「観念論・唯物論~世界観」の話
世界観が、観念論と唯物論に分れているのは、何故?
世界は、一つなのに、世界観が二つあるのは何故?
一つの世界に二つの世界観が…しかも双方とも正しいのは何故?
二つの世界観は、双方とも、人類の認識・頭脳活動の観点である。
頭脳活動は一つ、でも、その活動の視点・観点は二つ。
一つ、未来の己に今の「頭脳活動の実力上達・向上の為」のモノか?
一つ、現在の己の為に「今の頭脳活動の実力を最大限発揮する為」のモノか?
これは、言うなれば頭脳活動が「上達論的」or「勝負論的」であろう。
以前、ある人が言っていた!
「俺も、もうこの歳、老い先短い!」「先の事は考えずに毎日を楽しく遊んで暮らす!」と~
上記の台詞を青年が発したら…それは間違いモノの「おバカ発言!」
観念論とは、過去の学説・学者の認識を駆使して思考する。
唯物論とは、過去の学説・学者の認識を参考に思惟する。
観念論は、どんなに頑張っても、その学者の、学説・言語・認識の範囲内での「勝負」。
唯物論なら、その学者の学説・言語・認識を参考に、自己の眼前の事実との思惟レベルの格闘「上達」。
「勝負論」では、その言語・認識の使い方の範囲内での変化・運動。
「上達論」なら、思惟レベルでも対象との格闘の結果…新たな・その者なりの言語表現(意味・内容)が創出される。
頭脳の思考的活動も思惟的活動も、一つの者の中の二種の活動。
思うから、思考活動へ、そして思惟活動へ
思惟活動の中で、思索活動・思弁活動
弁証法が技化したなら、それは、当人の頭脳活動が弁証法性を帯びたモノ~
言うなれば、「弁証法的な認識・頭脳活動」であろう。
頭脳活動が、弁証法的化したなら、その頭脳活動の多重化が可能。
言語は、その人の認識・観念の表現である。
他人の言語表現から、その他人の認識に正確に二重化し得たなら、
それは、他人の認識の自己化であり、その自己内の他人的な認識表現は、
ほぼ100%自分的言語表現になり得てしまう。
仮に、思考・内容・感情…が、全く同じだったとしても…
その認識の言語表現は、あくまで個性的になり得てしまうのが人類。
仮に、観念論者と唯物論者の双方言語表現が一致していても…
その内容・内実は、異なっていて当たり前!
それは、人類の頭脳活動・世界観・言語表現…の自由自在という問題であろう。
中身は同じ、でも言語表現が違う。
言語表現は同じ、でも中身が違う。
観念論者の言説と唯物論者の言説の区別と連関かな…
世界観が、観念論と唯物論に分れているのは、何故?
世界は、一つなのに、世界観が二つあるのは何故?
一つの世界に二つの世界観が…しかも双方とも正しいのは何故?
二つの世界観は、双方とも、人類の認識・頭脳活動の観点である。
頭脳活動は一つ、でも、その活動の視点・観点は二つ。
一つ、未来の己に今の「頭脳活動の実力上達・向上の為」のモノか?
一つ、現在の己の為に「今の頭脳活動の実力を最大限発揮する為」のモノか?
これは、言うなれば頭脳活動が「上達論的」or「勝負論的」であろう。
以前、ある人が言っていた!
「俺も、もうこの歳、老い先短い!」「先の事は考えずに毎日を楽しく遊んで暮らす!」と~
上記の台詞を青年が発したら…それは間違いモノの「おバカ発言!」
観念論とは、過去の学説・学者の認識を駆使して思考する。
唯物論とは、過去の学説・学者の認識を参考に思惟する。
観念論は、どんなに頑張っても、その学者の、学説・言語・認識の範囲内での「勝負」。
唯物論なら、その学者の学説・言語・認識を参考に、自己の眼前の事実との思惟レベルの格闘「上達」。
「勝負論」では、その言語・認識の使い方の範囲内での変化・運動。
「上達論」なら、思惟レベルでも対象との格闘の結果…新たな・その者なりの言語表現(意味・内容)が創出される。
頭脳の思考的活動も思惟的活動も、一つの者の中の二種の活動。
思うから、思考活動へ、そして思惟活動へ
思惟活動の中で、思索活動・思弁活動
弁証法が技化したなら、それは、当人の頭脳活動が弁証法性を帯びたモノ~
言うなれば、「弁証法的な認識・頭脳活動」であろう。
頭脳活動が、弁証法的化したなら、その頭脳活動の多重化が可能。
言語は、その人の認識・観念の表現である。
他人の言語表現から、その他人の認識に正確に二重化し得たなら、
それは、他人の認識の自己化であり、その自己内の他人的な認識表現は、
ほぼ100%自分的言語表現になり得てしまう。
仮に、思考・内容・感情…が、全く同じだったとしても…
その認識の言語表現は、あくまで個性的になり得てしまうのが人類。
仮に、観念論者と唯物論者の双方言語表現が一致していても…
その内容・内実は、異なっていて当たり前!
それは、人類の頭脳活動・世界観・言語表現…の自由自在という問題であろう。
中身は同じ、でも言語表現が違う。
言語表現は同じ、でも中身が違う。
観念論者の言説と唯物論者の言説の区別と連関かな…