2020年1月の黒柴家族です。
獅子丸は実家に帰って半年、実家の生活をエンジョイしています
ひめちゃんは、獅子丸と基本的には一緒にお散歩していたようです。
でも、時折一人散歩で大好きなケンくんちに寄ってます
小俣合戦の事、付けたり、敵敗軍の事・その1
去る程に、此の事小俣に聞こえければ、城中大いに驚き、早鐘を撞いて軍兵を集めける。
集まる人々は、石井尊空、同安芸守、同丹後守、籾山出雲守、大川土佐守、久保沢豊前守、和泉豊前守、桑子左近、渡り弥五郎、神田平六、松本喜太郎、窪田金八郎、片岡金五郎、山本雅楽之介を先として、宗徒人々十四人、上下百五十人なり。
籾山出雲が曰く、「此の分の城にて殊に無勢と云う、籠城を致し大軍を引き請け、数代の家人を失なわんこと、これ軍師知略の少しき所なり。一向城を開き君の御帰国の後、新田、足利の勢をかり請け、城を取り返す事然るべし。」と申しける時に、
あらすじです。
膳の城から小俣を攻めてくるということが知らされて、小俣城中は大騒ぎになった。
早鐘を撞いて軍兵を集めた。
集まった人々は、石井尊空、同安芸守、同丹後守、籾山出雲守、大川土佐守、久保沢豊前守、和泉豊前守、桑子左近、渡り弥五郎、神田平六、松本喜太郎、窪田金八郎、片岡金五郎、山本雅楽之介の主だった家臣14人、上下合わせて150人であった。
籾山出雲が言った。
「今は折悪しく、戦える人がいない。籠城して大軍と戦い、譜代の家臣を失うとしたら、それは軍師の知略が乏しいという事だ。いったん開城し主君の帰国後に、新田・足利の軍勢の応援を受けて、城を取り返すのが良いでしょう。」といったところ、・・・・・・
膳城から敵が襲来の報に、籾山出雲守は、いったん城を明け渡そうと主張します
膳城から小俣城まで、車だと1時間強かな?
わりと近いのです。
馬でも、そのくらいかな?
でも、馬は休ませなければいけないのでもう少しかかるでしょう。
江戸末期、小俣城のすぐ南にある鶏足寺の和尚さんは、膳城のすぐ東の常広寺にやって来ました
常広寺にある竜骨を見に来たのです
そして、竜骨の由来を書いた「竜骨伝記」書き写したのです
鶏足寺文書の中に、ちゃんと残しておいてくれたのです
初稿 2020.03.14 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.01.07
(つづく)