新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「続・『人は文なり』というが…」へのコメントについて…

2021-10-16 11:22:43 | 言葉の概念


以下は、『続・「人はなり」というが…』へのコメントである。


Unknown (Unknown)
2021-10-13 15:51:40
>お宅=老人

私の記述をシッカリ読んでないみたいですね。
高校を卒業して5年が過ぎたと書いたでしょう。

時間は流れているのですよ。時間が流れて年齢を重ねたからといって、どこまで重ねたから別問題。

一気に「唯物=物質だけの世界」に飛翔するお宅らしい勘違いです。


このお宅は分っていない~
「…書いている」からと言って事実とは限らない。
例え、どんな人間も「嘘を吐かない」者はいない。
ましてや…「きけい」の変換ミスを「誤植」と書いているお宅…
このお宅の言葉なら、なおさら信じられないだろう。

そもそも「誤植(ごしょく)とは、
印刷物における文字や数字、記号などの誤りのこと。」であるなら…

ここネットの記述を「印刷物」言えるだろうか?
印刷物なら一度に大量に印刷するから、一つ一つの訂正は大変であろう。
しかし、パソコンの文字なら訂正は容易であるのに…
このお宅は「…訂正するのを忘れて送信してしまった…」と書いている。
これが、一回なら「忘れてしまった…」であり得ても、
数回では「忘れた」は信じられない。

それは「分かっていて訂正しない」のは確信犯だろう。
それでも「忘れた」と書いているなら、それは言い訳・嘘となり得る。

そんなこのお宅の「高校を卒業して5年が過ぎたと書いたでしょう」なんて記述…
普通の者なら、鵜呑みに本当だと信じられる訳がない、だろう。

事実、このお宅の「文」には、非常なる老人色が滲み出ている。
もっとも…この事が分からないのは自分だけ臨済義玄お宅だけ。



>時間は流れているのですよ。時間が流れて年齢を重ねたからといって、どこまで重ねたから別問題。

時間とは、「時と時の間の事」です。
だから、時間は伸ばせても流れません。
流れるのは「時」なのです。
そして、時間には「時計の時間」と「心の時間」とが考えられます。

あり得ないが…仮にお宅が若者だとしたら、
それは、時計の時間では若者、
しかし、心の時間では、老人となるだけの者です。
嘘つきお宅なら、体も心も正真正銘の老人お宅。
正直なお宅なら、心だけ老人の若者もどきお宅、という事ですね。


>一気に「唯物=物質だけの世界」に飛翔するお宅らしい勘違いです。
↑~
このような記述、どこに書かれていましたか?
これは、私ではなく「お宅の勘違いです」。
これは私の認識を表現した言葉ではなく
お宅の「私の書いた言葉」の理解・認識ですね!

私は以下のように理解しています。
「物質だけの世界」ではなく「モノ自体から始まる世界」
私は、このモノ自体から物質が生まれたと考えます。
モノ自体とは、現存する物質とは異質のモノ(自体)。
まだまだ形も性質の定まっていない無限の変化の可能性を秘めた物質であり物質でない「モノ(自体)」ですね。


コメント (1)
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「二重性」について~

2021-05-22 08:54:11 | 言葉の概念


人間の食事~
ただ生きる為だけの食事。
健康に生きる為の食事。


人間の学び~
生きる為だけの学び。
豊かに生きる為の学び。


言葉の使用~
言葉の意味を熟知して自分の思い・感情表現としての言葉。
意味もよく分からず、フィーリング的な他人の言葉を発する。

知っている事~
未体験でも「知っている」
体験して「知っている」

体験の結果~
薄く浅く知る。
熟知して識。


見る~
間接的に見る。
直接的に見る。

みる~
写真・動画で視る。
五感で関わりながら見る。


見る~
ただただ見るだけ。
触りながら見る。


弁証法~
科学的な弁証法。
学問的な弁証法。


科学の変化・運動の弁証法。
世界の変化・運動の弁証法。


弁証法の学び~
生活を豊かにする為の学び。
眼前の問題解決の為の学び。

弁証法の創り方~
書物・知識から学び創る。
実生活で体験的に創る。


弁証法の使い方~
個別科学的に使う。
一般科学的に使う。

モノの見方。
自分の立場から見る。
他人の立場から見る。
自分と他人の立場から見る。


世界観~
観念論的世界観。
唯物論的世界観。
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言葉と言葉の使い方・使われ方~

2020-03-04 10:33:36 | 言葉の概念

言葉と言葉の使い方・使われ方~



言葉には、意味がある。
より正しくは、ある事・モノを表す為に言葉は創られた。

と同時に、
その使われ方(時・場所、相手との関係・条件によって)
辞書的意味とは異なった意味に使われる・捉えられる。

より正しくは、違った意味に捉えられてしまう事もある。

辞書に書かれた辞書的意味を、その言葉の「意味」。
その言葉が使われた時の意味を、その言葉の、その時の「意義」。…
と誰か(三浦つとむ?)が定義している。


これは、技の型と技使用時の形状。
技の型と技の形の違い、にも言える。


「形」と「型」の使い分け、違いとは?
https://leaders-action.com/manabi/10841/
~以下は、そこから引用である。

……引用開始………

「形」と「型」の違いをまとめて一言でいうなら、 「形をつくりだすものが型」ということになります。

「形」とは、線によってあらわされるもので、「型」は、その「形」を作り出す元になるものです。
「型」には、洋服という形あるものを作り出すための「型紙(かたがみ)」や、鋳物(いもの)を作り出すための「鋳型(いがた)」などがあります。

「型」に流して作るものといえば、ほかにたい焼きやワッフルなどがあります。
出来上がったたい焼きや、ワッフルの姿が「形」です。

さらに、例を見ながら、それぞれについて詳しく解説します。

…後略……





馬鹿と阿呆について、

以下は、
https://chu-channel.com/馬鹿と阿呆-7152 からの転写である。

関東と関西で違う!『馬鹿』と『阿呆』の意味の違いと使い分け

『馬鹿(ばか)』~

• 意味:知能の働きがにぶいこと、またそのような人
• 使い方:あいつは馬鹿なやつだ


『馬鹿』そもそもの意味は知能が低いことや愚かなことなどを表しており、良いことには使われないという印象があると思います。しかし、関東と関西でもとらえ方が全く違ってくるので使う時には気を付けましょう。
まず関東では『馬鹿』という言葉はとてもよく使われます。もちろん上記の意味合いで使われることもありますが、恋人同士や家族間などで「まったくバカなんだから~」といった使われ方をする時には、「可愛いなぁ」や「ホントしょうがない子ね」といった親しみなどを込めた意味合いになることもあるのです。
一方関西では『馬鹿』という言葉はよっぽどのことがなければ使われません。ですので、上記の意味合い以上の怒りの感情を込めた場合や、相手を侮辱する意味が色濃い場合などで使われることが多いのです。
要するに『馬鹿』という言葉は関東では軽いニュアンスで使われることが多い一方、関西では怒りや侮辱などの重たい意味を持つことになります。


『阿呆(あほう)』
• 意味:愚かなさま。また、愚かな行動、愚かな人
• 使い方:あいつは阿呆なことを言う

『阿呆』も『馬鹿』と同様に愚かなことや人などを表し、良いことではあまり使われない印象があると思いますが、こちらも関東と関西では全く違った印象を与えてしまうことがあるのです。
まず関東では『阿呆』はめったに使われず、よっぽどくだらない場合や侮辱する意味合いを含む場合のみ使われます。
一方関西では『阿呆』はとてもよく使われます。それには漫才の影響が色濃く出ており、自分のことを『アホ』として笑いを取ったり、親しみを込めた愛称として使われてきました。
そのため、関西では挨拶や親しみを表す言葉として「アホやな~」が使われることとなり、「可愛いなぁこいつ~」や「うっかり者やなぁ」などの意味を含んだ、優しさのにじみ出る言葉として使われています。
要するに『阿呆』という言葉は関東では侮辱やけなしの言葉として使われることが多い一方、関西では親しみや愛情、優しさを含む意味を持つことが多くなります。

『馬鹿』と『阿呆』の使い分けの例

こちらでは単語としての『馬鹿』と『阿呆』の使い分けについて説明したいと思います。
単語そもそもの意味として『馬鹿』には常軌を逸していることやそのさまを表すことや、社会的常識に欠けていること、機能を果たさないことなどが存在します。
これらの意味は『阿呆』にはありません。実際には「馬鹿正直」や「野球馬鹿」、「スイッチが馬鹿になる」のような使い方をします。また、強調語としてはどちらも使われますが、その場合同じことを表現するにも用法に差があるので注意が必要です。
例えば値段がすごく高いということを言いたい時には『馬鹿』は「馬鹿高い」と言いますが『阿呆』は「阿呆みたいに高い」となり、そのまま入れ替えただけでは意味が通じません。
同様にすごく暑いことを言う場合には『馬鹿』は「馬鹿に暑い」となり、『阿呆』は「阿呆ほど暑い」という表現になります。

まとめ
いかがでしたでしょうか。関東と関西ではほぼ真逆のとらえ方をしてしまうことがわかりましたか?自分では親しみをこめて言ったつもりでもムッとされてしまったり、悲しませてしまうなんて本末転倒ですよね。
これらの違いをしっかりと把握し、話す相手に誤解を与えないように頭の中に入れておいてください。再度簡単にまとめてみましょう。
• 馬鹿:関東では親しみを込めて使われることが多いが、関西では侮辱や怒りなどを表すことが多い
• 阿呆:関東では侮辱や蔑み、貶す場合などで使われることが多いが、関西では親しみや愛情を込めて使われることが多い。また挨拶や相性などにも使われる場合があり、その時も同じようにいいイメージとして使われている
どちらにしても、本来の意味としてはあまりいい意味はないため、よっぽど相手と打ち解けている間柄である場合以外では気軽に使わない方が無難であると言えます。
「親しき仲にも礼儀あり」とも言いますので、本当に解り合っている人だけに使うことをおススメします。







コメント (2)
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