黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南勢多郡の廃寺・光善寺

2021-01-28 15:27:25 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の向こうの高台を目指します。

ひめちゃんが立ち止まります。

赤城山は、なぜか地蔵岳の頂上が光ってます

小次郎パパとタバサねーちゃんが、追い越して行きます。

榛名山は霞んでます。

浅間山は姿が見えません。

向こうに見える白い建物は、月田小学校です

 

ひめちゃんたちも、高台の真ん中を右折して廻って帰ります。

でも、ご用心ご用心

道ばたには、獅子丸が大好きなブロッコリー畑が広がります。

出荷した残骸に食い付かないように、注意深く通ります。

 

なんとか無事に神社を越え、蕨沢川です。

ん?

白板供養との下に文字がありそう

ちょっとこすってみると、文字が出現しました。

天沼、小暮、神尾、?、須藤かな

ここら辺にある名字です。

もう少し下にも文字がありそうです。

そのうちに何か持ってきてもう少し掘ってみましょう。

百番供養塔をみんなで建てるほど、信心深い心の広い人々がいた時代が、あったんですね

 

おうちに帰って、待っていられない獅子丸が先にハーネスを外してもらいます。

ひめちゃんは、ハーネスを外してもらうのをよい子で待ってます

 

 

「南勢多郡の廃寺」(勢多中央仏教会 平成23 内田憲治)を眺めていたら、光善寺がありました。

光善寺(天台宗聖護院宮末)

月田に存在した。本山派の修験の寺院である。寛保2年(1742)『前橋藩領内寺院本寺併所附帳』に記載されているがその後の記録は見当たらず、明治5年(1872)の「修験禁止令」によって廃寺になった可能性が考えられる。

 

粕川の月田で光善寺、どこかでみたような文字です。

そうだ、月田の近戸神社(ちかどじんじゃ)の裏だ

お使いついでに、廻ってこよう

 

近戸神社の駐車場に駐車して、鳥居をくぐります。

もう節分会の幟です。

とりあえず、鈴を鳴らしたつもりで、2礼2拍1礼です

由緒書きに、「神仏習合時代は小沼の本地仏である虚空蔵菩薩をお祀りしていた」とあります。

ちゃんと神仏習合時代の記憶を遺しているのです。

でも虚空蔵菩薩さんどうしたのかな?

 

拝殿脇を通って、裏の道にでます。

ありました

すごい数の石造物群です

ちょっと怖そうな方もいます。

 

よそではみたことのない庚申塔です。

「きかざる、いわざる」が、かわいい

庚申の文字に布が巻き付いています。

よく見えません。

もしかしたら、「みざる」?

 

石造物群の隣が宮司さん宅のようです

入り口にちょっと失礼です。

 

光善寺の文字があります

神仏習合時代の虚空蔵菩薩は、こちらかな?

光善寺石造物群のポールもあります

そのうちに、御朱印を頂きに伺いましょう

今回は、ここで退散です。

 

神社の方に戻ります。

 

社家のすぐ南には赤城塔です。

南無阿弥陀仏の文字があります。

 

隣には六地蔵石殿です。

あれ、お顔がありません

丁寧に意図的に削られています

 

少しくだると、古い狛犬です。

なぜシッポが違うのかな?

「中世(鎌倉時代~室町時代)石造狛犬の現在例は、群馬県内では熊野神社とここだけ」とあります。

はて、どこの熊野神社かな?

お目にかかりたいなあ

 

近戸神社の裏になぜ石造物群があるのか、長年の疑問がやっと解決しました

 

 

 

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南勢多郡の廃寺・瑞雲寺

2021-01-26 15:04:43 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。

数日ぶりの若いもんの散歩です

上の沼まで行ってきましょう。

まず、堀之内をでて、岩神沼です。

この間は、大きなシラサギがいました。

今朝はどうかな?

だれもいないよ、つまんないね

上の新沼に行きます。

こちらは、何名かカモさんがいます。

おや、ボートの所にシラサギさんがいます。

ボートに乗ってます

あ、飛び立ちました。

東岸に生えている大木に停まります。

ツル草と同じくらい細い足です

水辺に降りて何か探しているようです。

みんな仲良く共存しているようです

 

早く帰ってご飯にしよう

そうしましょう

 

 

 

先日、旧勢多郡粕川村(前橋市粕川町)で、兎川(うさぎがわ)にかかる寺後橋(てらごはし)を渡りました。

北には赤城山が見えます。

東南には、膳城趾と粕川歴史資料館が見えます。

北東の角には、中公園です。

 

そしてすぐそばに墓地が広がります。

もしかして、お寺があったかな?

 

サイクリング中の、地元のおじさんがやって来ます

「こんにちは、ここにはお寺があったんですか?」

「中寺(なかでら)だ、大きかったんだよ。」

おじさんちも、おじさんの本家もここの墓地だそうです。

 

あまりウロウロするのもちょっとはばかられたので、雪の翌日出直しです。

中公園の駐車スペースに駐車して、まず奥にあるメルヘンの世界のトイレを確認です。

 

童話の世界なのでしょう。

何のお話かな?

遊具もあって、児童公園になっているようです。

でも、子どもの姿はありません。

 

お昼山がみえます。

 

さて、中寺(瑞雲寺)を探索です。

 

「南勢多郡の廃寺」( 群馬県勢多中部仏教会 内田憲治 平成23 )によると、

瑞雲寺(宗派不明)

中字寺後に存在した。寬保2年(1742)『前橋藩領内寺院本寺幷所附帳』や明治10年(1877)に内務省地理局へ出された『上野国郡村誌』に記載が無いことから、この間に建立されたが幕末から明治初め頃までに廃寺になったものと考えられる。3反余りの寺域があり膳村の龍源寺尼寺で通称中寺と伝承されているが詳細は不明である。

 

寺院の跡等はなさそうです。

目に付いた石造物の皆様です

 

墓石なのでしょうね。

美しい人だったのでしょうか?

 

こちらは、穏やかそうな如意輪観音です。

 

天明8年(1788)、僧形の墓標です。

天明8年には、和尚さんいたのでしょうね。

 

左は阿弥陀如来かな?

 

天神宮もあります

隣の石が気になりますけど、ウーンわかりません

 

権大僧都の文字が見えます

こちらにも権大僧都の文字が見えます。

修験系の人の墓石でしょうか?

 

広大な寺域を持った修験系の寺院とは考えにくいです。

江戸時代、修験者は天台宗か真言宗の寺院に属さなければならなかったといいます。

天台宗か真言宗の寺院だったかな?

すぐそこの龍源寺は曹洞宗ですね、うーん

 

後ろに見える家々は山上(旧勢多郡新里村大字山上)です。

右の森は山上城です

 

こんなに広大な寺域を領していても、詳細不明なのですね。

 

 

 

 

 

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白柴タバサちゃんの雷電山探訪記(南勢多郡の廃寺・万徳寺の面影を求めて)

2021-01-11 15:18:53 | 南勢多郡の廃寺

今朝はすさまじい冷え込みでした

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

岩神沼は、ほとんど凍っていてだれもいません。

寒いね

ひめちゃんたちは、更に上の新沼&童沢貯水池に向かいます。

 

新沼は、岩神沼より大きいので、凍っていない部分があります。

でも、鳥の姿はありません。

 

隣の童沢貯水池はどうかな?

ほとんど凍っていません。

むむ、いるぞ

こちらは、カモさんいっぱいでした

獅子くんは、草の実いっぱい付けて帰ります。

さあ、早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

「南勢多郡の廃寺」(平成23年、勢多郡中央仏教会発行)という冊子に、浄土宗・万福寺があります。

新川字新宮に存在したといわれるが現在寺院の痕跡はみられない。この地域は古くは山上保(やまがみほ)といい、現在の山上・武井・新川の一部などを含む広大な地域であった。窪井(久保井)村本坊を本拠とする念仏僧行仙がおり、窪井本坊は雷電山にあったとの伝承があり、この窪井本坊が万福寺であろうと推定される。

 

12月30日、暖かいのは今日だけ、後は寒波がくるというので、では雷電山に行こう

 

タバサねーちゃんも一緒です。

熊は出ないだろうけど、イノシシくらいは出るかも。

タバちゃん、よろしくね

近くの新宮住民センターに駐車して、雷電山目指します。

 

さぞかし草ぼうぼうかと思いきや、落ち葉の道です。

タバサちゃん、情報収集です。

何が通ったのかな?

サクサクとクヌギの落ち葉ふみわけて登ります。

 

左程の勾配もなく登ること約5分、鳥居が見えてきました

着いたね

 

鳥居をくぐって、階段を登ります。

 

ちょっと、お疲れの拝殿です。

一応新年の用意がしてあるようです

とりあえず、2礼2拍1礼です

 

タバサねーちゃんは、熱心に情報収集中です

 

前回来た時は、この北側の道から来ました。

北側には人家があって、急勾配ながら、途中まで車が上れるのです。

 

境内を左から散策です。

「雷電神社祭神」の案内です。

境内で「雷電神社」の文字はここだけです。

境内もクヌギの落ち葉いっぱいです。

 

本殿の南に、石宮が2基あります。

他には境内社はないようです。

 

本殿に向かいます。

本殿には、彩色があります

しっかり新年の準備完了です。

 

草の実いっぱいにならなくて良かったよ

境内はそんなには広くないけど、堂宇はいくつか建ちそうです

本坊のほかに、ちいさな堂宇なら建ちそうです。

北側に集落があるので、中世にも集落めいたものがあった可能性も考えられます。

 

さあ、帰りましょう。

タバサねーちゃんも上手に降りられました

 

サクサク、またクヌギの落ち葉踏み分け、雷電山を下ります。

 

つつがなく、地上に降りられました

さぞかし困難な参道を上ることになるだろうと思いましたけど、ほどほどお散歩コースでした

 

麓から、行仙上人の往生を聞いて駆けつけることも可能です

 

おおいに「窪井の本坊」の可能性ありです

 

 

史跡・笠塔婆にも寄って行きましょう。

神社参道の北側の細道を上ります。

南の文字塔の方は、ほとんど何も見えません。

北側に阿弥陀三尊が刻まれています。

おや、みなさんお顔がありません

どう見ても、意識的に削られています

今回初めて気がつきました。

廃仏毀釈とは、恐ろしい時代だったのです。

ここには、もしかしたら、もっともっと行仙上人の記憶があったかもしれませんね

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