黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

柴宿本陣跡(日光裏街道総集編4)

2023-06-19 21:14:43 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんたちのママ・七海は、伊勢崎市柴町の生まれです。

柴町は、日光例幣使街道&日光裏街道の柴宿がありました。

 

 

 

(2020年12月)七海ママのふるさと・柴町の柴宿本陣跡を目指します。

県道142号線を少しゆっくり慎重に走ります。

何回か通っているはずですけど、全く記憶になく目に付いてもいないのです

 

ありました

沿道に目立つ松があります。

松を過ぎると、柴町住民センターです。

ちょっと駐車させてもらいます。

 

おや、例幣使街道の案内板もあります

 

雷電神社は、行ってきました。

那波城趾碑は、那波城趾本丸址とは違う場所です。

那波城趾本丸址は、第二中学校の付近です。

おや、下の天明地蔵は行った事あるぞ

五料の渡しも、すぐです

 

住民センターの前には、柴宿本陣跡のバス停です。

みごとな松です

よく倒れずに踏ん張ってます

 

門の脇に説明板です。

 

ちょうど植木屋さんが作業中です。

「こんにちは

「こんにちは どこから来たんだい?」

「桐生です。まあ、桐生と言っても西の桐生市・新里です。」

「新里の植木屋さんは、○○園さんだよね。県内の植木屋仲間はみんな知り合いだよ。」

「そうなんですか

「みごとな松ですね

「群馬県内、他にはないよ。本陣に、こういう風に松が残っているところなんて。」

「お手入れしているから、松は生きているんですね 前が県道で、排気ガスを浴びているんですね

「前よりは、良くなったよ 前の道が国道じゃなくなって、交通量がズーと減ったよ

 

つい近年まで、前の道は国道354号線でした。

北に新しい国道354号線ができて、県道142号線に格下げになったのでした。

 

側溝があります。

「街道を歩く・日光例幣使街道」の地図の説明では、

柴宿は寛永19年(1642)に宿駅として整備された。宿内の道路中央に流れていた堀は、蓋をしてあるが現在側溝として残っている。堀の南が旧道の一部で、宿の中央に本陣の関根家があり、棟門と老松にその面影を残している。

そうすると、この側溝が日光例幣使街道の道の真ん中で、道の真ん中に堀が流れていたんですね。

北側は、県道142号線の一部になり、南側が日光例幣使街道の名残ということですね。

 

本陣跡の邸内にきれいな山茶花が咲いています

植木屋さんによると、古い品種だということです。

山茶花も、いろいろな品種があるのですね

 

日光裏街道は、ここ柴宿から北に向かいます

 

 

コメント
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