流しながら「鍋焼きラーメン」に向かうのだろうか。向かうのだろう。向かうに決まっている。
暑いときこそ熱いものを、という人たちもいる。
寒いときにも冷たいものを、という人たちもいる。
一年中「冷やし中華」がメニューにあるように、と、運動をした人たちもいたが、盛岡の人は真冬でも冷麺を食べるだろうし、冬こそもりそばをという御仁もいらっしゃるはずだ。
どんな冷たい食べものでも、人間のお腹の中に入れば、栄養としてエネルギーとして、身体を温かくしてくれる、と聞いたこともある。
まあ、でも、真冬に「煮込みラーメン」「鍋焼きラーメン」に越したことはない。

仕事の原稿がぜんぜん進まないときに、こうしてやくたいもないことを書き記して調子を整えるというか自分を鼓舞するというか。
言い訳である。
日曜日もへったくれもない日常。最低限の用事でしか出かけていない。新年になってからの観劇は港岳彦さんのと、さいたまでの岡山発信の劇の、二本だけである。他の皆様には不義理である。
言い訳にもなっていない。
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「動く歩道」なのか「歩く歩道」なのか

2025-01-18 | Weblog
「動く歩道」なのか「歩く歩道」なのか

といえば、
それは

「動く歩道」に決まっている

「自分で歩く歩道」なら、当たり前だからだ 歩くのは自分で歩道はただ存在するだけだ

だが、「動く歩道」でなく「歩く歩道」と言い間違えてしまう一派がいる

もちろん間違っている

だが
「歩道じたいが勝手に歩いてくれる歩道」
なら、
「歩く歩道」と呼んでもいいではないか

まあ、しかし,
「動く歩道」は、歩道じたいが勝手に「動いてくれる」だけで、
「歩道」の移動の仕方を
「歩く」とは言わない

だが、「歩く歩道」と呼ぶ一派の気持ちも、
わからなくはない
と思ってしまう私がいる

写真は、東京駅
新木場から来て、山手線に乗り換えようとすると、
かなりの距離を水平移動する
「動く歩道」なのか「歩く歩道」なのかは、ともかく

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近所の居酒屋

2025-01-18 | Weblog
自分の住んでいる町ではなかなか居酒屋には入らないものだ。
近所まで戻ってきたのだから、とっとと帰ってしまった方がいいからだ。
で、何年か前に行ったきりで、久しぶりに入った居酒屋。
カウンターには常連さんが、ずらり。
常連さんの居場所、という空気がビシビシ伝わってくる。
地元民のはずなのにストレンジャーな気がする。
まあそんなこともある。
手描きの白板メニューを見て、「カリカリジャガバター」とある。
どんなものか知りたくて注文。
確かに「カリカリ」で「バター」をまとったジャガイモ。
揚げ物とは言えないが、焼いただけではない微妙さ。
「カリカリ」なのは、ジャガイモの皮が剥かずに残されているからだ。ところどころ皮が捲れて「カリカリ」になる。説明無用。
おにいさんがワンオペでやっているのだが、カウンターとテーブル三つをさばいて、見事なものだ。
冬空の下、私らはこうして生きている。まあ、それだけ。
そういう感想。
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岡真理教授 講演会「ガザのジェノサイド」 パレスチナと沖縄を結ぶ歴史の地脈 開催中

2025-01-18 | Weblog
岡真理教授 講演会「ガザのジェノサイド」 パレスチナと沖縄を結ぶ歴史の地脈  
が、いま、Zoomで配信されています

岡真理さんは、早稲田大学文学学術院教授。ガザについて発信し続けている方です。

本日 1月18日(土)もう始まっていますが、16:30までやっています

場所は沖縄県立図書館ですが、Zoomでも見られます。

参加費は無料です。

zoom

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『沖縄戦と琉球泡盛』の英題は「Get back Peace from Battle Field:Ryukyu Awamori Story」としました

2025-01-17 | Weblog
必要があって、『沖縄戦と琉球泡盛』上演作の英題を用意せねばならず、
「Get back Peace from Battle Field:Ryukyu Awamori Story」
と、しました。

決定するまでに、複数の方にお世話になりました。

AI的に訳すと「Okinawa Battle and Ryukyu Awamori」。英語で直訳してしまうと、たんなる軍事用語になってしまう。

「Get back from Battle Field:Ryukyu Awamori Story 」
「Battele Field of Okinawa and Field of Ryukyu Awamori 」
というのも候補になりました。

日本語で「沖縄戦」といれた場合は、そこになにがしかの意味が入ります。
それは私たちの数十年の歴史認識の過程の間に培われたものです。
既に終わった過去の「沖縄戦」から現在。
その現在も「戦争」の危機にさらされている。
その現状認識の中で、あえて「Peace」を入れたものにしました。
意識しなければ、手に入れられないものだという、意志が入る形です。

写真、『沖縄戦と琉球泡盛』での、猪熊恒和。
終戦直後の焼け野原で、泡盛を再び造ることを可能とする黒麹菌を発見した、酒造者。
生き延びた彼が手にすることができたのは、再生を可能とする泡盛の「いのち」であり、それを守ることのできる「Peace」でした。
撮影・姫田蘭。




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デイヴィッド・リンチが亡くなってしまった

2025-01-17 | Weblog
デイヴィッド・リンチが亡くなってしまった。
彼は昨年夏、慢性の肺疾患、肺気腫と診断されたことを明らかにしていた。ヘビースモーカーだったらしいので、コロナとの関連もあったのかどうかは知らないが。コロナ時代は皆、肺をやられる。肺は、身体の中で、いったん傷めると、症状を抑えることはできても、良くはならないと言われている部位だ。残念だ。

デイヴィッド・リンチとは、私にとっては、『マルホランド・ドライブ』の人である。
あの一本で、やっとデイヴィッド・リンチと出会えた気がした。
『屋根裏』を書いているあいだ、文字通り執筆中ほとんどずっと、『マルホランド・ドライブ』のサントラ盤を流していた。具体的・内容的な影響は、ない。表現というものが「なんでもありだ」ということと、作品は整合性を備えていなければならないが、それを決めるのは作り手であるという、強い意志を焚きつけてくれるところは、ある。今でも『マルホランド・ドライブ』のサントラは、気合いを入れたり、気分を取り戻すときによく掛ける。これ以上あえて理由は言葉にしない。
デイヴィッド・リンチは、音楽については、アンジェロ・バダラメンティの叙情的というかセンチメンタルなオリジナル曲と既成曲を混在させることが多いのだが、『マルホランド・ドライブ』は、その意図が一番くっきりと表れた作品だろう。
日本では『エレファント・マン』が先に紹介されたが、『イレイザー・ヘッド』というトンデモ映画でスタートした彼は、そもそもがそのままの「アングラ・自主映画の精神」の人である。
同時に、ヒッチコック的な、「アメリカ映画の王道」を「自分流のフィールド」にねじ曲げて見せることについて、偏執狂的な人でも、あるのだ。
『ブルー・ベルベット』も謎の映画だったが、テレビシリーズ『ツイン・ピークス』で、強固な彼独自の世界があることを周知させた。その世界は作り手のデイヴィッド・リンチ自身の無意識を反映したかのように見えて作り手の意志を離れてそれ以上に多層的に存在していて、彼の作品はその一部分をある方向から垣間見せるだけのものだと言わんばかりの、問答無用のスケールと強引さを持っていた。その誘導過程に説得力と具体を持たせるとき、音楽は重要だったのだろう。
そんなふうに言う人は少ないと思うが、デイヴィッド・リンチは、アメリカの映画監督の中では、ヒッチコックに近いと思う。ヒッチコックもデイヴィッド・リンチも、私の敬愛するサミュエル・フラーも、「王道」に対する関心を保ちながら、自分流のフィールドと実験精神がなければ創作ができない人で、だからこそ自分自身のプロダクションを必要とした。おそらく、そういう所が、私がしっくり感じやすかったところである。私が「劇団」という形態をやめないのも、同じような理由だからだと思う。

しかし、それにしても、『マルホランド・ドライブ』は、見事だった。あの一本がなければ、デイヴィッド・リンチの作家性を理解する意欲は、続かなかっただろう。
もちろんデイヴィッド・リンチは、マニアックなようで、多ジャンル、多作な、人である。『砂の惑星』『ワイルド・アット・ハート』は、それぞれのジャンルに徹している。ただし『ロスト・ハイウェイ』『インランド・エンパイア』になると、私はついてゆけない。理解できない。『マルホランド・ドライブ』でなければ、ピントが合わなかったのである。
かと思うと、『ストレイト・ストーリー』のような、文字通りまっすぐな、ふつうの映画、まるで遺書であるかのような映画を、四半世紀前に既に撮っているのが、デイヴィッド・リンチという人の不思議である。
私たちはつい最近、スピルバーグの『フェイブルマンズ』で、ジョン・フォードを演じるデイヴィッド・リンチを見ている。彼は特殊な人のようでもあったが、やはり映画界の王道を往く人だったのだ、と、合点がいった。

ともあれ、やはり、デイヴィッド・リンチとは、私にとっては、『マルホランド・ドライブ』の人である。このような想像力が存在すること自体に、励まされるのである。
コーエン兄弟も『ファーゴ』がなければ好きにはならなかったし、ラース・フォン・トリアーも『ドッグヴィル』がなければ苦手な人のままだったはずだ。この一本、という作品に出会えたことが素晴らしいというのは、そういうことだ。
だが、この二者に比べても、やはりデイヴィッド・リンチは、一枚上手だと思う。本質的には、この人は、いつも、迷いがないように見えるのだ。
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環境省ヒアリング 新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会

2025-01-16 | Weblog
「新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会」の、環境省に対するヒアリングが行われた。1月16日、参議院議員会館。
新宿御苑に対してだけではない、放射能汚染土の全国に向けての「処分」「再利用」について、「反対する会」が、質問への回答を迫った。
地域住民と「協議」するのかしないのか、そのことを今後、「銘記」するのかしないのか。単純な質問に対して、答がない。
環境省側の回答は、無意味に「まさに」を連発し「しっかりと説明してゆきたい」と繰り返す、安倍晋三的言語。他も「ネット民」的な回避話法ばかりで、ぬらりくらりと逃げる。
「YESかNOか」を問うても、「検討中」「あらためてご説明する」。実質、無回答。
昨年の豪雨のさい、新宿御苑の「汚染土持ち込み予定地」への「浸水」の事実は明らかなのに、「情況は把握している」としか言わない。把握しているならばなぜ説明しないのか。とうてい「協議」する態度ではない。
にわか勉強の私でも、「処分」「再利用」作業の過程で、放射性微小粉塵があらためて広範囲に拡散する可能性については、否定のしようがないと思う。市民放射能監視センター・青木一政氏の指摘によれば、微小粉塵中にはセシウム・ボールと呼ばれる超高濃度・非水溶性の粒子が含まれるはずだという。
吉良よし子さん、山添拓さん、福島瑞穂さんら、国会議員の皆さんも鋭く質問してくださり、環境省が説明なく一方的に進めようとしている計画の理不尽さが、みごとに明瞭になったヒヤリングでは、あった。
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野菜高騰の中で新メニュー「ニララーメン」

2025-01-16 | Weblog
ゆえあって私が贔屓にしている唯一のラーメン屋、経堂の「はるばる亭」。
野菜高騰の中で、新メニュー「ニララーメン」を出してしまった。
この冬、キャベツもニラも、通常の倍以上の値段である。
大丈夫か。ほんとうに今それを出していいのか。
とにかく出してしまった。
そして、うまい。
皆さん応援してください。

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映画の書店

2025-01-15 | Weblog
先日、久しぶりに神保町へ行ったとき、「矢口書店」に再会。
といっても、そんなに、入ったり、買ったりした記憶は、ない。
十代で東京を知らぬ頃、「キネマ旬報」なんかに、この書店の広告があったのだと思う。だから、映画の書店、と、思っていた。
今回、「映画と演劇についての書店」なのだ、と、再認識した。

十代で東京を知らぬ頃、「キネマ旬報」「シナリオ」「映画芸術」といった雑誌を読んでいたものだが、やはり、今の人たちは、ネットで記事を読むのだろう。
情報が乏しい中、貪るように本や雑誌を読んでいた、という世代は、やはり、過去の人たち、ということに、なってしまうのだろう。
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祝園でのミサイル弾薬庫建造を止めるべきである

2025-01-15 | Weblog
陸上自衛隊祝園分屯地のミサイル弾薬庫建造問題。

「有事」になれば弾薬庫は攻撃対象にされる。
こんな住宅地に近くに弾薬庫を作るのはそもそも国際人道法に反している。
危険きわまりない。
沖縄など南西諸島だけでなく、全国各地にミサイル部隊を配し、弾薬庫を整備する軍事化を日本政府が急速にすすめている、憲法無視の、現実。

関西の人たちは、もっと注目すべきである。
万博なんかに関心がないのは健全で良いが、地元のことは、ダメダメ維新に任せておくべきではない。

「台湾有事」を口実にして日米両政府が中国に軍拡競争をしかけているという、反戦自衛官第一号・小西誠さんの指摘は、正しい。
沖縄県うるま市の住民運動が陸自の訓練場整備を4月に白紙撤回させた。住民が本気になれば弾薬庫建造を止められる、というのも、正論だ。

防衛省は情報を公開せず住民説明会も開こうとしていない。
これは日本中の他の問題とも繋がる。
新宿御苑への放射能汚染土持ち込みについてずさんな説明しかしないと同じ。

私たちの身近な問題である。

何度繰り返し言ってもいいことだが、
2017年にウクライナで弾薬庫が爆発した際には、周囲20kmの住民が避難したという。
“祝園弾薬庫”から周囲20kmといえば、北は京都市南部、南は天理市、東は笠置町、西は吹田市の範囲である。
京都・奈良までが戦場になる危険性が高まった。
1発5億円、6億円もするトマホークを400発も買うより、子供たち、教育、文化のために、税金を使うべきである。

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