「自由」とは~
例解新国語辞典[第二版]三省堂
自由―他から制限されたり邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできること。
自由が上記のようなモノならば…
不自由な状態とは、
「自分の思い」があり、それを「邪魔する何かモノ」がある。
または「何かモノ」があり、それが「自分の思い」の邪魔になる。
ならば、自由獲得への道は、
一つ、自分の思いを変える・断念する。
一つ、邪魔になるモノを変える・排除する。
自由獲得の方法は、
言葉にすれば上記のようにシンプルなのモノである。
でも、人には変えられない思いもあり得るだろうし…、
また、自力・人力では、取り除けない障害物もあり得るだろう。
主観的には、初めに「自己の思い」があり、それを邪魔する「モノ」がある。
客観的には、初めに「何かモノ」があり、それが「思いの邪魔モノ」になる。
「変えられない思い」とは、
今すぐには無理でも時間かければ変えられるかもしれない思い。
自力では無理でも他力があれば変えられるかもしれない思い。
人類の歴史には、不自由を自由に変えてきた数々の事実がある。
たかが64年間生きた結果の人生経験から、
絶対に変えられない思いがある!なんて思うのは思い違い、であろう。
しかし、変えられても、変えてはいけない思いもあるだろう。
それは、自己の生死に関わる思いである。
人間は生きて生活できて人間として存在する。
どうなに不自由を感じても、その思いを変える・断つ事は「死」であるなら、
その思いを変える・断つ事はしてはいけない事だろう。
人間としての不自由な状態から、自由になる為に死ぬのは、
本当に自由を獲得した事なのだろうか?
それは人間をやめた事であり、人間としての自由の放棄であろう。
自由を追求可能なのは人間だけであり、
不自由を感じられるのも人間だけである。
不自由を痛感できるのも、
そして自由を求められるのも、
生きた人間だから可能こそな事であろう。
不自由状態からの脱却は、その不自由を味わう・楽しむ心の余裕から生まれる。
もっとも…不自由を受け入れ・味わう事が「死」になり得る場合は、
己の生の為に死を賭けて邪魔モノを排除する事が最優先されようが…