前回の続き。
塚田泰明九段はかつて「攻め100%」と怖れられたが、その反対に
「受け100%」
を標榜するのが、永瀬拓矢五段。
ところが、プロの世界では受けだけでは苦しく、攻めにシフトを変えると、これが大当たり。
永瀬は連勝街道を、ひた走ることとなる。
これには「受け将棋萌え」として、ちょっとさみしいところもあったわけだが、どっこい永瀬は受けの心を忘れたわけではなかったのである。
それが見られたのは、またしても『将棋世界』誌の企画。
トップアマからA級棋士まで、5チームがタッグを組んでリーグを戦う「双龍戦」における、対菅井竜也戦であった。
非公式戦ながら、東西若手の俊英がぶつかるということで、プロからも注目を集めたこの一番。
その対抗意識も、
永瀬「びんびんに意識している」
菅井「こちらも意識しているが、むこうも気に食わない奴だと思っていることでしょう」
菅井「こちらも意識しているが、むこうも気に食わない奴だと思っていることでしょう」
バチバチのやりあいで好勝負が期待された一番は、永瀬の先手石田流でスタート。
すかさず穴熊にもぐった菅井は、中盤でペースをつかみ大きくリード。
「もう必勝ですよ」
というくらいに、自信を持って戦いを進めていたが、たしかに、素人目にも菅井の攻めが炸裂しているように見えた。
完全に喰いつかれている永瀬陣。後手はどこかで△64飛(!)が必殺手になる。
深く囲って、あとは自陣を見ずに攻めまくるという、穴熊の理想的な展開で、
「固い、攻めてる、切れない」
の必勝態勢だ。
おまけに、残り時間も菅井が20分あるのに対し、永瀬は1分の秒読み。
これには、永瀬のアニキ分である鈴木大介八段も、断言せざるを得なかった。
「この攻めは切れません。残念ながら後手勝ちです」
たしかに受ける形がないように見えるが……
だが、決着がついたに見えたこの将棋が、ここから、おかしなことになりだす。
あとは仕上げにはいるだけ、という菅井は「もう勝ったぞ」とばかりに、ノータイムでビシビシ指し進めるが、これが危ない橋だったようだ。
どう指しても勝てそうながら、そこで菅井は細かいミスを続けてしまう。ちょっとずつちょっとずつ、歯車が狂いはじめる。
一方永瀬は陥落寸前の玉を、あれやこれやと耐えている。
馬や龍を自陣に利かし、歩の手筋を駆使して相手をあせらせる。
あきらかに、菅井は攻めあぐねていた。
依然、局面は必勝だが、なにやらあやしいムードがただよいはじめる。
そう、これこそが「受けの永瀬」の真骨頂だ。流れは永瀬ペースになりつつあった。
受けになっているのか怪しい手のようだが……。
歩を突いて、馬を下段まで利かしてねばる
いかにもタダで取られそうな合駒
メッタ打ちにしか見えないのに……
いつ終わるかという大熱戦は、なんと菅井の攻めが切れてしまうという衝撃の結末を見せた。
仕掛けから150手近く、菅井はあらんかぎりの力をもって攻撃を続行したが、永瀬のディフェンスを、最後まで打ち崩すことができなかったのだ。
次々繰り出される、ねばりの手に幻惑され、ついに最後まで、急所にパンチを届かせることができなかった。
213手目で菅井が、ついに刀折れ矢尽き投了。
なんということか。あの大必勝の将棋が、まさか逆転してしまうとは。
後手に指す手がまったくない最終図
投了図、最初右サイドの銀冠で、上下左右あらゆる方角から猛爆を受けていたはずの永瀬玉は、いつのまにかスルスルと逆の▲88の地点に遷都をすませ、涼しい顔をしている。
一方、菅井の攻め駒は、盤上に残された銀一枚と、駒台の飛車一本。
見事な完切れ。
菅井玉の穴熊は手つかずだが、もはやどうしようもない。哀しいほどの「姿焼き」だ。
すべての弾薬を撃ち尽くし、呆然と焼け野原で立ち尽くしているような、菅井の姿が痛々しいではないか。
あきれかえるような、すさまじい受けきり勝ち。
だれがあのド必敗の将棋を、こんな風にひっくり返せるというのか。
しかも、相手は関西若手最強とも言われている菅井竜也だ。
そして、なによりおそろしいことに、この将棋で永瀬が攻めた手というのは、猛攻の間隙をぬって王手した、▲71飛のたった一手のみ。
それ以外は、すべて受けの手。
いや、その飛車の王手すら相手に合駒を打たせて(菅井は虎の子の飛車を自陣に手放すしかなかった)戦力をそぐ受けの手ともいえたし、最後は竜にして成りかえって、しっかりと守備の駒として活躍させた。
つまり永瀬は実質、一手も攻めずに勝ってしまったことになる。
これは、すごすぎる将棋の作りである。
もちろん、厳密には菅井のミスが敗因なのだが、私としてはそれを誘発した、永瀬の強靭すぎるねばりを評価したい。
この勝ち方は、本当にとんでもない。強すぎる。
棋譜だけ見たら、それこそ大山-二上戦とか、大山-加藤一二三戦といわれても、納得してしまいそう。
このように、永瀬拓矢の受けの魂は、消えてはいなかった。
辛いプロに対応するために、攻めのレバーも取り入れはしたが、やはりその強さは守備力にあった。
もう一度、里見戦と菅井戦の投了図を見てみよう。
大山将棋もそうだが、受けきって勝つって、なんてかっこいいんだろう。受け好きの私は、もうウットリ。
やはり永瀬拓矢は要チェックである。
関西推しの私としては、同時にやっかいなやつが東にいるもんだという気持ちもあるが、豊島将之や糸谷哲郎、稲葉陽といった精鋭たちが、そう簡単に受けつぶされると思えないし、菅井も次はきっとリベンジすることであろう。
これからも新世代の将棋は、興味が尽きないのである。
★永瀬拓矢がデビュー時に苦戦していた将棋は→こちら
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