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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

ドゥルガーお宅へ

2022-01-12 16:47:16 | 想いのままに…
ドゥルガーお宅へ


一番下に転写してあるお宅コメントへの私コメントです。
長文は、目が頭が疲労困憊して読みたくないようなので…

今回は短くいきましょう!

初めに以下の一言!

今回の宅コメントの始まりの言葉 
>今の自分に満足、というのはそれも貴兄が南郷さんから言われたことですか?
前回の私コメントの終わりの言葉 
<「今のお宅に満足していたら、将来もずっと今のお宅のままですよ。」と書いてあります。


以下のお宅コメントの全てが、独りよがりの超主観的な記述です。
そんな主観的な文面は、どうぞ御お宅の自身のブログやって!

以下の記述は、お宅は読み飛ばして結構です。
私の論理的・弁証法的…の自学・自習なので…





>▼ コメント ────

>・コメントが届いた記事
>続・続・続お宅コメントへの私コメント~

>・コメントを書いた人
>ドゥルガー

>・コメント



>今の自分に満足、というのはそれも貴兄が南郷さんから言われたことですか?

私の前回コメント
「今のお宅に満足していたら、将来もずっと今のお宅のままですよ。」
「お宅は若者だそうですから、今のお宅のまま老人!なんて大変!」





>私は既に述べたように師について武術の稽古をしていますし、自分独りで完結しない環境を持っているということが自分を成長させる秘訣だと思っていますけど?

私コメント

「自分独りよがりで…完結しない」とは弁証法的な私からすれば、笑止千万!ですよ。
人は「自分の能力の範囲内でしか対象を理解できない」というからショウガないでショウガ~

環境が全てでなく、その中での自己の認識・意識の持ち方が最重要事項です。
「自分独りよがりで完結しない環境」…と思った時点で「完結しない」と完結しています。



>確かに私は昨日のコメントを書いて「なかなか上手いこと書けたな」と満足したところがありましたね。でも、そんなことは貴兄が言ったように直ぐに忘れる私のことですからいつまでも覚えていたりはしないもんです。


私コメント

ほ~ヤッパリ>「なかなか上手いこと書けたな」と満足、でしたか…

私が思うに、弁証法への道を目指す以前の若かりし頃の南郷氏なら…
お宅書いているような思いがあったのかも知れません(私はない…と思いますが…)
それでも、最終的には「弁証法を求め」、「弁証法への道」を歩み始めたら以後は、
仮にあったとしても、お宅のように「…忘れた…」でしょうね。




>先生の所へ稽古に行けば自分の欠点ばかりが露わになりますから余り満足感に浸る余裕はないですね。
それに南郷流もそうでしょうけど長年修業を続けてきた先生や兄弟子の動きは桁違いですから、自分に満足する機会がないですよ。

私コメント~

お宅は私の言葉を誤解しています。
私の指摘している「独りよがり」は、
他人の記述・言葉に対する「お宅の独りよがり」理解・誤解・解釈の事です。

お宅を知らない私が、お宅の日頃の行動・行為が「独りよがり」であるか否を分かる筈ないでしょう。
このように、私の指摘している言葉・「独りよがり」の中身・内容を
お宅は「お宅の現実生活の事」だと、自分勝手に思っている事が、
私のしている⇒「独りよがり」のお宅の姿なのでよす。


更に書けば「自分は独りよがり」ではない…断言できる事が問題なのです。
一般的に言って、テスト終了時に「大丈夫満点取れる!と信じている学生程、
満点は取れないモノです。
真の実力者は「あの…問題は間違えかも?」と自信・確信が持てないモノですよ。
や~い!ヤッパリ、こんな言動が「独りよがりお宅」の姿です。



>それに学問は学問で、また師がいます。自分独りの独学で何かを成し遂げられるような器だと思ってませんから、ちゃんと師弟関係を結んでるんですよ。


私コメント~
私が、お宅の記述・言葉を読んで、確実に自信を持って断言できるのは、
お宅の思い考えている「学問」と南郷氏の学問は全く別物、という事です。





>それから貴兄からも指摘されましたけど、私も相当に昔読んだ『武道の理論』を想起しながら即興で武道論を語ってみましたけど、あらためて現代社のホームページで目次を確認したら、昨日説いたのは南郷さんの武道論ではなく「私の武道論」だったみたいですね。

私コメント~
ほ~それは、それは、良かったですね。
あれ程、私が「南郷氏の武道の定義」だと見飽きる程に繰り返し書いていたのに…
やっとですか…
これは、私との繰り返しやり取りの中で「武道」に対する「お宅の独りよがり」が判明した、と言う証ですね。
これ程に「独りよがり」とは、納得・分かり得ないモノなのですよ。



>私は自分が好きで武術を学んではいますけれど、貴兄もチラッと述べた通り現代の治安がいい日本では安全な場所を選んで生活している限り武道や護身術は必須のものだとは思いませんからね。
武術の嗜みがあればそれを使って何かすることのできる状況でも、武術や護身術の嗜みの無い人はまた別の方法で回避することを可能とするものですから。

私コメント~

ほらほら…またまた「独りよがり」コメント~

「治安がいい日本の安全な場所」とは、どこ事ですか?
普通の昼間の電車内は「安全な場所」ではないのですか?
そこで、大勢の一般人が死にそうな目にあった事実があるのですよ!


>前回の貴兄のコメントから貴兄は南郷さんに私淑しながらも玄和会の空手を学んではいない人、例えば学校関係の人だということですから関西の××さんあたりじゃないかと考えたんですが如何でしょう?


私コメント~

「独りよがり」の妄想を、ここでは、書かないで下さい。
それそれ…これも、またまた「独りよがり」の証・言説。




>というのも「武器さえあれば空手も柔道も必要なくなる」というニュアンスのことを書いていましたでしょう?南郷流にしろ他の空手でも柔術でも合気道でも、武器を使う場合にしろ「体術」は重要で、体術の上に武器を持っていくと思いますから「空手も柔道も必要ない」という表現にはならないのではないかと思ったんですね。
そこが「武技を用いた」という南郷さんの表現と、自由びとさんの「武器を用いた」という表現との差異ではないか、と。

私コメント~

これは、昔に本で読んだ「喧嘩の達人」の行動・行為です。
それに、日常生活で危険に瀕した場合に素手での護身は危険です。



>それに、自由びとさんの記述で気になったのは鉛筆を武器にするという所です。やった事ないので想像力が働かないんですけど、鉛筆って木製でしょう?ちょっと筆圧強くしただけで芯も折れちゃいますし、本体も折れちゃいますでしょう?
至近距離から目だとかにピンポイントで刺すなら兎も角も、護身具として成立するのかな?って。
私も懇意にしている先生から小型の携帯護身具だとか教えて貰うんですけど、やっぱり金属製が多いですよね。相手も必死で抵抗するわけですから、そこに加わる力に耐えられるような強度をもった。

私コメント~

ヤッパリ、お宅の想像力は、非弁証法的ですよ。
鋭く削って尖った鉛筆なら、骨は無理でも、掌や太ももを顔・頬…等ならかなり痛みを与えられます。
倒すのではなく、ダメージを与えて、その隙に逃げるが勝ちです(護身の場合)



>例えば、玄和の組手スタイルのように遠い距離から高速移動してくる相手の急所だけを的確に突けるんですかね?


私コメント~

お宅は、南郷氏の著作の何を読み取っているのですか?
あれは、上達論に基づいての「遠いい距離」から、自分の攻撃の間合いを創る為の稽古です。


その台詞から、昔に空手部の後輩が実践的な道場で空手を習ってしーいましたが…
その道場の師範曰く
「本番・勝負・喧嘩…では準備運動もする余裕はないだろうから練習前の準備運動も不要」ですって…
これって変だと思いませんか?
準備練習なしで、激しい稽古して怪我でもしたら、どうなの?

もつとも…この言葉が
「いつでも、どこでも、準備運動なしで全力を出せる身体状態の維持を心がけよ」とかなら…納得ですが…




>でも、南郷さんの発言を正確にトレースしようとする姿勢には感じ入る所が有りました。『自由學藝』の著者さんたちもそうした志向性で本を作っているみたいでしたしね。

私コメント~

「、南郷さんの発言を正確にトレースしようとする姿勢」…
「トレース」ですか…これも「独りよがり」コメントですね。

確かに現象・言葉としては、そのように見える・思える場合もあるでしょうが…
でも、その目的・意識が「トレース」では、ありません。

私の求めているのは、その言葉を発する認識・構造なのです。
出来るだけ言葉と同様な事実・体験を求め、
それを通して、その時の感情の確認をしたいだけです。


↑~
お宅の記述・コメント結局は~
真面目に、読めば読む程に、私の中の「独りよがり」お宅像が鮮明化してきています。





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Change of the place, Change of the brain.

2021-11-27 12:14:14 | 想いのままに…
Change of the place, Change of the brain.



「Change of the place 」と「Change the place,」の違いは?

「Change of the place」とは、「ある場所の中での移動」であり、
「Change the place」とは、「ある場所から別の場所への移動・変更」である。


地球上の生命体は、どんなに強く欲しても~
まだ今の所、地球以外の場所での長期生存は不能であろう…





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臨済義玄へ~

2021-11-10 11:03:13 | 想いのままに…



>・コメントを書いた人
>臨済義玄


>コメント
>本当に心からの素直な問いかけをしたいと思います。
↑~
お宅の「(心の)素直な問い掛け」を、赤の他人である自由びとブログで言語化・コメントするなら、
その「素直な問い掛け」心に従って素直(馬鹿正直)に書く事は、社会的ではありません。
なので…少々コメントの××をさせて頂きます。


>もしもお宅が学問を学びたいと思ったなら、それも最高レベルに高いところまで行きたいと願ったなら、東京大学の教授と公園の乞食と、どちらに教えを乞いますか?


私の学びたいのは、人生を自由自在に生き抜く為の認識(形成の方法)です。
なので、東京大学の教授の教えは、私には不要です。
それより公園のホームレスに、その体験を聞いた方がよっぽど役立つと思います。
そうそう…思い出しましたよ!
昔、早朝のうす暗い公園散歩の途中に出会った、山羊を掘っ建て小屋の前で飼っていたホームレスと話した時の事を…
色々と人生勉強になりましたよ。なんでも…田舎(地名忘却)建築関係の仕事をしていて…色々あって東京へ出てきた…そうです。
話した内容は忘れても、彼と話して時の感情・思い…像にならない感情像は浮かんできました。
大学教授と話しても、数十年経てば、聞いた知識も話した時の感情も残っていないでしょうね。

南郷氏の学問・哲学・認識論・弁証法・武道空手・武道護身空手…には、私の学びたいモノがあります。
因みに…最近の通常級の補助員としての日々の生活は、随分と充実してきましたよ。
これも、弁証法の人生で修得・実践の効果ですかね…
なんて書くと…嘘つきのお宅なら、「嘘!空虚!」…信じないでしょうが…
でも…まあ……これは私だけの、私が感じた実感でから…

これって…お宅の妄想と同類でしょうかね。
でも、仮に「妄想」だとしても…それが現実をより豊かに、楽しいモノに、充実あるモノ、子供達も喜んで「○○先生!」と声掛け寄って来る現実になっているのです…




>南郷さんは「専門家とは現場の鳶職でなくて丹下健三や黒川紀章のような存在」だと書いてます。それは素直に首肯できるんです。
ですが、お宅がやってる「教員補助」という仕事、これは人生を目的意識的に生きた人間の選ぶ仕事ですか?

お宅には、以下の現実が分からないでしょうが…

私立教諭としてみた通常児教育世界、パチンコ学校の生徒としてみた大人教育世界、パチンコ経営者・従業員教育から見た教育世界、塾の講師として見た外国人教育の世界、家庭教師としてみた個別教育世界、特別支援学級の補助員としてみた、自閉症児の教育世界、情緒障害児の教育世界、…更には、教員としてみた教師の世界、生徒としてみた先生の態度・世界、補助員としてみた保護者の世界…書ききれないので…以上…


そんな教育者の心・世界、被教育者の心・世界から「人間というモノが見えてきました」
教育過程とは、人と人との成長へ向かってのぶつかり合い…過程ですからね…


>「人生を目的意識的に生きた人間の選ぶ仕事ですか?」

お宅は、私の人生の目的意識を知っていますか?
知らないでしょう!

私の目的は、人生を自由自在に生き抜く事です。
それは、教員としての人生でもなく、商売人の人生でもなく、遊び人の人生でも…ないのです。
いうなれば、どんな世界でも、周囲に合わせての自分の納得可能な自由であり自在なのです。

私の目的意識を知らず、この問いかけは、無謀ですね。

私なら、「そのような生き方をしている人の目的意識とは?」と問います。
この、お宅の問い掛けは、
「自由びとの目的意識を知らないのに知っているつもり」の結果ですね。。






>どうして「歴史性ある人間」との玄和会の理念を学んだお宅が、義務教育の教員補助なんて仕事をしてるんですか?

お宅は、玄和会の理念を知っていますか?
「主体性の確立」と「主体的に生き抜く」ですよ!
主体性を持って、人から言われてではなく、自分から進んで実行・行動…ですよ。

今のお宅のような問い掛け・コメント…ネットでだらだらと…
他人の記事・仕事・生活にまで一々問いかける記述は…
私からすれば、お宅の思って書いている「乞食以下」ですよ。



>それは例えば、××の××さんが××大学で××免許は取ったものの、××の稽古にばかり熱を入れていたので、いざ必要に迫られて就職しようとしたなら義務教育の教員補助にしかなれなかったということじゃないんですか?

↑~
このような他人の名前での例えは、私的には削除ですが…

まあ~あまりにも馬鹿らしいの削除までは止めました。

これは、お宅の妄想的・超個性的な問い掛けですね。
違う理由は、詳しくは個人情報なので書きませんが…

私は学校に就職してから教員免許を取りました。
初めの大学では教職課程を取りません。
入学時の私の目的意識と卒業時の目的意識とでは大きな違いがありました。


仮に上記のような「心の問いが素直に浮かんだ」としても、
常識・良識なる普通の人なら、お宅のような言葉にはしませんね。
ヤッパリお宅は、常識・良識も全くない非常識・良識皆無お宅ですね。


>それだったら、他流の空手家のように道場経営のプロとして名前を挙げたほうが一人の人間の生き様として見事だと思いませんか?
「実際にやり合ったら一撃で殺せる」とか情けない生き方するよりも。

常識も良識もないお宅に、超個性的なお宅には、
普通のまともな人間の目的意識は分らないようですね……
それを分かったつもりで書くから、
上記のような問い掛けになり得るのです。

>「実際にやり合ったら一撃で殺せる」とか情けない生き方するよりも。<

全く分かっていませんね。
「実体に…殺せる」は非常識です。
現代の大人の常識発言なら「一発で倒せる」です。

また、これは生き方ではありません。
弱かった自分が「一発で倒せる」になる程実力を修業・修行を通して養成・形成した、
その精神力を信じ、自信と誇りを持って人生を生き抜く事が生き方ですかね。




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続・臨済義玄お宅へ

2021-10-27 09:36:56 | 想いのままに…
以下は、下の方に載せている記事「臨済義玄お宅へ~」への
臨済義玄お宅コメントに対する自由びと記述である。



>私は自由びとさんが述べるように実際の玄和会に入会したことは有りませんし、実際の南郷さんにもお会いしたことはありません。ですが、「執筆者、学者、研究者」としての仕事は「論文、著作物」として世に問われたものを検討することで十分だとも思っています。

南郷氏の「世に問われたものを検証する」事で、そこに書かれた事を知る事できても自分の生活で生かせるとは限りません。
例えお宅が、「南郷氏なら、○○場合は××するだろう」と思ったとしても…
それは、お宅の思った南郷氏の言動の妄想であり、決して現実の南郷氏のモノでありません。
結局、その行為は「虎の威を借る狐」的モノに過ぎません。

「その知識があれば、それができる」とは限りません。
「空手の写真・本で学び知り得た技で相手を倒せる」モノでしょうか?


>ですから、私が自由びとさんの発言したものを読んで「玄和会や南郷さんが今まで公に発表したものから顧みたならば、自由びとさんのような思考にはならないはずだ」ということも「どの著作のどこを読んだら、そのように判断できるのか」をキチンと引用して示すことが可能です。

ほ~ほ…「引用」とは…
南郷氏の著書に「自由びとが○○したら、それは××!」
と具体的に書かれているのですか?

これも結局は、南郷氏記述を読んでお宅的に理解・解釈し、
その結果お宅の観念・認識で思考し検討した結果・行為・言動なのです。
そもそも…
南郷氏と私の関係を正しく認識していないお宅に、
南郷氏の具体的な私への声掛け分かるとは思えません。




>泣いて馬謖を」というと私を有り難くも?支配下だと考えていただいてるようですが…


>…「泣いて馬謖を」…
これと「断腸の思い」とで…悩みました。
今回の私心の痛みは、「臣下を斬る」と「自身の肉体を断つ」、どちらの痛みに近いか?
と考えた時、それは「断腸」ではないと感じ、「泣いて馬謖を斬る」にしました。


>……そのように玄和会という空手団体は「文武両道」を掲げていたと思われる中、自由びとさんにはそれにそぐわない発言ばかりで不思議に思っているのは間違いありませんよ。

それは、お宅が「玄和会の文武両道」をお宅的に理解しているから…
または、自由びとの記述を論理的に理解できないお宅だから…
または、自己の認識をお宅にでも分かるように書けていない自由びとだから…


>あと、やっぱり自由びとさんが奥さんから「常識」と言われて取った行動は「珍しい、奇妙な現象」として考察の対象とすべき話しで、私と嫁さんとの関わり如何の話しじゃないと思います。全く関係ない話しですよ(笑)

ヤッパリ!自由びとの行動の真意が分かっていない…
世の中には「アンケート調査」といモノがあります。

例えば、「ヤバい」の意味について、

現代では、二通りの意味・解釈があります。
それは、「危ない(悪い事)」と「凄い(良い事)」です。

では、現実・社会では、
どちらが一般的に使われているかを知る為に
「アンケート調査」をしたそうです(テレビで言っていた)。
その結果、
若者は、「これ、(美味しくて)ヤバい!」
年寄は、「それは(怪我するから)ヤバい!」



「ヤバい」は現代社会では言葉「日常用語」として誰もが知っている常識。
「ヤバい」の意味に二通りあるという事については誰もが知っている常識or知らない非常識
そこで「アンケート調査」をテレビでは実行。

結果、「ヤバい」を日常会話として使えていても。
その意味は、大きく二つに分かれしまっている…
この事は、「アンケート調査」があったから確認できた。

家内は「普請」は常識と思う…
でも、私は常識とは思わない…
どちらが正しいか?
「言葉を言葉で小学生を教育している教員十人にアンゲート調査した」
これの行動のどこが>「珍しい、奇妙な現象」…?!なの。

この「珍しい、奇妙な現象」というお宅の言葉は、
物事を表面的に観るだけで論理的に観られない証…
また、自由びと言説を色眼鏡で見ている証…ですね。


更にお宅には大きな誤解が…
上記のような「アンケート調査と嫁さん」が無関係なのは当然です。
そこへ至る過程が「お宅と嫁さん」に関係する…のです。
それは、他人の夫婦関係から、自分の夫婦関係を考える…という事です。


そもそも…元々他人が共同生活をしている夫婦間にトラブル・喧嘩…なし!はあり得ません。
世に言う「喧嘩する程と仲が良い」とか、「夫婦喧嘩は犬も食わない」とか、
夫婦は日常での些細なトラブル・口論を通して相互理解が深まっていくモノなのです。
それを愛して…何も問題なし…とは…
それは虚偽の事実!
鈍感で妻の不満に気付けない!
家庭内別居!
仮面夫婦!

合宿の意義は、
互いに間違いを指摘し合う事による互いの成長・向上・上達。
夫婦の同じです。それを愛し合っていて何もトラブルがない!
臨済義玄お宅って…本当の夫婦生活を体験していませんね!

年齢詐称に夫婦偽装…
臨済義玄お宅の思いは真実でも、
事実として書かれている記述は虚偽ですね。




以下は、そのコメントである。
約束通りに、所々記述を「×××」で抹殺している。
(「南郷さん」の××は全体的に意味不明になり得るので却下)


コメントを書いた人
臨済義玄

・コメント
自由びとさんには自由びとさんの、私とは独立したお考えがあるのは当然ですよね。
ですが、私にも私の考えがあるわけです。

私は自由びとさんが述べたような「南郷さんが著書で書いている枯枝諸侯」ではありません。南郷さんが『試行』に「枯枝諸侯」について発表した時期から計算すると、そう呼ばれた過去の玄和会員は少なくとも70歳以上のご高齢のはずですから。

私は自由びとさんが述べるように実際の玄和会に入会したことは有りませんし、実際の南郷さんにもお会いしたことはありません。ですが、「執筆者、学者、研究者」としての仕事は「論文、著作物」として世に問われたものを検討することで十分だとも思っています。

ですから、私が自由びとさんの発言したものを読んで「玄和会や南郷さんが今まで公に発表したものから顧みたならば、自由びとさんのような思考にはならないはずだ」ということも「どの著作のどこを読んだら、そのように判断できるのか」をキチンと引用して示すことが可能です。

私はコロナ禍で行動が制限されている中、自由びとさんのブログに目を通すことを介して、逆に南郷さんの『武道講義』にある一文一文が恰も「金言」であるかに反映されてきた面があるのです。

そう、それは「人間は精神であるから自らを尊敬すべきである」との発言が、自由びとさんの空虚な空っぽの言葉によってもたらされる「虚しさ」と対比されて得心されたのです。

私は自由びとさんの実態に関して二つの仮説を持っています。一つは玄和会総長である×××さん、もう一人は南郷さんに憧れて私淑している関西の×××さん。

××さんについては××さんと××さんの弁証法講座から破門になったという逸話と、××××さんから玄和会を破門にされたという逸話との共通性から思いついたのですけどね。

××××さんについては鷹?のサイトから閃いたことがあるのですが、どちらの仮説にしても決めつけているわけでありません。

「泣いて馬謖を」というと私を有り難くも?支配下だと考えていただいてるようですが、私の所属している団体の手前、「客人」くらいにしといて貰いたいと思います。

もしも貴兄が本当に×××さんならば、その実際の動きは私を唸らせて尊敬心を抱かせる力を持っているかも知れません。しかし、「今ここ!」で自由びととして書かれた文章は何らの尊敬を抱かせるものは無く空虚です。

それは正しく『武道講義』第一巻で引用されている「もし自由の身でおいでだったら」「なにもできなかったことだろうよ。」という自由びとの自由びとたる自由さが空虚にしているのかも知れませんね。

私がここで挙げた玄和会員の名前は元会員でなければ知らない類の名前ではなく、どれも『学城』の執筆者として名前が世に出ている人ばかりです。
そして、その名前で検索するならば日本社会で立派に仕事をしている、特に「他者を教育・指導する立場にいる」そのような人物が玄和会からは輩出されているのだと了解されるだけでも名前を挙げることに意味はあると思いますけどね。もっとも、玄和会以外の武道団体からも、そうした人物は輩出されていますけど。

そのように玄和会という空手団体は「文武両道」を掲げていたと思われる中、自由びとさんにはそれにそぐわない発言ばかりで不思議に思っているのは間違いありませんよ。

まあ、自由びとさんからのお願いですから少し考えておきますけど、しかしこのブログは与えることが無いかわりに「やってはいけない」という戒律ばかりが多いんですよね。そこも私には他団体の人間として興味があるんですよ。もっとも、私も私の団体の中では普通に戒律を守っていて、団体と一体となってるから何も感じないだけかも知れませんけど。

あと、やっぱり自由びとさんが奥さんから「常識」と言われて取った行動は「珍しい、奇妙な現象」として考察の対象とすべき話しで、私と嫁さんとの関わり如何の話しじゃないと思います。全く関係ない話しですよ(笑)
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臨済義玄お宅へ~

2021-10-25 21:37:54 | 想いのままに…


臨済義玄お宅殿

日頃からのお宅のブログ愛読には、とても嬉しいモノがあります。
自由びとのレスが間に合わない程のスピード連続コメント投稿・熱意にも脱帽です。

ただ…ここでお願いがあります。
臨済義玄お宅自身の勝手な思い・考え・妄想…を、
玄和会関係者・南郷師範…に関係付けて書かないでい頂きたい。

以下のようなコメントのような…
>本当に玄和会の「心ある会員」がここに居たならば…<とか、
>南郷さんが弟子を叱責する時に使う台詞…<とか…

その理由は、
現実の玄和会を知らないお宅に、
玄和会員、南郷師範…の言動・思考…
を分かり得る訳ないから、である。


もっとも…
臨済義玄お宅が、元・玄和会幹部で、
南郷氏の著書に書かれている「枯れ枝諸侯」であるなら…
少々話は違ってきますが…

それでも、仮に「枯れ枝諸侯」であったとしても…
枯れ枝諸侯お宅の在籍していた時代と今とでは、
名称は同じ「玄和会」でも、
その中身・内実に大いなる相違があるだろうから…
ヤッパリ止めて頂きたい。

そんなこんなで…今後~
お宅が知り得ている玄和会関係者の名前を使って、
お宅の思い・考え・妄想を書かないで頂きたい!

これは、お願いであると同時に警告でもある。
この願いが聞き入れて頂けないなら、
「泣いて馬謖を切る」思いで抹殺・消去するであろう。

ほぼほぼ…
たった一人の愛読者を失うのは非常に心苦しく、
寂しい想いでイッパイではあるにはあるが…



追伸~

以下の記述~
ヤッパリ事実と論理の区別と連関が分からないね♪♪♪

>>お宅の家庭の事実で説くのが

>私は嫁さんを心から愛し大切にしてますから、自由びとさんとのコメントに登場させることは無いですよ。

「嫁さんを…コメントに登場させこと」ではなく、
「心から愛する嫁さん」と旦那でおるお宅との日々の関わり中での実感した事実を
論理レベルの弁証法でを説くのです。

それは、
他人同士の会話・議論と家族同士の会話・議論…の相違から、
発生するだろう量質転化化の相違、相互浸透の相違、否定の否定の相違…
そこから弁証法の三法則の像が、より鮮明・明確・になり得る過程的論理を~




・コメントを書いた人
臨済義玄

・コメント
>「極めて個性的」などと
私は努めて穏当な表現をしたつもりですけどね。

私はやんわりと書いていますけど、本当に玄和会の「心ある会員」がここに居たならば「お前はバカかトンマだ!」という南郷さんが弟子を叱責する時に使う台詞を私が自由びとさんに向かって発したとて、至って仕方ないことだと納得してもらえるはずですよ。

私はその根拠を徹底的に述べていますし、本当に南郷さんの門下から貴兄のような会員が育成されたこと自体が全くもって不思議なことなんですよね。
おそらくは玄和会の上達システムから貴兄のような思考癖の人間が育成される必然性は無く、貴兄は突然変異的に出現した変態か、あるいは玄和会入門以前から今のような思考癖を持ち合わせていたか、のどちらかではないか?と考察してますけどね。


>お宅の家庭の事実で説くのが

私は嫁さんを心から愛し大切にしてますから、自由びとさんとのコメントに登場させることは無いですよ。



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