ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の向こうの高台を目指します。
ひめちゃんが立ち止まります。
赤城山は、なぜか地蔵岳の頂上が光ってます
小次郎パパとタバサねーちゃんが、追い越して行きます。
榛名山は霞んでます。
浅間山は姿が見えません。
向こうに見える白い建物は、月田小学校です
ひめちゃんたちも、高台の真ん中を右折して廻って帰ります。
でも、ご用心ご用心
道ばたには、獅子丸が大好きなブロッコリー畑が広がります。
出荷した残骸に食い付かないように、注意深く通ります。
なんとか無事に神社を越え、蕨沢川です。
ん?
白板供養との下に文字がありそう
ちょっとこすってみると、文字が出現しました。
天沼、小暮、神尾、?、須藤かな
ここら辺にある名字です。
もう少し下にも文字がありそうです。
そのうちに何か持ってきてもう少し掘ってみましょう。
百番供養塔をみんなで建てるほど、信心深い心の広い人々がいた時代が、あったんですね
おうちに帰って、待っていられない獅子丸が先にハーネスを外してもらいます。
ひめちゃんは、ハーネスを外してもらうのをよい子で待ってます
「南勢多郡の廃寺」(勢多中央仏教会 平成23 内田憲治)を眺めていたら、光善寺がありました。
光善寺(天台宗聖護院宮末)
月田に存在した。本山派の修験の寺院である。寛保2年(1742)『前橋藩領内寺院本寺併所附帳』に記載されているがその後の記録は見当たらず、明治5年(1872)の「修験禁止令」によって廃寺になった可能性が考えられる。
粕川の月田で光善寺、どこかでみたような文字です。
そうだ、月田の近戸神社(ちかどじんじゃ)の裏だ
お使いついでに、廻ってこよう
近戸神社の駐車場に駐車して、鳥居をくぐります。
もう節分会の幟です。
とりあえず、鈴を鳴らしたつもりで、2礼2拍1礼です
由緒書きに、「神仏習合時代は小沼の本地仏である虚空蔵菩薩をお祀りしていた」とあります。
ちゃんと神仏習合時代の記憶を遺しているのです。
でも虚空蔵菩薩さんどうしたのかな?
拝殿脇を通って、裏の道にでます。
ありました
すごい数の石造物群です
ちょっと怖そうな方もいます。
よそではみたことのない庚申塔です。
「きかざる、いわざる」が、かわいい
庚申の文字に布が巻き付いています。
よく見えません。
もしかしたら、「みざる」?
石造物群の隣が宮司さん宅のようです
入り口にちょっと失礼です。
光善寺の文字があります
神仏習合時代の虚空蔵菩薩は、こちらかな?
光善寺石造物群のポールもあります
そのうちに、御朱印を頂きに伺いましょう
今回は、ここで退散です。
神社の方に戻ります。
社家のすぐ南には赤城塔です。
南無阿弥陀仏の文字があります。
隣には六地蔵石殿です。
あれ、お顔がありません
丁寧に意図的に削られています
少しくだると、古い狛犬です。
なぜシッポが違うのかな?
「中世(鎌倉時代~室町時代)石造狛犬の現在例は、群馬県内では熊野神社とここだけ」とあります。
はて、どこの熊野神社かな?
お目にかかりたいなあ
近戸神社の裏になぜ石造物群があるのか、長年の疑問がやっと解決しました