黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

小俣合戦の事、付けたり、敵敗軍の事・その1

2025-01-07 20:34:34 | 桐生老談記の世界

2020年1月の黒柴家族です。

獅子丸は実家に帰って半年、実家の生活をエンジョイしています

ひめちゃんは、獅子丸と基本的には一緒にお散歩していたようです。

でも、時折一人散歩で大好きなケンくんちに寄ってます

 

 


小俣合戦の事、付けたり、敵敗軍の事・その1

去る程に、此の事小俣に聞こえければ、城中大いに驚き、早鐘を撞いて軍兵を集めける。

集まる人々は、石井尊空、同安芸守、同丹後守、籾山出雲守、大川土佐守、久保沢豊前守、和泉豊前守、桑子左近、渡り弥五郎、神田平六、松本喜太郎、窪田金八郎、片岡金五郎、山本雅楽之介を先として、宗徒人々十四人、上下百五十人なり。

籾山出雲が曰く、「此の分の城にて殊に無勢と云う、籠城を致し大軍を引き請け、数代の家人を失なわんこと、これ軍師知略の少しき所なり。一向城を開き君の御帰国の後、新田、足利の勢をかり請け、城を取り返す事然るべし。」と申しける時に、


あらすじです。

膳の城から小俣を攻めてくるということが知らされて、小俣城中は大騒ぎになった。
早鐘を撞いて軍兵を集めた。
集まった人々は、石井尊空、同安芸守、同丹後守、籾山出雲守、大川土佐守、久保沢豊前守、和泉豊前守、桑子左近、渡り弥五郎、神田平六、松本喜太郎、窪田金八郎、片岡金五郎、山本雅楽之介の主だった家臣14人、上下合わせて150人であった。
籾山出雲が言った。
「今は折悪しく、戦える人がいない。籠城して大軍と戦い、譜代の家臣を失うとしたら、それは軍師の知略が乏しいという事だ。いったん開城し主君の帰国後に、新田・足利の軍勢の応援を受けて、城を取り返すのが良いでしょう。」といったところ、・・・・・・



膳城から敵が襲来の報に、籾山出雲守は、いったん城を明け渡そうと主張します

膳城から小俣城まで、車だと1時間強かな?

わりと近いのです。


馬でも、そのくらいかな?

でも、馬は休ませなければいけないのでもう少しかかるでしょう。


江戸末期、小俣城のすぐ南にある鶏足寺の和尚さんは、膳城のすぐ東の常広寺にやって来ました
常広寺にある竜骨を見に来たのです


そして、竜骨の由来を書いた「竜骨伝記」書き写したのです
鶏足寺文書の中に、ちゃんと残しておいてくれたのです

 

 

初稿  2020.03.14  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.01.07

 

(つづく)

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