思いは実現する!or?
想いは実現する!or?
思えば実現する?or!
想えば実現する?or!
思いとは?
想いとは?
思えとは?
想えとは?
思い・想い~は、自然に浮かんでいる・くるモノ。
思え・想え~は、意識が入っているモノ。
思うと想うの相違は、
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意味 :自分の脳の中で感じる心。
使い方:美味しいと思う、自分の思い通り、やっとの思いで
『思』という漢字は「田」と「心」から成り立っており、
「田」の語源は「(子供の)脳」です。したがって、
「思う」=「自分の脳の中で感じる心」を意味します。
意味 :相手を想う心。感情が込もった “おもい”。
使い方:相手を想う気持ち、故郷を懐かしく想う、愛する妻を想う
『想』という漢字は、「相」と「心」から成り立っていることから、
『想う』=「相手を想う心」を意味します。
感情を込めたい時やある対象を想像して思い浮かべる時に使います。
思いとは?
想えとは?
想いとは?
想えとは?
思う・想う事なく、思・想いはない。
思う・想う事なく、思・想ってしまう事もある。
南郷氏は書いている。
「おもう」とは、「像」を止めてみつめている状態…と。
今までの私は、
毎日、『ブロ記事の更新!』と思い続けていた。
しかし、結局は書けていない。
その理由は、
その「おもっている」像の中身に問題なの…かも?
書きたい事実・事件は、結構浮かんでいた。
でも、その事実に対する論理が書けなかった、ようだ。
同時的に浮かんでくる多くの事実の一つを
書いただけでは納得・満足できなかった。
もっとも…
その事実が多すぎて、書けなかったのも事実であるが…
だから、
「書きたいと思うのに書けない」事を書く事にした。
「思い」4を実現する」には、実行・実践・行動が必要。
「思う」は認識活動であり、「実行」は実体的活動。
もっとも、「思う」は、頭脳を実体活動でもあるが…
私が、「思う」事は、
「弁証法とは…」、
「弁証法の習得・修得とは…」、
「今の弁証法を学べているのか?」、
書きたい、その事実のどこに、弁証法性・弁証法があるのか?
小学校の低学年の児童には、豊かな弁証法性がある。
学年が上がるにつれて、その豊かな弁証法性は徐々に弁証法へと変化していっている。
モノを知らないから、対象に合わせて行動するか?
モノを知らないから、自分勝手に行動するか?
この違いは大きい。
モノを知らないから失敗して、「自己無能感」を抱くか。
モノを知らなくて失敗して、人から教わり「自己有能感」を抱けたか。
モノを知らないのに、上手くいって「自己有能感」を抱くか。
モノを知らなくても、上手くいって「違和感」を抱いたか?
この違いも大きい。
そもそも…
上手くいった・成功とは、
下手した・失敗とは、
算数の授業で、疲れていて居眠りできた事は欲求の達成・疲労回復に成功。
でも、その為に算数の勉強は出来ずに失敗となる。
私のブログの更新の目的は何か?
「更新する」事か?
「書きたいモノを書く」事か?
「考えたい」事か?
「弁証法の学びの為」なのか?
それとも
「多くの人の関心を取りたい」からか?
どれが目的であっても、
先ずは書いて更新しない事には、
事は始まらない、という事である。
因みに
算数の授業で、疲れていて居眠りできた事は疲労回復では成功。
でも、その為に算数の勉強は出来ずに失敗となる。
これは、居眠りを真の成功にする為に、
後で、算数の「自己学習」をすればOKとなる。
さて~
テーマ「思いは実現する…」の解答は、
自己の思いを明確にし、
達成の為に的確な行動をとり続ける限り、
諦める事無く、実行し続ける限り、
いつの日にか、その思いは実現する、だろう。
もっとも…一般的に言って、
無理な思いは、実現する前に変質してしまうモノである。
人は、それを「俺も大人になった!」と言って
自己納得・満足してしまう、のだろう。