黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

インド紀行 14(釈迦涅槃・ニルヴァーナ寺院)

2020-03-01 21:42:02 | インド紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。

蕨沢川を渡り、諏訪神社を過ぎて、高台を廻って帰りました。

蕨沢川沿いにある、早咲きの桜が咲き始めています

高台から見た今朝の赤城山です。

やはり小沼のある一番東の峯に、雲が懸かってます。

獅子くん、かゆいの?

換毛が始まったのかな、それとも、ひっつき草のせいかな?

西の方には、真っ白な浅間山も見えます。

ちょっと霞んで見えにくいかな?

ひめちゃんの鼻の真上、電柱の向こうに浅間山です。

 

 

インドの旅・5日目も、午前6時ホテル出発です。

 

向かった先は、ニルヴァーナ寺院です。

ここが、釈迦様入滅の地・涅槃の地なのです。

まだ開門前です。

 

向こうにライトアップされているあたりが、お釈迦様入滅の場所のようです

朝靄(あさもや)がかかって、ちょっと幻想的な雰囲気

 

朝焼けの中に、犬出現です

先達(せんだつ)かな?

あたしではなく、僕のようです

 

ごめんね、おばさん達は脇道から行きます。

 

空には、ありあけの月です。

だんだんと正面に近づきます。

ここには、お釈迦様の涅槃像が、安置されているそうです。

 

その前に、現地ガイド・クマルさんの説明があります。

この木が、シャラノキ、このあたりはシャラの林でした

どうも日本でいうシャラ(ナツツバキ)とは、違うようです

 

入り口から見える、涅槃の釈迦、いわゆる寝釈迦です。

大きい

堂内には6mもの涅槃像が。元は5世紀のもので、赤砂岩でつくった赤色でしたが、仏滅2500年の際ミャンマーの信者により、金箔が貼られました。チュンダ、アーナンダ、最後の弟子スバトラの彫刻がありました。(添乗員さんの旅の記録より)

足下の方には、お賽銭があがってました

 

熱心な信者らしい団体さんがやって来ました。

花柄のオレンジの布を掛けてます

 

 

クマルさんは、この場所、後ろにそびえる塔のあたりに、こだわっていました。

たぶん、「お釈迦様が入滅したのは、涅槃像のある所ではなく、ここだよ」というようなことだったと思います。

メモ魔になって、メモを取っておくべきでした

 

夜が明けて、続々と人々が押し寄せます

まだ7時前です

 

僧院の跡があります。

ニルヴァーナとは、

仏教においては、煩悩を滅尽して悟りの智慧を完成した境地のこと。涅槃は生死を越えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる。~中略~この世に人として現れた仏の肉体の死をさすこともある。(ウィキペディア)

朝靄の中の幻想的なニルヴァーナ寺院です

 

 

 

 

 

 

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インド紀行 13(釈迦入滅の地・クシナガルへの道)

2020-02-29 21:15:13 | インド紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。

今朝の赤城山は、薄雲がたなびいて霊山という雰囲気でした

春の女神が降りてきそうです

 

 

ムルガンダクティ寺院を出て、釈迦入滅の地・クシナガルへ向かいます。

ムルガンダクティ寺院での最後の写真が、13:10です。

クシナガルのホテル到着が20:15ですから、ランチタイムを除くと約6時間の移動です。

途中、インドの素顔というほどではありませんけど、観光地ではないインドをいっぱい撮りました。

その一部をご紹介します

 

線路は続くーよ、どこまでも

 

ほこりまみれは、乾期のせい?

 

衣料品店です。

 

いっぱい過ぎる荷物です。

よく落ちないなあ

 

 

ランチで寄ったレストラン(ホテル)にあった、ヒンドゥー教の神様です。

現地ガイドさんによると、お釈迦様はヒンドゥー教の聖人の一人という認識だそうです

結婚式の準備がしてあります

インドの結婚式は、とても華やかなものだという事です。

旅行中の移動は、このバスでした。

総走行距離は、どのくらいになるのでしょう?

お疲れ様でした

 

ランチの後、またひたすらクシナガルを目指します。

 

痩せているけど、牛です。

白・茶・黒・グレー、体の色は違っても、みんな自然にいます

 

屋根の上の、洗濯物の隣にあるのは何でしょう?

 

レンガのウチで、まずまずの暮らしかな?

 

町です

町でも、違和感なく家畜がいます。

ヤギかな?

 

学生さんかな?


竹が建築資材として使われています。

インドは地震のない国なので、これでコンクリートで固めてしまえば大丈夫なのだそうです


 
こちらはヤギのようです。
色は違っても、違和感なく存在してます


レンガがいっぱい

 

あれえ、スマホしてる

ガイドさんによると、ほぼ全国民に格安にスマホを配った会社があったとか
ほとんどのインド国民は、スマホを持ってることになります


 
道ばたには、大木の下などに、ヒンドゥー教の神様が祀られた祠がありました。
ここもそうだと思うのですけど。

 

昔ながらの光景と新しい光景と、違和感なく同居しています。


ヤギに馬に牛、同居しています

 

街中です。
けっこう大型バイクです

雑然と混み合う街中です。

 
少し郊外になると、頭の上に枝をいっぱい乗せた女性達です

サリーと頭上の荷物に、あまりミスマッチと感じないのは不思議です。
 

レンガ工場の煙突かな?

まだ現役のようです


 あんな所に猿がいます

やはり目的は、下の屋台のバナナでしょうか?

 

こちらも、崩れ落ちそうなほど目一杯のサトウキビです

 


乾期でも水を満面にたたえた大河を渡りました。

 

午後8時過ぎ、釈迦入滅の地・クシナガルに着きました


涅槃を直感されたブッダは、霊鷲山を後にして、最後の旅に出発します。クシナガル郊外のハーパ村でチュンダと出会い、彼は料理の供養を申し出ました。この料理を食べた後、ブッダは激しい苦しみに見舞われます。ブッダはチュンダのせいではないと言いました。いよいよクシナガルに到着すると、一番弟子のアーナンダに「2本の沙羅の木の間に頭を北にして床を用意して欲しい」と伝えます。クシナガルの北には故郷ルンビニーがあり、父、母に足を向けて横には慣れないという為でした。(添乗員さんの旅の記録より)

あの有名な沙羅双樹(しゃらそうじゅ)があったところです
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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インド紀行 12(再び祈りの地を・ムルガンダクティ寺院)

2020-02-28 15:57:15 | インド紀行

寒い寒い朝でした。

赤城山には降雪があったようです。

昼間になっても、真ん中の峯と一番東の峯には、雪が残ってます

あまりの寒さに、超高齢の七海ママは、また服を着ています。

ベストタイプで全身を覆うものではありませんけど、超高齢の体にはやさしいようです。

「だてに毛深い訳じゃない」という犬川柳がありましたけど、超高齢になると、犬でも寒さはこたえるようです。

 

 

サルナートの博物館の前には、物売りのおじさんがいます。

「日本語の本だよ。3000円だよ

「ノー、1000円。」

「2000

「ノー、1000円。」

「1500

「ノー、1000円」

千円札と「ベナレス・サルナート」(ROLI BOOKS)を交換しました。

ちょうど、日本の博物館の企画展の冊子くらいの感じです。

 

これから向かうムルガンダクティ寺院も載ってます

仏教の僧侶、アナグリク・グランバール師もまた、サルナートの遺跡の保全に力を尽くした人である。彼は、苦労して資金を集め、現在のムールガンダクティ・ ヴィハールを1939年に建立した。これはブッダが雨期の間、休んで瞑想していたといえあれる場所に建てられた寺院で、その昔の名前をつけられた。今日この寺院がサルナートの中心となっている。この寺院は、昔の仏教の寺院に似せて造られ、上質の石灰岩で建てられている。日本人画家、野生司香雪(のもす こうせつ)がブッダの生涯を描いたフレスコ壁画もある。それゆえ、日本寺院と呼ばれることもある。この寺院の本尊は、現在サルナート博物館にある5世紀のブッダ像の金のレプリカである。

 

まもなく到着です。

 

ご本尊に対面がかないました。

合掌

 

日本人画家・野生司香雪(のもす こうせつ)が描いたという壁画も見られます

確かにお釈迦様の一生が描かれています

 

境内を散策します。

昔の仏教の寺院に似せて造られているということです。

 

お釈迦様が説法しています

 

優しそうな、ちょっと女性的なお釈迦様です。

 

鐘があります

日本の梵鐘とは大分違いますけど。

多分、音色も違う?

 

ミニのブッダ像(?)が、まるで百観音のように並んでいる空間がありました

 

境内で行き会った子ども達と引率の先生(?)

ここサルナートが、お釈迦様が最初に説法し、雨期に留まった土地なのですね

 

 

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インド紀行 11(お釈迦様が最初に説法した地・ダメクストゥーパ)

2020-02-27 21:18:34 | インド紀行

寒い一日でした。

赤城おろしが、遠慮なく吹き付けます

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩しました。

帰り道、久しぶりにケンくんに会いました

パパは、ガイドレールにちょっとひっかけて待機してもらいます。

ひめちゃんは、大好きなケンくんとご挨拶できました

 

 

ガンジス河でご来光に感激した後、ホテルに戻って朝食です。

ベナレス近郊のサルナートに向かいます。

サルナートはお釈迦様が初めて説法した地ということです。

 

 

まず、お釈迦様が5人の弟子と出会ったチョウガンディーヨ・ストゥーパで、写真ストップです。

普通に犬がいます

法輪ですね

ここは、中に入らずに写真を撮っただけでした。

 

 

まもなくダメクストゥーパです。

添乗員さんの旅の記録には、

サルナートは鹿のいる所の意味。日本では鹿野苑(ろくやおん)の名前で呼ばれています。この遺跡エリアの奥でも鹿を飼っているそうです。ブッダがブッダガヤで悟りを開いたのち、この地で、五比丘に初めて説法しました。(初転法輪)それを記念してできたのが、5世紀のストゥーパ。また、現在のムルガンダクティー寺院のモデルになった寺院跡の裏にはアショーカ王の石柱が残ってます。

 

寺院の跡です。

巡礼者でしょうか?

 

目指すは、あの左側にある塔です

ここがお釈迦様が、初めて説法した場所なのです

 

廻りには、寺院の跡がいっぱいです。

仏教の中心地だった時代があったのです

 

アショーカ王の石柱があります。

この上の部分、柱頭四頭獅子像は、近くの博物館にありました

けれども、残念ながら、博物館は写真撮影禁止でした。

絵でも描いておけば良かったかな。

 

ストゥーパは日本に伝わって、卒塔婆(そとうば)になったということです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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インド紀行 10(ガンジス河の夜明け)

2020-02-26 21:57:38 | インド紀行

雨の一日でした。

2月なのに、雨です

夕方には上がって、ひめちゃんは小次郎パパと、獅子丸はタバサねーちゃんとお散歩に出ました。

昨日の元気な獅子丸です

獅子丸も8歳になりました

実家に帰ってから、8ヶ月余りになります。

最近は特に目立つこともなく、家族の一員として過ごしています。

パパとの関係は微妙ですけど、お互いに気を付けているようです。

 

 

インド4日目、2月12日です。

5:00にモーニングコール、5:30集合です。

おばさんたちには、5時に起きて5時半に集合は忙しすぎです。

毎朝4時起きが普通になっています

 

昨夜のプージャーの会場に、バスで向かいます。

昨夜と道路事情が違って、バスで近くまで行けました。

 

昨夜しつこくつきまとっていた彼女と再会です

「覚えてる?」

「覚えているよ

一行は急いでいたので、遅れてはなりません。

何も買わずに別れました。

 

昨日の会場です。

沐浴の準備してる人もいます

思ったよりきれいになってます。

 

添乗員さんの旅の記録です。

6:00 ガンジス河の沐浴見学(ご来光付き)

インドとはいえ、早朝はまだ肌寒いですが、さっそく沐浴を始める人がちらほら。ガンジス河沿いには、ガートと呼ばれる沐浴場が84並んでおり、本日はダシュワメガートからゴートに乗りました。ガンジス河はヒンドゥー教徒にとって一生に一度は訪れてみたいと願う場所です。まずは、上流(南)へ向かいます。途中灯ろうを流しました。そしてマニカルカーガート(火葬場)の所をUターンしました。そして最後はきれいなご来光を今回は見ることができました。

 

ボートの中にまで、ミニ灯ろうを売りに来ました。

買うと火を付けてくれると云うことです。

いくらだったかはっきり覚えていませんけど、日本人にはほどほどの安さだったと思います。

同行のみなさん買ったようです。

動き出したボートから、ミニ灯ろうを流します

みんなにまた逢えますように

 

岸から離れていきます。

空には有明の月です。

 

東の空が、なんとなく赤くなってます。

ご来光です

たくさんの人がボートで川の中に出ていました

岸に戻る頃には、もうすっかり夜が明けていました。

 

ご来光に大満足で帰る途中、また日本語で語りかける青年がいます

結局ポストカードセット1冊を200ルピ-で買いました.

するとどこからともなく、あの彼女が現れました。

「どうして、あたしのは買ってくれないの

結局、よくわからないアクセサリーセットを200ルピーで買いました。

「彼は、ハズバンド?」

「ノウ、トモダチ。」

「グッドラック

 

彼らはどのようにして、日本語を身につけたのでしょう?

 

 

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