新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

不思議な違和感の正体(中身)発見~ vs 「不思議な違和感」の正体!

2023-03-31 09:08:01 | …弁証法…
不思議な違和感の正体(中身)発見~ vs 「不思議な違和感」の正体!


いや~新たに、感じる~嬉しいモノ、凄いモノ、便利な時代~

このブログ機能は実に便利だ。
なんと…今年と同じ日書いた、去年の記事を知らせる機能がある。
これは、「悟りを求めて…」 seesaaブログ時代には、なかったモノである。

このように同じ物事に対する「去年の私」と「今年の私」の記述、
二通りの思い・考え・感想・概念…対比から…新たな認識の誕生。

対立物の統一⇒止揚⇒新たな私・認識




不思議な違和感の正体(中身)発見~
2022-03-30 13:24:28 | 悟得びと認識論

不思議な違和感の正体(中身)発見~

前回の「不思議な違和感」とは、
「お楽しみ会」でのゲームの決め方を、
「ジャンケン」or「挙手での多数決」にするかを決めるのに、
「挙手での多数決」を選択した事である。


この場合の「ジャンケン」とは、
各ゲームの提案者同士のジャンケンで決める方法。
この場合は一対一の個人的な対決となる。

子供達は、キックベースやドッヂボール…等で、
周囲の判断が難しく双方がセーフを主張している場合に「ジャンケン」で決める事が多々ある。

それは、何としても己の主張が正しい・通したい…といった場面である。

それに対して、「挙手による多数決」は、
己だけではなく氏優位の賛同・賛成を求めてのモノであろう。


さて…お楽しみ会のクラス全体で楽しむゲームを「ジャンケン」で決定を求めた子供は、
何としても自分の提案したゲームがしたかった…のだろう。

でも話し合いの中で自分のゲームに多数の賛成が得られない事を実感したのだろう。
そこで「ジャンケン」での決定法を提案した…と思われる。

しかし…「多数決」が、クラスで普通に多くの児童が望んでいる決定法であるから…
少数派の「ジャンケン」決定法への多数の賛成を得るのは無理だったのだろう。

この勝負は初めから結果がみえていた…とも言える。


だから少数派の「ジャンケン法」or多数派の「多数法」かの選択を
多数派が有利の「多数決」法で、決める事が不公平であった。


公平な決定法でなくても、みんなで楽しむケームが、
個人的な「ジャンケン法」で決められたなら…
例えば、この場合、ジャンケン法で「バスケット」ゲームが決定したとする…と、
多くの子供は、バスケットのルールのやり方も知らない一年生では、

「お楽しみ会」が、
少数の「お楽しみ会」になり、
多数の「おも白くない会」になっていた事だろう…











「不思議な違和感」の正体!
2023-03-21 10:46:30 | …弁証法…


「不思議な違和感」の正体!

2022-03-19 11:58:49 | 悟得びと認識論に

以下のような記事を掲載した。


不思議な違和感…  


先日、小一学級で「お楽しみ会」でのゲームを決める為の話し合いがあった。

進行係の二人が前に出でクラス全員の提案を黒板に書いて決めようとしていた。
黒板に、ドッヂボール、椅子取りゲーム、鬼ごっこ、たか鬼…バスケット…と書かれ、
その内、二つを選択する事になった。

その最終的な決め方が、「ジャンケン」と「挙手による多数決」の二通り提案された。
そこで、「どちらがいいか手を挙げて決める事になった。
「挙手による多数決」の結果、お楽しみ会のケームは、
「挙手にする多数決」で決めると決まった。


私は…ふと思った。
お楽しみ会の決め方を「ジャンケン」or「多数決」の決定を「多数決」で決めている、とは…
何か不思議な違和感があった。

この話を息子にしたら、その場合は、
「くじ引き」とか「コインの裏表」とか…別の方法で決めるのが妥当では~と言っていた。


そう初めから「多数決」で決める前提で、
「多数決」か「ジャンケン」か、を決めるのは…少々変な感じだったのだろう…

今までは、「多数決」で決めていたの
今回の「お楽しみ会」は「ジャンケかor多数決」を旧来の「多数決」で決めた~という事だろう。

新たな考え・方法は、過去の考え・方法から生まれるモノで、
ある日、ある時、ある瞬間に、
過去とは全く無関係に突然、新たなモノの発生はない!という事なのだろうか…

この事を担任の先生に話した、
「矛盾ですよね~」
「子供達は思わないようですが…」と言っていた。




↑~

この「お楽しみ会」に限定した「ジャンケン決」or「多数決」の決定は、
個別事案の「決め方法」の決定と考えられる、なら、
個別の事案の決定法を、普段の決定方法で決めた事と言えよう。

「お楽しみ会の種目」という「個別事案決定方法」(ジャンケン決or多数決)を
普段の「一般的事案決定方法」(多数決)で決めた。

矛盾のように思える「決め方の決定」だが…このように、その意味・構造を考えるなら、
それらの以下のようなメリット・デメリットを分かっていたなら有効なのだろう。




「挙手による多数決」は、大勢の賛成が不可欠であるが…
「ジャンケンによる決定」なら人数の多・少に関係なく決定される


この場合に考えるべきは、「ジャンケン決」と「多数決」のメリット・デメリットであろう。

お楽しみ会でも種目が、十数種類も提案されていたなら、「ジャンケン決」のデメリットは少ない。
しかし、種目数が少ない時、少ない種目からの決定なら、「ジャンケン決」のデメリッドは多い。

これが、「クラスの係決め」…の仕事・学習に関する決定の場合は、「多数決」がデメリッドになり得る。
それは、大勢で結託?して、他の児童に嫌な係を押し付けてしまう…可能性がある。


だから、当然に教師・担任は、
これらのメリッド・デメリッドを考慮した上で「決定法の決定」を多数決・採決したのだろう。


コメント (1)
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家内と私

2023-03-30 09:31:37 | 神戸だいすきブログ




1.
o 39. お教え下さい!by自由びと
o 2023年03月28日 09:44
o
>「あの太陽のような奥さん」(貴方の言葉)
何故このように表現してのですか?

貴女は私の家内にあった事ありません。
話した事?私が電話で貴女と話していた時、話したかな?

知りたい理由は、「…太陽…」と考えると…
「私の太陽」=
いつも私の事を考えていてくれる。他人の事も考える。

家内の告別式・葬儀の時、所属していたオーケストラのメンバーが数十人、
その大勢の友達が来てくれて…人数は?忘れた。百人を越えた?百人近くか?
渡す為に用意した「名称言えない」が、予定より数十枚追加、
用意していた、告別式会場に入りきれない人数っだった。

思い起こせば、(信者の伯母が慌てて頼んだ)近くの教会でやった母の葬儀も…
教会に入りきれずに、表の並んでいた。その数忘れた?百人?二百人…とにかく大勢…
そもそも母・家内の葬儀での私には…母・家内の「死」以外は全く気にならなかった。

なんて…「太陽みたい」が、なんかピッタリした表現のよに感じられます。
因みに亡き母親は「女親分肌」と他人に言われて、何となく納得しましたが…
このような意味で、貴女の言葉は本質を的確に掴んでいる、と思うのです。


なぜ、どうして、「あの太陽のような奥さん」(貴方の言葉)」と感じるのですか?


1.
o 41. 神戸だいすき
o 2023年03月30日 06:35
o あなたの奥様が太陽であったことはね、

あなたを、通してわかるんです。
以前のあなたは、芯がぐらぐらして、感情を制御しきれないようなところがありました。
そういうあなたを、支えくよくよしないで、明るく接していた。

それは、あなたを見ていてわかったのです。あなたを支えている存在の「熱」と「光」が。

だから、なくなったと聞いて、あーもう駄目だ!と、一瞬思いました。

ところが、そうではなくて、姿の見えない彼女が、まだ、あなたのそばで輝き続けていることがわかって、安心しました。

うまく言えないけど、その人を見れば、誰が、その人を支えているのか、その存在は浮かび上がってくるものですよ。
支えのない男の人は、かわいそうです。
青雲さんも、天寿堂さんも、支えがありませんでした。だからね、最後に勝つのは、あなただったのです。それは、前からわかっていました。

私の弁証法は、実践に使うものです。これなしでは、何事もうまくいきません。
私が、組織を作れるのも、事業を完遂するのも、弁証法によって、ことを進めるからです。

でも、普通の人には、なぜ、これがAと、同じなのか・・・そういうことが見抜けません。物事の本質を、分解して、最小単位にできないのです。


1.
o 42. 神戸だいすき
o 2023年03月30日 06:38
o 自由人さん、お返事が遅くなったのは、昨日、多忙で、(人助けに走ってた)ネットをみれなかったから、見たときには、コメント欄のあなたの名前は、ずっと後ろに送られて見えなかったから。

気分を壊したんじゃありません。ごめんね、気を使わせて


1.
o 47. いえ!いえ!自由びと
o 2023年03月30日 09:28
o
私の反省・材料になりました。
その事があって、上記のような事が考えられました。
結果的には、感謝・感激です。

でも…私が「貴女が気分を害し無返事…」かな?思いました。
そこで「気分の害したなら」、「何故?」と考えて、再度読み直したら、誤解・誤読に気付いてたのです。

このように、「貴方は私が…」、「私は貴方が…」と~
互いに相手を人を思いやれる自身の心と相手との信頼関係貴重ですね。

私と家内の関係では、私の家内への思いやりは、皆無ではなくても、とても少なかった、ようです。
また、ここ数年は、息子も大きくなり、
また彼女の趣味のオーケストラ活動に忙しく、以前に程、私への思いやりは減っていたょうに感じます。

でも…それって、私の思いやりが減ったから、彼女も減った。
それとも、減った自分を正当化する為に「家内も減った」と自己弁護。

本当は、私がもっと思いやりある言葉かけをすれば、
家内もその思いやりある言葉を返してくれた。

相手に分りやすい「思いやり」とは、言葉かけです。
でも、「思いやり」は観念であり、言葉ではありません。
思いやりある言葉かけがなかったとしても…
「思いやり」は、誰もが持っている筈です。
それは、相手を想う心なのす。

ただし…でも…癌になって
私が「癌ってストレスからなるから、…俺ってストレス与えた?」と尋ねたら…
「いつも私の自由してくれて…全然なかったよ」と言っていました。
夫婦関係では、互いに相手を思いやっていても、言葉・態度で表現する事はあまりないのでしょうね…

そんな強い信頼関係が、互いにあった、ようですね。
何しろ…家内と付き合い始めて去年で31年目、結婚して24年目…
家内とは生前に「来年で25年・銀婚式やろうね…」と話していました。





コメント (3)
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神戸だいすきさんと私

2023-03-30 08:08:42 | 神戸だいすきブログ
以下は「神戸だいすきブログ」
http://blog.livedoor.jp/pegasus2011/archives/10293241.html?1680130935#comment-46
から転写である。


7. 自由びと 2023年03月23日 17:44
昔…
日本語学校で学んでいたの外国人が言っていました。

日本に来てから、「毎日、テレビを視て、日本語を必死に勉強した」と…
そのお孫さんも、目の前の人達の言動から自然に言葉を習得してのでしょう。

普通の子供は、周囲の人達と関わって言葉を習得します、から…
この場合のように、幼少期から自分でを発する事無く、言葉を習得した場合に考えられる弊害は、感情的な言語表現が不得意になり得る、という事でしょうか…
8. 神戸だいすき 2023年03月23日 19:01
まだ、10才なので、わかりませんが、頭の中の構造は、ちょっと、普通ではありません。コンピューターみたいに、010101010みたいになってるんじゃないかな。
9. 自由びと 2023年03月24日 09:48

頭脳の構造は人間の場合、
初めからあるのではなく、その子の成長過程で、
徐々に構築されていく~と私は捉えています。
10. 自由びと 2023年03月24日 09:54

初めにあるのは、人間の頭脳の自由性・可能性だと思います。
当然に…遺伝子の差異も考えられますが…。
それでも普通ではない遺伝子は、胎児の時の母体の状態の影響もある、
ようですね。
11. 神戸だいすき 2023年03月24日 10:11
ひぇ~母親は責任重大ね。
12. 自由びと 2023年03月25日 08:55
そうなのです。
私は、教師・塾講師・特別支援学級補助員・現在の通常級の補助員を体験・経験から思います。

愛情がいっぱいでも、その子への親の愛情表現・言葉・態度…が、
その子にとって「愛情」と感じられるとは、限らない。

「勉強しろ!」という言葉で、子供が「勉強したくなる!」と思えますか?
「勉強した」なら、それは親のロボットです。

「勉強しろ」ではなく…
親「今学校で何やっているの?」
子「引き算!」
親「引き算のサクランボ計算、私の時代になかったの、教えて!」
子「お父さん、サクランボ知らないの?教えてあげるよ…」

のように、直接的に「勉強」ではなく、間接的に勉強へ導くのがベスト…
13. 自由びと 2023年03月25日 08:55

逆に「勉強より遊べ」と本心から言えば、子供は「勉強もしないとマズイ?」となり得ます。
本心ですから、親は子供の遊ぶ姿に満足します。
また、子供が自分から自主的な勉強を始める姿にも満足です。

通常級の補助員として新一年生に関わって今年で三年目、


日頃の生活態度、筆箱の鉛筆に名前が書かれている・いない…
挨拶ができる・できない…子供は先生の話を正しく聞けない。

学校の教科の勉強ではなく、生活・態度の体得・自分の事は自分でできる。
先生の言う事は、理解できなくても、・その通り出来なくても、にやろと努力する態度…が出来ている子は、初めはできなくても、どんどん伸びる。

逆に、初めから知っている子は、先生の話を真面目に聞かないから伸び悩む。

何しろ一年生で「掛け算九九」ができている・暗記している子もいるのです。
足し算の概念もないのに…「掛け算九九」ですよ。
掛け算の結果は分っても、掛け算の意味は不明。
当然に文章題が自力ではとけない…

足し算・引き算もそうです。
足し算の計算はできても、足し算の意が分からず・概念がないので、文章題が解けない…

多くの通常児・発達障害児と関わって思うのは~
その子達の頭脳内の認識、物事に対する、その子概念が異なっている。
例えば、自分勝手な私語と先生への質問が彼らとっては「しゃべる事」

「おしゃべりは止めて静かに…」は、先生への質問・他人への注意も全てやめて下さい…と理解している子供もいます
14. 自由びと 2023年03月25日 09:12

言葉の概念の話

教室で「前を向いて下さい」とは、普通は「黒板・先生の方」という理解もあります。

子供は「前とは、体と同じ方向」という意味だけです。
この場合に何が、不味いか?

授業中、横を向いている子に、
「前を向いて下さい!」と言ったら、「前を向いている!」と答えたので、
よく見ると…その子は体ごと横にして前を向いて横の児童と話していた。

私の「前」の意味・の概念は、黒板・先生のいる方向。
その子の「前」体の向いている方向。
その事に気付いて、私はその子の机も横向きして、
「これで勉強して下さい!」と言った。
そこ後は、「机を元に戻す事無く、全くおしゃべりする事無く勉強していた」のを見て、近づき、プリント計算を見ながら「できるじゃん!」と褒めて、机を戻した。


後から、辞書で調べたら、前の意味の一つに「自然の姿勢で立った時に体の向いている方向」がありました。
その他の色々な意味も書いていましたが…

「前」の概念とは、辞書に書かれている全ての意味を元に、理解して創り上げて、認識・頭脳内の「前の認識像」です。
15. 自由びと 2023年03月25日 09:22

結論的に書けば、子供の認識・観念の世界、心の世界・概念の世界は、大人とは違っている。
時には、大人には全く理解・分からない世界を創像しているのです。

だから…大人は、この事実を確り認識して、子達と関わる必要があります。
教育者・親は、しっかりと子供の世界を知って、その子供の世界を大人世界に近づけ努力をする必要があります。

子供達と遊ぶ時は、大人は子供達の世界で一緒に遊ぶ。
学校では、学校世界に子供達の世界を近付ける努力を大人がする必要があります。

遠いい子供達の世界を一度に大人の世界に近づける事は至難です。
その時は、大人が自分の世界をすこしづつ、その子の世界に近づけて、引っ張り上げるのです。
16. 自由びと 2023年03月25日 09:33

神戸だいすきさんへ

このブログ日々の記述・記事の御蔭で、

私は、貴女の認識・心・思い…世界を、知る事ができました。
今の私にとって「知った」という事は、
私の世界を貴方の世界に近づけられた…という事でもあります。

「貴女と自由びと」の世界が、互いに飲み込まず・飲み込まれずなら…
それは「貴方の世界+自由びと世界」で数倍の広さになり得ます。
また、「貴方の世界・概念×自由びとの世界・概念けなら、数十倍の広さですね。

「〇+〇」も、「対立物の統一」なら「〇×◇」も「対立物の統一」です。


当然に「〇-△」も「△÷◇」もですが…


17. 神戸だいすき 2023年03月25日 09:38
最後は、あなたが勝つね。
あなたの生国が、大陸だと言って、あの人たちは、ただ、それだけで、あなたを全否定して、貶めました。

でも、最後に勝つのは、あなたです。

だって、かれらの心はカルトに染まっていて「自分自身」「自我」を、持っていないからです。そして、教祖の言葉だけを、丸暗記して、目前に、現実にある世界に目を向けなかった。

さらに言うと、あなたの、その「合理的」な思考手順が、とても、大陸的だと、私は、感じるんですよ。「列島民」ではありません。
18. 自由びと 2023年03月25日 13:24
確かに~
これまで関わった私の周囲の大陸の人々の影響は大きいモノがあったのでしょう。
また、私が、私の未熟な幼さをずっと大人になっても引きずり続けた事も…。
実際に、幼少期・思春期…の劣等感を数年前まで、ずっと無くさず保持し続けてました。

そして、神戸だいすきさんとも出会いも…
私を!私の言説を理解して信じ続けてくれた「あ・な・た」の存在と出会いも…

貴女は、物事の外見・概観…に囚われず、物事の本質を直観的に感じ取れる、ようですね。
それは、貴女の記述の裏にある、貴方の世界・人生観・価値観…のなせる技…なのでしょうね。

>教祖の言葉だけを、丸暗記して、目前に、現実にある世界に目を向けなかった。
そうです!「教祖の言葉」は、彼の世界の言語化です。
彼の世界=彼の言葉であったとしても…彼の世界を実際に見た事のない者に、言葉だけで「彼の世界」を概念化(彼の世界を自分の中に構築)は至難なのです。

実際の自分世界に、彼の言葉を持って来て、現実に使えるかを確かめる必要があります。
現実界で、彼の言葉通りに実行して、上手くいった時~
それを、自分の言葉で表現したら、彼と違った言葉になり得ます。

暗記は無意味ではありません。
でも、暗記した通りに実行して、上手くいかなかった時、
それは、彼のせいではなく、自分の暗記した言葉の意味理解が違ていたのです。

自分は、彼とは違た環境・状況なのい、暗記した通りに実行したのが間違いです。

数学の公式を暗記しても…
その問題に合わせて公式の変形が出来なければ、問題は解けません。
だから、南郷氏は書いています。
「自分で公式を創れる実力をつけろ!」と…

19. 自由びと 2023年03月25日 13:25
そうです!
彼の言葉の暗記で満足する事無く、
彼と言葉と同様な概念を持った言葉を発せられる認識を創れ!

それぞれの生活環境が違っていれば、
そこから発する言葉・人生論・人生観は、全て異なった言葉・表現になり得ます。

それら全ての人生論・人生観…全てを纏めて概念化したモノが、
絶対精神的人生論・人生観…なのでしょうね。


最後に書くなら、
南郷氏との出会い、
南郷弁証法との出会い、
その学び、
そして私の現実への弁証法適応努力…その全てがあったから、今の私なのです。

今の私が…「成功!or失敗」かの判断は、どうでもいいのです。
あるのは、「私は、今の私として生きている」という現実です。
その現実から、日々が楽しく、愉快に、眼前の問題を全力で解決する努力を続ける事です。

現在の失敗は、未来の成功かも、しれません。
現在の成功は、未来の失敗かも、しれません。

失敗だろうか゛…成功だろうが…
現在・今の中で、自分の正しいと信じた事を全力で実践するまで…なのです。

教祖を信じて失敗しても、
それは自分の失敗、

教祖を信じて成功しても、
それは自分の成功。

何を信じ・信じなくても、自分のやった事は、自分の責任。
成功した時は、その信じた人のお蔭、失敗した時は、自分の失敗・責任…


20. 神戸だいすき 2023年03月25日 14:18
あなたには、自分の血肉にすることができたのに、あの二人は、できなかった。

だから、
不治の病を得て、なくなってしまった。それなのに、どこまでも、「信じている」ふりをして。あの年の会費を払わず、脱会したことが、あれが、迷惑をかけたくない気持ちからだったのか、

もしかして、あの時点で、取り返しがつかない時期になって、真実がみえてしまったのか・・・私は、時々、いや、いまでも、もう、6年もたつというのに。昨日のことのように、気にかかります。

また、天寿堂さんも、あれだけの腕を持ちながら、自分の成果を正面から見つめることができず、珍妙な弁証法に無理やり当てはめようと、ぎゅうぎゅう苦しんで、

自分の持つ、宝ものを殺してしまいました。

2人とも、教祖によって、生かされたかもしれないけど、教祖によって、命を奪われたのだと思う。

でも、あの二人から、つまはじきされたあなたは、4000年の大陸の歴史に裏打ちされ、自分の道を求めぬいたのだと、私は、思います。
21. 自由びと 2023年03月25日 15:43
そうですね…
私には私の意地があります。
天寿堂氏は、超の付く観念論者で、
彼の信じた「自由びとスパイ・弁証法ゼミのネット公開者」…を
信じ切って、私に問い質す事なく、ゼミ員除名です。

そもそも…普通に理屈・普通の理屈で思惟するなら、
私がゼミ情報を公開して「何の利益があるの?」あり得ない!でしょう…
彼には、彼らのプライドがあり、
その彼らのプライドが邪魔して現実を正しく認識できなかった。
彼らの自由びと認識=現実の自由びと

言うなれば、「プライド高い・自信過剰の二人」ですね。
子供時代の劣等感を持ち続けている私には、自信は皆無的…でした。
「自信を持とう!」とすると、「劣等感」が、それを否定・邪気し続けたのでした。
だから…自信を持とう!創ろう!…と頑張り続けたのでしょうか…


それでも今でも、
「天寿堂氏に指圧・針・鍼灸をして頂きたい!」という思いは強くあります。
初めて、うけた後のあの感覚が、とても良かったから…

22. 神戸だいすき 2023年03月25日 17:14
彼が今でも、あの腕を持ち続けるか、劣化しても2割程度なら、私も受けたいですが・・・どうでしょうねえ。

劣等感といえば、あの団体に属している人は、全員劣等感の塊りですよ。

どこか、脛に傷を持っています。そこを、うまく操られたんぼです。教祖についていけば、この列島感から救われると思い込んだんですよ。
23. 自由びと 2023年03月25日 19:38

そうですね…非力・ひ弱…なのに「強くなりたい!」想いは強烈ですね。
そんな者達だから「弱者の空手」の習得・体得を目指すのでしょうね。

操られた?事・その通りにやる事で、
それが自分の実力だと錯覚してしまう…のでしょう。

でも…操り人形のままではなく、操られている過程で、その動き・考え方…全てを自分のモノ・実力にして…
そして自ら、その操り紐をぶち切って、自分の意志で自分の幸福・夢実現の為に、その他人的な力を発揮するのです。

正しい事・善い事は、
真似しろ!
盗んで自分のモノに知ろ!


一般的な「守・破・離」の過程を、確りと歩む事ですかね…。
24. 神戸だいすき 2023年03月26日 04:29
人には、その人固有の意地があるのでしょうね。

問題はですね。自分の足で立つか、他人の足を借りるかってところです。青雲さんは「師範」に憧れ、師範になろうとして、カタチをまねました、それが、彼のやり方だったけど、私は、違うと思う。それを「カルト」だと思うのです。

かれは宗教を非難し続けたけど、あれほど、深いカルト信者を私は知りません。ほとんど一神教でした。
天寿堂さんは、師範を越えようとしたけど、それを、師範に認めてもらって褒められたい思いがあった、それは甘えです。

まあ、いつも言われるように私は、一番ダメな男を、捨てておけないので、青雲さんを一番、強く気にしました。そういえば、彼はおこるだろうけど、本当に、だめだった・・・本当にかわいそうで、私は、かわいそうなものに、強く惹かれるんです。
でもね、あなたには、芯の強さがあります。かわいそうではありません。
25. 自由びと 2023年03月26日 10:31
今日の今さっき、痛感した事があります。
貴方の言葉・記述は、私を啓発させています。
私は、貴女の言葉・記述に啓発されられています。

>自分の足で立つか、他人の足を借りるかってところです。
↑他人の足を借りている事を意識・自覚して、
「その足の形」ではなく「歩み型」を体得・修得する事です。

「師範になろう!」ではなく、「師範の認識世界全体自分もモノにしよう!
師範の本質ー空手・弁証法・世界観・哲学…を習得・体得しよう。

守・破・離⇒
⇒「守」師範の歩み型を真似して「その型」を守り、全く同じように歩む⇒
⇒「破」その型の本質を守りながら、自分なり工夫して歩む。
⇒「離」「その型」の本質を残し、形・歩み方を変えて自分の道を歩む。

今思った、師範の歩み型の習得・体得には、師範と同じ・同じような道を歩む。
でも、「歩み方の本質」を掴み得たら、自分の歩き方で自分の道を歩む。



26. 自由びと 2023年03月26日 10:48
「師範を越える」為には、師範と同じ方向・同じような道を歩む必要があります。

師範の哲学・学問を越えたいのか?
師範の空手を越えたいのか?

師範の世界観は唯物論、それに対して天寿堂氏は観念論、です。
天寿堂氏は、彼の掲示板カント・ヘーゲル・他人の言葉で師範を批判・越えようとしていました。

歩む・歩んでいる道が、異質・違っていては「追い越す」という事はありえません。
先にゴールへ到達した者が勝ちです。
師範の目的・ゴールは、歴史になお残す、です。
天寿堂氏の目的・ゴールは、師範を越える・それを師範に褒められる。

唯物論者的指導者が、観念論的な弟子の努力を誉める、でしょうか?
その自分的に歩む・歩み続けている姿は褒めても…
その道・方向・世界観・観念論…は、褒められないでしょう。

27. 自由びと 2023年03月26日 11:36
でも…操り人形のままではなく、操られている過程で、その動き・考え方…全てを自分のモノ・実力にして…
そして自ら、その操り紐をぶち切って、自分の意志で自分の幸福・夢実現の為に、その他人的な力を発揮するのです。

上記の分かり難い抽象的な記述を具体的に考えてみました。
何しろ…私の「悟りを求めて~」へのコメント連続投稿お宅「雲海=?ソクラテス」が、
ソクラテス自身の「ブログ記事とは的な外れ」な知識・抽象性で一杯の記述を棚に上げ連続投稿です。
例えば、交通事故での足の怪我が、治っても動かせない場合にリハビリをします。
その時、全く動かせない場合は、寝た・横になっている状態で、
理学療法士が患者の足を持て動かす…
その時、ある意味患者の足は理学療法士の意のままに、動かされている・操られていると言える。
この時、理学療法士は、直接の目的は眼前の患者の為、それは仕事としての患者の為。
目的の二重性、患者の為であり自分の為…
患者が、療法士の事を、自分の仕事の為に俺にこんな痛い事しやがって…と「イヤイヤ従っている」のと…俺の為に必死にやっくれていると考え、「積極的に動かされる足を意識」では、リハビリ効果は大きく異なってくるだろう。

28. 自由びと 2023年03月26日 11:37
そして、足が動かせるようになり得たら、後は、その自分の足を自分で動かし歩み続ける…となる。
自分で足が動かせるようになったら、リハビリは終了・療法士とはバイバイ!
療法士とバイバイできない患者は、自分で歩ける幼子が、「疲れた!抱っこ!おんぶ!」てな感じだろう。
歩けない赤ちゃんなら「おんぶに抱っこ」は当然である。
師範に助けを求める者達には、自分の人生を自分として歩めなくなった者も多いのでは?
これが、
貴女の以下のような表現↓

「>劣等感といえば、あの団体に属している人は、全員劣等感の塊りですよ。
どこか、脛に傷を持っています。そこを、うまく操られたんぼです。教祖についていけば、この列島感から救われると思い込んだんですよ。<」
信じ切れる者には「教祖」となり、信じない者には「変てこりんな人」…
教祖は、教祖でも~
神を信心する「宗教の教祖」ではなく、
弁証法を信心する「弁証法教の教祖」なのでしょうね♪♪♪
教祖はこの国を救えません。
でも、教祖を信じて弁証法を知り・識って・悟って…
弁証法を悟得しえた人々を、学者・法律家・政治家…になり得たら、きっとこの国も救われます。
それは~
師範的な弁証的・思考・思惟・思弁・思索…過程を学び続けている私が、
小学校で発達障害児、通常児達を叱らず・怒鳴らず・怒らず…
上手に補助員的な教育者としての仕事・責務が的確に果たせているように…
師範の目標は「歴史に名を刻む」~
南郷弁証法でこの国・世界が、よりよい方向に変化・運動できた時、
きっと「南郷継正」の名前は、歴史教科書に書かれる、でしょうね♪♪♪



29. 自由びと 2023年03月26日 11:50

ヤッパリ!
超超凄い!

貴方の記述…文面…言葉…言い回し…は、
自由びと認識を啓発し続けていますよ♪♪♪

それは、事実・事象の実体・実態・本質・構造…を、
直観的に把握しての言葉・言い回し・記述…だからでしょうか…

このブログは、小さな私の世界を広げ、
より大きな私の世界化への歩みを促進し、
更に私の世界の内実をより豊かに質量アップしていますね。

30. 神戸だいすき 2023年03月26日 17:52
そんなに、おだてないのよ。

私は、ただ、その人の持つ、輝きが見えているだけなんだから。顔をみなくても、文章だけで、光が見えるだけなんです。

でもね、私は、あなたに謝らなければ、なりません。
あなたが、あの太陽のような奥さんを失っても、こんなにしっかり、立っている人だとは、予想していませんでした。

ああ、もう駄目だって、一瞬思いましたよ。
でも、あなたは、私の見立より、はるかに、強靭でした。
31. 自由びと 2023年03月27日 06:16

🎵♫~ありがとうございます~🎵
♬~そのお言葉♬に励まされます!
♬~とても励みになっています♬。
この強靭さも図太さも家内の影響?
32. 自由びと 2023年03月27日 06:36

改めて>「青雲さんは「師範」に憧れ、師範になろうとして、カタチをまねました…


何がマズイのか?

確か「カタチをまねる」事も重要です。
でも、もっと重要なのは「真似る事」を通して、
そのモノの本質を全身で学び・掴み取る事です。

南郷氏の本質は「南郷弁証法」です。
また、青雲さんも「弁証法」求めていた筈です。
ならば、その師範の弁証法を学び・掴み・盗み取れば、
よかったのです。

しかし…残念な事に、彼は、直接みえない師範の認識より、
見えている師範になる道を選び、努力し続けてしまったのでしょう…


33. 自由びと 2023年03月27日 07:05
>また、天寿堂さんも、あれだけの腕を持ちながら、自分の成果を正面から見つめることができず、珍妙な弁証法に無理やり当てはめようと、ぎゅうぎゅう苦しんで、
>師範を越えようとしたけど、それを、師範に認めてもらって褒められたい思いがあった、

師範のは、唯物的弁証法です。
なのに…天寿堂氏は観念的弁証法で、
師範を言い負かそう・越えよう…としていました。

足し算の勉強中に、足し算を知らない児童が、
暗記した当人には意味の不明な「掛け算九九表」使って、
クラスで一番先に答えられても…先生は決して褒めません。

褒められたかったら、自分の専門分野、
鍼灸治療・治療で現実的な成果を出した上で、
その実践・過程を論文化して、
師範に認められる努力をすればよかったのでしょうに…






彼の弁証法が「奇妙な弁証法」に、なり果ててしまったのは、
観念論弁証法と唯物論弁証がゴチャゴチャ混ぜ合わせてしまったから…です。


34. 神戸だいすき 2023年03月27日 07:25
気の毒なのはね、弁証法は数学なのに、青雲さんは国語で読み解こうとして、天寿堂さんは哲学で読み解こうとしたんですよ。
弁証法は、めのまえにある現実を、因数分解して、「原子」に、ばらかして、それを、さまざまな分子に自由自在にくみあわせられなければ、解けないのに、

おっしゃるとおり「観念論」だったのです。

現実を等身大に見抜く能力がありません。

観念論が悪いのではありません。それは、それで、面白いけど、弁証法というのは、もっと、なんというか、プラグマティックなんです。

そういう意味では。市販でさえ、弁証法の本質を知らず使い方を間違えていると私は思う。

弁証法は宇宙の起源や、人類の起源をかいめいするためのものではないのです。

そこまでいくと、無知蒙昧でしかない。
あなたは、高橋某をひょうかしているみたいだけど、
35. 自由びと 2023年03月27日 11:34
>弁証法は、めのまえにある現実を、因数分解して、「原子」に、ばらかして、それを、さまざまな分子に自由自在にくみあわせられなければ、解けないのに、

↑~

ヤッパリ!貴方は物事の本質を見抜いています!
弁証法は、現実に見える感じ取れる物事・現象ではなく、
それらの変化・運動性の法則化なのです。
それを他人の力を借りる事無(本の知識)ではなく、自力で修得・体得したのでしょう
だから、貴女自身の言葉で、他人の弁証法を批判かのなのです。

その貴女は、貴女の弁証法概念を、数学・化学の弁証法性的表現で書いているのです。

例えば、「対立物の統一」として、原子を考えるなら~
全て原子は、陽子と電子「対立物の統一」の結果で存在しています。
そして、電子数が変化すれば、原子の性質の性質が変化します。
この場合は、陽子と電子に相互浸透はなく、相対的独立運動です。

でも、原子とは違う「夫婦喧嘩・対立物の統一で」では、
互いに納得しなければ「絶対的独立」家庭内離婚、または現実の離婚です。

しかし、話し合いで双方の和解したなら場合は、話し合いの過程で「対立物の相互浸透」・「量質転化」夫婦円満。また、片方が相手の言い分に納得して、和解もあり得ますが…
この場合は、二人は夫婦のまま「相対的独立」関係にります。


このように、数学的でない「弁証法の表現」も可能です。
36. 自由びと 2023年03月27日 11:37

本来の弁証法は、
人間の認識を、対象の変化・運動に、合わせる為の、
自己の頭脳・認識の変化・運動性をコントロールする為の法則(観念の技術)なのです。
また、弁証法の三法則とは、その法則の公式化なのです。

その公式・法則は「絵に描いた餅」(他人知識)ではなく、
他人から餅の作り方を聞いて自力でつくる。
(知識を元に実践)しなければ、食べられません(使えません)

一人一人には、その人生で体得した個人的・個性的な弁証法があります。
一般的・学問的弁証法は、「三人集まれば文殊の知恵」で一般的。
時代の哲学の中の弁証法を総体・総合なら学問的弁証法。

師範が伝えよう・教えようとしているのが学問・哲学的な弁証法です。






37. 自由びと 2023年03月27日 11:48
>…観念論が悪いのではありません。…

全ての人間は、主観的・自らの観念でいきています。

だから、こそ人は、
「他人の主観と自分の主観」を、自己の頭脳内で「対立物の統一」をする必要があります。
これを多くの他人と繰り返した時、自己の主観が客観性を帯びる、のです。

この為の手っ取り早い方法が、「他人と大喧嘩」するのです。
このブログわ読んだ限り、貴方は、人生で多くの人々に裏切られ、時には大喧嘩・ヤクザ?に脅されて…
そんな中で、主観が大きく客観性を帯びたのでしょう。
その表現が「相手の光がみえる」=「相手の主観が『光』と見える」でしょうね…


38. 自由びと 2023年03月27日 11:53
>気の毒なのはね、弁証法は数学なのに、青雲さんは国語で読み解こうとして、天寿堂さんは哲学で読み解こうとしたんですよ。


言葉で表現されている弁証法の学習・習得は、現実の事物・事象…でする必要があります。
それは、自分が、今・この瞬間に関わっている、目の前の「現実の中で読み解くモノ」。

39. お教え下さい!by自由びと 2023年03月28日 09:44

>「あの太陽のような奥さん」(貴方の言葉)
何故このように表現してのですか?

貴女は私の家内にあった事ありません。
話した事?私が電話で貴女と話していた時、話したかな?

知りたい理由は、「…太陽…」と考えると…
「私の太陽」=
いつも私の事を考えていてくれる。他人の事も考える。

家内の告別式・葬儀の時、所属していたオーケストラのメンバーが数十人、
その大勢の友達が来てくれて…人数は?忘れた。百人を越えた?百人近くか?
渡す為に用意した「名称言えない」が、予定より数十枚追加、
用意していた、告別式会場に入りきれない人数っだった。

思い起こせば、(信者の伯母が慌てて頼んだ)近くの教会でやった母の葬儀も…
教会に入りきれずに、表の並んでいた。その数忘れた?百人?二百人…とにかく大勢…
そもそも母・家内の葬儀での私には…母・家内の「死」以外は全く気にならなかった。

なんて…「太陽みたい」が、なんかピッタリした表現のよに感じられます。
因みに亡き母親は「女親分肌」と他人に言われて、何となく納得しましたが…
このような意味で、貴女の言葉は本質を的確に掴んでいる、と思うのです。


なぜ、どうして、「あの太陽のような奥さん」(貴方の言葉)」と感じるのですか?
40. 自由びと 2023年03月30日 06:08
失礼!ゴメン!by自由びと


神戸だいすき様、失礼しました・ごめんなさいでした。
私は、貴女「弁証法は因数分解」誤解していました。

貴方は~

34. 神戸だいすき
2023年03月27日 07:25
>弁証法は数学なのに…
>弁証法は、めのまえにある現実を、因数分解して、「原子」に、ばらかして、それを、さまざまな分子に自由自在にくみあわせられなければ、解けないのに、

>弁証法というのは、もっと、なんというか、プラグマティックなんで


と書いているのに…

貴方の人生経験の中で出来上がった「数学」なら、その内容は哲学レベルの数学「数学 - Wikipedia」の筈なのに…
しかも…「弁証法というのは、もっと、なんというか、プラグマティックなんです。」ともかかれているのに…

私は、私は貴方の弁証法=因数分解=私の習った高校生の因数分解と理解して、
あろう事が、あってはいけない事なのに、この貴方の掲示板で持論を展開してしまいました。
このような行為は、自由びとブログでの雲海お宅と同様なモノなのです。

貴方の人生経験の中で出来上がった「数学」なら、その内容は哲学レベルの数学「数学 - Wikipedia」の筈なのに…
しかも…「弁証法というのは、もっと、なんというか、プラグマティックなんです。」ともかかれているのに…

私は、私は貴方の弁証法=因数分解=私の習った高校生の因数分解と理解して、
あろう事が、あってはいけない事なのに、この貴方の掲示板で持論を展開してしまいました。
このような行為は、自由びとブログでの雲海お宅と同様なモノなの

そうであるなら…
貴方の弁証法は、貴女の人生の哲学の表現となり得ます。
ならば、私は、私が学び続けている「南郷弁証法」から「貴女の弁証法」を考えるべきだったのです。
貴方の弁証法⇒「数学」的⇒プラグマティックなら、
私は、このブログ記事の内容を「私の人生経験・私弁証法」と対比して、捉えるべきだったのです。




41. 神戸だいすき 2023年03月30日 06:35
あなたの奥様が太陽であったことはね、

あなたを、通してわかるんです。
以前のあなたは、芯がぐらぐらして、感情を制御しきれないようなところがありました。
そういうあなたを、支えくよくよしないで、明るく接していた。

それは、あなたを見ていてわかったのです。あなたを支えている存在の「熱」と「光」が。

だから、なくなったと聞いて、あーもう駄目だ!と、一瞬思いました。

ところが、そうではなくて、姿の見えない彼女が、まだ、あなたのそばで輝き続けていることがわかって、安心しました。

うまく言えないけど、その人を見れば、誰が、その人を支えているのか、その存在は浮かび上がってくるものですよ。
支えのない男の人は、かわいそうです。
青雲さんも、天寿堂さんも、支えがありませんでした。だからね、最後に勝つのは、あなただったのです。それは、前からわかっていました。

私の弁証法は、実践に使うものです。これなしでは、何事もうまくいきません。
私が、組織を作れるのも、事業を完遂するのも、弁証法によって、ことを進めるからです。

でも、普通の人には、なぜ、これがAと、同じなのか・・・そういうことが見抜けません。物事の本質を、分解して、最小単位にできないのです。
42. 神戸だいすき 2023年03月30日 06:38
自由人さん、お返事が遅くなったのは、昨日、多忙で、(人助けに走ってた)ネットをみれなかったから、見たときには、コメント欄のあなたの名前は、ずっと後ろに送られて見えなかったから。

気分を壊したんじゃありません。ごめんね、気を使わせて
43. 自由びと 2023年03月30日 07:26


ただ…貴方の「あなたは、高橋某をひょうかしているみたいだけど、」は誤解です。
↑これは、貴女の誤解です。
私は、彼の空手の指導者・師範の面は知っていますが…
高橋某として私生活の全く知りません。
また、「評価」も何も…
弁証法に無知な私が、弁証法の師範を評価できる筈がありません。
一年生が担任を評価できません。
担任を評価するのは、保護者です。
そして、児童は保護者の評価を受け入れ・評価してしまいます。

弁証法を学びたい無知な私が、南郷氏の弁証法を評価できますか?
それでも…評価したとするなら彼ではなく、
「彼の彼自身の弱さの克服」・「劣等感の克服」した、その努力・苦労…
そして、その結果である「南郷的弁証法・哲学・学問…」表現・言葉・概念…です。

私が求めているのは、「彼の弁証法」であり、
その習得・体得の為の「彼の空手道」なのです。




44. 自由びと 2023年03月30日 07:27
>「弁証法は宇宙の起源や、人類の起源をかいめいするためのものではないのです。」…その通りです。
南郷氏は、多くの秀才達と「プラトン的弁証法・滅ばし合う対立物の統一」で「…解明する…」過程で「自然の弁証法」を構築したのです。

なので上記の通り、です。

それは、「プラグマ弁証法 - Wikipedia」」を使って、「…解明の議論・討論・努力」結果なのです。
弁証法とは、解明する為のモノでも、解明した結果でも…もなく、
それらの過程の論理・流れ…を捉えた法則化したモノが弁証法なので

現代の弁証法は、議論・討論の話し方・言い方ではなく、その流れ・方向性の法則化なのでしょう。

数学的に書くなら、素因数分解でなく、以下のような単なる因数分解です。

1=1×1、2×0.5×2、0.111×1000×1/111…
無限の可能性のある「1」から、自分の求める<1>を創る為のモノが弁証法。
それは、貴女が一つの集団を、男性・女性・子供・老人・青年に分けて、その割合で工夫・調整して、貴女の欲する雰囲気をつくっている、その方法が弁証法。

水素原子が一個でも、陽子一個と電子一個=二個の集まり…
というように、現実・事実を因数分解するのです。

更に現代では、原子核物理学、素粒子物理学において、陽子はクォークが結びついた複合粒子であるハドロンに分類され、2個のアップクォークと1個のダウンクォークで構成されるバリオンである。

一個の陽子は、複数の集合体…



過去から現在までの哲学の流れは、
物はモノ、事はコト、千差万別的存在。
物・事は、あるモノ、あるコトが変化した結果。
モノの指す小単位は原子。
原子は、陽子と電子。
更にニュートリノ - Wikipedia、なのです。







45. 自由びと 2023年03月30日 08:01
貴方は「玄〇会」を宗教・カルト・と言い切っていいます。
確かに、宗教・カルト…な部分もあります。

それは、師範としての彼の言動を信じる事。個人としての彼を信じる事ではありません。

それは、役者ドラマの中での態度・言動と現実では異なっている事と同様なのです。
だから、教師・師範は、児童・弟子…の前、学校内では、教師・先生に成り切る必要があります。

だから、私の信じるのは、弁証法の教師としての彼の弁証法であり、空手家としての彼の空手なのです。

彼も、空手技も…現実に存在しています。
しかし、南郷継正(ぺネーム)は、彼の認識であり、実体の彼ではありません。
彼・人間の全てを信じる必要はありません。
彼の弁証法を信じ、彼の空手を信じる事が必要です。

それは、彼の言う通りにやるコトではなく、
彼の教える弁証法の通りに考え続ける。
彼の教える空手の通りに空手を学び続ける。

46. 自由びと 2023年03月30日 08:02
そもそも普通人なら、他人に「誰・誰をボアしろ!」と言われてしまか?
私は信じていませんが、仮に「神を信心」したとしても、
ある教祖の言葉は、「神の言葉」ではありません。
それは、教祖の信心した神、彼の中の神の言葉なのです。
それは、他の人の神ではありません。


そもそも…神でない人間に神の言葉を話すのでしょうか?
神が、人間の言葉を発したならば、それは人間なのです。
人間に何もしてくれない神が、
人間に合わせて・人間の言葉で話しかけますか?

人類の歴史上の過去は多神教であり、ギリシャの神々は人間の言葉を話します。
それは、全ての人に自分の中に「自分の神」を創れる可能性のある時代だったのでしょう。

そこから、一神教⇒キリスト教は、イエスは神の子…

私には、私の中に私の神がいます。
それは、私と己・自己と自分…との会話・独り言の結果が神の言葉です。
私は、どうやら非常に異質・変わっている存在のようです。
昔から今の自分一人の時には「独り言」の連発です。大勢の前ではないですが…

家では、家内・息子がいてもやっています。
だから話しかけても時々…「え?独り言だと思った!」と言われます。




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「わたし」の歴史の物語

2023-03-29 08:21:37 | …弁証法…
「わたし」の歴史の物語

私が、私の弁証法を駆使して、弁証法的に思惟する、「わたし」の歴史の物語。
私が、私の概念化した南郷弁証法を駆使して、弁証法的に思惟・思索・思弁する、「わたし」の物語。


母と父⇒結婚⇒母の胎内で受精⇒受精卵⇒胎児⇒…
⇒「赤ちゃん」の私誕生⇒幼児・赤子の私⇒学生の私⇒社会人の私⇒今の私⇒…

私でなかった私・「私自体」・「卵子と精子の受精」⇒…

私であって私でない胎児⇒…

私の認識をもっていない私・赤ちゃん⇒この私の「弁証法性」⇒…

幼児的認識の私⇒この私の「弁証法性」⇒…

小学生時代の私⇒小学生的認識の私の「弁証法性」⇒…

中学生的認識の私⇒中学生的認識の私の「弁証法性・弁証法」⇒…

高校生的認識の私⇒高校生時代の私の「弁証法性・弁証法」⇒…

大学生的認識の私⇒大学生時代の私の「弁証法性・弁証法」⇒…

学生的・社会人の私⇒小学生・教師時代の「弁証法性・弁証法」⇒…

社会人的学生の私⇒教育学部へ編入その「弁証法性・弁証法」⇒…

教師・社会の私⇒小・中学生教師時代の私「弁証法性・弁証法」⇒…

商売・修行中・社会の私⇒社会人見習いの私の「弁証法性・弁証法」⇒…

小学生・教師の私⇒母死去の私の「弁証法性・弁証法」⇒…

商売人の私⇒雑貨店店長の私の「弁証法性・弁証法」⇒…

店長・塾講師の私⇒商売人かつ私の「弁証法性・弁証法」⇒…

特別支援学級・補助員の私⇒発達障害児との関り「弁証法性・弁証法」⇒…

通常級学習補助員の私⇒通常級・学年と関わる「弁証法性・弁証法」⇒…

今・パソコン入力中の私⇒自己の過去から現在を想っている私の「弁証法性・弁証法」


「わたし」の歴史の物語には、

私の加齢による身体的変化・運動の弁証法性があり弁証法がある。
私のある年齢には、その身体と環境の弁証法性があり弁証法がある。
私以前の父・母、祖父・祖母…弁証法・弁証法性がある。

………

人間以前には、「いのち」の歴史の物語の弁証法性・弁証法がある。


以上が、私の現在の認識を駆使して思考・思惟・思索・思弁した
「わたし」の歴史の物語を通しての
「重層弁証法」の確認・再措定…「なのだろう…」!?

結論は、私の体験・経験…事実の論理化は何とかできても…
そのそれぞれの論理レベルの分別・確認・認識・統一・統括…

そんな言葉で何とか表現しようと苦戦している私の頭脳内活動・認識が観えてきた…

上記の記述は、分かる人には、分かるし…分からない人には全く分からない、だろう。

南郷弁証法が分かる人には、その弁証法レベルで分かる。
現在までの私を知っている人には、私の事実として分かる。
南郷弁証法を学んでいる人・分かろうとする人には、何となく分かる。


雲海お宅には、全く分からない。
彼にとっては、唯の言葉・知識の羅列…に過ぎない。

でも私は一つ一つの言葉を見れば、過去の私の体験・経験・事実が浮かんでくる。
私にとっての、上記の私の記述は「私の連続・事実のそのモノ」概念である。
そして、今の認知症になっていない私には~
弁重層証法的な認識論で認識した
<「わたし」の物語>、である。







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主観と客観の話

2023-03-28 08:35:06 | ~認識~
主観と客観の話

「主観」とは、自分の観念。
「客観」とは、他人の観念。

「主観と客観の話」は、観念の話。
観念は認識だから認識の話。

「主観と客観の話」は認識に関わる話」。

自分の主観を自分の主観から話すのは無理。
そこで、主観を客観的に語ろう。

今ここで、「主観を主人の観念」・「客観を客人の観念」と「概念規定」する。
この概念規定とは、私の主観の中で同様な概念とする。

「規定とは、物事の仕方や手続き、また概念などを、それに基づいて行為や議論ができるように、はっきり定めること。またそのさだめ。」

何故なら、「主人と客人」の話なら、私の主観では、客観的な「主人と客人の話」だから…

さて、上記の私の主観的な考え方の内容に了解し得た訪問者・客人・読者は続きをどうぞ!
納得でき難い読者は、どうぞ退席下さい!

さて、納得できた読者なら、「主観と客観の話」と「主人と客人の話」という「対立物の統一」が可能であろう。

なので、ここからは、
「主観と客観の話」を「主人と客人の話」に置き換えた「弁証法を用いた話」例え話。


客人とは、他人の家に訪問した人間の事。
主人とは、その家の主・所帯主。

家とは、人間・家族・ペット…の生活・空間。
その家が持ち家or借家は、全く無関係。

また、肉親・家族は、主人ではないが客人でもない。
主人が世帯主、その家の家族・親族は「同一世帯」者で客人ではない。

ブログへの訪問者とブログ主の関係は「客人と主人」。
私は、ブログ・仮想空間・非現実的・観念的空間…内で存在・生活不能。
でも、自由びと的認識は、生活・活動可能。
だから、ここでの私は自由びと的存在である。

「自由びと⇒私の認識」、
自由びと的な認識=ここに書かれている言葉・記述・認識…
私の主観にとっては、「自由びと」という客観…と考えられる。
こう考えるなら、主観は頭脳の中の認識。言葉・記述…は客観(主観の客観的表現)

言葉・言語…=主観であっても、主観≠言語・言葉…
人は、自分の主観を、全てを言葉・言語で表現する事不能。
主観を語る時、態度・表情・動作…その身体の全てが、その人の主観の表現になり得る。
もっとも…無感情・無言・不動…あえて主観の表現になり得る…

自宅で、親族・家族同士の喧嘩・殴り合いはあり得る。
しかし、客人との殴り合い・喧嘩は、よほど親しい友達・親友…出ない限りあり得ない。
従って、他人の家で、暴言・乱暴…する者は、そく追放or110番となり得る。

それでも、自宅で、友人・客人…の議論・討論…最中の過激な感情的表現はあり得る。
それらを、認める・認めないは、主人・世帯主・ブログ主の認識・主観が決定するモノ。

ここまでの言葉・記述・内容が理解でき信じられる客人なら分かる~
このブログ内での、雲海お宅の数々言説・記述…の何が、社会的に問題であるか…理解可能であろう。

私が、雲海お宅の言葉・記述・コメントを拒否しないのは~
私にとって、主観の暗黒面を客観的に観る事ができるから…
まあ…雲海お宅へコメントへの不満…は多々あるが…
彼の主観的コメントを、自由びとが受け入れ、私の主観に取り言えられる事は、私の主観が少し客観性を帯びた…と言う事になり得る。

それは、私の暗黒面・闇に他人の闇が追加…
と同時に他人の光輝面も追加…可能であろう。

長々書いたが、結論的には、
主人が客人の振る舞いを許し・認めてなら、その家では客人にとって過ごしやすい家となり、多くの人達が訪問してくる明るい・暗い・面白い・悲しい・苦しい・愉快…とても広く・豊かな・賑やかな家となり得よう。


それでも、主も認められない非社会的な客人…
最低限のマナーの心得のない客人…
主人が許しても、客人としては絶対にやってはいけない事をやる客人…
それは、自分の「客人としての立場」が分からない馬鹿。
客人なのに、主人を止められる客人。

「常識外れ」と「常識を超えた」の違い…
「はずれ」とは、「当たりに対して外れ」、「当たり」たいのに「外れた」。

私は彼の「常識外れ」を「非常識=常識外れ」と認識しようとしている・

「常識外れは」、無意識。
「常識を超え」は、意識的(良い・悪いに関係なく)

私に向けられて「悪意」を、彼の中の悪意・暗黒面…として…
「私事」ではなく、「他人事」と捉えている。


彼の悪意・他人の認識を識る事で、自分の中の暗黒面を識り、それを他人にみせない努力をする事。
これが、できた時、
客人の暴言・悪意・暗黒面・賞賛・善意・光輝面…を私のモノ・主観にする…

この時、主観は客観性を帯びた主観となり得る。
弁証法的に、言い得返るから~
対象との、「滅ぼし合う対立物の統一」過程で、
己の主観が客観性を帯びの事が可能であり、
多くの対象との「対立物の統一」が続けられれば、
己の中の古い客観性が、外からの新たな客観性と「相互浸透」を起こし、
更には「量質転化」化をして、「旧主観」とは「新主観」へ止揚されえる…

どうですか?如何でしたか?

以上が、現在の私の主観で書く・表現する語る事が可能な
現時点での「認識を弁証法的に考える」、「認識論を弁証法的に考える」道程・過程」でした。














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