高校生になって息子は剣道部に入った。
今日は、その練習日だった。
九時からの練習に参加する為に、
八時四十分の電車に乗ろうと、
三十九分に息子は家を出た。
いつもなら普通に乗れていた電車だったが…
今日は、「乗れなかった!」と戻って来た。
その訳を聞くと…
「スイカーが、ピッと反応しなかったので、
何回もやっていたら電車が行ってしまった」であった。
ここで私は思った~
息子の目的は「電車に乗る事」であり、
「スイカーのピッ」はその電車に乗る為の目的…
なのに、いつの間にか電車に乗る事を忘れ、
スイカーピッの達成を頑張る事になっていた。
因みに、息子の乗車駅は無人で自動改札ではない。
なので、ピッと無反応でも、改札は通過可能だ。
電車に乗ろうと家を出ても、
電車に乗るまでには、
やるべき事が色々である。
時間的に余裕を持っての出発ならいざ知らず、
発車時刻の一分前の出発では、
過程的な目的達成に囚われると、
それだけで時間切れで終了!
となり得る。
全ての人にとって人生は
開始⇒終了であり、
それは「生誕」⇒「死亡」と平等である。
なのに、死にゆく人の気持ちは、人それぞれである。
そして、日々の人生の気持ちも、人それぞれである。
人間にとっての満足は、目的達成であろう。
ならば、究極的な自己目的像を忘れずに、日々を生きていきたい。
今日の息子の失敗は、我が身のモノと自戒していきたい私である。