月研ぎさんのコメント~とても刺激になります。
その刺激とは、以下のようなモノです。
全く分からないのに…
正直に分からないと書くと、見離れされそう…
だから書きたい!
でも…書こうにも、分からないから書けない!
それでも書かねば…先へ進めない!先はない!
これが、刺激とは何故?
それは、のんびりと落ち着いている私の認識への変化・運動を求めているからです。
私は、月研ぎさんのコメントを、私への要望・期待と認識しています。
だから、私は私の認識を月研ぎさんのコメントへ重ねられるモノ化したく思っています。
さて~具体的に書けば以下です。
今回のコメント「繋ぐ=交換 (月研ぎ)」で、私は私の失念に気付かされました。
それは、南郷継正が『夢講義(3)』で書いている以下の記述です。
「武道のなかの武技を教えるということを先生と弟子の2人を用いて「武技を教える」像と「武技を教わる」像とで、言語表現と武技の表現で同じことがまったく違ったこととして現象させられるという「過程的構造」・「構造の過程」を、「直接的同一性」として説いてくれたものだったのです。」
「具体的には、先生は自分の頭の中の像を武技の形とその武技の形の言語表現とを用いて弟子に伝えようとするのであるが、弟子の方は見事なくらい武技の形も言語表現も像として伝わってはいかないという、なんともすばらしい「武技に関わっての認識と言語の具体的交通関係がなぜうまくいかないのか」の説明だったのです。」
しかも…この記述を失念していただけではなく、
この言葉の像化ができ難い事にも気付かされました。
でも…私は別の所に書かれた、その事の記述を確りと記憶していました。
それは、一つは、私がメモっている「師範御講義」の記録ノートに書かれた師範の言葉。
もう一つは、「学城」の何れかの号に書かれている、その記録です。
今朝、探しました、二階の本棚を!
玄和会の現役時代の練習ノートの確認をしたのですが…
その記録は見つけられず…取り敢えずは断念しました。
でも…「学城」の記述は見つけました。
それは、第六号の本田克也「海保静子が残してくれた未来への手紙」のP38、
『これが歴史上初めての「認識は脳の描く像である」ことの証明でもあったのである。』
から始まる記述です。
その要点は以下だ、と私は認識しました。
P39~
……しかし、海保静子は、その指導場面からは少なくとも指導者Aとしての自分の立場で描いた像と、Bの立場に立って描いた像があり、一方、被指導者Bとしても同様に、自分の立場で描いた像と、Aの立場に立って描いた像との二重の像があり、それぞれの像が異なっていることこそが問題なのである、ということをまさに絵として描き出しながら説かれていったのであった。……
今、再読して、分かっていると思っていたのに…実は分かっていない部分に気付いた。
それは「…それぞれの像が異なっている…」部分である。
これは、「A(とB)の二重の像のそれぞれ」なのか?
それとも、「Aの(二重)像とBの(二重)像」なのか?
その説明が、P38からP39までに書かれている。
指導者Aが、被指導者Bの姿形から
『Bは言われた通りにやっていない!』という像を描いたのに…
その事を言葉にして確認せず指導を続け……
その像を言葉で確認した所、
Bは「言われた通りにやっている」と返答。
これは、
指導者Aの言葉・武技を聞き視ていても、
被指導者Bには、Aの認識・像の通りには像化・認識できていなかった。
それなのに…Bは、Aの言ってる見せている型の通りに、やっている、と認識している。
その究極的な像の相違とは、
指導者は『教えている通りではない』であり、
被指導者は『教えてもらっている通りである』なのである。
この問題の解決は、指導者が自身の像を言語化する事。
それも、指導者の中の自分像と相手像の相違を表現する事である。
同時に指導者は、その相違の理由・原因を自らに問い続ける事。
「過程的構造」とは、
一つ、指導者も被指導者も、像の相違のままに進む指導か?
または、逐一像の一致を求めて、進められている指導か?
「構造の過程」とは、
個々の相違の一致への取り組み。
「やっていない!」と「やっている!」の解決・統一。
「力が入っていない、入れろ!」と「入れている!」の統一・解決。
上達論的な指導での~
「過程的構造」とは、
指導過程で逐一、指導者は正しく指導する為に、
自己の認識・像の表現を実践する。
「構造の過程」とは、
指導者は、自分像と相手像の統一の為の適切・可能・有効な表現を探し出す過程。
私が忘れていたモノ・コト…
それらを想い出してみる作業は結構辛いモノがある。
それでも、過去の事実の再確認は非常に有益である。
今回は、1994年代の練習ノートにざっと目を通してみた。
そこには、万年筆で今の私には書けないような丁寧な文字が並んでいた。
そして大会や講習会でも、数々の師範講義の記録、
今日は当時では、思ってもいなかった(だろう)想いを抱いている。
最近は、
日常の忙しさからか…
不精な性格からか…
大志を忘れてしまったからか…
なかなか空手、武道、を想う機会がない、
ように思えている私である。
これを機会に、過去の記録から師範の御講義の振り返りをしたいモノである。
でもでも…家内と親父、そして私の三人分の確定申告書を書かねば…
私は、私の内界・認識世界に没頭したくとも…
その時々に厳しい現実が私を現実へ引き戻している。
もっとも…引き戻しているのも現実ではなく私なのだが…
参考コメント
「地図」について~
2018-01-27 09:05:01
繋ぐ=交換 (月研ぎ)
2018-01-27 13:58:56
「地図」の過程的構造の一つは、はっきりしました。
では「地図」の、次の段階は何か。
自由びとさんの、「繋ぎ」という問題の立て方が面白いと私は言いました。
問題は、「地図」が、他人の持っている「地図」と、つなげられるかどうか、ということなのです。
そう、繋ぐ=交換できるかどうか、なのです。
「道」(地図)を尋ねられて、一生懸命教えたのに、わかからなかったという場合、いったいそこでは何が起こっていたのでしょうか。
そこでは二人の持つ「地図」の作り方が、かみ合わず、「地図の交換」「ができなかったからなのです。
教える=教えられるという師弟の関係は、師の持っている「地図」と、弟子の持っている「地図」が、繋がっていくところに、成立するものなのです。
こういえば、たちどころに、自由びとさんは、ピンとくるはずです。
南郷継正と海保静子の師弟関係に。
三浦つとむさんの弟子である南郷継正さんは、三浦つとむさんの『認識と言語の理論1』をいくら読んでも、「認識とは何か」がまるで全く分かりませんでした。
ところがある日、海保静子さんの講義を聞いて、南郷継正さんはひっくり返るほど驚愕します。
南郷継正さんの専門である、「武道の指導方法について!」の海保静子さんの講義が、まさしく「認識とはなにか」の像の展開だったからです。
そこを南郷継正さんは『夢講義(3)』で、こう書いています。
「武道のなかの武技を教えるということを先生と弟子の2人を用いて「武技を教える」像と「武技を教わる」像とで、言語表現と武技の表現で同じことがまったく違ったこととして現象させられるという「過程的構造」・「構造の過程」を、「直接的同一性」として説いてくれたものだったのです。」
「具体的には、先生は自分の頭の中の像を武技の形とその武技の形の言語表現とを用いて弟子に伝えようとするのであるが、弟子の方は見事なくらい武技の形も言語表現も像として伝わってはいかないという、なんともすばらしい「武技に関わっての認識と言語の具体的交通関係がなぜうまくいかないのか」の説明だったのです。」
南郷継正さんの先生である三浦つとむさんは、「認識論」を、「認識の発展」から始めます。
それは「認識とは何か」から書くだけの実力がなかったからなのです。