コモンセンス~常識・良識である。
それは、人間にとっての常識であり良識である。
もしも、人間以外の動物にコモンセンスがあるとするなら、
それは、本能であり、本能の判断であろう。
ならば、人間の常識・良識は何が決めるモノだろうか?
それは、人間の頭脳であり、心と頭であろう。
ならば、人間の頭脳は、常識・良識をどのように決めるのだろうか?
それは、周囲の状況・条件からであろう。
私の知っている言葉に、
「日本の常識⇒世界の非常識」というモノがある。
日本では室内では靴を履かないのが常識。
でも、アメリカの常識は室内でも靴を履く。
そう~コモンセンスとは相対的なモノである。
それは、状況が条件から決める・決められるモノである。
そして、その状況も条件も、その人間の立場から変わるモノである。
確かに、日本にいるなら、常識・良識も日本的であろう。
それでも、日本の中のアメリカ大使館内であれば、
それらは、全てがアメリカ的であろう。
また、社会の中では、社会的な個人行動を強制されている。
それに、反するモノは、時によって仲間外れ・村八分・イジメ…に遭遇する。
でも、
言動・行為・態度…には、社会的な強制があり得ても、
思考・感情・認識…は、個人的に自由勝手であろう。
さてさて…ここはネット社会である。
そして、このブログは自由びとの個人ブログである。
これは、言うなれば自由びとの観念の世界である。
だから、実名でなく、H・D(ハンドルネーム)で書かれている。
確かに、HDで他人の誹謗中傷する者もいる。
しかし、自由びとは、
ここに書き込みのない全く関りのない他人の誹謗中傷は書かない、
ようにしている。
ここが観念世界なら、
ここでの創造主は自由びとである。
言うなれば、ここでは自由びとが法律である。
そして、ここでの存在は自由びとの判断で決まる。
自由びとは、「一所懸命・一生懸命」に頑張る姿が大好きである。
ここでの、その者の「一所懸命」が好きである。
だから、ここにへばり付いて離れないソクラテスの一所懸命な頑張りには好感を抱いている。
しかし、それでも、私は負けず嫌いで、負けん気が強いモノである。
自由びとは、そんな私の「意地」からの自由を求めている。
しかし、今回は自由びとの負けである。
抹消された今回のト伝ちゃんのコメントは、
私に意地を張らせてしまった。
だから、
そこまで、断言して書くから、
やってやろうジャン!
となる。
ト伝ちゃは、このように私に意地を張らせ過ぎてしまった、
のだろう。
さようならト伝ちゃん~
君の一所懸命な頑張りは悪くない。
でも、君の言葉は下品過ぎである。
君の常識も良識も…
ここでは全て無効である。