京都弁証法認識論研究会の
2018年12月13日の
記事「堀尾輝久『教育入門』感想文(1/4)」の中の
以下の記述を読んで、思い、考えた事~
~~~~転写開始~~~~
………前略………
ここで特に重要なのは、第二段落で書かれている「一般に、近代の教育組織が複線型(dualsystem)としてとらえられるのに対して、近代教育の三重構造を指摘した」というところになるだろう。この三重構造とは、『教育入門』では「支配者層(ブルジョアジー)の自己教育の思想」「支配者層による大衆教育の現実とイデオロギー」「労働者階級の人権としての公教育の思想と運動」(p.37)とされている。
要するに、支配者層による支配者層に対する教育と思想、支配者層による大衆に対する教育と思想、大衆による大衆に対する教育の思想という3つがあるということになるだろう。通常ならば近代の教育は支配者層の教育(エリート教育)と大衆教育という二重構造(複線型)で捉えるのだが、教育する主体と教育される対象という観点から、そこに三重の構造があると指摘したということなのだろう。これは非常に納得のできる指摘である。
………後略……
~~~~転写終了~~~~
>そこに三重の構造があると指摘したということなのだろう。
① >支配者層による支配者層に対する教育と思想
② >支配者層による大衆に対する教育と思想、
③ >大衆による大衆に対する教育の思想、
ここに、思った事は、
「大衆による支配者層に対する教育と思想」が、
あれば、四重の構造となると…である。
だが…そこで思った~
現実的に「大衆による支配層に対する…」はあり得ない、と…
そこで、本当にそうだろうか?を
具体的な学校教育に置き換えて考えてみた。
学校での授業・教育場面では、
教師(先生)and学生(生徒)の二通りに分けられる。
これを大きく書くなら、
教育者と被教育者、
教える立場と教えられる立場、
教える者と教えられる者、
教える者と学ぶ者、
授業中に、
教師が教師を教育する場面や
学生が教師を教育する場面はない。
それでも、職員室で、
ベテラン教員が新米教員を教育する事はあり得る。
または、休み時間に担任教師が、
クラスの生徒間の関係性について、
生徒から教えてもらう事もあり得る。
更に、生徒同士が、
授業の内容について教え合う事もあり得る。
以上の事から、
抽象的な教育関係では、
教育者と被教育者、という一重の関係でも、
具体的な教育場面では、
教師が学生に対する教育、
教師が教師に対する教育、
学生が学生に対する教育、
学生が教師に対する教育、
の四重の構造が考えられる。
このような四重の構造を持ちつつも、
結局は、
教育をする者と教育を受ける者、の
一重の構造である。
ひとつから多くへ、
多くはひとつから、
という事なのだろう…?!