新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

自己満足⇔他者満足

2017-11-03 13:40:19 | 想い思い考える

自分の満足と他人の満足。

自分が美味しいモノ食べて満足。
他人が美味しいモノを食べて満足。
自分が誰か他人の為に、美味しいモノを作り、一緒に食べて共に満足。

誰かの為に自分を犠牲にして満足。
他人の為に自分を犠牲にする事に満足。
満足している他人をみる事に満足。

他者満足の創出に自己満足。

one for all . 
all for all.

部分は全体の為。
全体は部分の為。

自分の満足は、他人の満足。
他人の満足は、自分の満足。




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今朝、フッと思った事。

2017-11-02 14:55:44 | 日記

それは、コーヒーカップに残った水滴をなくそうとして動いた時であった。
その時、前へカップを突き出した手が伸びきった瞬間にカップから水滴が飛び出て行った。

『これって~慣性の法則だよね!』
『すると…私は慣性の法則を駆使した事になる!?』
『………?………』
『否!慣性の法則の駆使ではなく、ただ…カップを突きだして水滴を捨てただけ…』

そもそも…慣性の法則は中学の理科で知った後付けの知識であり、
カップを振って水を飛ばす事は、その慣性の法則を知る以前からやっていた行動。

この考えると、三浦つとむの「弁証法はどういう科学か」の中の言葉、
「人は弁証法を知らずに弁証法を使っている…」は、少々違っている、ようである。

正しくは以下であろうか…
弁証法を知らずとも、人々は対象の性質に合わせて、個々の問題を解決している。
人は弁証法を知らずも、体験・経験的・感覚的に対象の性質を把握して、
その問題を解決して来たのだろう。

対象の性質の把握と対象の弁証法性の把握の区別と連関とは?
対象の性質と言った場合、対象を狭い範囲で捉えている。
対象の弁証法性と言った場合、広い範囲で捉えた対象であろう。

対象が人間なら、
対象の性質=人間の性質。
人間の弁証法性とは、生命史観で、物質⇒生命現象⇒生命体……⇒人間。

以上が、性質と弁証法性の区別と連関ですかね…


弁証法を知り・識って弁証法の駆使とは、
経験・体験を離れて、未知の対象・未知の性質…に合わせて問題解決をする、
のだろうか?!






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ピンチが変化のチャンスに…

2017-11-01 18:07:12 | 日記



十月九日、何の前触れもなく突然に、
自由びとのSeeaaブログ「悟りを求めて…」
へのアクセスが不能になった。

それを知った瞬間の私は、
私の書きたい事・物を、
今すぐ書きたい!
欲求に囚われてしまった。

そして、このアクセス不能が明日も明後日も続く恐怖に襲われた。
これは、「悟りを求めて…」ブログの更新不能というピンチである。

そこで、私は急遽、gooブログを新設する事にした。
最近の私は、加齢の為か、元々の性格の為なのか、
新しく、何かを始める事に抵抗がある。

なので十月九日の「Seeaaブログのアクセス不能」というピンチがなければ、
今ここに自由びとの「新・悟りを求めて~」ブログの存在はなかっただろう…

このgooブログの素晴らしいテンプレートの数々に、
大満足している自分を感じて嬉しい限りの私である。





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