黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

吾妻太郎を祀る川戸神社

2021-11-04 17:42:00 | 吾妻紀行

ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、東の牧場に行きました。

 

ヤギさんいるかな?

おはよう

元気いっぱい、運動神経抜群のアタシは、つながれてハウスの中です。

バイバイ、又来るよ

 

みんなは、上の武井沼を目指します。

沼には、たくさんのカモさんがいました

 

今朝は、沼の東に延びる道を辿ります。

もうしばらく行っていませんけど、黒柴初代・三四郎&サマンサのお散歩でよく行きました

けっこうな上り坂で、新興住宅地になります。

でも、ちょっと寂しい雰囲気です

高齢化が進んでいるのかな?

 

南に下ると、一ヶ所だけ元気な所がありました

黒毛和牛の牧場です。

いつもの東の牧場は、こっちの方にも広がっていたのです

 

牛さんが、みんなに興味を持ってやって来ます

おはよう

タバサねーちゃんも、牛さんを怖がらなくなりました

 

元気に沼下の橋を渡って、ヤギさんのところに戻ります。

 

また来たよ

バイバイ

また来るね

 

 

 

 

10月18日、先日通り過ぎてしまった、ハート型土偶出土地・郷原駅(東吾妻町)を目指します。

県道35号線をひたすら行きます。

吾妻川の少し前から渋滞が始まってます

どうしよう

前の車が2台左折して行きます。

この分だと相当の時間ロスになりそう。

ついて行ってみよう

左折して行ってみます。

 

しばらく行くと、右手に目立つ神社です。

川戸神社です

吾妻太郎の首を祀ったという、あの川戸神社です。

何時か訪問したいと思っていましたけど、渋滞避けて間道を来て、川戸神社に到着です

駐車場はなさそうですけど、なんとか駐車します。

 

由緒があります。

光の加減で読みにくい。

大意です。

元は首宮大明神といった。

首宮というワケは、吾妻太郎行盛の首を祀ったことによる。

吾妻氏は岩櫃城主だったけれど、貞和年間に碓氷郡の里見氏と戦って敗れた。

追われた吾妻太郎行盛は吾妻川の立石の上で、自ら首を切って自決した。

その首は、川向こうの大木の枝に架かり、光を放った。

村人は、首宮大明神として祀った。

 

こんなところかな

 

 

りっぱな社殿です。

龍もいます

2礼2拍1礼です

 

本殿もゴテゴテせず、しっかりとした本殿です。

偶然参拝できたことは、何かのご縁でしょう

 

 

鳥居脇に、双体道祖神かな?

 

 

神社前のバス停は、上の宮です。

吾妻太郎の首を祀った首の宮(かみのみや)から、上の宮ですね

本数が少なくとも、とりあえずの足が確保されていることは重要です

ひめちゃんちのある旧新里村は、桐生市との合併によって、バス路線は廃止になりました

デマンドタクシーがるとか言いますけど、決まっていつも利用している人がいて、友人が利用申し込んでも「タクシー使え」と言われたそうです

東吾妻町はいいなあ

 

(つづく)

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やっとやっと辿り着いた忠治地蔵

2021-10-31 15:42:32 | 吾妻紀行

昨日の夕方、ひめちゃんは一人散歩になりました。

いざ、ケンくんちに

ひめちゃんは足早に、大好きなケンくんちに直行です

こんにちは、逢いたかったわ

つかの間の逢瀬だけど、アタチは満足よ

また寄るわね

 

ケンくんちにのそばの石仏さんたちに、ありがとう

つるべ落としの秋の日に、急いで、天神田(字天神の田んぼ)を闊歩して帰りました

 

 

 

大戸の関所跡でいただいたパンフレットをみると、忠治地蔵(国定忠治処刑場跡)はそんなに遠くなさそうです。

国道406号線(草津街道)を、南に下ります。

まもなくあるはずでしたけど、かなり行ってもありません

見落としたかな、Uターンしてじっくり沿道を見ながら走ります。

ありません

大戸の関所跡に戻ってしまいました

もっと先だったんだ

気を取り直して、ひたすら国道406号線を走ります。

心細く走ります。

 

あ、大戸宿の灯籠です

忠治地蔵の表示もあります。

やっとやっと辿り着いた、忠治地蔵です

入り口には、キノコの直売所があったのかな?

今は営業していないみたいです。

 

忠治地蔵が見えます。

大きな大きなお地蔵様です。

合掌

お顔が削られています。

もしかしたら、他の部分も削られているのかな?

削られないように着物を着ているのかな?

 

ウィキペディアによれば、

忠治は弘化3年(1846年)に上州に帰還するがこのころ中風を患い、嘉永2年(1848年)には跡目を子分の境川安五郎に譲る。忠治は上州に滞在し盗区に匿われていたが、翌嘉永3年8月24日(1850年9月29日)には田部井村名主家において関東取締役によって捕縛され、一家の主要な子分も同じく捕縛された。捕縛後は江戸の勘定奉行池田頼方の役宅に移送され取り調べを受け、小伝馬町の牢屋敷に入牢。賭博・殺人・殺人教唆等罪名は種々あったが、最も重罪である大戸の関所破りにより時の勘定奉行・道中奉行池田頼方の申し渡しによって上野国吾妻郡大戸村大戸関所(群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)に移送され、大戸処刑場で磔の刑に処せらる。享年41。

 

ちょと寂しさの漂う後ろ姿です

 

奥には供養塔かな?

合掌

 

閉まってはいるけど、売店には気になる額があります。

忠治の子分の一覧と言うことです。

どのくらい信憑性があるかは分かりません。

でも、ひめちゃんちの近所の地名の人が何人もいます

武井の浅次、新川の兵吉、小林の喜三郎等々

そして、なんと関の住職尊純ですって

彼は、「関の滝興寺の住職滝沢不動に住み忠治を匿っていた」

 

ひめちゃんちのある新里村のあたりも、忠治といろいろ関わっていたんですね

 

 

 

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続・やっと辿り着いた大戸の関所

2021-10-30 15:35:54 | 吾妻紀行

朝、ひめちゃんと獅子丸は、おかあさんとお散歩に出ます。

諏訪神社の前から、久しぶりに山上城の方に下ります。

あれ、ひめちゃんが突然「不審者じゃあ」と吠え立てます

ひめちゃんは戦闘態勢です

ひめちゃんの視線の先には、牛用にワラを包んだ白いロールです。

むむ、おぬし生き物ではないのか?

不審な生物でないと悟ったようです

獅子丸は、終始無言でした

 

山上城の堀切外を歩きます。

杉の木々の間から、太陽が昇ってきます。

二の丸と三の丸の間の堀切を歩いて帰ります。

 

途中、常広寺駐車場の花桃が咲いてます

花桃って、返り咲くんだったかな?

 

 

 

大戸の関所跡、広くはありませんけど、なんとか駐車出来ます。

お休み處のガゼボもあります。

 

こんにちは

 

まず目に付くのは、国定忠治の映画ポスターです。

いったい、いつ頃のだろう?

こちらの絵は、どこかで見たことがあります。

 

グッズも置いてあったようですけど、この日は何もありません。

残念

 

「ご自由にどうぞ」とある、大戸宿のパンフをいただきます

道の向こうが、加部安さんちです。

パンフレットによれば、

上州吾妻郡大戸村に代々、加部安左衛門を名乗る上州一の分限者がいました。みんなから加部安(かべやす)と呼ばれていました。~(中略)~十一代目は江戸で生まれて、江戸で育ちますが、郷里に帰って、実家の建て直しを図ります。この十一代目は侠客の国定忠治とも仲がよく、忠治が処刑される時、最期に望んだのが、加部安が造った銘酒「牡丹」でした。

 

行ってみましょう

当時とすると、かなりの建物なのでしょう

玄関に干されているコンニャク芋が気になります

 

奥の部分は改装されて、東吾妻町立大戸資料館になってます。

でも休館中みたいです。

 

先ほどの案内図だと、忠治地蔵(国定忠治処刑場跡)も近そうです。

寄って行きましょう

 

(つづく)

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やっと辿り着いた大戸の関所

2021-10-29 15:39:19 | 吾妻紀行

ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社の向こうの高台を北に下ります。

若いもんの二人(ひめちゃん&獅子丸)は、道ばたの石仏(薬師様)には目もくれません。

獅子丸の真剣な視線の先には、アブラナです。

ちょっと、いただきまーす

 

しょうがないわね

タバサねーちゃんが、薬師様とコラボです

朝陽の中を、台地を踏みしめて帰りました

 

今朝、ムーハウスガーデンに咲いて居た、名残のバラです。

なんとも言えない優しい色合いです。

大きくはならずに、でも過酷な環境で生き抜いているたくましいオールドローズです

 

 

 

 

 

以前、大戸口の信号に道に迷って出て、「あの大戸の関所は近いんだ。そのうちに行ってみよう。」と思っていました。

10月14日、県道35号線で、大戸の関所を目指します。

 

吾妻川にかかる橋の上で、渋滞です

右に見えるのは、嵩山(たけやま)です。

紅葉の季節に、もう一度訪問したいと思っています。

 

なんとか橋を渡りきって、槻木(つきのき)の交差点が見えてきました。

交差点の槻木、満身創痍です

しばらく逢わないうちに、劣化というか枯渇がすすんだよな感じです

 

 

なんとか交差点を通過して、県道35号線を進みます。

大戸口の信号です。

ここを左折するべきでした

県道35号線は、ここを曲がっていたのです。

なんとなく道なりにまっすぐ行けば、大戸に行けそうと、ナビを入れずに来ました

 

進入禁止の交差点、やむを得ず左折です。

あれ、ハート型土偶のオブジェだ

そういえば、ハート型土偶はここら辺から出たのでした。

また右折して、ハート型土偶出土地の郷原(ごうばら)駅前に出ます。

寄りたいけど、今回はパス、近いうちに寄ります

 

 

ナビに従って、県道35号線に出ます。

ここは岩櫃城の南側です。

岩櫃の名の如き岩山が見えます。

一般的な岩櫃城のイメージは、こちら側からの景色なのですね

 

 

ちょっと心細いけれど、35号線をひたすら進みます。

 

やっと大戸の信号です。

大戸の関所跡は、信号脇にありました。

岩櫃城の幟が、1本だけはためいています。

ここも東吾妻町です。

 

やっと辿り着いた大戸の関所跡です

 

説明板を確認です。

大戸の関所は信州街道の要点をおさえる重要な関所で、近世初頭の寛永八年(1632)に設置された。信州街道は草酢温泉を始とする湯治客、善光寺参り、北信濃の三候の廻米や武毛上人の荷物、各地の三仏の輸送路として、中山道を凌ぐ程の活気を呈していたともいわれ、江戸と信濃を結ぶ最短距離として重要な街道であった。

 

とても重要な関所だったのですね

そこに、国定忠治がやって来たのですね。

 

(つづく)

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瀧峩山・不動の瀧(洞窟に百所の観音石像)

2021-10-27 15:11:59 | 吾妻紀行

今朝も3名様で、堀之内を北に出て、蕨沢川の始点・新沼&童沢貯水池をめざします。

みんな、弾む足取りです

 

タバサねーちゃん、この道はもしかしたら初めてかな?

沼下に大きな庚申塔があります。

 

東の新沼には、誰もいません。

西の童沢貯水池には、どうかな?

あれ、いつもほどはカモさんがいません。

サギさんは、左の木に1羽だけです。

遠目にはシラサギに見えましたけど、写真を拡大したらアオサギでした。

 

ミドリ沼は、ほとんど解消されています。

でも、水も少なくなってるみたい。

 

目的地に到着のご褒美かな

人の分を取たりしない、きょうだいの関係が出来ているようです

 

朝陽の中を、元気に帰ります

 

 

 

 

(10月7日)

岩櫃城からの帰り道、岩櫃城の幟が1本だけ、旗めいてい所があります。

左折して坂道を降りると、観音山の不動の滝がありそうです。

でも、ものすごいヘヤピンカーブです

何度も切り返して、後続の車には待っていてもらって、やっと到着です

 

ちゃんと案内板があります。

観音山(標高530m)

古くは松山あるいは岩堤と呼ばれたが、延享4年(1747)に百所(百基)の観音石像が祀られてから観音山と呼ばれるようになったという。東山と西山があり、東山に西国33番と番坊33番、西山に秩父34番が安置されており、麓に瀧峩山不動尊の堂がある。滝もあり、不動の滝(三重の滝)と呼ばれて、その左横に岩櫃山へと抜けられる石門がある。

 

御朱印は、さっき岩櫃城の観光案内所でいただいてきました。

右の山が岩櫃城の支城・柳沢城だったんですね

 

 

赤い帽子と大きなオガケの方がいます。

お地蔵様ではなさそうです。

どなたかな?

 

 

脇の岩だらけの道に誘われて、ちょっと登って見ましょう

洞窟の中に、観音様です

合掌。

すぐ隣にも古いはしごがかかってます。

胎内窟とありますけど、真っ暗でお姿が分かりません

とにかく合掌

 

歩いて見たいけれど、ちゃんと準備が必要です。

今回はここで退却です

 

 

不動堂の方に行きます。

奉納された剣がいっぱいです

合掌

御堂の左手には、石造物です。

何故か、大黒様メインで、お不動様1体だけです。

 

 

大黒様の向こうに滝が見えます

気を付けて細い道を降ります。

赤い橋を渡って、滝に到着です

冷たい清らかな水でした

 

帰るには、不動堂に戻るしかないようです。

赤い橋を渡って、また不動堂に戻ります。

 

もう一度合掌

正面の長い階段を降ります。

けっこう長い階段です。

手すりは有り難い

 

あの上の道を、右の岩櫃城からやって来て、ヘヤピンカーブをやっと曲がってやって来ました。

観音橋を渡って帰ります

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