古いテニス雑誌を読んでみた 『スマッシュ』2012年8月号 イオン・ティリアックとブルークレー

2020年04月27日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。
 
 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、古いバックナンバーを購入して読むのが、ひそかな趣味である。
 
 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。
 
 今回読んでみたのは『スマッシュ』の2012年8月号
 
 フレンチオープンの特集号で、表紙は優勝して赤土にひざまずくマリアシャラポワ
 
 今号で興味をひかれるのは、一時期物議をかもした「ブルークレー」問題。
 
 初夏のヨーロッパはクレーコートの季節。コロナの影響でテニスのツアーもストップしているけど、本来ならローランギャロスにむけたクレーの大会で盛り上がり始めるころ。
 
 クレーといえば「赤土」なイメージがあるけど、アメリカUSクレーコート選手権では緑の「グリーンクレー」があり、さらにもうひとつ青いクレーコートというのも存在したことがあった。
 
 ただ、このブルークレーコート、使ってみるとこれが、すこぶる評判が悪かった
 
 見た目の違和感もさることながら、
 
 
 「すべりすぎる。氷の上でプレーしてるみたい」
 
 
 という理由で、ロジャーフェデラーラファエルナダルノバクジョコビッチといったトップ選手からも、猛反対を受けていたのだ。
 
 実際、これを採用したマドリードオープンではナダルとジョコビッチが早期敗退
 
 特にナダルはその年、クレーコートで22連勝していて、その記録が止まってしまったのだから痛いではないか。
 
 では、なぜにて、そんな案が通ってしまったのかといえば、これがイオンティリアックという大物マネージャーの仕業。
 
 元ルーマニアのテニス選手だった彼は、引退後ビジネスの世界で大成功し、テニス界にも大きな影響力を持つことに。
 
 で、この人が、一代で名をあげた「大物」にありがちなように、とにかくクセがすごい。
 
 エゴイズムが強烈で、主催する大会では常に一番目立つ席に陣取り、自らの存在感をアピール。
 
 仕事面でも、あらゆる会社に自らの「ティリアック」の名を冠し、このマドリード大会でもダイヤをちりばめた、成金趣味丸出しのその名も「ティリアックトロフィー」を用意したのだから、わかりやすい人である。
 
 この人がひとたび、
 
 
 「クレーは青がええんや」
 
 
 そう言い出したのだから、それをくつがえすなど、できるはずもない。
 
 一応ティリアック側の言い分では、
 
 
 「青い方がボールもよう見えるし、あざやかでテレビ映りもキレイやないか」
 
 
 とのことだが、この話題を取り上げているレネシュタウファー記者によれば、
 
 
 「赤でもよく見えるし、青いコートはパッとしないし、足跡が目立ってかえって汚いのではないか」
 
 
 まあ見た目は慣れもあるかもしれないけど、クレーを青くするために酸化鉄から取り除かなければならないそうで、そのため、すべり止め効果が失われるのは問題だ。
 
 かたよったサーフェスは選手のプレーに悪影響をあたえる。スポーツ選手の仕事は勝つことだが、「いいプレーを見せる」ことも大事なわけで、そこを犠牲にしてはいかんだろう。
 
 その意味では、私もどちらかといえば反対派であり、なにより変更理由が、
 
 
 「クセの強いオッチャンのごり押し」
 
 
 というのが一番引っかかるところだ。
 
 イオン・ティリアックがテニス界に大きな貢献をしていることは事実だろうけど、トップ選手が早期敗退するような変更は、百害あって一利なしではないか。
 
 なんて外野としては思うわけだけど、やはり「大物」の意向にはなかなか逆らえないし、またマドリード・オープン自体があまり人気のない大会なため、なんとか話題づくりもしたい事情もあって、ATP会長も頭をかかえているとか。
 
 もしこのままブルークレーで行くなら、ナダルやジョコビッチが大会をボイコットする可能性もあり、これにはティリアックも、
 
 
 「えー、2人けえへんの? そんなん残念やわあ」
 
 
 そうボヤいているそうだけど、それやったらアンタが変なこと言いだすなよ! とレネさんも、つっこんでおられます。たしかにねえ。
 
 まこと、「大物」というのはめんどくさいものだけど、次の年からは無事(?)ブルークレーは廃止になり、なんとかめでたしめでたし。
 
 ただひとつすごいのは、なんのかのいってこのコートに適応して優勝してしまったロジャーフェデラー
 
 当時はまだ全盛期の勢いを取り戻せてなかったはずだけど、こういうところはすごいもんだ。
 
 ビッグネームが優勝してくれて、大会側としてはホッとしたろうが、なんにしても、まったく罪作りな「鶴の一声」である。
 
 この号にあった他のニュースとしては、
 
 「ナダルとジョコビッチ、グランドスラム4大会連続で決勝対決」
 
 「ダビド・ゴファン、ラッキールーザーからローラン・ギャロス4回戦進出」
 
 「錦織圭、ロンドン・オリンピック出場確定」
 
 などもあったが、長くなってしまったので、次の機会としたい。
 
 
 
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古いテニス雑誌を読んでみた 『スマッシュ』2011年2月号 ニコライ・ダビデンコ特集

2019年10月24日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。
 
 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。
 
 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。
 
 今回読んでみたのは『スマッシュ』の2011年2月号。表紙はラファエルナダル
 
 今号は大きな大会などは取り上げてないが、内容は充実しており例えば、ニコライダビデンコのインタビュー。
 
 
 「地味界の星」
 
 「もっと評価されていいと、だれか言ってあげて」
 
 「あれ? ニコライいたの?」
 
 
 などなど、その存在感無さをイジられるどころか、あまりに地味ゆえ5年間トップ5をキープしながら、スポンサーがひとつもつかなかったお人。
 
 そんな実力のわりにしてる感のある男が、2009年度のツアーファイナル優勝して一気に名をあげた。
 
 その素晴らしい結果もさることながら、大会で披露したユーモアあふれるインタビューが好意的に取り上げられ、人気面でもブレイク。
 
 ここに堂々の登場だ。
 
 ニコライによると、それまではインタビューで技術的なことをまじめに答えていたのだが、
 
 

 「マスコミは面白いネタを欲しがっている(笑)」

 

 
 このことに気づいて、リラックスして話すとそれがウケたのだという。
 
 たとえば、ファイナルのタイトルを取ったことに対しては、
 
 

 「何も変わったことはないよ。ただ100万ドル手に入ったけどね」

 

 ラファエル・ナダルやアンディーマレーがニコライを全豪 にあげていることに対しては、
 
 

 「彼らが僕について話すなんて驚きだ」

 

 自虐ネタというか、ご自分のキャラをよくわかってらっしゃる。他にも、
 
 

 「朝飯を食べるのに部屋から出られないから、有名になりたくないよ」

  「(金の話が多いのではと聞かれて)ロシア人はいつも金の話をするんだ」

 

 などなど、クールなニコライ節。決勝で戦ったフアンマルティンデルポトロに、
 
 

 「プレステ3の選手みたいだ」 

 

 なんて賛辞(たぶん)されると、
 
 

 「もっと速くなって、プレステ4みたいになろうと思ってる」

 

 なんて独特なニコライジョークも披露。
 
 これを、あのおとなしそうな彼が語ってると想像すると、妙におかしい。
 
 ニコライは日本にきたことがないんだけど、ロシアだとビザを取るのが大変だからなんだって。
 
 2か月くらい待たされるから、スケジュールに入れられないとか。
 
 どの大会に出るか、ビザの取りやすさで決まることもあるとか。そうなんだあ。
 
 あと、私の勝手な印象で、ニコライ・ダビデンコといえば
 
 
 「全豪で準優勝してそう」
 
 
 そんなイメージがあったんだけど、あらためて調べてみたらベスト8が最高だった。
 
 というか、グランドスラムで一度も決勝行ってないんですね。
 
 実力だけなら2、3回出ててもおかしくなかったのに。2005年ローランギャロス準決勝マリアノプエルタに負けたのが痛恨だったか。
 
 インタビューによると、そのユーモラスな素顔から2010年度はダンロップとかアシックスとかからオファーが来たんそうな。
 
 すごいじゃん。よかったね、ニコライ!
 
 その他のニュースとしては
 
 
 「スペシャルインタビュー ラファエル・ナダル」
 
 「デビスカップ、ジョコビッチとトロイツキの活躍でセルビアが優勝」
 
 「錦織圭カムバックの軌跡」
 
 
 などもあったが、長くなってしまったので、またの機会としたい。
 
 
 
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『テニスマガジン』発 妄想で対決! 新旧名選手どっちが強いの? いぶし銀プレーヤー編

2019年09月21日 | テニス

 お盆休みは古いテニス動画を楽しんだ。

 ロッドレーバーケンローズウォールや、ビヨンボルグと戦うハロルドソロモンビタスゲルレイティス

 そういった、下手すると自分が生まれる前にやってた試合を観るのは、なんだか昔の名画を観るような味わいがあっておもしろい。

 この我ながら渋い趣味は、若いころ読んでいた『テニスマガジン』の影響が強いかもしれない。

 最新情報とともに、当時のテニマガはちょいちょい

 



 「学生時代はみんなフィラのウェア着てバンダナ撒いて、のラケットでトップスピンを打っていた」


 「ケンローズウォールのバックハンドのスライスは今思い返しても優雅で美しい」



 

 などといった話を放りこんできて、なんだか気にはなっていたのだ。

 そこにとどめを刺したのが「新旧妄想対決」という企画。

 これは編集部がのトップ選手と過去の名選手の全盛期を「妄想の中」で戦わして、そのレポートをするというお遊び

 さすがに、くわしいことはおぼえてないけど、たしか

 



 「ケンローズウォールvsマイケルチャン

 「クリスエバートvs伊達公子

 「ロッドレーバーvsアンドレアガシ



 

 とかあった気がする。

 ダブルスジョンマッケンローピーターフレミングトッドウッドブリッジマークウッドフォードの「ウッディーズ」だったかなあ。

 ピートサンプラスはだれと戦ったっけ? ジョンニューカムとかか。それとも、スタンスミス

 そんなマニアックなうえにもマニアックな話をして、だれが興味を持つのか不思議だったが、まあが持つわけである。

 こんな記事から刺激を受けて、

 

 ロイエマーソンって、どんな選手やろ」

 「『禅テニス』とかいう本を書いてるビルスキャンロンって、こんな人なんや」

 

 などなどネットでチェックするようになったわけで、今ではすっかり

 

 「自分が生まれる前にやってたテニスの動画」

 

 これを見るのが趣味になってしまったわけだ。

 連休のヒマついでに、の選手で「新旧妄想」をやると、どういうメンツになるだろうか。

 あれこれ考えていると、こんな感じに。将棋のタイトル戦みたいに七番勝負で。

 




 1将戦 

 ステファノス・チチパス

 vs 

 ヒシャム・アラジ




 2将戦 (ダブルス)

 フェリシアーノ・ロペス&フェルナンド・ベルダスコ

 vs

 トーマス嶋田&バイロン・ブラック



 

 3将戦

 ロベルト・バウティスタ・アグート

 vs 

フェリックス・マンティーリャ




 4将戦

 リシャール・ガスケ

 vs 

マルセロ・リオス


 

 5将戦 (ダブルス)

 ジュリアン・ベネトー&ミシェル・ロドラ

 vs

 マヘシュ・ブパシ&レアンダー・パエス



 

 副将戦

 ジル・シモン

 vs 

マーク・フィリポーシス



 大将戦

 ダビド・ゴファン

 vs 

トーマス・エンクヴィスト



 

 人選がかたよっているのは、完全に個人的趣味だからです。

 3将戦なんか、世界で私しか見ないかも。

 

 

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古いテニス動画を観てみた ワールドビッグテニス ビヨン・ボルグ ハロルド・ソロモン ビタス・ゲルレイティス

2019年08月29日 | テニス

 お盆休みは、古いテニス動画を見ていた。

 というと、

 「わかるなあ。以前に見た試合とか今の視点で見直すと、興味深いよね」

 なんて声が聞こえてきそうだがそうではなく、私の場合もっと古いというか、自分が生まれる前にやっていた、試合の動画などを楽しむのである。

 前回(→こちら)は男子はロッド・レーバーケン・ローズウォール

 女子はナブラチロワエバートスザンヌ・ランランと重量級のスターを紹介したが、そんな動画をあれこれ検索していると、ちょいちょい日本語放送のものも見つかるのがうれしい。

 主に、昔テレビ東京系列でやっていた『ワールドビッグテニス』。

 私は見たことなかったけど、同世代から少し上のテニスファンには、やはり同世代サッカーファンにとっての『ダイヤモンド・サッカー』くらいに語られる番組だ。

 おお、まさかこんなところで会えるとはと、初めて見る伝説の番組に感動したのだが、おもしろかったのはこの2つ。

 1980年フレンチ・オープン準決勝、ビヨン・ボルグハロルド・ソロモン(→こちら)。

 同じく決勝のボルグビタス・ゲルレイティス(→こちら

 ともにボルグの試合だが、むしろ相手のハロルド・ソロモンやビタス・ゲルレイティスのプレーがうれしい。

 ふーん、名前は知ってたけど、こんな選手やったんやあ。

 私はクレーコートの試合を観戦するのが好きなのだが、この時代のクレーは今よりさらに遅く、ラリーが粘っこいのがいい。

 自分がプレーするときも、これでもかとトップスピンをかけたいスピンフェチなので、こういった真上にラケットを振りぬくような、グリグリのスピンショットはたまらないのだ。こりゃ、ハマりまっせ!

 そういえば昔、あるテニスサークルに遊びに行ったとき、ミニゲームをやった人が私と同じスピン野郎であった。

 こっちがいつものごとくワイパースイングで打つと、むこうも片手打ちバックハンドでメチャクチャに弾むボールを打ってくる。

 こうなれば「喧嘩上等」とばかりに、おたがいがフルパワーでボールに回転をかけ、グイグイ押しこもうとする。

 どちらもサービスからの展開もネットプレーも忘れて、ひたすらにトップスピンをぶつけ合う。

 ミニとは言え、一応は練習試合だったのに、もはやポイントを取ろうとか、果ては勝つことなどもどうでもよく、とにかく回転、回転、また回転。

 結果は、まあ私は体力に自信がないし、むこうのほうが技術もだったから(たぶん部活とかの経験者)、最後はこちらのラケットが吹っ飛ばされて終了したんだけど、そのとき敵が不敵な笑みを浮かべていたものだった。

 といっても、それは侮蔑ではなく、むしろ

 「おたがいが、おたがいの力とこだわりを出し切った」

 という戦士の笑顔であり、こちらも思わずニヤリとしてしまった。

 おお、これが世にいう、いにしえの少年マンガにあった、

 

 「おまえ、やるな」

 「フッ、おまえもな」

 

 という、『エースをねらえ!』における、尾崎君と藤堂さん的展開というやつか!

 体育会的勝負の世界にうといので、気がつかなかったが、こういう「超友情」ってホンマにあるんやと勉強になりました。

 たしかに、おたがいをぶつけ合ったラリーのあとには、なにかが芽生えるもの。

 なのでたぶん、ビョルンとハロルドはつきあってますね。

 ビタスとは三角関係で……て、どんな結論や。

 

 

 

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古いテニス動画を観てみた ロッド・レーバー ケン・ローズウォール マルチナ・ナブラチロワ クリス・エバート スザンヌ・ランラン

2019年08月20日 | テニス

 お盆休みは、古いテニス動画を見ていた。

 今年は7月こそ夜など比較的涼しかったが、8月になるとやはり猛暑の連発で(ホンマにオリンピックなんかやれるんやろか?)、こうなるとなにもする気が起きない。

 なれば、連休も外に出るより家でじっとしてるのが吉であり、アイスティーを飲みながら、いにしえのテニスに漬かっていたのである。

 というと、

 「わかるなあ。昔に見た試合とか今見直すと、なつかしくて楽しいんだよね」

 なんて声が聞こえてきそうだがそうではなく、私の場合もっと古いというか、自分が生まれる前にやっていた試合の動画などを楽しむのである。

のラケットで、のコートとサーブ&ボレーが全盛で、バックハンドもほぼ片手打ちという時代。

 今見ればスローモーであり、また優雅でもあるという、そんなころの試合。

 たとえば、ロッド・レーバーケン・ローズウォール1969フレンチ・オープン決勝とか(→こちら

 もうひとつはのコートで、ダンロップ・インターナショナルというシドニーの大会らしい。やはり、レーバーとローズウォール(→こちら

 シブいモノクロ映像で、スポーツや資料映像というよりも、なんだか古いヨーロッパ映画のような雰囲気で味がある。

 ジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーの映画のようと言ったら、言い過ぎだろうか。

 ふーん、ローラン・ギャロスって、こんなんやったんやあ。

 客席の様子とかもさることながら、今とくらべるとフェンスや柱に広告の類がまったくないのが目を引く。

 そういや、グランドスラムって長くアマチュアの大会だったんだよなあと思いだしたりして、ちょっと調べてみたらローラン・ギャロスのオープン化1968年

 なるほど、プロに開放されてまだ1年。商業化も進んでなかったわけか。

 女子の試合もいい。定番のマルチナ・ナブラチロワクリス・エバート1978年ウィンブルドン決勝(→こちら)。

ロジャー・フェデラーと、ラファエル・ナダルノバク・ジョコビッチ

 ピート・サンプラスアンドレ・アガシのように、ライバル同士はプレースタイルが対照的だと、よりおもしろいもの。

 それにしても、エバートはどんな状況でも、本当に表情や仕草が変わらない。「アイスドール」とはよくつけたものだ。
 
 一方のナブラッチは静かながらも、その闘志と意志の強さは大きく感じられ、将棋の里見香奈女流五冠を思わせる。
 
 2人の戦いに、時間も忘れて見入ってしまう。一心に戦う女性は綺麗だ。

 古いついでに、もうひとつ女子のビンテージプレーということで、スザンヌ・ランラン(→こちら)。

 フレンチ・オープンの会場であるローラン・ギャロスにも「コート・スザンヌ・ランラン」としてその名を残す、すごい女性。

 とにかく強く、プレーも物腰も洗練され、優雅だったという。

 そのあたりのことは、ドイツ文学者である池内紀先生の「スザンヌの微笑」というエッセイ(知恵の森文庫『モーツァルトの息子』収録)にくわしいので、是非一読を。 

 (ソロモン&ゲルレイティス編に続く→こちら

 

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2014年&2019年ウィンブルドン決勝 ジョコビッチvsフェデラーに見る「承認欲求」の功罪 その2

2019年07月17日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「承認欲求の強い人は、常にそれを求めて安定しにくいから、幸福になりにくい」
 
 
 という説に対して、承認欲求の低い私は「そんなもんかねえ」と思うくらいだが、ときにそのことをで感じさせられることもある。
 
 それが2014年度と2019年度のウィンブルドン決勝を観戦したときのこと。
 
 まずは2014年の話をしよう。
 
 ファイナルに勝ち上がってきたのは、当時押しも押されぬ世界ナンバーワンだったノバクジョコビッチと、元王者のロジャーフェデラー
 
 テニス界を席巻する「ビッグ4」の一員同士の対決は、フルセットにもつれこむ激闘となったが、最後は第1シードのジョコビッチが2011年に続く2度目優勝を飾った。
 
 両者ともすばらしいテニスを披露し、その年のベストマッチといっていい内容だったが、プレー以上に忘れられないのが、勝者よりも敗れたロジャー・フェデラーの姿だ。
 
 最大のライバルを倒し、歓喜の表情を見せるノバクと対照的に、ロジャーの方はこれ以上ないくらい打ちひしがれていた。
 
 芝を口にふくむパフォーマンスを見せながら、家族スタッフと抱き合ってよろこびを分かち合う優勝者。
 
 その陰で、敗者はどす黒い顔をしてベンチに座りこみ、呆然としていた。
 
 その表情は今にも泣きだしそうで、苦しそうに目や口元をゆがめながら、すがるようにファミリーボックスに視線を送る。
 
 その先にいたのは、彼を常に支える奥さんのミルカさんの姿。
 
 ミルカさんはフェデラー家のシンボルともいえる双子ちゃんを両手に抱いて、
 
 
 「アカン、お父ちゃん、泣いたらアカン。アンタはチャンピオンなんや、無敵の王者ロジャー・フェデラーなんやで。そんな男が、負けたからいうて、くずれたらいかんのや。ほら、立ち上がって、堂々と胸張ってふるまうんやで!」
 
 
 なんて、言葉はわからないけど、おそらくはこんなことを言ってはげまそうとしていた空気は伝わってきて、でも実際のところは、負けた人間にかけるべきなぐさめなどないのだろう、
 
 
 「わかってる、わかってるねん。でも無理や。ここまでがんばって優勝やないなんて悲しすぎる。ミルカ、ごめん、もうオレここで乙女のように泣いてまうわ!」
 
 
 頭をかかえて、うなだれるロジャー・フェデラー。その様相はほとんど、
 
 
 「もうすぐ世界が終わることを予知してしまった人」
 
 
 にしか見えず、なにかもう、すごいことになってるなあと、いっそ息苦しい思いにすらさせられたものだ。 
 
 ここでつくづく感じさせられたのが、
 
 「達成感承認欲求のおそろしさ」
 
 これなんである。
 
 ロジャーの打ちひしがれる姿にザワザワさせられたのは、単に彼が大勝負に敗れたからだけではない。
 
 そりゃたしかに、ウィンブルドン決勝戦で負けるのはつらかろう。
 
 1年かけて調整して、タフな戦いを6つクリアして、最後の最後にファイナルセットまでもつれこんだ末、栄冠を逃したとあっては、その脱力感はすさまじいものかもしれない。
 
 けどだ、テニスファンならご承知のことだろうが、彼はこの時点で17個グランドスラムタイトルを獲得しているのだ(今は20個に増えている)。
 
 ことがウィンブルドンにかぎったとしても、2003年から5連覇
 
 さらに2009年2012年に優勝し、すでに7個のカップを保持しているのである。
 
 そんなテニス界のすべてを手に入れた男が、今さらここで8個目の優勝カップを取りそこなったからと言って、
 
 
 「え? 今ここで子供が車に轢かれたん?」
 
 
 というくらいの苦しみを味あわなければならない理由が、果たしてあるのだろうか。
 
 このときつくづく、「ハングリー精神」って諸刃の剣だと思い知らされた。
 
 いうまでもなく、ロジャー・フェデラーが一時期のスランプを乗り越え、全盛期を過ぎても安定して上位をキープするどころか、2017年度に「王の帰還」を果たしたのは、まさにこの
 
 
 「負けることの悔しさ」
 
 
 を持ち続けていることが一因だろう。
 
 だがそれは同時に、どれだけのものを、それこそテニス史上最高でこれ以上は積みあがらないというほどに名誉優勝カップを手に入れても、やはり敗北の痛みは「持たざる者」だったことから減ることはないということでもあるのだ。
 
 もし彼が「満腹」だったら、2012年ウィンブルドン優勝でそのキャリアの幕を閉じるという選択もあったろう。
 
 それはそれで、十分以上に充実したテニス人生だったと思う。
 
 だが、ロジャー・フェデラーはそれを選ばなかった。
 
 そして見事、ナンバーワンに返り咲いたが、同時にそれは減ることのない「敗北の痛み」を受け入れたうえでのものなのだ。
 
 ハングリーたることは幸せを手に入れるための大きな武器だが、その分、それを手に入れる瞬間以外結果過程は、ただただ修羅の道。
 
 なんと大変なことなのか。そのことをこれでもかと感じさせられて、なんだかグッタリしてしまったのだ。
 
 そして、2019年度のウィンブルドン決勝で、またも歴史に残る激戦の末、ロジャー・フェデラーはノバク・ジョコビッチに敗れた
 
 まさに、あのときの再現で、準優勝のプレートを持つロジャーの顔はどす黒く、露骨にひきつっていたのまで同じだった。
 
 昨日、録画しておいたロジャー・フェデラーの準優勝スピーチを聴きながら、
 
 
 「幸せって、なんだろう」
 
 
 なんて、あのときガラにもないことをボンヤリ考えたことを、なんだか思い出してしまったのだった。
 
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2014年&2019年ウィンブルドン決勝 ジョコビッチvsフェデラーに見る「承認欲求」の功罪

2019年07月16日 | テニス
 「幸せって、なんなんやろうね」
 
 
 先日行われたウィンブルドン決勝を見ながら、しみじみとそんなことを思ったりした。
 
 
 「芸能人やスポーツ選手など有名人は、幸せになるのがむずかしい」
 
 
 というのは『幸福論』みたいな本によくあるフレーズであるが、華やかな世界に生きて、人によっては稼ぎも相当というノバクやロジャーのような選手が、なぜにて幸福になりにくいのか。
 
 私のような凡人は「はて?」と首をかしげたくなるが、これは「2ちゃんねる」の創始者でもある西村博之さんも、似たようなことをおっしゃられていて、つまりは、なんらかの形で人前に出る人というのは
 
 
 「承認欲求」
 
 「達成感を生きがいにする心」
 
 
 が強く、そのことが幸福感と密接に結びついているわけで、常にそれを求めていることから「精神的な安定感」が得られにくい。
 
 スポーツ選手に必要なのは「勝利への欲求」「ハングリー精神」だが、これは裏を返せば
 
 
 「勝ち続けないと、その時点で不幸決定」
 
 「いつもお腹ペコペコで必死」
 
 
 ということになり、年中精神的に追い立てられていることになる。
 
 もちろん、人は渇望感があるからこそ、それを埋めようとしてがんばって、そこに発展成長があるわけだけど(「夢にむかってがんばる」とかね)、ずーっとそれが続くのは、たしかにしんどそう。
 
 竹熊健太郎さんは『新世紀エヴァンゲリオン』以降の庵野秀明監督を語るときに、
 
 
 「クリエイターは、モテてないときが一番いい作品を作る」
 
 
 と言っていたけど、「渇望感」が「前進への活力」になるという意味では、彼ら彼女らが幸せを追求するには、
 
 
 「デフォルトの状態が満たされていないほうがいい」
 
 
 という矛盾があるわけで、そう考えると因果な話だという気もする。
 
 ひろゆきさんの場合、
 
 
 「ボクは承認欲求とか、もう全然ないから、人の評価とか気にならないよ」
 
 
 なんてしれっと語って(これはこれでホントかなぁという気もするけど)、そのあたりは私も似たようなところがあるから、
 
 
 「たしかに人によく思われたいっていう願望にとぼしいから、そのことで悩んだこととかはないかなあ。なるほど、それを【ラッキー】とする解釈もあるわけだ」
 
 
 なんて今さらながら思ったりした。
 
 うーん、いわれてみれば「注目」「達成」「勝利」を目指すほど、「嫉妬」や「不公平感」といったの感情にとらわれる機会も多くなるだろうしなあ。
 
 けど、反面こちらのようなボンクラは、精神的に楽といえば楽だけど、
 
 
 「認められることや達成することで、得られるよろこび」
 
 
 このすばらしさが半減するし、なにかにむかって走り出すときのモチベーションにも、おとるところもある。
 
 つまるところ「熱くなる」という快感を味わえない体質であるので、そこは「損してる」という気にならないこともない。
 
 人間の長所短所は、常にウラオモテなのだ。
 
 そんな承認欲求にとぼしい「ひろゆき型」人間なので、「ハングリー」な人の幸不幸というのはピンとこないことが多いんだけど、ときおり、
 
 
 「あー、それって、こういうことか」
 
 
 なんて実感させられることもあり、それが先日の2019年度、それともうひとつ2014年度のウィンブルドン決勝で敗れたロジャーフェデラーの姿を見たときだった。
 
 
 (続く→こちら
 
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古いテニス雑誌を読んでみた 『スマッシュ』2009年12月号 ジャパン・オープン特集

2019年06月27日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。
 
 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。
 
 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。
 
 前回は1990年のセイコー・スーパー・テニスとニチレイ・レディースの特集号を紹介したが(→こちら)、今回読んでみたのは『スマッシュ』の2009年12月号。
 
 楽天ジャパンオープンと、東レPPOの特集。
 
 東レ優勝のマリア・シャラポワが投げキスで華やかに表紙を飾っている。
 
 日本開催の大会が2つで内容も盛りだくさんだが、その中で気になる記事をざっと拾っていくと、まず目についたのが、
 
 
 ■エドゥアール・ロジェ=ヴァセランが、ベスト8進出。
 
 この年のジャパンオープンは、ジョー・ウィルフリード=ツォンガが優勝。
 
 さらには彼の盟友であるガエル・モンフィスもベスト4とフランス勢の活躍が目立ったが、中でも躍進したのがロジェ=ヴァセラン。
 
 ダブルスのスペシャリストで、のちに全仏ダブルス優勝者にもなるエドゥアールだが、シングルスではさほどの活躍がないイメージ。
 
 ただ今大会では予選を勝ち上がると、1回戦でUSオープン優勝者のフアン・マルティン・デルポトロ相手に大金星。
 
 2回戦では実力者ユルゲン・メルツァーをフルセットで破って準々決勝へ。
 
 おしくもレイトン・ヒューイットには敗れたものの、まさに台風の目ともいえる勝ちっぷり。「スマッシュ」記者も
 
 
 「メジャーでない選手でも、このレベルのプレーができる選手がいる。現在のフランスの層の厚さには驚くばかりだ」
 
 
 ただ、2018年の『スマッシュ』におけるフローラン・ダバディーさんのコラムによると、
 
 
 「フランスの選手は層は厚いが、それ以上の爆発がなく、意識改革が必要なのでは」
 
 
 とのこと。「安定」と「ブレイク」の両立って、なかなか難しいのかもしれない。
 
 
 
 □初来日のファブリス・サントロにインタビュー。
 
 両サイド両手打ちの個性派で、その独創的なプレースタイルから「マジシャン」と呼ばれたサントロ。
 
 派手さはないが実力は折り紙付きで、シングルスもダブルスもうまいという、いかにもフランス風の選手だが、はじめて来た日本の印象をたずねてみると、
 
 
 「今までは、6週間の長いアメリカのサマーシーズンがUSオープンで終わった時には、もう遠い日本には行けませんでした。でも、09年を最後のシーズンにすると決めた時、カレンダーに東京に行くと最初に書き入れたんですよ」
 
 
 どうやら、もともと興味はあったけど、スケジュール的にきつかったと。
 
 今大会はフランス勢が多くエントリーしたんだけど、なんでもリシャール・ガスケが「東京行こうぜ」とすすめまくったからだとか。
 
 「錦織キラー」として知られる彼だけど、実は日本大好きだったんですね。
 
 ちなみに、ファブによると両サイド両手打ちは
 
 「強い足を持つこと」
 
 が重要で、そうじゃないと「ほぼ不可能」とのこと。やっぱ、リーチの問題かぁ。
 
 日本人選手のニュースでは、本村剛一、茶圓鉄也、岩渕聡といった面々が引退を決意。
 
 現デ杯監督の岩渕選手は、おなじみ鈴木貴男選手とのダブルスでジャパンオープン、ベスト4入り。有終の美を飾った。
 
 あと、この当時は、八百長問題で追放された三橋淳選手が連載していたんですね。
 
 フューチャーズで3大会連続ダブルス優勝とか、楽天オープンでも予選でエルネスツ・グルビスと戦ったとか、明るいニュースが報告されてるんだけど、今となってはむなしい限り。
 
 雑談系のネタでは、サム・クエリーがロッカールームで、靴ひもを結んでいたらテーブルが壊れて負傷。完治まで1月以上と不運すぎるとか。
 
 ビクトル・トロイツキは日本食が大好きとか、「スマッシュ」とHEADのイベントに、飛び入りでライナー・シュトラーが参加とか。
 
 ライナーはファンサービスにも快く応じ、とてもいい人だったそうです。
 
 日本ではそんなに知られてないけど、全豪で準優勝したこともある、いい選手なんです。
 
 とまあ、全体的に地味好みな私らしいニュースを拾ってみた。他にも目についたのは、
 
 「クルム伊達公子が韓国オープンで優勝」
 
 「ジュスティーヌ・エナンがツアーに復帰」
 
 「杉山愛が17年の現役生活を引退」
 
 といったところだが、長くなってきたので、またの機会にしたい(←いや、そっちを取り上げろよ!)
 
 
 
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テニス 地味……もとい「いぶし銀」プレーヤー列伝 パトリック・マッケンロー編

2019年05月16日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。
 
 「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
 
 前回は「1996年ウィンブルドンジェイソンストルテンバーグが勝つべき大会だった」。
 
 という、我ながら意味不明の提言をしたものだが、地味な選手シリーズの最後はUSオープン編。
 
 スポーツの世界には、家族同じ競技のプレーヤーというケースがたまに見られる。
 
長嶋茂雄長嶋一茂とか、マラソン宗兄弟とか、レスリング伊調姉妹
 
 テニス界でもマレーバ三姉妹とか「ジェンセンズ」ことジェンセン兄弟
 
 今だとボブマイクブライアン兄弟や、ミーシャサーシャズベレフ兄弟アンディージェイミーマレー兄弟なんてのもいて、それぞれに活躍していたりする。
 
 彼ら彼女らは、ときに刺激を受けて活躍しあったり、ダブルスを組んだり、中には少々格差が生まれたりもすることもあるが、テニス界でもっとも「キャラ的に格差」があるのがこの兄弟ではなかろうか。
 
 そう、ジョンパトリックマッケンロー兄弟
 
 ジョンのほうはいうまでもあるまい、元世界ナンバーワン
 
 グランドスラム大会7勝ウィンブルドン3USオープン4)、ツアー通算単複合わせて148勝
 
 実績だけでなく人気の面でも他の追随をゆるさない、世界に誇るテニス界のスーパースターである。
 一方、のパトリックのほうはどうであろうか。
 
 世界ランキングはシングルス28位。キャリア通算優勝回数も、シングルスでは1回のみ。
 
 それでもテニス選手としては、トップ100に入ってタイトルもとっているのだから十分すぎるほどの成功者なのだが、これが
 
 
「ジョン・マッケンローの弟」
 
 
 として見ると、どうにも見劣りすると言わざるを得ない。
 
 実際、「悪童マック」とおそれられた兄とちがって、パトリックのほうは温厚な人格者として知られ、プレーヤーとしてよりもデビスカップ監督として有名と見る人もいよう。
 
 もしかしたら、そのあたりの人の好さが、才能以前に彼がジョンほどの実績を築けなかった原因かもしれない。
 そんなナイスガイのパトリックが輝いた大会がふたつあって、ひとつが1991年オーストラリアンオープンでのベスト4
 
 もうひとつが、1995年USオープンでのベスト8だ。
 
ゴーランイバニセビッチ1コケしたドローから、ブレッドスティーブンアレクサンドルボルコフダニエルバチェクと、これまたいい感じにマニアックな中堅どころを倒しての準々決勝に進出。
 
 ここで当たったのが、兄に勝るとも劣らないスーパースターボリスベッカーだった。91年全豪準決勝でも戦った、因縁の相手だ。
 
 この試合、私もテレビで観戦していたが、とにかくニューヨークのファンからパトリックへの声援がすごかった。
 
 元からしてUSオープンの客はアメリカンでノリがいいが、このときはパワーがさらにちがう感じであった。
 
 パトリックがニューヨーカーであり、本当に地元中の地元選手であることにくわえて、各上のベッカー相手に3度タイブレークに持ちこむ頑張りを見せたこともあって、会場は爆発的な大盛り上がりを見せていたのだ。
 
 結果は4セットでベッカーが辛勝するんだけど、随所に「あわや」な場面を作りだし、それよりもなによりも、いかにも人格者である彼らしい、あきらめない、ひたむきなプレーが感動的であった。
 
 私だけでなく、あの試合を観戦したすべての人が、パトリック・マッケンローのファンになったのではなかろうか。そう確信できるほどの好ゲームであったのだ。
 
 私は世代的にピートサンプラスアンドレアガシジムクーリエマイケルチャンといった選手の洗礼を受けている。
 
 それ以前のレンドルベッカーエドバーグに関しては知ってはいるものの「同時代感」はなく、それより前のジョンやボルグコナーズといった面々はすでにして「伝説」であった。
 
 その意味では、1995年からテニスを見始めた私にとって、むしろリアルな「マッケンロー」といえばパトリックということになる。
 
 テニスを知らない人には
 
 
「マッケンローのジョンじゃないほう
 
 
 そう語られがちだが、私にとっての「じゃないほう」はむしろジョンの方なのである。
 
  
 
 ★おまけ 好漢パトリックの活躍は→こちら
 
 
 
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テニス 地味……もとい「いぶし銀」プレーヤー列伝 ジェイソン・ストルテンバーグ編

2019年05月10日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。
 
 「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
 
 前回は1996年フレンチ・オープンで活躍した、ベルントカールバッヒャーを紹介したが、ローランギャロスではベスト16くらいの「だれやねん」率が他の大会より高い。
 
 
 1997年大会 ガロブランコがベスト8
 
 1999年大会 フェルナンドメリジェニドミニクフルバティがベスト4
 
 2000年大会 フランコスキラーリがベスト8
 
 2003年 マルティンフェルカークが準優勝
 
 
 芥川龍之介羅生門』のごとく、だれも知らない選手が目白押しだ。
 
 まあ、専門色の強いクレーコートは他とくらべて、ややマニアックな選手が活躍しがちだが、ではウィンブルドンはどうか。
 
 ウィンブルドンはフレンチとくらべると、パワースピードにものを言わすアグレッシブなプレーヤーが勝てる大会。
 
 優勝者を見ても、ピートサンプラスボリスベッカーステファンエドバーグロジャーフェデラー
 
 などなどスターの名前が多いわけだが、中には「ほほう、こんな選手が」とほほが緩むような男が勝ち上がっていたりする。
 
 たとえば、1996年大会のジェイソンストルテンバーグ
 
 オーストラリアといえば、古くはテニス王国であり、私がテニスを見出してからも、マークフィリポーシスパトリックラフターレイトンヒューイットに、トッドウッドブリッジマークウッドフォードウッディーズ
 
 なとなど好選手を数多く輩出しているが、ジェイソンみたいな渋い選手も忘れてないところがである。
 
 私が勝手に選ぶ地味な選手の条件として、
 
 
 「見た目がおぼえにくい」
 
 「ツアーで準優勝が多い」
 
 「ダブルスが強い」
 
 
 などと並んで、
 
 
 「グランドスラムの最高成績が、軒並み4回戦どまり」
 
 
 現役選手ならフィリップコールシュライバーとかジュリアンベネトーあたりが当てはまりそうだが、ジェイソンもまた他の4大大会では、多くがベスト16止まりであった。
 
 ところが、どういった気まぐれか96年ウィンブルドンでは勢いが止まらず、準々決勝では、それまで2度決勝に進出しているゴーランイバニセビッチを破ってベスト4に進出したのである。
 
 この年の大会はにたたられたせいもあってか、ボリス・ベッカーやアンドレアガシといった優勝候補が総崩れして、ファンと大会側をガッカリさせていた。
 
 当時は私も、テレビで延々シートをかぶせられたセンターコートの映像を見させられて、うんざりしたもの。
 
 また、悪いことは重なるもので、絶対的な芝の王者であったピートサンプラス地元期待のティムヘンマンすら準々決勝で姿を消してしまった。
 
 こうなったら、残る楽しみはゴーラン・イバニセビッチの悲願の初優勝しかなかろうと期待していたら、なんとジェイソンに負けてベスト8で散り、もうコケそうになったのであった。
 
 なんや、この大会は。
 
 まあ個人的なグチはともかく、優勝候補であったゴーランを、しかもウィンブルドンの舞台で屠ったのは、ジェイソン・ストルテンバーグのテニス人生最大の勝利かもしれない。
 
 私はテレビの前でコケながらも、
 
 
 「こうなったら、いっそストルテンバーグが優勝したら笑うのになあ」
 
 
 なんて大会側のため息(だったでしょう間違いなく)を尻目に呑気なことを考えていたものだ。
 
 まあ、それはジェイソンに失礼な言い方だけど、でもホント、彼がチャンピオンになってたら、どうなってたかなあ。
 
 みんな、反応に困ったやろうなあ。その意味では、せめて決勝にはいってほしかったような気がいないでもないというか、しないかな、やっぱり(←だから失礼だって)。
 
 そんないぶし銀の男が魅せたウィンブルドンだが、この96年大会は決勝のカードもやや地味であった。
 
 
 リカルド・クライチェク対マラビーヤ・ワシントン。
 
 
 雑誌『スマッシュ』によると、アメリカのメディアではこの96年ウィンブルドンは、はっきり「はずれの年」といわれているらしい。
 
 アメリカ人のマラビーヤが決勝に出ているのに、ヒドイやんという気もするけど、まあベスト4のカードが
 
 
 クライチェク対ストルテンバーグ
 
 ワシントン対トッド・マーティン
 
 
 では無理ない気もするか。決勝も正直凡戦だったし。
 
 そこまで「はずれ」といわれるなら、やはりそこはとことんはずす方向で突き詰めてほしかった。
 
 そうなると、リカルドには悪いがそこはもういっそ
 
 
 「ストルテンバーグ優勝」
 
 
 という結果だったほうが、ハジケていたような気もする。
 
 テニスの世界には「この年は○○が勝つべきだった」と自他ともに認められる大会がある。
 
 たとえば97年USオープンマイケルチャンとか、2004年フレンチ・オープンギレルモコリアなどがあるが、私としてはそこに
 
 
 「96年ウィンブルドンはあえてジェイソン・ストルテンバーグが勝つべき大会だった」
 
 
 という一説を加えたいところ。賛同者ゼロは覚悟している。
 
 
 (マッケンロー編に続く→こちら
 
 
 
 ★おまけ 後輩のレイトン・ヒューイット(当時16歳)と戦うストルテンバーグの雄姿は→こちら
 
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テニス 地味……もとい「いぶし銀」プレーヤー列伝 ノバク、クベク、ビヨークマン編

2019年05月06日 | テニス

 前回の続き。

 「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。

 前回は1996年オーストラリアンオープンベスト4に入ったダブルスのスペシャリストであるマークウッドフォードについて語ったが(→こちら)、全豪では以降も、目を引くマニアックな選手が上位進出を果たしている。

1998年大会でのアルベルトベラサテギ(冗談みたいな厚いフォアハンドのグリップで94年フレンチ決勝進出)や1999年大会のビンセントスペイディアカロルクチェラ

2000年大会ではクリスウッドルフや、モロッコの元ナンバーワン、ユーネスエルアイナウイがベスト8。

2001年はフランスのアルノークレマン準優勝など、だれも知ら……もとい玄人好みの実力者が大活躍しているのだ。

 そんな精鋭ぞろい(?)の、2000年代における地味な全豪といえば、やはり2002年大会を忘れるわけにはいかない。

 というと通のテニスファンは、

 「あー、あの決勝ね」

 なんてニヤリとされるかもしれない。

 そう、この年の決勝戦はロシアのマラトサフィンとスウェーデンのトーマスヨハンソンというカードだったのだが、これがもう見てて笑ってしまうくらいタイプのちがう選手だったのだ。

 サフィンのほうは2000年USオープン決勝で王者ピートサンプラスをボッコボコにして優勝するという鮮烈なデビューを果たし、その後すぐにナンバーワンに。

 才能にあふれ、魅力的なうえにもまた魅力的なプレーだけでなく、その派手な言動や天才らしいもろさなどあいまって、キャラ立ちまくりのザッツ・スーパースター

 一方のヨハンソンはスウェーデンの選手らしく、安定感あるストロークが武器の実力者。

 その見た目や言動などはきわめて普通であり、スウェーデンのテニスといえばビヨンボルグステファンエドバーグなど華のあるイメージがあるが、実際のところはビジュアルでもプレースタイルでも「地道コツコツ型」が多いのだ。

 となると、これはもう「番長」サフィンの2つめのグランドスラムタイトルは間違いなかろうと、だれもが疑うことがなかったのだが、あにはからんや。

 勝負というのはやってみなければわからないもので、この大一番を制したのは「いぶし銀」ヨハンソンなのであった。

 アイヤー! そんなことがあるんでっか!

 私がこれまで、もっとも意外だったグランドスラムの結果というのが、2014年USオープン錦織圭の決勝進出なんだけど、その前といえばこのヨハンソン優勝かもしれない。

 いや、トーマスには悪いけど、マラトが負けるなんてたったの1秒も思わなかったもんなあ。

 彼からすれば、「オレだって、やるときゃやるゼ」てなもんだったろうが、この大会は彼だけでなく、上位進出者がけっこうな割合で渋いのも印象的だ。

レイトンヒューイットアンディーロディックといった、優勝を期待されたトップ選手が前半戦で消えてしまったことも相まって、そこをするするとダークホースが上がってきたのだ。

 それでもトップハーフはまだベスト8に、



 マルセロ・リオス対トミー・ハース

  ウェイン・フェレイラ対マラト・サフィン



 こういったメジャーどころがそろったが、ボトムハーフはといえばこれが、



イジー・ノバク対ステファン・クベク

  ヨナス・ビヨークマン対トーマス・ヨハンソン



 嗚呼、なんて渋い。

 ノバクかあ。昔レンドルベルディハと、チェコの選手は伝統的に目立たないなあ。

 ビヨークマンとか「地味界の名関脇」(横綱はレンドル、大関ミヒャエルシュティヒペトルコルダあたりか)が、しっかり勝ち上がっているのもうれしいではないか。ダブルスも強いというのが、またいい味だ。

 しかも、その前の4回戦など、



イジー・ノバク対ドミニク・フルバティ

  トーマス・ヨハンソン対アドリアン・ボイネア



 とか、これでチケットがはけるんかいな、と余計なお世話の心配をしそうになる組み合わせもあったのだ。ステキすぎるではないか。

 かくのごとく、オーストラリアン・オープン2002年大会は「地味萌え」な私にはなかなか興味深い大会なのである。

 まあ、ファンはまだしも、大会主催者からしたら、こんなシードダウンだらけの大会は「マジで勘弁してえ!」ってなるだろうけど。

 負けるな、マニアックなチェコスウェーデン選手!

 (ベルント・カールバッヒャー編に続く→こちら


 ★おまけ 2002年全豪決勝のハイライトは→こちら



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テニス 地味……もとい「いぶし銀」プレーヤー列伝 ベルント・カールバッヒャー編

2019年05月05日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。

 前回は2002年のオーストラリアン・オープンで活躍した、ステファンクベクアドリアンボイネアといった聞いたことな……もとい、知る人ぞ知る実力派中堅選手を紹介したが、今回はフレンチオープンで名をあげた地味選手を。

 パリローランギャロスで開催される全仏は、その「花の都」と称される土地柄と比べると、ずいぶん地味な大会である。
 
 その理由は球足遅いクレーコートというサーフェスにあり、スピードを殺すこのコートでは華のある攻撃的なプレーヤーが力を発揮できず、逆に



 「根性だけはガチッス」



 みたいな暑苦しくも、ガッツあふれる男たちが、上位進出しがちなのだ。

 それこそ1994年決勝戦など、セルジブルゲラアルベルトベラサテギという、



 「スペインの男汁」



 とでも広告を打ちたくなるような、若干人を選ぶカード。

 あのスーパースターであるビヨンボルグすらマッツビランデルと、延々終わらないラリーをやっていたときには、フランス人が、



 「こいつら、このまま世界の終わりまで打ち合ってるんじゃないか」



 なんて恐れおののいたというくらいだ。げにすさまじきは、いにしえのクレーコートテニスである。

 そんなふうに、かつて全仏オープンは華やかさとは無縁の「クレースペシャリスト」なる季節労働者が大挙して押しかけ、ここが稼ぎ時とばかりにトップスピンをぐりぐりと打ちまくっていたので、「だれやねん」な選手にこと欠かない。

 たとえば、1996年ベルントカールバッヒャー

 カールバッヒャーはドイツのテニス選手。

 80年から90年代のドイツといえば、ボリスベッカーミヒャエルシュティヒが最強のツートップとしてブイブイ言わしていたわけだが(ただし仲は悪かった)、その下には



 ダビト・プリノジル

  ヘンドリック・ドレークマン

  カール・ウベ・シュティープ



 といった、マニアックすぎて、書き写していてヤングなテニスファンに土下座でもしたくなるような、少々ガチすぎる地味選手が並んでた。

 ベルントもその一人だったわけだが、そんな彼もシュティープなどと並んで、ドイツのデビスカップ代表でも活躍するすごい選手。

 この年のデ杯でも準決勝ロシア戦で、勝利を決める一番にベッカー代役として出場。

 ロシアのスーパーエースであるカフェルニコフにボコられて、決勝進出を逃がしたりしていたものだ(←いや、それダメじゃん)。

 そんなドイツテニスの中間層をささえていたカールバッヒャーが、パリの舞台で大活躍

 4回戦ゴーランイバニセビッチを破る大金星を挙げて、見事ベスト8に。

 彼は特にクレーコーターというイメージはないが、静かに淡々としたストロークを打ち続け、何がどうということはないが勝ち上がっていったのだ。

 高速サーブやスーパーショットとは無縁だが、

 

 「よくわからんが勝った」

 

 この空気感が、地味選手の真骨頂といえなくもない。

 準々決勝ではスイスマルクロセフルセットの末敗れたものの、「ドイツはボリスだけやない!」と、その存在感を十二分にアピールしたのであった。

 また、ベルントといえば忘れがたいのが、そのヘアスタイル

 もともと容貌自体も地味なうえに、その頭に乗っている毛というのが、ヘルメットというかおかっぱというか。

 お笑いコンビ2丁拳銃小堀さんのごとき、独特すぎるビートルズスタイルなのであった。

 いや、ビートルズは偉大だが、当時でもすでに「古典」という時代であった。なにかこう、違和感はバリバリだったのだ。

 今だったら、「え? 売れようとしてるの?」とか、イジられまくりであったろう。  

 地味でも髪型が突飛でも、安定感と体力と根性さえあれば上位進出をねらえるのが、ローラン・ギャロスのいいところ。

 1996年大会のベルント・カールバッヒャーは準優勝したミヒャエル・シュティヒとともに、

 

 「じゃないほうドイツ選手」

 

 として大いに気を吐き、マニアックなテニスファンを大いに盛り上げたのである。

 

 (続く→こちら


 ★おまけ 派手さはないがグランドスラムの8強は見事! ベルントの戦いぶりは→こちら


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テニス 地味……もとい「いぶし銀」プレーヤー列伝 マーク・ウッドフォード編

2019年04月18日 | テニス

 テニス地味な選手を見ると、つい応援したくなる癖がある。

 ロジャーフェデラーラファエルナダルといったスター選手の活躍もいいが、やはり玄人のテニスファンとしては、それ以外の選手も大いに語りたいもの。

 なので、グランドスラム大会などで、そういった渋い選手が上位進出して皆をガッカリ……もとい大会を盛り上げたりすると、たいそう印象に残るのである。

 たとえば、1996年オーストラリアンオープンマークウッドフォード

 テニスの世界には「ダブルススペシャリスト」という選手が存在する。

 テニスにはご存知のようにシングルスとダブルスがあるが、メインははっきりいってシングルス

 正直なところダブルスはあまりクローズアップされず、ドロー的にもルール的にも縮小されがち。ダブルス観戦も好きな私には残念なことだ。

 かつてはジョンマッケンローマルチナナブラチロワのような、単複両方でトップに立つ選手もいたものだが、昨今のタイトなスケジュールが問題化されているテニス界では、なかなか両立も大変である。

 ゆえにシングルスとダブルスは分業化がいちじるしいわけだけど、ときに



 「ダブルスのトップを張って、シングルスでもそこそこ上位につけている」



 そういった選手が存在するわけだ。

 今ならニコラマユとか、ジャックソックイワンドディグあたりが思い浮かぶが(彼らも地味だなあ)、一昔前だとトッドウッドブリッジマークウッドフォードによる「ウッディーズ」も、そんな選手たちだった。

 トッドとマークのふたりは、とにかくダブルスで強かった。

 通算67勝グランドスラム大会優勝12回。マークはミックスダブルスでも、グランドスラムを5度優勝している。

 アトランタ五輪でも金メダル。「ダブルスが命」といわれるデ杯でも大活躍した、強すぎる二人。

 これらはのちにブライアン兄弟があらわれるまで、テニス界に燦然と輝く大記録だったのだ。

 そんな無敵のウッディーズだが、シングルスでも魅せる機会があったのが、この1996年の全豪。

 ここでウッドフォードが、すばらしい進撃を披露したのだ。

 準々決勝では、優勝候補の一人だったトーマスエンクヴィスト(彼もまた相当地味な実力者であった)をストレートで沈めて、堂々のベスト4
 
 準決勝では優勝したボリスベッカーに完敗したが、地元オーストラリア勢の大活躍に会場は大いに沸いたものだった。

 この2試合で見せたウッドフォードのテニスというのが、ずいぶんとおとなしいテニスだったのが意外だった。

 サウスポーでダブルスのエキスパートとなれば、それこそジョン・マッケンローのごとく切れるサービスを打ちこんで、どんどんネットダッシュを見せるのかと思いきや、彼はベースラインでねばるスタイルも多く見せていたのだ。

 特にバックハンドは丁寧なスライスでつないで、相手との間合いをはかっていくテニス。

 ビッグサーバー全盛の時代にずいぶんと優雅というか、なんだかオーストラリアの大先輩であるケンローズウォールロッドレーバーといった雰囲気だ。

 こういう「大人のテニス」が見られるのが、ダブルスのスペシャリストの味なのかもしれない。

 ちなみに、相棒のトッド1997年ウィンブルドンではベスト4に入る大躍進を見せている。

 ダブルス最強で、シングルスでも魅せたウッディーズ。

 特にマークの活躍は、彼のいかにも人のよさそうな風貌も相まって、たいそう印象に残っている。

 私は地味な選手とともに

 

 「シングルスでたまに活躍するダブルスのスペシャリスト萌え」

 

 でもあるので、96年の全豪はその意味でも、大いに盛り上がったのであった。

 

 

 (続く→こちら



 ★おまけ ウッドフォードの渋いテニスは→こちらから



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大坂なおみUSオープン優勝と、ブーイングによる「リンチ」の問題 その2

2018年09月11日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 大坂なおみUSオープン優勝に大興奮!

 と、浮かれまくっているところだが、ひとつ気になるのは、この決勝戦でもあった過剰なブーイングの問題。

 私はそういった行為を、基本的にはスポーツ観戦の楽しみと認めているが、それが限度を超えると「リンチ」になりかねず、その兼ね合いがむずかしいと悩むこともある。

 「リンチ」の定義はウィキペディアによると、 

 「法律に基づかないで、特定集団(およびそれ自身が定める独自の規則)により決され、執行される私的な制裁」。

 「オレたちの決めたルールやモラルに反した」ことによる加害行為だ。「ムカついたから、やってやった」と。

 私はこれが大嫌いである。

 ここで一応言っておくが、これは「ひいきの選手」だからではない。

 大坂なおみやマルチナ・ヒンギスは好きな選手だが、別に高校野球の強豪高に肩入れするいわれはない。興味もないし、たぶん好きにもなれないだろう。

 だが、これは「好き嫌い」の問題ではない。仮にこれらのブーイングが「大坂なおみのため」のものでも、私は支持できない。

 人として守るべき倫理の問題だからだ。私は「リンチ」に加担した人による、満足げな「ざまみろ」という表情を世界で一番みにくく感じる。

 それは、そのまま「正義」に結びつくからだ。甲子園のタオルを回す応援が批判されるのは、「ひいき」しているからではない。

 「自分が気に入らないから」「悪者だと感じたから」という理由でなにかを断罪し攻撃する、「安易な正義感」を楽しむことに対する警鐘なのだ。

 それは世界史における「パリ解放」の映像を見ればわかる。

 ナチスを憎んだパリ市民は、解放と同時にドイツ人とつきあいのあった女性をつるし上げ、鍵十字の落書きをし、バリカンで丸坊主にしたあげく足蹴にした。

 暴力的な人々に苦しめられた者が、その憤懣と屈辱感を晴らすため、手を出しやすく、報復もされない「悪」に暴力をふるう。

 地獄の悪循環だ。

 しかし、そこにあるのは、まごうことなき「正義」の感情。

 女に「わたしはナチの愛人です」みたいなことが書かれたプラカードを、嬉々として首からかけさせるパリ市民たちの笑顔の、なんと「さわやか」なことよ。

 それは、「わたしはユダヤのブタです」というプラカードをかけられた女性に石を投げた、「善良な」ドイツ人となんら変わらぬ光景だ。

 私たちが日々の生活で「さわやか」「痛快」「一体感」「元気が出た」と感じるものの正体は、実はこういうものかもしれない。

 そしてそれに嫌悪を感じるのは、私もまた同じような「願望」を持っているからだろう。

 「ざまあみろ」と。近親憎悪以外の、なにものでもない。だから、「義憤」にとらわれたときは、その快感に身をひたす前に(実に残念なことだが)慎重にならざるを得ない。
 
 この件で「恥ずべき行為をしたニューヨークの観客は反省している様子もない」と批判されていたが、なんのことはない。

 彼らは「正しいことをやってやった」と思っているのだから、反省する意味も必要もないのだ。カート・ヴォネガット風にいえば、「そういうもの」である。

 世のあらゆる迫害や虐殺は、ここまで例にあげたような「正義の名を借りたリンチ」と密接に結びついているのだから、こういう心理状態を常に警戒しなければならない。

 私が度を越したブーイングに賛成できないのは、以上の理由による。

 なんて、なんだか話がややこしくなってしまったが、ともかくも大坂なおみの優勝はすばらしいことで、それは決して観客の愚かな態度によっておとしめられるものではない、と言いたいわけだ。

 いや、すごいという言葉を何百回重ねたところで、その本当のところは表現できまい。

 荒れた雰囲気でも、自分を見失わずにしっかりと勝ち切るなど、その大物ぶりも存分に見せることができた。

 20歳での栄冠。錦織圭のベスト4と合わせて、なんという良き大会になったのか。

 いつかはやってくれると信じてはいたが、まさかこんなに早いとは思いもしなかった。「2年後には」とか言ってた私の見る目の無さが、今日ばかりはうれしい限りだ。

 大坂なおみ選手、あなたはテニスも笑顔もすばらしい。

 優勝おめでとうございます。 

 

 ☆おまけ 今年のマイアミ・オープンで見せた伝説の「史上最悪」なスピーチは→こちら



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大坂なおみUSオープン優勝と、ブーイングによる「リンチ」の問題

2018年09月10日 | テニス
 大坂なおみがUSオープンで優勝した。

 もちろんのこと私もこの結果には大興奮で、早起きしてスコアのライブ中継(今WOWOWに入ってないので。見る時間がないんだよなあ……)の前で一喜一憂したのだが、ちょこちょこ動く数字の前で、

 「うおっしゃー!」

 「行ける行けるで、ここ集中!」

 「やったー! なおみちゃんサイコー! もう結婚してえええええ!!!」

 などと、うるさいのは迷惑だから、枕で口を押さえて叫びまくるのは、われながらなかなかマヌケであった。

 でもマヌケでいいもーん! 大坂ちゃんが優勝したからね! すっげ、マジで。本物やった、この娘は。そりゃ昔からすごいのは知ってたけど、こんな早く頂点に立つか……。

 日本人選手で初のグランドスラム優勝の大快挙。それも、自身があこがれてやまないと公言するセリーナ・ウィリアムズを破っての栄冠とは、これ以上ないほどの喜びと充実感であろう。

 大坂なおみは、テニスがすばらしいのは当然として、そのキャラクターがまた魅力的だ。

 インタビュー動画や雑誌の記事など読んでも、その独特で明るい言動の好感度はすこぶる高い。海外でも人気だし、テニスを知らない人でも一度見たら、好きにならずにはいられないのではないか。

 ただこの決勝戦、ひとつ気になったことがあった。

 そう、会場のブーイングだ。
 
 私はダイジェスト映像しか観ていないから、そんなにくわしくはわからないが、セリーナが審判の判定を不服とし抗議したところ、会場は歓声とブーイングにつつまれ、それは試合後のセレモニーまで続いたのだ。

 大坂なおみには、なんら責められるいわれもないのだから、とんだとばっちりだ。本来なら人生最高の日になるはずなのに。

 これは個人的な見解だが、この決勝のみならず、私はスポーツの会場での過剰なブーイングなどが好きではない。

 いや、もちろん声をあげて大応援や、相手チームに対するディスはスポーツ観戦の楽しみだし、それはある種の文化でもあることは認めるにやぶさかではない。ただ騒ぎたいだけでも、それはそれで全然アリだ。

 しかしだ、単に自分たちが「ムカついた」ことによって、試合会場の空気を壊してしまうことだけは、なんだか受け入れられないのだ。

 テニスの世界でも、たとえば1999年のフレンチ・オープン決勝でのマルチナ・ヒンギスへのブーイング。

 たしかにあの試合で、審判の判定に異議を唱えたヒンギスの態度はほめられたものではない。それ相応のペナルティはあってしかるべきかもしれない。

 だがそのことによって、彼女を追い詰め、まともな精神状態で試合をできないようにし、一時は表彰式にすら出られないほど泣き崩れたところに「ざまあみろ」と罵声を浴びせる権利は、「我々」にあるのだろうか?

 最近の甲子園もそうだ。全国から選手を集めたり、金にあかせてチームを補強する「悪役」と戦う学校を露骨に応援し、マウンド上で青ざめている投手に(まだ高校生だ)

 「勝たせたいチームをひいきするのは当たり前」

 「あいつらは卑怯だから、これくらいやられて当然だ」

 と言い切る姿は、他者にはどう映るだろう。

 少なくとも私は「なんだかなあ」と思うし、知らずにやっているところを指摘されたら「恥ずかしい」と感じるだろう。

 なぜならそれは応援や意見の表明と見せかけた、単なる「リンチ」にすぎないからだ。


 (続く→こちら


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