新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

続行・「1000g=1.000㎏」の話

2024-06-25 15:42:17 | ~教育~


続行・「1000g=1.000㎏」の話




1000g=1.000㎏」という等式は、
「1000g=1㎏」の「1㎏」の表記を変形⇔「1㎏=1.000㎏」を直観的使用で誕生させたモノです。
これは、言うなれば、私の観念・直観的認識による産物なので、その過程は、私は全く不明瞭なのです。
言うなれば、これは観念的な産物!なので、その正当性の証明・確認は、唯物的に検証が必要です。


そこで以下のような検証・証明を始めた~

算数・数学・数字的な「1000g=1㎏」表記は真理。
また「1=1.000」も間違いない表記です…(ただ、1.000は小数点以下の0を省略するルール無視)。
それでも…「1000g=1㎏=1.000㎏」は、間違いなく(若干のルール無視を含めた)真理。

そこから、「1000g=1.000㎏」を上下に分離して~
⇒「1000g」  <「1」 「0」「0」「0」g
          ↓  ↓  ↓ ↓
=「1.000㎏」 <「1」.「0」「0」「0」㎏>


上の~「1g」表記は、「0」 「0」「0」「1」g
下の表記は、    「0」 .「0」「0」「1」㎏  


⇒「1g=0.001㎏」は、間違いなく正答!~部分的な事実的な「検証」!
同様に、10g=0.010㎏、100g=0.100g、1000g=1.000㎏

上記のような「gと㎏」の数量関係・意味は不明でも機械的な手作業で「正答」が出せます。
全体的・事実的な「検証」。


さて…上記のような事(使用法と結果の正当性)…は、当初明白かつ記述は可能でしたが…
問題は、では~何故に「正答へと変換」が可能なのか…の論理的・数理的な証明・言語表現なのです。

先ず以下から始めます~

1000g=1㎏  「g」表記の千の位は、「㎏」表記の一の位に相当。
100g=0.1㎏  「g」表記の百の位は、「㎏」表記の1/10の位に相当。
10g=0.01㎏  「g」表記の十位は、「㎏」表記の1/100の位に相当
1g=0.001㎏  「g」表記の1位は、「㎏」表記の1/1000の位に相当。


上記のような、「g」と「㎏」表記の数字の事実関係を~


⇒「1000g」   <「1」     「0」    「0」    「0」 g >
         (千の位) 百の位)   (十の位)  (一の位)
   ↓    ↓     ↓    ↓

          (一の位) (1/10の位) (1/100の位 )(1/100位)
=「1.000㎏」   <「1」.     「0」      「0」   「0」㎏    >


上記のように、対応させた「g」表記⇔「㎏」表記の変換公式なのです。
これが、「1=1.000」の意味!
「1」 の表記だけでは、「一の位」ひとつしか表記できません。
でも、「1.000」表記なら、一の位、10/1、100/1、100/1…四つ位の表記が可能です。
1000gは、四桁です。
なので・だから一桁の「1」㎏を四桁に対応させて「意味は同じ表記は違う」、「1.000」㎏表記に…


では、1.009gの㎏変換は如何に?

その時は、「1000.000g=1.000000㎏」

「1000.000g」
「1.000000㎏」に

「1.009g」を「0001.009」に変化して代入~

「0001.009」g
「0.001009」㎏


これ筆算の縦式で書くなら~

124g+1㎏




0124(g)⇒(㎏の一の位を採用しているので…本来は、0.124㎏

 0124(g)←本来は、0.124㎏
+1.000(㎏)

=1.124㎏ 


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教育対象と教育…

2023-11-25 12:30:39 | ~教育~
教育対象と教育…


教え育てる対象には、

一つ、全く・ほぼ、未教育・白紙的な認識の赤子・乳幼児。
一つ、ある程度の教育の結果の認識の子供。
一つ、かなり教育の結果・成果ある認識の中人・大人・老人。


例えば、白紙には、紙面全部に、大きく自由に絵が描ける。
しかし、書かれた絵がある紙面には、不自由である。
そんな書かれ絵のある紙面は、時に書かれている絵を消して書き直が必要かも…

二重性で書くなら紙面が、白紙か?否か?

白紙から、自由あれば、自在に新たに描く。
既に絵があれば、それを使って描くか?否か?
使わないなら、横・下・上…に描くか?消して描くか?
消すにしても綺麗に消せるか?消せないなら削るか?





何か書きたいか?
それは、家庭教育と幼稚園・保育園・学校教育の違い、である。


家庭での「躾」とは、言葉での教育ができ難い乳幼児への教育。
それは、彼らの認識に「言葉」そのモノが、まだ絵とし描かれてれてない「白紙的認識」。

そんな彼らへの「躾」は、
先ずは現実・事実を通しての言葉・教育。
それと並行して、危ない事はしない・さける「躾」。


昔・昔、玉川大学・文学部・教育学科・初等教育専攻への三年時編入試験に合格した時の授業で、

確か「幼児心理学」の講義…「ピアジェ」理論の講義…の中で、


「私は、孫・幼児に『あっちち!熱い!』と言いながら、
少し熱めの「湯のみ」を手で持って、孫に触らせる。


言葉が分からない幼児には、
体験を通し「危険性」を教える・体験させる…そんな事を言っていました。


良く買い物・スーパーで、母親が、大声は「買って!」と言い張っている子供に、
「いい加減しろ!うるせい!」と躾けている姿に出会います。

殆どの場合、母親のその汚い・キツイ言葉でも静まっていません。
それは、躾の為の言葉ではなく、母親の感情発散の為の言葉・口調…なのでしょうね。


キツ厳しい事を「感情的・汚い・語気のキツイ言葉」で言おうが、
冷静に感情を心に秘めて、丁寧できれいな事が優しく言おうが、
どっちにしても、止めない幼児は止めません。
では…どうする?


何かの帰りに、駅の改札を出たら、
「いや!帰りたくない!もっといる!」と捏ねて両親を困らせている子供に出会いました。
両親は、とても困っている様子で、色々言葉で説得を試みていました。
そんな言葉の中で、「…帰らない…ここにいると変な人に…」を聞いて、
私はその子の傍へ近づいて「おじさんが、つれていくよ!」と言ったら、
とたんに、その子は、泣き止んで、横にいる父親に抱き着きました…
私と父親は、笑顔を交わして、その場は解決です。

これは、その父親が私の言動を「問題解説の為のモノだろう」と信じてくれたから…
これが、信じてもらえなかったら、「お前!何!警察呼ぶぞ!」で怒り買っていたかも…


本当は、スーパーでの「ただこね児童」にも、似たような事をやって、その場の解決を助けたい…想いはあるのですが…
「相手に信じてもらえない!だろう。ただの変なジジイ!」で終わるだろう…いう不信感から、殆どやれていません。


さて…結論的に端的に書くなら~

本来の教育には、
一つ「その根性を叩きなおすモノ」、
一つ「その根性を育てるモノ」の二重性の必要があります。

ここで、「叩きなおせない程の根性」なら、「新たな根性を創る」教育。

叩きなおせる条件は、
今の自分が嫌い!当人が自分を変えたい!根性を叩きなおしたい!
といった強烈な想いがある事。

南郷氏の技を「創る・使う」。

「応用可能な基本技を創る」・「創った基本技の使い方を創る」

応用が難しい技なら、
可能から・希求するなら「新たに応用可能な技を創る」事から始める。

さて…さて…現代社会・教育現場…一般的な認識は、
その時点での、教師自身の技を使って、学習者の技の使い方の教育…そんな感じでしょうかね。

それでも…幸せな人生が生き抜ければ、
ハッピーエンド、終わりよければ全てよし!



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体罰と教育的指導の区別と連関~

2023-11-22 12:35:21 | ~教育~
体罰と教育的指導の区別と連関~


昔、息子が幼かった時、私に「パパって、何でそんなに怖いの?」と聞いてきた事がある。
そこで私は、以下のような事を言った。

「パパが怖いのは、○○にもっともっと、しっかりして欲しいから!」
「例えば、○○が、先生の言う事がきけない・やりたくない時があった時…」
「パパの、その怖い顔を想い出して、自分にやらせる事ができるようになる為…」

そんな事を説いたが…果たして当時の息子にどこがどこまで分ってくれたかは謎である。
ただ…言える事は、それ以後、特に「恐いから嫌だ!」という表情をしていなかった。


そうそう…塾の講師の時、子守りも兼ねて息子を私のクラスに入会させた。
その時も、他の児童が、少々ふざけても叱る事無く、息子には厳しく叱りつけた。
それでも…彼は、ふて腐る事無く、普通に受け止めていた。
ただ…当然に彼には、「○○は息子だから厳しいんだよ」と優しく説いたが…


そんな息子は、私に似ないで~
成績優秀・中学の成績は学年で一番(一番は二人)、
また、運動能力も抜群で、高校のスポーツテストでは「A」評価…

以前、勤務している小学校で「シャトル・ラン」をしていたので…
息子に、スポーツテストでやった…「レベル幾つまでいった?」と聞いたら「レベル72(73?)と答えたので、
「学年の最高は?」と聞いたら、「残ったのが僕ともう一人だけだったので、
「72(73)で終了!」それ以上は測らなかった。
その言葉の感じから、私は、まだまだ走り続けられた、ようだと感じた。


体罰と教育的指導の相違は、
指導者が、自身のその行為を被指導者に、「体罰ではなく、教育的指導」だと納得させられるか…の違いである。

例えば、授業中に、先生の話の際中に、
お喋りしていた児童を「立たせる」事は、直接に授業と直接関係ない行為と言い得る。
その児童が、僕だけ…じゃないのに…と反発されたら…「アウト」

そこで、教師が、その児童の間違いを確り分からせられたら、教育指導。
それを分からせられなくて、そのままなら、単なる教師の自己満レベルの「体罰」。

立たせる理由は、座った状態で「おしゃべり」は出来ても、
立たされての「おしゃべりなら普通はでき難い」。
立ってまで、お喋りされたら、日頃の教師の指導不足であろう。
これは、一時的な緊急的指導であり、私語を無くす為の根本的な解決はなり得ない。


例えば、忘れ物や宿題忘れで、教室の外に立たされる事は、私の時代では普通だった。
その理由は、忘れ物・宿題忘れは、勉強の自覚不足で、精神が弛んでいる…と言われた、ような…

本来、これは、立たせる事が目的ではなく、「忘れ物マズイ!」
「忘れ物」は「立たされる」、そのは「都合が悪い・嫌だ!」を体に教える行為だったのだろう…
しかし、先生によっては、自分が教えたい事が教えられない不満から「立たせる」事もあった。


「殴る・蹴る指導」で、被指導者に教育的指導と納得させるのは無理。
なので、それらは「体罰or教育的指導」以前の問題ですね。











コメント (11)
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教育とは?

2023-11-09 13:48:33 | ~教育~
教育とは?


いや~本当に便利な時代が来たものですね♪♪♪
私のスマフォでも、生成AIが使用可能になった。
その結果、「教育と学習の違い」、「教育と指導の違い」、「教育と躾の違い」、「躾と指導の違い」、…と色々と検索した。

その結果から、今回(から?)「教育」を考えていく事にした。

教育とは、教え育てる事。受動的で第三者の意志によるモノ。
学習とは、学び習得する事。能動的で自分自身の意志によるモノ。

教育は、皆が共通して認識しておかねばならない事を身に着けさせる事。
指導は、相手によって受け止め方が異なり、それを踏まえてその人に合わせて導いていく事。

教育は、一般的な事柄を教える行為。
躾は、生活全般に根差した、より根源的な事柄を教えていく行為。

教育の最終目標は社会化。
躾は家庭教育であり、一般的常識の範囲で家庭内で身に着ける。
その目的は、子供の人格や才能等を伸ばし、社会において自律した生活の獲得。




以下の月研ぎさんのコメント

距離 (月研ぎ)
2019-01-19 23:24:03
せっかく自由びとさんが「教育」を
整理して列挙してくれたのですから、
その一つ一つのそして多重化する
具体的な過程(的構造)
を掘り下げてみませんか。

1)教師が学生に対する教育
2)教師が教師に対する教育
3)学生が学生に対する教育
4)学生が教師に対する教育

例えば、1)の過程で言うと、
教師と学生の間はあまりに
実力の相違という距離があるので、
一方向的になりがちですが、
教師と学生の間に日常よくある
「先輩」をはさみます、
すると途端に
1)と2)と3)と4)が重なり多重化します。

つまり、「距離」という概念で
教師と先輩と学生が相対化されます。

学生からは遠い教師像が
先輩からのより近い教師像を介して
学生により鮮明な教師像が描かれ、
教師は、その学生の距離の変化で、
学生像が更新される。

自由びとさんの展開
楽しみにしています。


不思議だ!
書こう始めた時は、『』書ける!いける♪』・「やりる!」と感じ、『よしやろう!』…だったのに…
ここまで、転写したり、キーボード打ち込んで・書いたりしていたら…
なんか…それで満足して、書けなくなってしまった…

残念賞!続きは、また次回で~す!


「さっき書けそう!今は書けない…」その理由は以下であろう。

初めて、ネット検索して発見したそれらの言葉を読んだ私には、
当初、その言葉と私の生活…を合わせた映像・認識が見えていた。

でも、ここにネットの解説・言葉を打ち込んでいる内に、
その頭脳内の私の認識・映像が変化してしまった(…ようだ…)。

それを、再び思い出すには、少々時間がかかりそう……。
その想起の手段は、
過去の具体的体験事実を想起して、
そこから始める必要がある…

なので、また~



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雲海お宅へ告ぐ

2023-03-27 12:09:17 | ~教育~
雲海お宅へ告ぐ!

や~い!や~い!
こ~い!こ~い!

ついに…「ぐう」の音も出なくなった?
ついに~連続投稿もできなくなったな!


所詮それが、お宅の実力の限界、
専門的知識の総括の限界だろう。

知識は、現実の事物・事象…中で、読み解き・確認…
でなければ、ただの「絵に描いた餅」に過ぎないモノ。

どうだ!悔しかったら「ぐう」とでも書いたら、いかが…


もしかして…
ない頭を使い過ぎて脳溢血で
病院へ担ぎ込まれて書けないかも?!

♫♫♫ご愁傷様です♪♪♪


コメント (9)
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