またまた以下のコメントを頂いた。
・コメントを書いた人
フロイト
・コメント
忘れた頃に私のコメントについて記事を書いたわけですね。それもまた何とも意味があるようにも思えない文章で…。
私にたいして「素直に心を閉ざしている」自由びとさんに何を述べても暖簾に腕押しでしょうけれど、一つ気づいた私と自由びとさんとで対話の姿勢の違いを指摘しておきたいと思いますよ。
それは私が直接に自由びとさんに話しかけているのに対して自由びとさんは私に話しかけているのではなく他の誰かに私のことを解説しているような語り口調なんですね。だから私が「あなたは(You)」と言うのに対して自由びとさんは私のことを「彼は(He)」と言っている。
まあ、「素直に心を閉ざしている」わけですから、自由びとさんにとって、そんな南郷さんの著書での語り口そのままに述べることは自然なことなのかも知れませんけどね。
「自由びとの苦悩の原因を分かったつもりで」って、原因を分かってもらいたかったんですか、自由びとさんは?
南郷さんの本の読者なら「苦悩を取り除くのは簡単だ、悩むのをやめればよい」ではないんですか?
あるいは「アタマを働かせて問題解決を図ってきたのが学問でココロを鎮めることで問題解決を図ってきたのが宗教だから、ここではココロを鎮めるようにすれば良いのだな」なんてのが南郷本の読者なんでしょうかね?このブログが「悟りを求めて」「悟得を求めて」「ココロの安らぎを求めて」でもありますしね。
それで私なんぞでも気がつく「教育現場での弁証法」を教えてあげれば良いのかというと南郷本の読者からすると違っていて、それは「出来れば良い、分かれば良い」話ではなく解らないのに努力し続けることが脳の能力というか実力を養うことになるというイワユル「創出過程の話」というわけでしたでしょ?
だから予備校だとかいって効率の良い合理的な学習をしてしまうと実力がつかないから薦めないとかではありませんでしたか?だからといって出来ないのに何十年も同じことやってていいのかといったら違うというわけでタイムリミットというものがあってあることをやるのに何年以上時間がかかる生徒は絶望的だとか書いてませんでしたか?
まあ、貰ったらお返しを…なんて書いている自由びとさんが月研ぎさんのコメントにお返ししたようには思えなく、一方的に「美味しい、美味しい」と消費してるだけにしか見えませんでしたが、それでも「何を信用したんだい?」だとか「お前の師でもない私がどうしてコメント返さなくちゃいけないんだい?」などと八つ当たりされなかっただけでも月研ぎさんは幸せだったのかも?
30年以上直に学んで出来るようにならないなら、南郷さんに弁証法の実力をつけさせる指導力がないのか、指導力はあっても一握りの選ばれた人間だけにしか指導してないか、あるいは自由びとさんの素材が他の人に比べて著しく悪くて出来るようにならないか、でしょうから別に南郷さんの本を読んだ私が「知っている」のか「識っている」のかの区別なんてのはどうでもいいことのように思われますけどね。
自由びとさんの欲していることというのは別に収入に直結するものでもないのでしょうし、何だか「他人の面白いコメント読みたい」ぐらいの欲求だとしか感じませんね。
だから「思い切って諦めちゃったら楽になるよ」と言う私の助言を「お気持ちは有難いのですが、やはり私は私の道を行きます」なんて対応されたら足の骨の脱臼で空手は諦められた自由びとさんでも弁証法は(体を動かさないから楽だから?)諦められないのかと私もスンナリ引き下げるだけでしょう?
それが「あいつの認識力は…」なんて話に繋げていくところが常軌を逸しているというか新興宗教的というか…
人には誰しも見切って諦めるという時があるかと思うんですよ。プロ野球の選手目指して練習してきたが、やはり自分には無理だと違う道に行くとか、アリスの歌「チャンピオン」の「帰れるんだ、これで只の男に、帰れるんだ、これで、帰れるんだ~」みたいな、ね。
私としては善意のつもりなんですが、噂だと南郷さんの道場では「達人になるにはこれこれこういう練習しなければならない」なんて設計図みたいな形で教えられるから仕事や家庭の事情で十分な時間の取れなくなった大学空手部の卒業生は何だか不完全なものを中途半端にやってるような気がして続けられなくなるなんて話をききましたけど、自由びとさんも余り思い詰めずに呼吸は許可してますから気楽に生きたらどうですか?
専門分野で弁証法を駆使できる人間というのも確かに存在するのでしょうが「私(自由びと)じゃないな」と己を悟って。
他人のブログにイチイチとイチャモンつけ続けている。
このフロイトの人間性・精神構造がとても不思議です。
今回も例の如く長文コメント。
その内容は、どうでもいい事。
自由びと事・他人事に、
何故ここまでの長文を。
不思議以上の異常ですね。
ご苦労な長文なので一言二言コメント付けを~
>「苦悩を取り除くのは簡単だ、悩むのをやめればよい」
↑~
苦悩一般と個別苦悩の区別と連関…から
私のは、
書けない苦悩であるから、
書けば、その苦悩は消失。
だから、書けない訳を考えてを書いた。
それは、「悩むのをやめて」書いたという事。
フロイトは、
文字は読めて言葉の意味は理解できていても、
発言者にとっての現実的な意味・行動に結びつけられない。
「苦悩一般をやめる」には、「その苦悩の根源」の追及が必要です。
私の苦悩は、書けない事なので、書けば苦悩は消失です。
そうフロイトは、
「悩むのをやめる」を言葉して理解しているだけ、
それは、悩むのをやめる為には、悩むのをやめる。
フロイトは、「悩むのをやめる」為に、
現実的にどのような行動が必要か?
とは理解できない。
このフロイトなる御仁にとって、
このブログ内容はどうでもよい他人事の筈なのに…
このような揚げ足取り的な長文コメントを、
ここまで書き続けられるなんて…
きっと、
時間も金も有り余っている、
閑人なのだろうか!?