新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「二律背反」について~

2024-03-30 11:48:38 | 「わたし事・学」
「二律背反」について~


先日、「学城」 第六号<『いのちの歴史の物語』から『社会の歴史』に向かって>の中で、
 …「卵が先か」・「鶏が先か」…について…「世界観としての問題…」と言った記述を読んだ。


例えば、鶏は卵から生まれるから「卵が先」。
鶏の卵は、鶏にしか産めないから「鶏が先」。

この双方は、現代の事実から⇒「鶏は鶏」・「鶏の卵は鶏になる」⇒から考えるか、「二律背反」的。
だが…世界の始まりから、鶏・卵が存在していたのではなく、ある生物から鶏に進化して来たのだろう。


そのような発想から、「卵が先」の場合は~
鶏に進化している過程の、(鶏以前の)ある生物が「卵を産んだ」…
そして、その卵は、鶏に進化した形で誕生した…
これなら、鶏以前(非鶏)の生物が生んだ卵が鶏になったので「卵が先」。

次に、「鶏が先」の場合は、進化の過程である生物が鶏に進化して、卵を産んで鶏二世が誕生した…
このように考えるなら「鶏が先」。


この「二律背反」の理由は、地球・世界の全体的な進化の過程で起こった「鶏とその卵」の関係を…
自然・世界の中の「生物の進化とその卵の進化」という全体的な命題とする事無く、「鶏とその卵」という部分的な命題の関係に限定してしまったから…

もっとも…学城では、鶏は実体・卵(を産む)は機能、と捉えて…
本来は、「実体・機能」という二つで一つのモノを、「実体と機能」と分離した「二律背反」。
でも「全体・部分」の二つで一つのモノ、それを全体から部分を抽出した「二律背反」。




全体的に思考するなら、進化の過程で、
卵から産まれた瞬間から鶏、卵から産まれて成長過程で鶏へ~考えられる事。
二通りのことが考えられるが…そもそも…鶏とは何?いつの時代に、鶏が鶏として特定されたの?


そもそも…ある生物が鶏へ進化するのではなく、鶏擬きの生物が、真・鶏になったり、鶏擬き生物のままだったり…
過去から現代までの全体的な進化過程から、現代という時代・部分を切り取って「鶏・卵」…

ここでのコメント欄での、今の弥勒お宅が、自由びとを罵っている理由は明白であろう。
この弥勒お宅は、自由びとの思考を、このお宅レベルでお宅的に理解し思考しようとしているからである。

人間の思考過程は「十人十色」、「千差万別」だろう…
しかし、全ては、「人間の思考過程」という「一つ」の共通性、
千差万別でも「一つ」のモノコト(思考過程)に対するモノ。
バラバラなモノでも、「一つ」のバラバラ状態のモノ。


宇宙規模の世界観の下には、

個別な、弁証法世界観、哲学世界観、学問世界観、専門世界観…


大きな世界・小さな世界・もっと小さな世界…世界も色々でも、
バラバラな全ての世界は、私の中では一つ世界。

でも…外の世界は、まだまだ…私の未知・無関係なの世界で一杯!

言うなれば、自由びと弥勒お宅の間の上記のような世界観の相違!

ここまでの「家族は社会の最小単位」という言葉・概念についてのコメントの応酬も然り…
私の、その始まりの観念・世界観は、「先達の言葉を肯定的に捉えて」から始められた。

その言葉通りなら、現代社会での「家庭と社会をどう捉え考えるなら、その言葉通りになり得るか?」と思考していった。
また「この言葉を否定する」なら、現代から考える事は不適格であろう。
この言葉を否定するには、まず「この言葉の正確な理解」が必要だろう。
それは、この言葉を発した時代と、この人物を知らねば…だろう。


言葉は認識の表現であるから、
初めに、この言葉は何語で発していたか?
どの時代のどこの國の言葉か?
それを誰が、どのように理解して翻訳したか?


それを知らねば…仮に現代では「家族は社会の最小単位」とは、考えられない・思えない…
としても、この言葉発せられた時代では、そうだったかも…しれないから…だろう…


端的に言って、「家族が社会の最小だろうが最大だろうが…」今の私にとっては、どうでもいい話である。
ただ、先達の言葉から彼らの思考法が少しでも組み取れたら、それが有効というだけである…

また今回のような「卵が先」・「鶏が先」も同様である。そんなモノコトなんてどうでもよい事!
しかし…世界観して、全体と部分の関係として、二律背反として…そんな観点・視点が汲み取れた事は大いなる収穫であろう。


また…弥勒お宅と自由びとの区別と連関が…明白な映像化してきている自覚!
もっとも…私の数十倍の能力ある者が、敢えて否定的に書き込んでいる場合も…想定の範囲ではあるが…

弥勒お宅の自由びとへの暴言~私の弥勒お宅への暴言~その中身の区別と連関~

過去の私が、当時のお宅へ、感じたあれ程のマイナス感情・起伏の激しさの理由~
それが分かってきたのは、それなりに物事(私自身)の本質へ認識が近づきつつある…から、だろうか…





一度、アップして、再読して以下の事ような事に気付けた~

進化の過程にある物、
実態的には「鶏ではなくても」、
機能的には「鶏の卵を産める生物」。

そこから産まれた卵からは、実態も機能も「鶏」が誕生。
コメント (8)
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