続・「1000g=1.000㎏」の話
「g」・「㎏」単位の関係・概念の習得の一般的な方法は~
「1000g=1㎏の場合」は以下です。
1000g=1㎏
100g=0.1㎏
10g=0.01㎏
1g=0.001㎏
このような数・文字(単位)式の羅列から、区別と連関を分かる児童には、「「1000g=1.000㎏」は不要。
この式が有効なのは、上記の数・文字(単位)式では、分かり難い児童に向けての~モノ。
これを
「1000g」
↓
「1.000㎏」
上下に対比的に書けるなら~
後は、機械的に代入すれば~
0100g⇒0.100㎏=0.1㎏。
0010g⇒0.010㎏=0.01㎏
0001g=0.001㎏=0.001㎏
というように~機械的代入が可能!
算数苦手意識の強烈な児童達には、意味不明で機械的であっても…「正解!」できた感が必要・有効。
そもそも…初めの「1000g=1.000㎏」を見て~
「何となく同じ…」でも「何か違う?」といった感想で…
間違い探しの図・絵パズル的に、違いの発見!がいいかな…
違いは、小数点「.」のある・ない。
「g」に「k」のある・ないor「gと㎏」の相違(gと㎏の意識がある児童なら…)
そんな問い掛けの意識が、算数的な好奇心の始まり~なのかも…
そうそう~「これ(「1000g=1.000㎏」)だと…子供が混乱するかも…」
の理由・意味に気付きました。
それは、
算数・数学での小数点「.」のある「1.000=1」表記と、
一般常識的なコンマ「,」のある「1,000=1000」表記の誤解の事でしょうかね…
ただ言える事は~
算数Cクラスの児童達には、「1,000=1000」という常識はないいでしょうね…」
昨日の今日!
昨夜に、お宅コメントへの返事コメント、そして、学城23号の読み進め…
その結果の就寝前の私の意識の影響でしょうか…
睡眠中の意志ない自由な認識・頭脳活動の結果が、今朝の新たな「気付き」なのでしょうね…
それは、言うなれば~
弁証法的な認識・頭脳活動の技化・無意識化、
それは、自覚・意志なき状態での本能レベルの目的・意識的な頭脳活動なのかも…
そうそう最後に書きたい!
読者からので意見が欲しい!
~昨夜就寝直前に読んで感動・実感した「神庭 純子氏の論文」の以下のような内容について~
看護者・師は、被看護者の行為・しぐさ・顔色・感情・言動・行為…の微細な変化を感覚して、
それを過去の自己体験に二重化して、その微細の変化に、どのような意味・感情・気持ちが含まれるかを想像して…
その者の悲しさ・苦しみ・悲しみ・辛さ…を実感・痛感できる事が(プロ看護師には)非常に重要かつ必要だが…
しかし…プロの看護師は、その被看護者の感情・思い・辛さに同感・痛感して、「同病相憐れむ」や「傷のなめ合い」ではダメ。
確かに…動物の自力ではなめられない箇所の「傷のなめ合い」なら、ゴミ・汚れの撤去・自然治癒力の補強的効果は期待できるし…
また、友達・同僚同士で「こんな悲しみは私独りではなかった!」的な共感・仲間意識は有効だろうか…
それでも、人間のプロ看護師なら、自己の中で自分でも耐えられない程の相手の苦しみ…に痛感・激観…しても~
その状態を「下から押し上げる」or「上から引っ張り上げる」ような能力のある自己の創像・実力が求められている。
これは、自己の中に、「被看護者的な自己像」と「プロの看護師的な自己像」の二重化が必要・不可欠という事だと理解した。
それは、今の私の中に、
授業中に突然、廊下・外へ走って出て行っしまう児童の認識像を想像して、
その児童を叱らず(日本語理解不能なので叱ってから諭す事は不能)、
また、幼稚園・保育園の集団生活の体験皆無なので叱っても「何故に叱られるか理解不能」、
そんな児童の認識像を創り上げて、それでも…彼を教室にいられるようにする実力ある私が求められている…
しかし…現実の私は「彼の補助はギブアップ」していて、
彼の対応は、他の優しいお母さん・女性補助員にお任せなのです…
過去の経験⇒私の「叱ってから、そして諭す」は、
言葉の通じない相手、正しい言動・行為が分からない・未修得の児童には、
効果は、ほとんど期待不能ですね…