憲法記念日である。
日本国憲法に関しては、毎年の憲法記念日のエントリーでさんざん持論を述べてきた。
しかし、半島情勢の急変をきっかけに、ここへ来てにわかに改憲論議が現実味を帯びてきている。
オカブは従来、改憲論者であったが、ここへ来て掌を返そうとしている。
特に9条、安全保障に関する項目で、今までの通りでいいんではないかなあ?と思えるようになってきた。
日本の繁栄の基をなしてきたのは、経済高度成長政策とともに、安保に関する『吉田ドクトリン』が根幹である。
この吉田茂の基本政策によって、日本は国防・軍事に力を割くことなく、経済成長に集中して邁進してくることができた。
これは、一方では『安保ただ乗り論』である。
日本の安全保障の責任と努力をすべてアメリカにオッかぶせ、自分は銭勘定の美味しい所だけをいただくという、誠に虫のいい理屈である。
もちろん、日本も血を流さない代わりに、相応の経済的負担を安全保障に関しては行ってきた。
しかし、それでも『安保ただ乗り論』は美味しいのである。
特にトランプが大統領になってから、アメリカとの同盟関係による過剰な同盟国であるアメリカとの集団自衛義務、また国際平和維持貢献によって生じる紛争当事者になるリスクなど、日本の軍事負担を増やすのはやめてほしいと思うのである。
安保法制成立によって集団的自衛権のの行使が可能になったのだから、ここは日本としては逆に新三要件を隠れ蓑にして、『安保ただ乗り』の安逸を貪っていればいいのである。
憲法9条を改正すれば、日本は、自らが望まなくても、国際協調の一環として、世界中の紛争に軍事介入することの義務を負うことになる。
もちろん、自衛隊も、その法的位置づけはもとより、従来の用兵思想、軍事戦略など、専守防衛原則すべてを変えなければならない。
武力紛争の当事者になるということは、現在の日本にとっては、消化しきれないリスクである。
北朝鮮の危機もアメリカにおんぶにだっこで解決してもらえばよいし、だいたい、そうするしか今の日本に選択肢はないではないか?
だから『安保ただ乗り』万歳である。
だから、これをもって、左翼は日本を「アメポチ」などと蔑称すべきではない。
しかし、上記とは別に、改憲論議は大いに行ったほうがいいだろう。
特に、体制変革に必要な改憲の歯止めとなっている、96条の改正を中心に議論してもらいたいところである。
ふけ頭掻いて憲法記念の日 素閑
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