新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「嘘と本当」の話

2024-10-06 11:08:24 | 「わたし事・学」
「嘘と本当」の話


神を信じ込んでいる人物にとっての神は、確かに存在している。
それは、現実界での神ではなくても、彼の認識の中に観念化された観念的な神であろう。

そんな彼が語る神の御言葉は、彼にとっては本当の神の言葉。
しかし、神を信じていない人々取っては、
その神は彼の妄想であり、その言葉は彼の妄言であり、決して神の言葉ではない。
過去の多くの教祖は、自分を神とは言わず、預言者・神の御言葉伝道師…と言っていたらしい…


他人の嘘も、信じれきれれば、それは本当。
他人の本当も、信じられないなら、それは嘘。
嘘と本当は、信じ切れるか・否かの相違?!


ならば、その信じ切れる・信じ切れない理由・根拠は何か?
何故に「信じ切れるか?」or「何故に信じられないか?」
その判断基準・方法・理由・根拠は?


一つ、感性・感情的に信じ切れる・切れない!
一つ、論理・理論的・理屈で理性・知性的に信じ切れる・切れない!


私にとっての死後の世界は、
理性的・論理的に考えて、その存在は信じられない、ありえない。
でも、感性・感情的に思った時、あったらいいな!そんな世界!

ならば、死後の世界ない!と確信していても、あると信じて損はない!(心安らぐ得がある)


では、神の存在は?
私は、理性的に、神の存在を信じない!
では、感性的にはどうか?
神に頼み事をしても、神は、何もしてくれない!
神が世界を創ったとしても、それは人類の為に世界を創った訳ではない…
人類の為に、神が何かしてくれる筈がない。

神を信じても信じなくても、自分の人生は変わらない!
何もしてくれない神を信じて何かいい事はあるのだろうか?

神に頼れば安心!苦しい時は神が助けてくれる…ならば、
それでも、苦しい人間が存在するのは理屈に合わない。
神は信じる者を助けるなら、何故に信じても救われない人間がいるのか?


ならば、「神は嘘」か?
違う!「神は信じる者の中に存在している」
信じて救われたのは~
自分の中の神を信じる事で、自分で自身を信じて、自力で救った…
神を信じるとは、自分自身の信じている神の存在観念的に創像して信じる事。


神を信じ切っている者の「神」は、確かに、彼・彼女の中に存在している。
その神の存在は、彼・彼女の主観的事実・本当でも…
彼・彼女の神を信じていない人々には、取っては…ただの妄想・妄言レベルの「嘘」!


現実界の現実的な本当・嘘。
観念界の観念的な本当・嘘。

本当・嘘の二重性









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