「(金の話が多いのではと聞かれて)ロシア人はいつも金の話をするんだ」
お盆休みは古いテニス動画を楽しんだ。
ロッド・レーバー対ケン・ローズウォールや、ビヨン・ボルグと戦うハロルド・ソロモンやビタス・ゲルレイティス。
そういった、下手すると自分が生まれる前にやってた試合を観るのは、なんだか昔の名画を観るような味わいがあっておもしろい。
この我ながら渋い趣味は、若いころ読んでいた『テニスマガジン』の影響が強いかもしれない。
最新情報とともに、当時のテニマガはちょいちょい
「学生時代はみんなフィラのウェア着てバンダナ撒いて、木のラケットでトップスピンを打っていた」
「ケン・ローズウォールのバックハンドのスライスは今思い返しても優雅で美しい」
などといった話を放りこんできて、なんだか気にはなっていたのだ。
そこにとどめを刺したのが「新旧妄想対決」という企画。
これは編集部が今のトップ選手と過去の名選手の全盛期を「妄想の中」で戦わして、そのレポートをするというお遊び。
さすがに、くわしいことはおぼえてないけど、たしか
「ケン・ローズウォールvsマイケル・チャン」
「クリス・エバートvs伊達公子」
「ロッド・レーバーvsアンドレ・アガシ」
とかあった気がする。
ダブルスはジョン・マッケンロー&ピーター・フレミングとトッド・ウッドブリッジとマーク・ウッドフォードの「ウッディーズ」だったかなあ。
ピート・サンプラスはだれと戦ったっけ? ジョン・ニューカムとかか。それとも、スタン・スミス。
そんなマニアックなうえにもマニアックな話をして、だれが興味を持つのか不思議だったが、まあ私が持つわけである。
こんな記事から刺激を受けて、
「ロイ・エマーソンって、どんな選手やろ」
「『禅テニス』とかいう本を書いてるビル・スキャンロンって、こんな人なんや」
などなどネットでチェックするようになったわけで、今ではすっかり
「自分が生まれる前にやってたテニスの動画」
これを見るのが趣味になってしまったわけだ。
連休のヒマついでに、今の選手で「新旧妄想」をやると、どういうメンツになるだろうか。
あれこれ考えていると、こんな感じに。将棋のタイトル戦みたいに七番勝負で。
1将戦
ステファノス・チチパス
vs
ヒシャム・アラジ
2将戦 (ダブルス)
フェリシアーノ・ロペス&フェルナンド・ベルダスコ
vs
トーマス嶋田&バイロン・ブラック
3将戦
ロベルト・バウティスタ・アグート
vs
フェリックス・マンティーリャ
4将戦
リシャール・ガスケ
vs
マルセロ・リオス
5将戦 (ダブルス)
ジュリアン・ベネトー&ミシェル・ロドラ
vs
マヘシュ・ブパシ&レアンダー・パエス
副将戦
ジル・シモン
vs
マーク・フィリポーシス
大将戦
ダビド・ゴファン
vs
トーマス・エンクヴィスト
人選がかたよっているのは、完全に個人的趣味だからです。
3将戦なんか、世界で私しか見ないかも。
お盆休みは、古いテニス動画を見ていた。
というと、
「わかるなあ。以前に見た試合とか今の視点で見直すと、興味深いよね」
なんて声が聞こえてきそうだがそうではなく、私の場合もっと古いというか、自分が生まれる前にやっていた、試合の動画などを楽しむのである。
前回(→こちら)は男子はロッド・レーバーにケン・ローズウォール。
女子はナブラチロワとエバートにスザンヌ・ランランと重量級のスターを紹介したが、そんな動画をあれこれ検索していると、ちょいちょい日本語放送のものも見つかるのがうれしい。
主に、昔テレビ東京系列でやっていた『ワールドビッグテニス』。
私は見たことなかったけど、同世代から少し上のテニスファンには、やはり同世代サッカーファンにとっての『ダイヤモンド・サッカー』くらいに語られる番組だ。
おお、まさかこんなところで会えるとはと、初めて見る伝説の番組に感動したのだが、おもしろかったのはこの2つ。
1980年フレンチ・オープン準決勝、ビヨン・ボルグ対ハロルド・ソロモン(→こちら)。
同じく決勝のボルグ対ビタス・ゲルレイティス(→こちら)
ともにボルグの試合だが、むしろ相手のハロルド・ソロモンやビタス・ゲルレイティスのプレーがうれしい。
ふーん、名前は知ってたけど、こんな選手やったんやあ。
私はクレーコートの試合を観戦するのが好きなのだが、この時代のクレーは今よりさらに遅く、ラリーが粘っこいのがいい。
自分がプレーするときも、これでもかとトップスピンをかけたいスピンフェチなので、こういった真上にラケットを振りぬくような、グリグリのスピンショットはたまらないのだ。こりゃ、ハマりまっせ!
そういえば昔、あるテニスサークルに遊びに行ったとき、ミニゲームをやった人が私と同じスピン野郎であった。
こっちがいつものごとくワイパースイングで打つと、むこうも片手打ちバックハンドでメチャクチャに弾むボールを打ってくる。
こうなれば「喧嘩上等」とばかりに、おたがいがフルパワーでボールに回転をかけ、グイグイ押しこもうとする。
どちらもサービスからの展開もネットプレーも忘れて、ひたすらにトップスピンをぶつけ合う。
ミニとは言え、一応は練習試合だったのに、もはやポイントを取ろうとか、果ては勝つことなどもどうでもよく、とにかく回転、回転、また回転。
結果は、まあ私は体力に自信がないし、むこうのほうが技術も上だったから(たぶん部活とかの経験者)、最後はこちらのラケットが吹っ飛ばされて終了したんだけど、そのとき敵が不敵な笑みを浮かべていたものだった。
といっても、それは侮蔑ではなく、むしろ
「おたがいが、おたがいの力とこだわりを出し切った」
という戦士の笑顔であり、こちらも思わずニヤリとしてしまった。
おお、これが世にいう、いにしえの少年マンガにあった、
「おまえ、やるな」
「フッ、おまえもな」
という、『エースをねらえ!』における、尾崎君と藤堂さん的展開というやつか!
体育会的勝負の世界にうといので、気がつかなかったが、こういう「超友情」ってホンマにあるんやと勉強になりました。
たしかに、おたがいをぶつけ合ったラリーのあとには、なにかが芽生えるもの。
なのでたぶん、ビョルンとハロルドはつきあってますね。
ビタスとは三角関係で……て、どんな結論や。
お盆休みは、古いテニス動画を見ていた。
今年は7月こそ夜など比較的涼しかったが、8月になるとやはり猛暑の連発で(ホンマにオリンピックなんかやれるんやろか?)、こうなるとなにもする気が起きない。
なれば、連休も外に出るより家でじっとしてるのが吉であり、アイスティーを飲みながら、いにしえのテニスに漬かっていたのである。
というと、
「わかるなあ。昔に見た試合とか今見直すと、なつかしくて楽しいんだよね」
なんて声が聞こえてきそうだがそうではなく、私の場合もっと古いというか、自分が生まれる前にやっていた試合の動画などを楽しむのである。
木のラケットで、芝のコートとサーブ&ボレーが全盛で、バックハンドもほぼ片手打ちという時代。
今見ればスローモーであり、また優雅でもあるという、そんなころの試合。
たとえば、ロッド・レーバー対ケン・ローズウォール。1969フレンチ・オープン決勝とか(→こちら)
もうひとつは芝のコートで、ダンロップ・インターナショナルというシドニーの大会らしい。やはり、レーバーとローズウォール(→こちら)
シブいモノクロ映像で、スポーツや資料映像というよりも、なんだか古いヨーロッパ映画のような雰囲気で味がある。
ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーの映画のようと言ったら、言い過ぎだろうか。
ふーん、昔のローラン・ギャロスって、こんなんやったんやあ。
客席の様子とかもさることながら、今とくらべるとフェンスや柱に広告の類がまったくないのが目を引く。
そういや、グランドスラムって長くアマチュアの大会だったんだよなあと思いだしたりして、ちょっと調べてみたらローラン・ギャロスのオープン化が1968年。
なるほど、プロに開放されてまだ1年。商業化も進んでなかったわけか。
女子の試合もいい。定番のマルチナ・ナブラチロワとクリス・エバート、1978年ウィンブルドン決勝(→こちら)。
ロジャー・フェデラーと、ラファエル・ナダルにノバク・ジョコビッチ。
ピート・サンプラスとアンドレ・アガシのように、ライバル同士はプレースタイルが対照的だと、よりおもしろいもの。
古いついでに、もうひとつ女子のビンテージプレーということで、スザンヌ・ランラン(→こちら)。
フレンチ・オープンの会場であるローラン・ギャロスにも「コート・スザンヌ・ランラン」としてその名を残す、すごい女性。
とにかく強く、プレーも物腰も洗練され、優雅だったという。
そのあたりのことは、ドイツ文学者である池内紀先生の「スザンヌの微笑」というエッセイ(知恵の森文庫『モーツァルトの息子』収録)にくわしいので、是非一読を。
前回の続き。
「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
前回は1996年のオーストラリアン・オープンでベスト4に入ったダブルスのスペシャリストであるマーク・ウッドフォードについて語ったが(→こちら)、全豪では以降も、目を引くマニアックな選手が上位進出を果たしている。
1998年大会でのアルベルト・ベラサテギ(冗談みたいな厚いフォアハンドのグリップで94年のフレンチ決勝進出)や1999年大会のビンセント・スペイディア、カロル・クチェラ。
2000年大会ではクリス・ウッドルフや、モロッコの元ナンバーワン、ユーネス・エル・アイナウイがベスト8。
2001年はフランスのアルノー・クレマンが準優勝など、だれも知ら……もとい玄人好みの実力者が大活躍しているのだ。
そんな精鋭ぞろい(?)の、2000年代における地味な全豪といえば、やはり2002年大会を忘れるわけにはいかない。
というと通のテニスファンは、
「あー、あの決勝ね」
なんてニヤリとされるかもしれない。
そう、この年の決勝戦はロシアのマラト・サフィンとスウェーデンのトーマス・ヨハンソンというカードだったのだが、これがもう見てて笑ってしまうくらいタイプのちがう選手だったのだ。
サフィンのほうは2000年のUSオープン決勝で王者ピート・サンプラスをボッコボコにして優勝するという鮮烈なデビューを果たし、その後すぐにナンバーワンに。
才能にあふれ、魅力的なうえにもまた魅力的なプレーだけでなく、その派手な言動や天才らしいもろさなどあいまって、キャラ立ちまくりのザッツ・スーパースター。
一方のヨハンソンはスウェーデンの選手らしく、安定感あるストロークが武器の実力者。
その見た目や言動などはきわめて普通であり、スウェーデンのテニスといえばビヨン・ボルグやステファン・エドバーグなど華のあるイメージがあるが、実際のところはビジュアルでもプレースタイルでも「地道にコツコツ型」が多いのだ。
となると、これはもう「番長」サフィンの2つめのグランドスラムタイトルは間違いなかろうと、だれもが疑うことがなかったのだが、あにはからんや。
勝負というのはやってみなければわからないもので、この大一番を制したのは「いぶし銀」ヨハンソンなのであった。
アイヤー! そんなことがあるんでっか!
私がこれまで、もっとも意外だったグランドスラムの結果というのが、2014年USオープンの錦織圭の決勝進出なんだけど、その前といえばこのヨハンソン優勝かもしれない。
いや、トーマスには悪いけど、マラトが負けるなんてたったの1秒も思わなかったもんなあ。
彼からすれば、「オレだって、やるときゃやるゼ」てなもんだったろうが、この大会は彼だけでなく、上位進出者がけっこうな割合で渋いのも印象的だ。
レイトン・ヒューイットやアンディー・ロディックといった、優勝を期待されたトップ選手が前半戦で消えてしまったことも相まって、そこをするするとダークホースが上がってきたのだ。
それでもトップハーフはまだベスト8に、
マルセロ・リオス対トミー・ハース
ウェイン・フェレイラ対マラト・サフィン
こういったメジャーどころがそろったが、ボトムハーフはといえばこれが、
イジー・ノバク対ステファン・クベク
ヨナス・ビヨークマン対トーマス・ヨハンソン
嗚呼、なんて渋い。
ノバクかあ。昔レンドル今ベルディハと、チェコの選手は伝統的に目立たないなあ。
ビヨークマンとか「地味界の名関脇」(横綱はレンドル、大関はミヒャエル・シュティヒかペトル・コルダあたりか)が、しっかり勝ち上がっているのもうれしいではないか。ダブルスも強いというのが、またいい味だ。
しかも、その前の4回戦など、
イジー・ノバク対ドミニク・フルバティ
トーマス・ヨハンソン対アドリアン・ボイネア
とか、これでチケットがはけるんかいな、と余計なお世話の心配をしそうになる組み合わせもあったのだ。ステキすぎるではないか。
かくのごとく、オーストラリアン・オープン2002年大会は「地味萌え」な私にはなかなか興味深い大会なのである。
まあ、ファンはまだしも、大会主催者からしたら、こんなシードダウンだらけの大会は「マジで勘弁してえ!」ってなるだろうけど。
負けるな、マニアックなチェコ&スウェーデン選手!
(ベルント・カールバッヒャー編に続く→こちら)
★おまけ 2002年全豪決勝のハイライトは→こちら
前回(→こちら)の続き。
「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
前回は2002年のオーストラリアン・オープンで活躍した、ステファン・クベク、アドリアン・ボイネアといった聞いたことな……もとい、知る人ぞ知る実力派中堅選手を紹介したが、今回はフレンチ・オープンで名をあげた地味選手を。
パリはローラン・ギャロスで開催される全仏は、その「花の都」と称される土地柄と比べると、ずいぶん地味な大会である。
その理由は球足の遅いクレーコートというサーフェスにあり、スピードを殺すこのコートでは華のある攻撃的なプレーヤーが力を発揮できず、逆に
「根性だけはガチッス」
みたいな暑苦しくも、ガッツあふれる男たちが、上位進出しがちなのだ。
それこそ1994年の決勝戦など、セルジ・ブルゲラ対アルベルト・ベラサテギという、
「スペインの男汁」
とでも広告を打ちたくなるような、若干人を選ぶカード。
あのスーパースターであるビヨン・ボルグすらマッツ・ビランデルと、延々終わらないラリーをやっていたときには、フランス人が、
「こいつら、このまま世界の終わりまで打ち合ってるんじゃないか」
なんて恐れおののいたというくらいだ。げにすさまじきは、いにしえのクレーコートテニスである。
そんなふうに、かつて全仏オープンは華やかさとは無縁の「クレーのスペシャリスト」なる季節労働者が大挙して押しかけ、ここが稼ぎ時とばかりにトップスピンをぐりぐりと打ちまくっていたので、「だれやねん」な選手にこと欠かない。
たとえば、1996年のベルント・カールバッヒャー。
カールバッヒャーはドイツのテニス選手。
80年から90年代のドイツといえば、ボリス・ベッカーとミヒャエル・シュティヒが最強のツートップとしてブイブイ言わしていたわけだが(ただし仲は悪かった)、その下には
ダビト・プリノジル
ヘンドリック・ドレークマン
カール・ウベ・シュティープ
といった、マニアックすぎて、書き写していてヤングなテニスファンに土下座でもしたくなるような、少々ガチすぎる地味選手が並んでた。
ベルントもその一人だったわけだが、そんな彼もシュティープなどと並んで、ドイツのデビスカップ代表でも活躍するすごい選手。
この年のデ杯でも準決勝ロシア戦で、勝利を決める一番にベッカーの代役として出場。
ロシアのスーパーエースであるカフェルニコフにボコられて、決勝進出を逃がしたりしていたものだ(←いや、それダメじゃん)。
そんなドイツテニスの中間層をささえていたカールバッヒャーが、パリの舞台で大活躍。
4回戦でゴーラン・イバニセビッチを破る大金星を挙げて、見事ベスト8に。
彼は特にクレーコーターというイメージはないが、静かに淡々としたストロークを打ち続け、何がどうということはないが勝ち上がっていったのだ。
高速サーブやスーパーショットとは無縁だが、
「よくわからんが勝った」
この空気感が、地味選手の真骨頂といえなくもない。
準々決勝ではスイスのマルク・ロセにフルセットの末敗れたものの、「ドイツはボリスだけやない!」と、その存在感を十二分にアピールしたのであった。
また、ベルントといえば忘れがたいのが、そのヘアスタイル。
もともと容貌自体も地味なうえに、その頭に乗っている毛というのが、ヘルメットというかおかっぱというか。
お笑いコンビ2丁拳銃の小堀さんのごとき、独特すぎるビートルズ・スタイルなのであった。
いや、ビートルズは偉大だが、当時でもすでに「古典」という時代であった。なにかこう、違和感はバリバリだったのだ。
今だったら、「え? 売れようとしてるの?」とか、イジられまくりであったろう。
地味でも髪型が突飛でも、安定感と体力と根性さえあれば上位進出をねらえるのが、ローラン・ギャロスのいいところ。
1996年大会のベルント・カールバッヒャーは準優勝したミヒャエル・シュティヒとともに、
「じゃないほうドイツ選手」
として大いに気を吐き、マニアックなテニスファンを大いに盛り上げたのである。
テニスの地味な選手を見ると、つい応援したくなる癖がある。
ロジャー・フェデラーやラファエル・ナダルといったスター選手の活躍もいいが、やはり玄人のテニスファンとしては、それ以外の選手も大いに語りたいもの。
なので、グランドスラム大会などで、そういった渋い選手が上位進出して皆をガッカリ……もとい大会を盛り上げたりすると、たいそう印象に残るのである。
たとえば、1996年オーストラリアン・オープンのマーク・ウッドフォード。
テニスの世界には「ダブルスのスペシャリスト」という選手が存在する。
テニスにはご存知のようにシングルスとダブルスがあるが、メインははっきりいってシングルス。
正直なところダブルスはあまりクローズアップされず、ドロー的にもルール的にも縮小されがち。ダブルス観戦も好きな私には残念なことだ。
かつてはジョン・マッケンローやマルチナ・ナブラチロワのような、単複両方でトップに立つ選手もいたものだが、昨今のタイトなスケジュールが問題化されているテニス界では、なかなか両立も大変である。
ゆえにシングルスとダブルスは分業化がいちじるしいわけだけど、ときに
「ダブルスのトップを張って、シングルスでもそこそこ上位につけている」
そういった選手が存在するわけだ。
今ならニコラ・マユとか、ジャック・ソック、イワン・ドディグあたりが思い浮かぶが(彼らも地味だなあ)、一昔前だとトッド・ウッドブリッジとマーク・ウッドフォードによる「ウッディーズ」も、そんな選手たちだった。
トッドとマークのふたりは、とにかくダブルスで強かった。
通算67勝、グランドスラム大会優勝12回。マークはミックスダブルスでも、グランドスラムを5度優勝している。
アトランタ五輪でも金メダル。「ダブルスが命」といわれるデ杯でも大活躍した、強すぎる二人。
これらはのちにブライアン兄弟があらわれるまで、テニス界に燦然と輝く大記録だったのだ。
そんな無敵のウッディーズだが、シングルスでも魅せる機会があったのが、この1996年の全豪。
ここでウッドフォードが、すばらしい進撃を披露したのだ。
準々決勝では、優勝候補の一人だったトーマス・エンクヴィスト(彼もまた相当地味な実力者であった)をストレートで沈めて、堂々のベスト4。
準決勝では優勝したボリス・ベッカーに完敗したが、地元オーストラリア勢の大活躍に会場は大いに沸いたものだった。
この2試合で見せたウッドフォードのテニスというのが、ずいぶんとおとなしいテニスだったのが意外だった。
サウスポーでダブルスのエキスパートとなれば、それこそジョン・マッケンローのごとく切れるサービスを打ちこんで、どんどんネットダッシュを見せるのかと思いきや、彼はベースラインでねばるスタイルも多く見せていたのだ。
特にバックハンドは丁寧なスライスでつないで、相手との間合いをはかっていくテニス。
ビッグサーバー全盛の時代にずいぶんと優雅というか、なんだかオーストラリアの大先輩であるケン・ローズウォールかロッド・レーバーといった雰囲気だ。
こういう「大人のテニス」が見られるのが、ダブルスのスペシャリストの味なのかもしれない。
ちなみに、相棒のトッドも1997年のウィンブルドンではベスト4に入る大躍進を見せている。
ダブルス最強で、シングルスでも魅せたウッディーズ。
特にマークの活躍は、彼のいかにも人のよさそうな風貌も相まって、たいそう印象に残っている。
私は地味な選手とともに
「シングルスでたまに活躍するダブルスのスペシャリスト萌え」
でもあるので、96年の全豪はその意味でも、大いに盛り上がったのであった。
大坂なおみUSオープン優勝に大興奮!
と、浮かれまくっているところだが、ひとつ気になるのは、この決勝戦でもあった過剰なブーイングの問題。
私はそういった行為を、基本的にはスポーツ観戦の楽しみと認めているが、それが限度を超えると「リンチ」になりかねず、その兼ね合いがむずかしいと悩むこともある。
「リンチ」の定義はウィキペディアによると、
「法律に基づかないで、特定集団(およびそれ自身が定める独自の規則)により決され、執行される私的な制裁」。
「オレたちの決めたルールやモラルに反した」ことによる加害行為だ。「ムカついたから、やってやった」と。
私はこれが大嫌いである。
ここで一応言っておくが、これは「ひいきの選手」だからではない。
大坂なおみやマルチナ・ヒンギスは好きな選手だが、別に高校野球の強豪高に肩入れするいわれはない。興味もないし、たぶん好きにもなれないだろう。
だが、これは「好き嫌い」の問題ではない。仮にこれらのブーイングが「大坂なおみのため」のものでも、私は支持できない。
人として守るべき倫理の問題だからだ。私は「リンチ」に加担した人による、満足げな「ざまみろ」という表情を世界で一番みにくく感じる。
それは、そのまま「正義」に結びつくからだ。甲子園のタオルを回す応援が批判されるのは、「ひいき」しているからではない。
「自分が気に入らないから」「悪者だと感じたから」という理由でなにかを断罪し攻撃する、「安易な正義感」を楽しむことに対する警鐘なのだ。
それは世界史における「パリ解放」の映像を見ればわかる。
ナチスを憎んだパリ市民は、解放と同時にドイツ人とつきあいのあった女性をつるし上げ、鍵十字の落書きをし、バリカンで丸坊主にしたあげく足蹴にした。
暴力的な人々に苦しめられた者が、その憤懣と屈辱感を晴らすため、手を出しやすく、報復もされない「悪」に暴力をふるう。
地獄の悪循環だ。
しかし、そこにあるのは、まごうことなき「正義」の感情。
女に「わたしはナチの愛人です」みたいなことが書かれたプラカードを、嬉々として首からかけさせるパリ市民たちの笑顔の、なんと「さわやか」なことよ。
それは、「わたしはユダヤのブタです」というプラカードをかけられた女性に石を投げた、「善良な」ドイツ人となんら変わらぬ光景だ。
私たちが日々の生活で「さわやか」「痛快」「一体感」「元気が出た」と感じるものの正体は、実はこういうものかもしれない。
そしてそれに嫌悪を感じるのは、私もまた同じような「願望」を持っているからだろう。
「ざまあみろ」と。近親憎悪以外の、なにものでもない。だから、「義憤」にとらわれたときは、その快感に身をひたす前に(実に残念なことだが)慎重にならざるを得ない。
この件で「恥ずべき行為をしたニューヨークの観客は反省している様子もない」と批判されていたが、なんのことはない。
彼らは「正しいことをやってやった」と思っているのだから、反省する意味も必要もないのだ。カート・ヴォネガット風にいえば、「そういうもの」である。
世のあらゆる迫害や虐殺は、ここまで例にあげたような「正義の名を借りたリンチ」と密接に結びついているのだから、こういう心理状態を常に警戒しなければならない。
私が度を越したブーイングに賛成できないのは、以上の理由による。
なんて、なんだか話がややこしくなってしまったが、ともかくも大坂なおみの優勝はすばらしいことで、それは決して観客の愚かな態度によっておとしめられるものではない、と言いたいわけだ。
いや、すごいという言葉を何百回重ねたところで、その本当のところは表現できまい。
荒れた雰囲気でも、自分を見失わずにしっかりと勝ち切るなど、その大物ぶりも存分に見せることができた。
20歳での栄冠。錦織圭のベスト4と合わせて、なんという良き大会になったのか。
いつかはやってくれると信じてはいたが、まさかこんなに早いとは思いもしなかった。「2年後には」とか言ってた私の見る目の無さが、今日ばかりはうれしい限りだ。
大坂なおみ選手、あなたはテニスも笑顔もすばらしい。
優勝おめでとうございます。
☆おまけ 今年のマイアミ・オープンで見せた伝説の「史上最悪」なスピーチは→こちら
もちろんのこと私もこの結果には大興奮で、早起きしてスコアのライブ中継(今WOWOWに入ってないので。見る時間がないんだよなあ……)の前で一喜一憂したのだが、ちょこちょこ動く数字の前で、
「うおっしゃー!」
「行ける行けるで、ここ集中!」
「やったー! なおみちゃんサイコー! もう結婚してえええええ!!!」
などと、うるさいのは迷惑だから、枕で口を押さえて叫びまくるのは、われながらなかなかマヌケであった。
でもマヌケでいいもーん! 大坂ちゃんが優勝したからね! すっげ、マジで。本物やった、この娘は。そりゃ昔からすごいのは知ってたけど、こんな早く頂点に立つか……。
日本人選手で初のグランドスラム優勝の大快挙。それも、自身があこがれてやまないと公言するセリーナ・ウィリアムズを破っての栄冠とは、これ以上ないほどの喜びと充実感であろう。
大坂なおみは、テニスがすばらしいのは当然として、そのキャラクターがまた魅力的だ。
インタビュー動画や雑誌の記事など読んでも、その独特で明るい言動の好感度はすこぶる高い。海外でも人気だし、テニスを知らない人でも一度見たら、好きにならずにはいられないのではないか。
ただこの決勝戦、ひとつ気になったことがあった。
そう、会場のブーイングだ。
私はダイジェスト映像しか観ていないから、そんなにくわしくはわからないが、セリーナが審判の判定を不服とし抗議したところ、会場は歓声とブーイングにつつまれ、それは試合後のセレモニーまで続いたのだ。
大坂なおみには、なんら責められるいわれもないのだから、とんだとばっちりだ。本来なら人生最高の日になるはずなのに。
これは個人的な見解だが、この決勝のみならず、私はスポーツの会場での過剰なブーイングなどが好きではない。
いや、もちろん声をあげて大応援や、相手チームに対するディスはスポーツ観戦の楽しみだし、それはある種の文化でもあることは認めるにやぶさかではない。ただ騒ぎたいだけでも、それはそれで全然アリだ。
しかしだ、単に自分たちが「ムカついた」ことによって、試合会場の空気を壊してしまうことだけは、なんだか受け入れられないのだ。
テニスの世界でも、たとえば1999年のフレンチ・オープン決勝でのマルチナ・ヒンギスへのブーイング。
たしかにあの試合で、審判の判定に異議を唱えたヒンギスの態度はほめられたものではない。それ相応のペナルティはあってしかるべきかもしれない。
だがそのことによって、彼女を追い詰め、まともな精神状態で試合をできないようにし、一時は表彰式にすら出られないほど泣き崩れたところに「ざまあみろ」と罵声を浴びせる権利は、「我々」にあるのだろうか?
最近の甲子園もそうだ。全国から選手を集めたり、金にあかせてチームを補強する「悪役」と戦う学校を露骨に応援し、マウンド上で青ざめている投手に(まだ高校生だ)
「勝たせたいチームをひいきするのは当たり前」
「あいつらは卑怯だから、これくらいやられて当然だ」
と言い切る姿は、他者にはどう映るだろう。
少なくとも私は「なんだかなあ」と思うし、知らずにやっているところを指摘されたら「恥ずかしい」と感じるだろう。
なぜならそれは応援や意見の表明と見せかけた、単なる「リンチ」にすぎないからだ。
(続く→こちら)