前回(→こちら)の続き。
相手の読み筋を狂わす「不思議流」の緩急を駆使して、王者中原誠から王将のタイトルを奪った中村修。
私はまさに、その玄妙な将棋に魅了されてしまったわけだが、そんな中村の強さは、相手の攻めをかわす受けの強さにあった。
将棋の受けの強さには様々ある。
大山康晴十五世名人のように、相手の狙いを先回りしてつぶしていく者もいれば、昔の丸山忠久九段は入玉模様で相手をかわした。
木村一基八段のように、積極的に相手の攻め駒を責めて行く、力強いタイプもいる。
中村の場合はまた独特で、どう強いのかが、いかにもわかりにくいが(なんたって「不思議流」だ)、ともかくもしのぎの強さが、際だっていたことはたしかだ。
先攻をゆるし、しょうがないしょうがないの連続で受け続け、そのままKOされるのかの思いきや、最終盤ではいつの間にか受け切っている。
これには、攻めていたほうも唖然となる。
中村はただ手なりで受けているように見せかけて、実は相手を上回る深い読みの裏づけがあるのだ。
この受けを苦にしない棋風と、徹底したディフェンスの強さにより、中村は
「受ける青春」
という名前をちょうだいしたりした。
そう、中村の強さは、強靱な守備力と、人が読んでいない手を発見し、掘り下げられるところにあった。
人が思いつかない手を指せるということは、それすなわち才能である。
どうも私は、受けに独特の力を発揮する棋士が好みのよう。
最近では永瀬拓矢や関西の千田翔太あたりに注目しているが、その萌芽は、すでに将棋を見始めたばかりの当時でも、はっきりとしていたわけだ。
谷川浩司の「前進流」「光速の寄せ」や、塚田泰明の「攻め100%」もいいが、やはり私が燃えるのは曲線的なディフェンスである。
我ながら、渋好みだ。中村修を買っていた「老師」こと河口俊彦八段の言葉を借りれば、
「人生は明るく、将棋は暗く」
が中村流。まさに中村将棋の本質をつく言葉であろう。

2009年の王位戦。滝誠一郎七段戦。
先手の猛烈なラッシュをヒラリとかわして、居玉の位置で涼しい顔。
ほとんど詰みに見えるが、▲53竜には△41玉とかわして、▲43竜、△51玉と王手の千日手で中村がしのいでいる。
▲17と▲26の桂、▲23の成香、▲32の歩、▲34の金、▲43の竜などの突撃隊たちから「こんな追いこんで、寄らへんのかい!」との声が聞こえてきそう。
そんな魅力的な中村修であったが、なぜだかその後、大きく伸び悩むこととなる。
中村に限らず、一時期はタイトルを総ナメにした「花の55年組」の失速は、将棋界七不思議のひとつ。
それは羽生世代の台頭や、中原や米長などベテラン勢の逆襲にもあって、上下からサンドイッチにされた格好になったことが、原因のひとつといわれているけど、どうもことはそう単純なものではない気がする。
中村の場合、順位戦のB級2組をなかなか抜けられないことが、足かせとなった。
順位戦ではCクラスで苦戦していた高橋や島とちがって、C2、C1と1期抜け(!)で、あっさりクリアしただけに、A級八段になるのは時間の問題かと思われたが、そこで失速。
いや、失速どころかなんと中村はB2の位置に、その後12年もとどまることになるのである。
連続昇級に王将獲得と、それまで順風すぎるほど順風満帆だったにもかかわらず、まさかの大苦戦であった。
まったくもっておかしなことであり、この位置でくすぶる中村に河口老師は、
「なぜ中村は苦戦しているのか。彼ほどの才能なら、今ごろとっくにA級で優勝していて、羽生に名人位を奪われて中村前名人と呼ばれていてもおかしくないというのに」
という、なんともひねくった、ヘンテコな言い方で心配されていたが、まあ、なんとなくそのニュアンスはわからなくもない。
今は中村修「九段」であるが、私にとってこの呼び方は、なんとも違和感がある。
南芳一に王将を奪われて、七段になってからずっとそうだったが、八段でも九段でも、そんな段位は中村には似合わない。
私にとって中村修は、断じて「中村王将」なのだ。愛弟子香川愛生も、
「師匠と同じ王将のタイトルを取りたかった」
女流王将戦のあと言っていたではないか。
以上が私の、中村修を推す理由である。
さわやかと見せかけて、老獪でとらえどころがないのが中村将棋で、今もその魅力は色あせない。
『不思議流実戦集』復刊してくれないかなあ。
(続く【→こちら】)
(中村の達人の受けとまさかのトン死は→こちら)