Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

森友公文書改ざん「文書不開示」訴訟で、大阪高裁が「不開示」とした国の決定を取り消す、逆転判決

2025-01-30 | Weblog
森友学園をめぐる決裁文書の改ざんを命じられたことを苦に自ら命を絶った、財務省近畿財務局職員だった、赤木俊夫さん。
妻の赤木雅子さんが2021年に財務省や近畿財務局が検察に任意で提出した文書などを開示するよう求めたが、財務省側は文書が存在するかどうかも明らかにせず「文書不開示」とした。
国の決定に対し、捜査の関連資料を開示するよう求めた裁判で、本日、大阪高裁は、不開示とした国の決定に対して、あらためて「取り消し命令」を出したのだ。
雅子さんが控訴し、高裁にあがっての、逆転判決である。
法廷内で拍手が巻き起こったという。

これで赤木俊夫さんが、どのような指示系統で改ざんを強いられたかが明らかにされる。
これ以上無駄に時間を費やすべきではない。国は上告せず判決に従うべきである。

一昨年9月、大阪地裁は「将来の刑事事件の捜査に支障が及ぶ恐れがある」として訴えを退けていた。
国が「見せない」「出さない」と決めることが、誰の利益になるのか。
再発を防ぐことこそ、国民の利益であり、弱者である、労働する現場人を守ることになる。
公文書の開示のあり方じたいが見直されていく契機ともなる、記念すべき判決として、評価すべきである。

財務省の調査報告書では、安倍元総理の「私や妻が関係していたということになれば、私は総理大臣も国会議員も辞めるということをはっきりと申し上げておきたい」という国会答弁の後、当時の佐川宣寿理財局長が近畿財務局に決裁文書の改ざんを指示したとされている。
間に立つ官僚たちも「歯車」だから責任をとれないというのは、おかしい。
何よりも、真実を明らかにするのを遮ることが、正当化されてはならない。
財務省や近畿財務局が検察に任意で提出した文書などが開示されれば、そうしたメカニズムが白日の下にさらされれば、再発を防ぐことに繋がる。
俊夫さんの無念を晴らすためにも、きちんと裁かれねばならない。

写真は、『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』、2020年上演。
左より、円城寺あや、杉山英之。
撮影・姫田蘭。

同作は、半分は、岡山出身の作家・棟田博の代表作『拝啓天皇陛下様』に基づいている。かつて渥美清主演・野村芳太郎監督で映画化され、「国民的喜劇」として成功を収めた。棟田博氏は私の遠い姻戚である。『拝啓天皇陛下様』を劇化することが、私の永年の夢であった。

『拝啓天皇陛下様』の愛読者である、現代を生きる官僚が、「玲和」を迎える世の「生きにくさ」「宮仕えの辛さ」を、かつての時代に思いを馳せながら耐えていく物語であった。
そう。その官僚のモデルが、赤木さんだったのだ。

二日前のフジテレビのロングラン会見についても毀誉褒貶があるだろうが、少なくとも「真実を知る」ことを求めることが正当であることは、確かめられたと思う。

「真実が味方してくれる」と信じれば、死を選ばずにすんだはずの人たちが、いるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講義の終了と、未回答の質問への回答

2025-01-30 | Weblog
レポートの採点を終了。
コロナ禍が終わって、大学に対面式が本格的に戻って、二年。
自分が旅公演中の一回だけ、Zoom講義だった。
学生たちに出した課題は自由度の高いものだったので、それぞれが自分自身の関心に基づいて書いてくる。
当然ながら、将来演劇に携わる学生ばかりではないので、その興味の拡がり方が面白い。今年も熱心な学生がいた。内容はほぼ同じなのに、二年連続で受講してくれる者もいた。

※   ※   ※   ※   ※

さて、講義の中で、答案用紙に私への質問を記入するように言っておきながら、それ以降の講義で答えられていない幾つかのバラバラな質問があって、終了後ではあるが、学生たちへのメッセージ機能で、それらの質問について、回答を記し、送った。(最近の大学はネット環境の機能を駆使するのです。ときどき追いつけませんが)

といっても、答えようのない質問も多かったので、答えられそうなものだけです。
もはや講座終了後なので、こちらにも紹介します。
そのときどきの質問なので、とりとめもないものです。

Q:「コメディーの演劇」と「コント」は何を基準にして区分けされていますか?

区分けする必要のある人が、そうしているだけ。

Q:何がきっかけで演劇の魅力に気づいたか。

具体的に、個々の作品にめざましい表現のあるものが著しく多い時期に演劇に出会ってしまったからです。1980年頃。

Q:キスシーンを、キスをしているように見せて、本当は舌を入れていないという話にびっくりしました。本当に入れてしていると思っていました。していないのにしているように見せるコツやポイントがあったら教えてほしいです。

接触はしています。単純に舌を入れていないだけです。

Q:講義内に紹介された「スライディングステージ」などの機構の導入を決めるのは誰なのでしょうか。

美術家と舞台監督と演出家と制作者。設備のある劇場なら、自然と決まります。他に適切な合理的方法がないときにその判断を共有できるのが専門家チームです。
日本の劇場にはほとんどその設備がありません。設備がなくて架設しなくてはならない場合は、導入を決定できるのは、財布を握っている人です。

Q:俳優が演出を兼ねているステージでは「演出家」はいるのか?
Q:俳優は演出にどこまで口を出していいのか。仕事の領分の分け方はどうなっていますか。

「演出家」が存在する演劇は、百何十年か前にうまれたばかりです。じつは昔から、「演出家」がいなくても演劇をやっていたのです。
逆に、誰かが言葉として指示らしい指示を出しているように見えなくても見事に劇が出来上がってゆく場合もあります。

Q:感情移入と客観のバランスとは?

たぶん「バランス」を考え始めた段階で、その演技プランは破綻しています。

Q:何かを伝えようとしたら、かえって不自然にならないでしょうか。

演者が何かを伝えるとしたら、何かを伝えようとするのではなく、何かを伝えなければならない現実を生きるだけです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沼純一さんの新著「ことば よりそう」

2025-01-30 | Weblog
小沼さんが他者の作品に寄せた言葉群。ライナーノートや解説やカタログや批評記事、等々。
どうしても本人以外に寄せた言葉だからお行儀が良いかと思うと、ときどき楽しく遊んでいる、というところから跳ねて、やりたい放題のものもある。対象の個性に合わせ、寄り添って、いる。で、新造語も出てくる。油断すると、やられる。「竹中労」には、笑った。対象は幅広い。トランプ大統領の八年前、最初の就任式。そして、横文字で語られる、ねこ。

一番遊んでいるかもしれないのは、燐光群の公演に寄せた「地図は、どこ」。
どう遊んでいるかは、内緒。
でもちょっとばらすと、それぞれの人への言葉が、たんに語呂合わせなどではなく、けっこう批評として当たっている、ということだ。

ときどき散文調に転じて、また戻る。しっかり解説になるときもある。その行き来で思いだすのは、彼の戯曲である。自在さと、枠組みへの取り組み。

小沼さんに戯曲を書いてもらったのは、燐光群「Speak low, No tail (tale).」。もう三年前になる。
さて、次の戯曲は、いつになるのかな。

小沼純一さんの新著「ことば よりそう」(論創社)
装幀も素敵だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする