本日からゴールデン・ウイークで、比較的時間が取れる。
そこで、今回は連続記述を目指してみる事にした。
①、日々を弁証法的に生きる、とは…
②、事実と記憶…
③、「AさせたいならBと言え」について…
先ずは、「日々を弁証法的に生きる、とは」である。
弁証法とは変化・運動性の法則化、である。
法則化の目的は、その変化・運動性を動かす・変える事。
普通の大人なら、何かをする時、その何かを達成する意識を持っている。
食事は、食べようという意識の元で、目を手を指を口を…動かしている。
これは、言うなればAをする為にaの意識を持っている。
もっとも、人によっては、Aをするのにbに意識かもしれないが…
弁証法の学びには、「変化・運動性」に意識が求められる。
普通、変化・運動は、分かっても…
変化・運動の運動性となると…???であろう。
例えば、家庭でのNさん、会社でのNさん、同窓会でのNさん…
そんな時々のNさん態度・雰囲気は分かり得ても、
その態度・雰囲気の変化・運動性は、なかなか分かり難いものである。
更に、その態度・雰囲気を変える・動かす…となると…
例えば、
会社の中で家庭のように過ごす事。
家庭で会社のように働く事。
次は「事実と記憶…」
事実とは、現実で起こった事・起こっている事。
記憶とは、頭脳の中に残っている事実。
事実は、瞬間瞬間連続的であり、
一瞬の点的な事実。
連続した線的な事実。
人の記憶は、その人なりの点的かつ線的なものである。
そして、多くの人々の点的・線的な記憶を集めると立体的な記憶となり、
その時、初めて、「事実≒記憶」となりえる。
その人の事実に対する記憶は、その人なりである。
人が、事実に対する記憶を動かす・変化させるには、
事実と関わる意識を変える必要があろう。
最後は「『AさせたいならBと言え』について…」である。
「AさせたいならBと言え」とは、
岩下 修 著 明治図書 である。
その中で、
>もう一つ、いやな「指示」がある。これは整列させるときである。
「気をつけ!指先を伸ばして、手はズボンのぬい目に!」
………
話を聞いたり、思考する上で、不必要な緊張である.
事例「全身を綿にして気をつけなさい」
たしか、向山洋一氏の言葉だったと思う。綿と言う言葉によって、
身体はリラックスできる。
これは、気を付けをする時の意識を変える、という事である。
それは、「気を付け」の形を意識して、話を聞くのか、
それとも、「気を付け」の形に捉われずに、話を聞くのか、であろう。
先生の話を整列して、姿勢を正して聞く事は、
学校教育の目的の一つである社会性の養成であろう。
「気を付け」ができない子供には、気を付けの形を指導し、
「気を付け」形できても、話を聴けない子供には、その心の指導を…
初めに、Aをするのにaの意識が量質転化化したモノを、
次には、bの意識でAができるようにするコトである。
最近、私は、ひらがな練習帳を使って、
左手で平仮名を書く練習を時々している。
数枚書いただけで、非常に疲れる。
それは、手が疲れるのではなく、頭が痛くなる、のである。
右手で書くことに慣れ切った身体を、左でに慣らせる事は、
「書写=右手」だったモノを「書写=左手」とするモノである。
これは、右利きの私にとっては、大いなる矛盾である。
こんな矛盾に耐え、慣れる事は、
変化・運動性の自覚への繋がる、のである。