黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南勢多郡の廃寺・医王寺

2021-03-02 20:49:25 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

獅子くん、いつものポーズです

あれ、カモ溜まり(カモがいつもいる所)に、アオサギがいます。

カモと共存しているようです。

なんとなく若い感じです

 

ひめちゃんたちは、高縄の摩崖仏裏を通って帰ります。

参道が塞がっていて、参拝できないね

 

獅子丸との関係は、いつも通りです

獅子くん、今のところ変なそぶりは見せていません。

 

帰り道、いつもは素通りの彼に、秋波を送って通ります。

彼も、ひめちゃんが恋の季節まっただ中だとわかっている顔しています。

 

 

 

高崎方面に行くときには、(前橋市)荒砥中学校北側の道をよく利用します

 

道の奥に、青い堂宇のようなものが見えます。

前々から気になっていましたけど、先日思い切って、寄ってみました

青い堂宇目指して、田舎道を走ります。

墓地もあります。

小さな六地蔵もあるようです。

近づいてみて、びっくり

お顔が落とされていたのです。

六地蔵全員のお顔がありません

 

六地蔵の間をすり抜け、青い屋根の堂宇を目指します。

 

右手に、荒子東霊園・墓地分譲中の看板です。

ここの墓地は生きています。

お寺ではなく、業者が管理しているのかな?

 

堂宇前に大きなお地蔵様2体です。

念仏供養の文字が見えます。

こちらは、かなり朱が残ってます。

お二方とも、お首は無事だったようです。

 

シンプルな堂宇です。

合掌

薬師如来かな?

秘仏のようです。

縁日等にはご開帳されるのでしょう。

 

堂宇の左手に、史跡のポールです。

「薬師堂の石仏群」です。

石殿には、なんとなく文明十二年(1480)の文字が見えます。

 

「薬師堂、文明12年の石殿、荒子東霊園」、ここは南勢多郡の廃寺・医王寺です

「南勢多郡の廃寺」(平成23 内田憲治 群馬県勢多郡中部仏教会)によると、

医王寺(赤坂山瑠璃光院ー真言宗)

荒古町下境156-1番地外に存在したが、明治末期に焼失し廃寺になり西大室村観昌寺の境外施設になった。圃場整備事業によって出土した遺物から室町時代に創建された寺院であることが明らかとなった。また、この寺院跡には堀跡も発見されていることから、かつて寺の周囲は堀が巡っていた寺院であったことも判明している。現在、薬師堂が存在しており境内には文明12年(1480)の阿弥陀石殿があり医王寺の歴史を示している。

 

南勢多郡の廃寺・医王寺だったんですね

 

境内の風景です。

 

馬頭観世音、目立ちます

 

堂宇東側から赤城山を望みます。

なんとなく、堀に囲まれたお寺の雰囲気です。

医王寺の文字は確認できませんでしたけど、「薬師堂、文明12年の石殿、荒子東霊園の荒子」から、ここは南勢多郡の廃寺・医王寺です

 

 

 

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白柴タバサちゃんの「野の六地蔵幢」訪問記

2021-02-11 15:01:52 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

今朝の赤城山は、吹雪いています

 

岩神沼に着いても、赤城山がまだその姿を現しません

さざ波が立ってます

 

ひめちゃんたちは、さらに奥の新沼に寄ります。

いつものシラサギとアオサギがいます。

こちらも、今朝は、さざ波が立ってます

この2羽は、いつも微妙な距離を保ってます。

自然界の掟なのかな?

 

帰り道は、大分気温も上がってきました

ひめちゃんは、良い子でハーネスを外してもらうのを待ってます

 

 

 

先日、暖かく風のない日がありました。

タバサねーちゃんは、「お出掛けしようよ」と催促です。

じゃあ、ちょっとお使いついでにお出掛けしよう

 

前々から気になっていた「野の六地蔵幢」に行ってみよう

野の信号をまっすぐ南に下ります。

 

前は表示があったような気がしますけど、表示らしきものは目に入りませんでした

でも、ストリートビュー確認してありました。

隣の市立福祉センター駐車場に、ちょっと失礼します。

 

細い路地を入ります。

あれ、凝灰岩石仏かな?

かなり古めの五輪塔もあります。

うーん、何様だろう

右手には、女人供養とあります。

赤ちゃんを抱いています。

もしかして出産で母子ともに亡くなった?

合掌

 

 

すぐ後ろに、六地蔵幢です。

思わず「うわーすごい」の声が、上がります

まず、合掌

ためつすがめつ眺めます

線刻なのですね

 

東側には、1体のお地蔵様です。

まだ、お姿はっきりしています

 

北側には2体です。

 

西側には1体、少し劣化してるかな?

西日って、案外強いものなのでしょう。

 

南正面のお二人です。

けっこうはっきりしています

 

どうしてこんなにすばらしい六地蔵幢が存在するのでしょう?

 

説明板もなく、新里村指定重要文化財のポールだけです。

桐生市のHPをあけると、なんと桐生市指定重要文化財のなかにありました

此岸(しがん=現世)から、三途の河を渡った時に、すべての人は現世の行いによって閻魔大王に裁かれるといいます。そして、その行く先は、六つの世界に振り分けられるのです。つまり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の世界で、良い行いをした人だけが彼岸(河の向こう岸で悟りの境地が得られる世界)に行くことができるといいます。

六つの世界の、各々の道にいて救い導いてくれるのが六地蔵なのです。そのために墓地の入り口などに建てられることが多いのです。六地蔵幢は、鎌倉時代に中国から伝わりました。

六地蔵幢は、基壇・基礎・幢身・笠・露盤・宝珠の順に建立され、高さ1.82mあります。

安山岩製で、幢身の東西に1体ずつ、南北に2体ずつ計6体の地蔵が線刻されています。笠石は、六地蔵を意識して六角形に作られています。

 

ここの六地蔵幢は、鎌倉時代のものなのかなあ?

肝心なことが書いてありません

 

ここは墓地の一角です。

もしかしたら、お寺があったかもしれませんね。

(新里町)野に観音寺という廃寺があったそうですけど、全く資料がありません。

向こうに見えるのは、桐生市新里のゴミ処理場です。

 

久々のお出掛け、気持ちが弾みました

 

さて、次へ行きましょう

次は何処にいくのかな?

 

 

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南勢多郡の廃寺・青龍寺

2021-02-04 15:32:44 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんは小次郎パパと、北の方にお散歩です。

久しぶりにパパと岩神沼です

いつものカモさんいますね

右の道を上ります。

おや、黒い物体が飛び立ちます

もう1羽いたのです

ひとり寂しくここに住んでいるのではなく、もしかしたらカップル?

 

 

「南勢多郡の廃寺」に青龍寺があります。

青龍寺(宗派不明)

深津字三ヶ尻郷994番地に所在した。基壇は地中に埋没し宝塔(赤城塔)や石造物片が多く見受けられる。詳細な資料は残っていないが鎌倉時代の創建と伝わっているが、江戸時代前期までに廃寺になったようである。

 

三ヶ尻で宝塔

そうだ、三ヶ尻の宝塔、高野辺家成夫人の宝塔の所だ

 

宝塔メインでは何度も行ってます。

確かにお寺があった雰囲気でした。

青龍寺の面影を尋ねて、お使いがてら行ってみましょう

県道3号線を西に行き、(前橋市粕川町)女渕西の信号を南に下ります。

ちょっと次の信号を左折、ちょっと路地に入ります。

迷わずに到着です。

こんにちは、お久しぶりです

粕川村時代のスタンプラリーのボックスが、ちょっと寂しい

説明板を確認です。

三ヶ尻赤城塔は県内でも数少ない鎌倉時代の宝塔で、世良田長楽寺、宮城村忠治温泉庭のものとならぶ上野国初期の宝塔である。

そうなんですか

 

最後がちょっと気になります

塔の造立は天台宗と深い係わりがあり、赤城塔の分布が粕川流域に特に多いことなど、赤城南麓地域における中世天台宗の発展を探る上からも注目されている。

 

世良田長楽寺は、中世には臨済宗のお寺でした。

江戸時代初期に、天海によって強引に天台宗に改宗されたといいます。

そうすると、赤城南面の宝塔の分布は、臨済宗というか禅宗の広がりと深い係わりがあったという方が、妥当のような気がします

 

模様が刻まれているようですね。

今までは気がつきませんでした。

格狭間です

基礎に刻まれた蓮弁、ウーン何かあるようにも見えますけどよくわかりません。

 

さて、寺院跡の石造物にご挨拶です

享保、天保の年号が見えます。

秀青法師、覚心沙弥、お坊さんではないのかな?

前掲書には、江戸時代前期には廃寺になっていたとありますけど、江戸時代中期から後期の年号の墓標があります

 

あれ、塔婆が上がってます

西福寺住職とあります。

ここから少し東の方に、西福寺はあります。

何年か前に行ったことがあります。

 

宝塔の後ろ姿です。

向こうの赤い屋根の小さなお堂に行ってみましょう

御眷属守護のお札があります。

前回来た時もありました。

おや、写真を見て気づきました。

神社名があります。

残念ながら、わかりません

さっきの塔婆に西福寺住職とありました。

西福寺の隣には、八坂神社があります。

もしかしたら八坂神社と関係があるかな?

 

高野辺家成の3人の娘は、赤城姫・淵名姫・伊香保姫でしたね

家族みんな、そして従者達も神になったのでしたね

 

ここはゴミ捨て場に隣接していますけど、人が来ることによって、パワースポットとしてのパワーを持ち続けられているのでしょう

 

 

 

追伸

2月5日、お使いついでにお札を確認してきました

この日はよく見えました

「郷社城峯神社」ですって

どこにあるのだろう

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南勢多郡の廃寺・三夜沢赤城神社の神宮寺(後編)

2021-02-02 19:59:57 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸が、おとうさんを連れてやって来ます

タバサねーちゃんは、都合で1人散歩です。

ひめちゃんと獅子丸が追い越して行きます。

みんなで天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

ひめちゃんと獅子丸は、ケンくんちの方に曲がりました。

タバサねーちゃんも追いかけます。

獅子丸とケンくんは、お互いに「ボクの方が強いんだぞ」と吠え合ってます。

バイバイ、そのうちにひめちゃんだけで来るよ

 

 

 

三夜沢赤城神社に到着です。

 

鳥居の前に、宮城村の文化財の案内があります。

「惣門、下馬」の所を通ってきました

 

赤城神社の由緒書きです。

あったっけ?

古代、崇高な赤城山と水源である沼の神霊を自然崇拝の対象に、農耕の神、東国開拓の神々の大己貴命、豊城入彦命を主祭神に祀り、創建は崇神天皇の御代と伝えられています。

 

 

手水社も、コロナ対応です。

そばに大きなサワラの木があります

そばの説明板には、「推定樹齢250年、樹高28m」とあります。

 

 

右の狛犬です。

こんにちは

この後ろあたりが、東の神宮寺・龍赤寺かな?

「南勢多郡の廃寺」によると

当初は密教僧により成立したようであり真言宗系であったが、善昌寺(新里町)に属し支配を請けていた。後に寛文11年(1671)以降に寛永寺の末寺になり天台宗に改宗した。

普通に考えると善昌寺は真言宗のお寺だったことになります

それにもまして、どうして赤城神社を支配できたのでしょう

 

 

左の狛犬さん、こんにちは

この奥の方に、西の神宮寺・神光寺があったのかな?

 

 

たわら杉の中を、拝殿に向かいます。

この場面は今回の写真がなかったので、昨年10月に訪問したときの画像です。

中世武士団のなかでも大胡氏が赤城神社への信仰が篤かったとあります。

 

 

拝殿で参拝して、あたりを散策です。

このあたりに、赤城塔があるはずですけど、見つかりません

龍赤寺跡に残る宝塔のはずですけど

 

本殿の東側には、石段で登れます。

 

 

本殿の後ろの高台に人影があります

何かあるのかな?

 

あるかなきかの道を上ります。

大きな石宮があって、おばさんがきびだんごのようなものをあげてます

「こんにちは こちらは何様ですか?」

「天神様です。今日は初天神なので カメラは遠慮してください。ご本殿の後ろですから。」

「はい。」

何か曰くありそう

思い切って、今日来訪のわけを話します。

「南勢多郡の廃寺という本に、新里の善昌寺がここにあった神宮寺を支配していたという記述があったのです。驚きの記述で、これは是非面影を探しに行こうと出かけて来たのです

「そうですか。実は我が家は祖父の代まで、ここの神官をしていました。今は別の人がやってますけど。火事になって過去帳等が焼けてしまったので、善昌寺に行って写してきたと聞いています。善昌寺に文書を提出してあったそうです。」

「ええッ、本当ですか

善昌寺が赤城神社を支配していた時代があったのは、本当なのです

おばさんはまだ参りするところがあるということでした。

邪魔をしないように、撤退です

 

 

時間の都合で、神社の西の方は歩いてきませんでした。

昨年の10月の写真です。

駐車場にある剣聖上泉伊勢守の木像です。

ここは上泉伊勢守修練の地とあります。

この奥にはちょっと行けません。

ここらへんが神光寺かな?

 

「南勢多郡の廃寺」によると、

神仏分離により神主増田家の墓地に移された宝塔や五輪塔は14世紀に属するものである。真光寺は以前、真言宗であったが後に善昌寺末になり支配を受け天台宗に改宗した。

 

新里村の善昌寺が、赤城神社の神宮寺を支配していた時代があったなんて

でも、ちょっと裏付けの証言を得られました

 

10月にいただいた御朱印です。

 

10月の参拝は、ちょっと記事にしにくくて、そのまま放置されていました。

今回の参拝待ちだったのです。

不思議な出会いでした

赤城大明神のお引き合わせかな

 

 

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南勢多郡の廃寺・三夜沢赤城神社の神宮寺(前編)

2021-01-31 15:30:52 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、今朝も堀之内を北に出て沼巡りをしてきました。

まず岩神沼(いわがみぬま)に到着です。

薄氷が張ってます。

今朝は寒かったものね

 

更に上の新沼(しんぬま)&童沢貯水池(どうざわちょすいち)を目指します。

昨日は、シラサギさんとアオサギさんに逢えました。

今朝はどうかな?

 

こちらの沼は大きいので、凍っていません

おや、新沼の管理用ボートの上にアオサギさんです

 

1本足です

眠っているのかな?

まさか1本足になっちゃった

 

飛び立ちました。

カモさん達のいるところに着地です。

足は2本有りそうです

水辺を2本足で歩いています。

アオサギさんの先にはシラサギさんがいます。

昨日も微妙に距離を置いていた2人です。

シラサギさんは、飛び立ちました。

 

不思議な関係だね

 

帰り道の赤花ロウバイ、今朝もきれいに咲いていました

 

おうちに帰って、獅子丸がハーネスを先に外してもらいます。

ひめちゃんは、よい子で待っていられます

 

 

 

「南勢多郡の廃寺」(勢多中部仏教会 平成23年)に、三夜沢赤城神社の神宮寺として「龍赤寺」と「神光寺」の記載があります。

龍赤寺(天台宗東叡山寛永寺末)

三夜沢赤城神社東宮の神宮寺として建立された。寺院跡に残る宝塔は14世紀に属するものである。当初は密教僧によって成立したようであり真言宗であったが、善昌寺(新里町)に属し支配を受けていた。後に寛文11年(1671)遺構に寛永寺の末寺に也天台宗に改宗した。その背景には政治的な権力に接近するためと考えられる。本地仏は地蔵菩薩である。龍赤寺の管理は神官がほぼ掌握しており神宮寺の存在は形式的な存在だったようである。赤城神社の年代記の記述は延文元年(1356)が初めてであり、神社と神宮寺の創建はほぼ一致する。慶応4年(1868)「神仏判然令」により明治2年2月廃寺になった。

 

神光寺(赤城山能幅院ー天台宗新光太平山妙殊院善昌寺末)

三夜沢赤城神社西宮の神宮寺として建立された。神仏分離によって神主増田家の墓地に移された宝塔や五輪塔は14世紀に属するものである。神光寺は以前、真言宗であったが後に善昌寺末寺になり支配を請け天台宗に改宗した。江戸時代の初め天海が長楽寺(世良田)を天台宗に改宗した。天海は家康の知遇を受け政務にも参画し延暦寺や日光山の復興や寛永寺を創建した。神光寺の本地仏は千手観音と虚空蔵菩薩である。

 

ともに、新里の善昌寺と関係があったようです

これは、是非行ってみなくては

 

雪の明日、25日にお使いついでに足を延ばしました。

国道353号線を西に行き、三夜沢の信号を右折、県道16号線を上ります。

 

赤城神社の惣門、まだ行った事ありません。

ここで右折してしまいました

 

あれ、鳥居だ

惣門じゃない

でも、赤城神社の鳥居だよね

振り返ると、松並木が続いています。

でも、車が走行できないように、四阿(あずまや)が建ってます

 

こちらが本来の参道なのですね

間違えて良かった

 

さて、県道に戻り、500mばかり行って右折します

ありました

説明板もあります。

近世中葉の遺構として貴重なのですね。

 

松並木を上ってきたおじさんが、惣門に到着です。

門の前で、2礼2拍1礼です。

「こんにちは

「こんにちは さっき松並木を歩いていましたね

「松並木をずーっと歩いてきました。最近はまっすぐの道ができて、だれも通らなくなっちゃったけどね。昔は路線バスがこの松並木の間を通っていたんだよ。」

「ええッ、そうなんですか

「赤城神社の鳥居を3つ廻ってウオーキングだよ 気を付けてお参りしてください。」

「はい、ありがとうございます。」

 

おじさんが行ってしまうと、惣門をためつすがめつ眺めます

確かに、貴重な形なのでしょう。

平地ではもう雪はありませんでしたけど、ここにはまだ雪が残ってました。

 

門の前の古い大木、サワラかな?

この木も物語がありそうな根っこでした。

 

惣門脇を車で上ります。

まもなく、「下馬」の表示です。

いよいよ神域ですね

 

ほどなく、三夜沢赤城神社に到着です

 

 

(つづく)

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