新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

対立物と対立関係…

2023-09-30 11:40:50 | …弁証法…
対立物と対立関係…

対立とは、互いに反対の立場に立って、譲らないで、張り合う事。 例解新国語辞典[第四版]
対立とは、二つのモノが、互いに張り合う事。 岩波国語辞典[第八版]
対立とは、二つのモノが、全く反対の立場を取る事。学研現代新国語辞典[第六版]

普通の一般常識的に考えるなら、ある二つのモノの間に、対立関係が発生したから、「対立物」として現象する。

それに対して、弁証法における対立物の統一の二つの場合~

㈠  現実に対立関係にある二つのモノの統一を思惟する場合、
㈡  対立関係にない二つのモノを、意図的に並べて対立関係を発生させ、そこから思惟を始める場合。


例えば、対立関係にない、二つの消しゴムを対立さ統一させた時、何が分かるか?
それは、書かれたモノを消し去る、それぞれの機能の相違、であろう。

例えば、スポーツクラブで、コーチが、日頃から仲の良い二人の部員に、「試合に勝った方をレギュラーにする」と伝えた場合。
これは、日頃から対立していない仲良しの二人を意図的に対立関係に置く事で、
互いに競い合わせ(対立物の統一過程)二人のやる気を刺激し、
それがクラブ全体の士気向上を期待してのモノ。


例えば、「自分への御褒美(御馳走・素敵な衣服の購入…)」という考え方の場合。
自分が「頑張る事と美味しい御馳走を食べる」は、全く対立関係にない。
でも、この二つを「頑張る・食べられる」・「頑張らない・食べられない」という対立関係に置くなら、
食べる為に頑張る自分を創出可能になり得る。

上記のように、弁証法的思考・思惟における「対立物の統一」とは、
自己の現状を打破する為の、新たな変化・運動性を生々させる為の一つの方法であろう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常生活での「残心」~

2023-09-28 13:26:27 | ♬~我が悟りへの道程~♬
日常生活での「残心」~

「残心」とは、武道・勝負においては、技を決めた・決まった!
と確信・安心した瞬間でも、決して気を抜かない・心を相手に対して残して置く事。

「残心」の解説で大学時代に読んだ武道関係の本に以下のように書かれていた。
「残心とは、コップに入れた水を、思いっ切り投げ捨てた後に、そのコップに残っている水滴のようなモノ。」

これは、自分が対手に、思いっきり必殺技を決めた・決まったと確信しても、
まだ残っている自分の中の「勝負心」のようなモノ…

日常生活で、最近、気になる事がある。
それは、部屋の電気の消し忘れである。

朝夕洗面後に洗面所を出で、居間に入る時、フット横から洗面所の灯りが…
その時、『しまった!消し忘れだ…』と気付き、戻って消している。
それでも…時には、部屋を出る瞬間に、「電灯を…」と気付く事もある。

この両者の相違は、
忘れてしまう時は、気が急いて、次の事を思っている場合、
特に、急いでやるべき事がない場合は殆ど消し忘れがない。


今、電灯の消し忘れがない時に「残心あり」、
ない時に「残心なし」と考えるなら。

勝負における「残心」とは、「心の余裕」とも思える。
余裕とは、先を急がない心、今この瞬間を大切に味わおうと、する心…。

勝負においては、勝負の勝ち・負けの決定を急がない心…
技を決めた・決まったと確信し得ても…勝敗が決まったとは限らない!

現代のような「生死を賭けた勝負が常識的にはありえない」時代での勝ちとは、
自分決めるのではなく、相手が自分から納得する事、また審判が決めた事に相手が納得し得るか…


チョットした気遣いで、武道・勝負に関係なく、
普通の日常生活での、日々「残心」の養成・形成は、可能なのだろう…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「概念」について…

2023-09-21 17:01:10 | ~ものは考えよう~

「概念」について…


概念を概念規定するなら、それは、ある対象について、その人が描いた・描いている「概ね・アバウトな観念」と言えよう。

それを~以下の
「概念」の意味とは?例文付きで英語まで簡単にわかりやすく解説
2018年10月13日2022年1月12日

「概念」の意味とは?例文付きで英語まで簡単にわかりやすく解説 – スッキリ (gimon-sukkiri.jp)


では、以下のように纏めている。

>「概念」は抽象的な言葉ですが、多くの人が必ず頭の中に描いているものです。「概念とはこういうものだ」という、「概念の概念」をきちんと理解しましょう。<

更に「新字源」で調べると~
概念とは・[哲学]思考・判断の根本となる原理。
㈠ 多くの対象の共通性的要素を抜き出して得られる抽象的概念や
㈡対象をそれぞれの特徴に従って群に分け、その群の代表的な理想型をつくる事によって得られる類型的概念や 
㈢対象の個別性をとり上げ、それらの個別性を生み、また部分として自分の中に含む全体として求められる具体的概念がある。

概念とは、(対象の)概ねの観念・認識・映像であり、それは言葉で表現され得るモノであっても、決して言葉そのモノではない。
闘論・議論・学問…に「概念規定」を必要とするのは、ある対象に対する社会的・個人的概念の確認を求める為であろう。

空海お宅のように、「概念規定」を否定・求めようとしない人物…の概念、
それらは、言葉で記憶されている「他人の観念」・言葉と言えよう。
概念規定とは、自らの中のその対象に対する「概ねの観念の言語化」を求めるモノ、だろう。

哲学的概念が「思考・判断の根本となる原理」と解説している理由は…
世界に存在している物事の全てをひとまとめにした概念・抽象的な概念なのだろう。

哲学では、「全ては一つ・一つは全て」なので、その世界一つの概念も一つ。

それでも一般的には、
抽象的概念・群(具象)的概念・具体的概念…に分けられる。

本来、対象に対する、その人の概念は、対象と関わり続ける長さによって、
当人の認識の変化・運動と共に、変わっていくモノであろう。

それは、個別・科学的知識・用語が、時代と共に変えられていくように~
ここでの私の「悟り」・「悟得」の概念も、少しずつではあるが…変化し続けている~


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目的意識」について…

2023-09-18 16:31:37 | ~ものは考えよう~
「目的意識」について…

目的意識とは、目的を意識する事。

例えば、二本の鉛筆でコロッケを食べている人を見たら、どのように思うだろうか?
普通に考えたら、箸ではなく、鉛筆で食べているオカシイ!バカじゃない?!


でも、例えば、揚げたての熱いコロッケを直ぐに食べたいのに…
素手で持てなくて、傍にあった鉛筆で食べた!なら…特にオカシクない。

箸はモノ摘まんで食べる為の道具。鉛筆は、モノを書く為の筆記道具。
どちらも人間が、特定の目的を達成する為に創出した人工的道具。

人工的な道具には、その使用目的が初めからある。
道具は、初めから目的をもって作られているモノ。

道具の機能を最大限に使用可能にするには、
使用者の使用目的を道具の目的と一致させ事であろう。

それでも…道具の利用法は、
使い手である人間が自由に決める事が可能。


目的意識の二重性~

一つ、そのモノ自体の創られた初めからある使用目的。
一つ、そのモノを使用する人の使用目的。

例えば、包丁は料理に適しているが、喧嘩でも使用も可能、でも使いにくい。
また、日本刀で料理が可能でも使いにくい。でも喧嘩には使いやすい。


学校は、勉強・学習する場所なのに、学校に「遊び」を求めて来たら、楽しくないだろう。

ここは、自由びとの個人ブログ、記事・コメントへの感想・異論・暴論なら、まあ許そう!
しかし、まだ公開していない、今日の空海お宅のコメントの内容はアウトだ!

それは、会った事も面識もなくブログ・ネットだけの知り合いである
自由びとの個人的な事柄について憶測だけで書き綴っている内容。

しかも、その憶測の書き方・内容・言葉が悪意タップリと感じられるモノ。
例え、誹謗中傷が目的でなくても、そのよう書き方・内容は、このブログの目的には合致していない。
このブログとも目的不一致の今回の空海お宅コメンとの公開はでき難い!

オマケに、もう一発!
そんな面識ない空海お宅の誹謗中傷的になり得る記述は、
例え、空海お宅の目的が誹謗中傷でなくても、
結果的にそうなり得る記述は、公開できない!


今回の空海お宅の、あのような言動・言葉・行為~
あんなコメント内容が、平然と平気で書ける空海お宅を、
そんな空海お宅だから、私は「馬鹿」だと、書いている。


他人の個人ブログで、普通の人なら、書けない・書かない言葉・内容だから…
公開される筈ない言葉・内容なのに、平然と平気で投稿できる精神は、正常を越えた異常ですね。

内容その物は、憶測の範囲で、特に異常でもなく、鋭い洞察でもないが
それを投稿するという行為が、馬鹿者・異常者・非常識…レベルなのだろう。


「君子危うきに近寄らず」なので、非常に残念だが…今回の空海お宅コメントの公開はなし!



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「分からない」について~「分からない」の二重性~

2023-09-16 13:11:18 | ~ものは考えよう~
「分からない」について~「分からない」の二重性~


相手の言っている事が分からない場合。
一つ、相手の言葉の意味が分からない(認識化・映像化できない)。
一つ、自分が、何故に「相手の言葉が分からない」のかが、分からない。

例えば、
一つ、「起承転結」そのモノが分からない。
一つ、「起承転結」の意味は分っても、どれが「起」?「承」?「転」?「結」?分からない。




例えば、欧米人の会話が分からない場合、
一つ、その英語の意味は分かるのに、相手の言いたい事が分からない(から不安)
一つ、英語・言語自体分からない から 意味が分からない(何故分からないか分かっている「から安心」)

さて今朝の事である。

郵便受けに一枚のハガキが届いていた。
そこには、〇〇……様 三菱UFJ……と書かれていて、
剥がしてみたら、「お支払い日に指定に口座からお引き落としができませんでした。」と書かれていた。
私には、全く身に覚えがない事なので…再度、確認したら宛名は息子だった。


そこで、息子にこのハガキ話をしたら…
「…アプリで入金したから大丈夫」と言われた。

私は、「入金して大丈夫」は分ったが…
『何故にハガキが来たの?』が分からず、

息子に聞いたら、「引き落とされなかった時点で、ハガキが発送されたのでしょう」と言われ。
私、「そうか時間差だったのか…、うん?でも…アプリって何?」と息子に質問した。

あ~あ!「銀行口座の内容が分かるアプリ!」息子曰く。
私―「そのアプリで どのように入金したの?」
息子―「アプリで、引き落としできない連絡メールがあり、それから入金した!」…

ここで、私はやっと事の次第を理解した。
ハガキを再度よく見ると「三菱UFJニコス株式会社」と書かれていた。
アプリは「銀行からの知らせ」であり、ハガキは「カード会社」から…だから二回の連絡だった。


ハガキを受け取った後~
初めの私の分からない・疑問―このハガキは何?
再度確認・解決―息子のハガキ(事実)

息子に確認―「入金した・大丈夫」は分った。
でも大丈夫なのにハガキが来た理由・その過程が分からない。

息子に「アプリの意味を確認した」
ハガキを再再度確認した「銀行は私の誤解で、実はカード会社だった」。

最終的に納得した!


今日のこのやり取りから「分る事の二重性」が分かった。
そこから、私が「息子の言葉を分からなかった理由・構造が分かった」

息子の「アプリ」とう言葉を一般的(カード会社かな?レベル)で分かり、
決して銀行のアプリとは理解していなかった。
銀行アプリなら、私も持っている。確かにそこには、「お知らせ」連絡もある。


相手の言葉が事実的表現であり、全く嘘偽りのない表現でも、その言葉の中の語彙の意味を相手レベル・一致して理解していにいなら、言葉として分っても、その内容を相手的な認識・映像化しをする事は至難である。


それは、今日の私が、
最初の息子の言葉の一つ一つ語彙の意味は分かっても、
それが私の疑問全体の答えとは認識(映像化)出来なかった。


どんなに細かく正確な言葉・記述の数々 or アバウトな銘文でも…
それを認識・映像化不能な読み手にとっては、訳の分からない奇文・怪文・空虚…そのモノであろう。






さて…ここから以下の記述について…である。




>・コメントを書いた人
>空海

>・コメント
>自由びとさん、自由びとさんは確かに何かを書いたんですね。新しい記事が投稿されて色々と文字が書いてありますから、確かに何かを書いているわけなんです。
>そしてそこには私・空海の名前を書いていますから、私に向かって何かを書いているらしいことまでは理解できるのですが、さて私に何を語っているのかは全く理解できないわけです。
>何となく、何やら私に向かって否定的なニュアンスのことを書いているらしいことは何となく理解できるものの、それ以上のことは全く理解できないでいます。
>まあ、それも今に始まったことでもなく、特に聞く価値のあることを自由びとさんが述べれるとも思っていませんから、問題なくOKです。


この空海お宅には、「自由びと記述が分からない」事は分かっている、ようである。
(このお宅が負けず嫌いの嘘つきではないなら…)


しかし、このお宅は、
自身が自由びと記述を分からない理由・訳・構造」が分からない事を考えよう・分かろうとしていない…

端的に書くなら空海お宅が、自由びと記述を分かる事が出来ない原因・理由は、ある特定の語彙の意味・概念…の相違であろう。

例えば、「弁証法」という語彙である。
私は、初めは「…変化・運動性の法則化」だったが…
今は、「…変化・運動性の性質の法則化」と理解している。

このような「変化・運動性の法則化」と「変化・運動性の性質の法則化」の相違が、
たぶん空海お宅には分からない、のだろう。



事物・事象の変化・運動性の性質そのモノが異なれば、言うなれば別物となり得る。
例えば、同じ動物と言えども、
猫の本能(変化・運動性)を持っているなら「ネコ」。犬の本能(変化・運動性)なら「イヌ」
「ネコ」と「イヌ」とは、別種の動物である。

しかし…弁証法的に思惟するなら、これらは、変化・運動性の性質が異なる同じモノ(動物)…となり得る。

これは、「対立物」も「統一」…・「対立物の統一」も然り、「否定の否定」も然り…



コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする