ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。
獅子くん、いつものポーズです
あれ、カモ溜まり(カモがいつもいる所)に、アオサギがいます。
カモと共存しているようです。
なんとなく若い感じです
ひめちゃんたちは、高縄の摩崖仏裏を通って帰ります。
参道が塞がっていて、参拝できないね
獅子丸との関係は、いつも通りです
獅子くん、今のところ変なそぶりは見せていません。
帰り道、いつもは素通りの彼に、秋波を送って通ります。
彼も、ひめちゃんが恋の季節まっただ中だとわかっている顔しています。
高崎方面に行くときには、(前橋市)荒砥中学校北側の道をよく利用します
道の奥に、青い堂宇のようなものが見えます。
前々から気になっていましたけど、先日思い切って、寄ってみました
青い堂宇目指して、田舎道を走ります。
墓地もあります。
小さな六地蔵もあるようです。
近づいてみて、びっくり
お顔が落とされていたのです。
六地蔵全員のお顔がありません
六地蔵の間をすり抜け、青い屋根の堂宇を目指します。
右手に、荒子東霊園・墓地分譲中の看板です。
ここの墓地は生きています。
お寺ではなく、業者が管理しているのかな?
堂宇前に大きなお地蔵様2体です。
念仏供養の文字が見えます。
こちらは、かなり朱が残ってます。
お二方とも、お首は無事だったようです。
シンプルな堂宇です。
合掌
薬師如来かな?
秘仏のようです。
縁日等にはご開帳されるのでしょう。
堂宇の左手に、史跡のポールです。
「薬師堂の石仏群」です。
石殿には、なんとなく文明十二年(1480)の文字が見えます。
「薬師堂、文明12年の石殿、荒子東霊園」、ここは南勢多郡の廃寺・医王寺です
「南勢多郡の廃寺」(平成23 内田憲治 群馬県勢多郡中部仏教会)によると、
医王寺(赤坂山瑠璃光院ー真言宗)
荒古町下境156-1番地外に存在したが、明治末期に焼失し廃寺になり西大室村観昌寺の境外施設になった。圃場整備事業によって出土した遺物から室町時代に創建された寺院であることが明らかとなった。また、この寺院跡には堀跡も発見されていることから、かつて寺の周囲は堀が巡っていた寺院であったことも判明している。現在、薬師堂が存在しており境内には文明12年(1480)の阿弥陀石殿があり医王寺の歴史を示している。
南勢多郡の廃寺・医王寺だったんですね
境内の風景です。
馬頭観世音、目立ちます
堂宇東側から赤城山を望みます。
なんとなく、堀に囲まれたお寺の雰囲気です。
医王寺の文字は確認できませんでしたけど、「薬師堂、文明12年の石殿、荒子東霊園の荒子」から、ここは南勢多郡の廃寺・医王寺です