西部邁氏が死んだ。
その言説への賛否は、ひとまず措いておいて、先ずは合掌。
さて、氏は最早、肩書を問わず、思想家なのか評論家なのかタレントなのか分からぬ位置にいたが、評論家としては一言居士だった。
氏は右派の論客としてエリート主義を標榜し、いわゆる「ネトウヨ」とは対極にいた。
一方で、米国依存からの脱却、日本の自立を謳い、親米保守とは一線を引いていた。
しかし、情報化が進み、エリートから大衆へ論座のヘゲモニーが移行する、言い換えれば、言論の「商品化」が進み、また日本の国際的位置づけ、及び経済、安全保障の特殊構造ゆえの宿命として、対米依存は避けられない環境の中で、この老硬骨漢はドン・キホーテにならざるを得なかったと思う。
それはそれとして、評論家の大衆を説諭するという職業的な卑しさからくるエリート主義ではなく、60年代の思想闘争の体験に裏打ちされた「老」エリート主義は過去のものとして語り継がれるだろう。
星冴ゆる酔いも鋭く醒めにけり 素閑
冴ゆる灯を昨日は緩み眺めたり 素閑
冴ゆる夜老客眺むる川面かな 素閑
遠国へ旅立つ人よ星冴ゆる 素閑
従容とさだめにつくや冴ゆる岸 素閑
冴えたるも熱き魂の路あまへ指す 素閑
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