始まりは~
このブログ記事
2018/12/16の「多重の構造について…」への
月研ぎ氏の以下のコメントからである~
月研ぎ氏コメント①
2019/01/29
・コメントを書いた人
月研ぎ
・タイトル
距離
・コメント
せっかく自由びとさんが「教育」を
整理して列挙してくれたのですから、
その一つ一つのそして多重化する
具体的な過程(的構造)
を掘り下げてみませんか。
1)教師が学生に対する教育
2)教師が教師に対する教育
3)学生が学生に対する教育
4)学生が教師に対する教育
例えば、1)の過程で言うと、
教師と学生の間はあまりに
実力の相違という距離があるので、
一方向的になりがちですが、
教師と学生の間に日常よくある
「先輩」をはさみます、
すると途端に
1)と2)と3)と4)が重なり多重化します。
つまり、「距離」という概念で
教師と先輩と学生が相対化されます。
学生からは遠い教師像が
先輩からのより近い教師像を介して
学生により鮮明な教師像が描かれ、
教師は、その学生の距離の変化で、
学生像が更新される。
自由びとさんの展開
楽しみにしています。
自由びとコメント①
2019/01/25
・コメントを書いた人
自由びと
・タイトル
少々お時間を下さい!
・コメント
月研ぎさん
コメントありがとうございます。
現在現実の私は多忙です。
それは、
一に、確定申告の準備。
二に、相続税の計算と申告書書き。
確定申告は三月十五日まで。
相続税の申告は十月二十日まで。
この二つが終わるまでは、
私の頭も心も、
それらでめいっぱいなのです。
でも…もし~
よければ、
月研ぎさんの考えを書いて頂けると
非常に助かります。
月研ぎ氏コメント②
2019/01/31
・コメントを書いた人
月研ぎ
・タイトル
Unknown
・コメント
自由びとさん、お忙しいところ
申し訳ありませんでした。
表現は、「読む」「書く」と同時に、
「考える」という抽象的な時間を
多くもつ必要がありますから、
またお邪魔させていただきます。
自由びとコメント②
2019/02/09
・コメントを書いた人
自由びと
・タイトル
Unknown
・コメント
月研ぎさん
再度のコメントをありがとうございます。
「読む」・「書く」・「考える」は確かに必要です。
最近の私は、学校勤務中は「教育的な関り」を考えますが…
家に帰ると、
相続税の申告書の書き方を調べ考えながら書き、
準確定申告書を書き(死去した父の確定申告書)
更には、相続不動産の登記の仕方、
及び提出書類を聞いたり調べたり書いたり…です。
落ち着いたら、
「教育」について、
思い考え書くつもりです。
↑↑↑
上記のコメントの中で自由びとは、
「忙しくて教育について考えられない」、
「教育について考えるには忙し過ぎる」、
「落ち着いて教育を考えるには忙し過ぎ」、
「教育について考えるには余裕がない」…
そんなように思ってコメントしている、ようである。
しかし、実生活の私は、朝から晩まで、四六時中、
確定申告の事や相続税の申告書の事、
不動産登記の移転手続きの事を
考えている訳ではない、のである。
なのに、自由びとコメントでは、
忙しくて書けない!言い切っている。
それは、何故なのだろう?
そのコメントは嘘なのか?
それとも、書きたくない言い訳か?
もしかして、書けない事を誤魔化しているのか?
そんな、こんな自由びとの真意は、ひとまず置くとして…
そもそも「忙しい」とか「忙しさ」とは、何なのだろうか?
「忙しい・忙しさ」は、ある状態への思い・感想であろう。
それも、その人の思い・感想である。
私の場合は以下である。
昨年、父が存命中の私には、
「相続税の申告」も「不動産登記の移転手続き」もなく、
「確定申告」もまだまだ先の事であった。
そんな私の日々は、小学校補助員の仕事、
父の介護、その他諸々の日常的な茶飯事であった。
そんな中、父の死亡から、相続の問題の発生である。
また、毎年来るべきモノである確定申告の発生があった。
父の介護も非常に大変になってきていた。
その理由は、父が認知障害から認知症へと進みつつあり、
介護の仕方・心配りが少しずつ大きく変わりつつあったからである。
それでも、介護については、ここ数年で慣れ、まあ何とか出来ていた。
また、確定申告も、父の分、家内の分、
そして私の分の三人分の確定申告は、
ここ十年数年は書き続けているので苦ではない。
仮に、父が生きているならば、今のような、
相続税の申告書も不動産登記の移転手続きといった
初体験の雑事はなかったの、だろう。
私は、今までと比べて「忙しい」と感じているのだろう。
ここから思う事は、私の感じる「忙しさ」とは、
肉体的・時間的なモノでなく、
精神的・認識的なモノである、いう事。
この精神的・認識的とは、
先ずは、『こんな面倒な事、今までなかった!』思い、
または、『ミスると時間がかかるから失敗なくやりたい!』願望であり、
そして、『初体験だ!果たして正しく書けるだろうか?!』心配…でろう。
もし、ここでハッキリと書き方や手順を私が分かっているなら、今の私が感じてい不安・心配・恐れ…等がなく、
精神・認識的「忙しさ」は、皆無に近いのではないだろうか?
精神・認識が、
俺には出来るぞ!やってやろう!的なモノ・状態であれば、
精神・認識は、一本であり、後は行動あるのみであろう。
それを、
やれ~俺に出来るかな?
それ…失敗したらどうしょう?!
これ~期限内では終えない…どうしょう?
認識が、あれやこれや考え感じる事に大忙し、
精神が、あっちこっちのブレブレの大揺れ。
でも身体的・肉体的には、
何を、どうやったら、いいか分からずに、停止状態であろう。
行動・動きとしてはは、ヒマと言えようか…
そんな、私の感じている忙しさとは、
確定申告書においては、
一つ一つの数字を間違う事なく書き、
一つ一つの計算を正確にする事で…。
これは、身体・肉体的忙しさであり、
ここに求められるのは現実の「時間」である。
これに対して、
「相続税の申告書」作り、
「不動産登記の移転手続き書類」作り…は、
時間があれば、作れるモノではなく、
考え方・書き方が分からないと作れないモノ。
その為に、先ずは、考え方・書き方を調べ事から始める。
でも、その以前に、、書き方・調べ方を調べる必要がある。
そして、色々と調べたら以下である。
税務署も法務局も、電話相談があり、
予約制の対面相談もある事が分かった。
更に、市役所では、無料の法律相談や登記相談、
そして税務相談が開催されている事が分かった。
現在の私は、
三人分の確定申告書の作成は一昨日に、
それらの提出は昨日に終わらせた。
残るは、あと四件で、
「相続税の申告書」の作成・提出と
「不動産登記移転の申請書」の作成と提出となった。
以上のように、忙しい今の私事を思い、その忙しさを考えて、
以下のようなに事に気付いた。
人間にとっての「忙しさの二重性」~
一つ、主観的・感情・頭脳的な忙しさ、
一つ、客観的・身体・時間的な忙しさ、である。
そもそも二重化とは、人間だけが可能なモノである。
(可能であっても…誰もが出来るとは限らない)
その理由は、
人間には、本能と認識の二つがあるから、
または、心と頭があるから…である。
そんな人間に求められるモノとは…
それは、本能を認識に従わせる事。
そして、認識を本能に従わせる事。
それも、
生命体としての人間、
動物体としての人間、
哺乳類としての人間、として
環境・周囲に即して
正しく従わせる事である。
「忙しい」からと言って、
飲まず
食わず
動かず
眠らず…
では、忙しさに殺されてしまう事になってしまうのだろう、から…。