ひめちゃんたちのママ・七海は、伊勢崎市柴町の生まれです。
柴町は、日光例幣使街道&日光裏街道の柴宿がありました。
(2020年12月)七海ママのふるさと・柴町の柴宿本陣跡を目指します。
県道142号線を少しゆっくり慎重に走ります。
何回か通っているはずですけど、全く記憶になく目に付いてもいないのです
ありました
沿道に目立つ松があります。
松を過ぎると、柴町住民センターです。
ちょっと駐車させてもらいます。
おや、例幣使街道の案内板もあります
雷電神社は、行ってきました。
那波城趾碑は、那波城趾本丸址とは違う場所です。
那波城趾本丸址は、第二中学校の付近です。
おや、下の天明地蔵は行った事あるぞ
五料の渡しも、すぐです
住民センターの前には、柴宿本陣跡のバス停です。
みごとな松です
よく倒れずに踏ん張ってます
門の脇に説明板です。
ちょうど植木屋さんが作業中です。
「こんにちは」
「こんにちは どこから来たんだい?」
「桐生です。まあ、桐生と言っても西の桐生市・新里です。」
「新里の植木屋さんは、○○園さんだよね。県内の植木屋仲間はみんな知り合いだよ。」
「そうなんですか」
「みごとな松ですね」
「群馬県内、他にはないよ。本陣に、こういう風に松が残っているところなんて。」
「お手入れしているから、松は生きているんですね 前が県道で、排気ガスを浴びているんですね」
「前よりは、良くなったよ 前の道が国道じゃなくなって、交通量がズーと減ったよ」
つい近年まで、前の道は国道354号線でした。
北に新しい国道354号線ができて、県道142号線に格下げになったのでした。
側溝があります。
「街道を歩く・日光例幣使街道」の地図の説明では、
柴宿は寛永19年(1642)に宿駅として整備された。宿内の道路中央に流れていた堀は、蓋をしてあるが現在側溝として残っている。堀の南が旧道の一部で、宿の中央に本陣の関根家があり、棟門と老松にその面影を残している。
そうすると、この側溝が日光例幣使街道の道の真ん中で、道の真ん中に堀が流れていたんですね。
北側は、県道142号線の一部になり、南側が日光例幣使街道の名残ということですね。
本陣跡の邸内にきれいな山茶花が咲いています
植木屋さんによると、古い品種だということです。
山茶花も、いろいろな品種があるのですね
日光裏街道は、ここ柴宿から北に向かいます