中村修のファンである。
前回(→こちら)は、中村「不思議流」の魅力について語ったが、中村修といえばはずせないのが、あの有名なエピソードであろう。
そう、中村修と郷田真隆による
「碁盤と将棋盤のちがい事件」
というと、コアな将棋ファンは「ああ、あれね」と、ニヤニヤされるだろう。
これは先崎学八段がエッセイで書いて好評だった、なんともバカバカしくも楽しいエピソードなのである。
ことの発端は、先崎八段、中村九段、郷田九段の三棋士が、北海道に仕事で出かけたときこと。
一仕事終え、夜は北の幸を堪能し、酔っぱらっていい気分になった中村と郷田が、突然口論をはじめたのだ。
議題は「将棋盤と碁盤のちがい」。
まず中村が、
「碁の盤には、四隅に星っていう点があって、そこに漆が盛ってあるだろ、でも、将棋盤にはないんだ」。
これには一同、「さすがはプロだ、よく見ている」と感心したが、ひとり納得がいっていないのが、そこまで黙っていた郷田であった。
「待ってください」
やおら口を開くと、
「将棋盤にもありますよ」
シブイ豆知識を披露して、「ドーダ」と胸を張っていた中村だったが、後輩からの物言いに、ちょっとムッとする。
「ないよ」というのに、郷田はきっぱり「あります」。
棋士というのは温厚に見えて、たいそう意地っぱりな面があり、またそうでなければ、きびしい競争の世界を勝ち抜いていけない。
だが、それにしてもその道のプロ同士が商売道具で「ある、ない」と意見が分かれてしまった。
まあ、これだけなら、たいした話ではないのだが、そこはお互いにプロのプライドというものがあり、おまけに酔っている。
ましてや、郷田は棋界随一の硬派で鳴らす男だ。正しいと思った意見を、自分から曲げるわけがない。
そこから「あった」「いやない」の水掛け論になり、とうとう郷田が、
「中村さん、それでもあなたはタイトルを取った男ですか。あるものはあるんです」
といえば、中村もカチンと来て
「ない、絶対にない!」
こういうとき、「どっちでもええやん」という正論だけは、絶対に吐いてはいけない。
中身がどうでもよければよいほど、こういうのは無駄に白熱するものなのは、私も経験上わかる。
それが如実に出たのが、郷田の次の言葉。
「中村さん、今、絶対って言いましたね」
ここで出た案が、なんとも振るっている。
「じゃあ、100万円と100円で賭けましょう」
そう言い放つと続けて、
「点があったら、ボクが100万もらいます。なかったら、中村さんにボクが100円払います。それで賭けです」
100万円と100円。
いきなり意味不明のレートであるが、これにはアツくなっていた中村も一瞬素に戻って、
「いや、意味わかんないんだけど」
さすがにあきれたが、郷田は本気も本気の大マジで、
「絶対っていいましたよね。ということは、どんなに不利な賭けでも受けられるはずですよ、100パーセントなんだから。だから、100円と100万円でもいいでしょう」
なんだか、いいたいことはわからんでもないが、いい歳した大人が言うセリフでもないような気もする。
おお、これが棋界きっての「硬派」の正体か。
郷田はたとえそれが不利な戦い方でも、相手の得意戦法を堂々と受けることで知られるが、その男らしさがこんなところでも発揮されているのだ。
この男は逃げるということを知らない。彼の将棋に耽溺し、そのリスペクトを隠そうともしない金井恒太五段なら、なんと反応するであろうか。
こうして、前代未聞の100万円対100円という、ハンディキャップマッチが行われたわけだが、いかんせん場所は北海道の酒場。
答えを見たくても、将棋盤も碁盤も、あるはずがないのである。
しかし、今さら
「じゃあ、家帰ってから、ゆっくり見ましょうか」
では、おさまらないのである。
そこで先崎が出した妙案が、
「そうだ、羽生に訊こう」
もう夜である。普通の人なら寝ている時間だ。
そこに、天下の羽生善治を電話で呼び出して、酔っぱらい同士のクイズの答えを請うという。
羽生からしたら、迷惑この上ない話であろう。ワシャ寝とるんや、と。
だがそこは酒の席の勢い。深夜に電話をかけた先崎に、羽生は
「寝てるところをなにかと思ったら……」
あきれながらも、
「見に行く気にもならないけど、たぶんあるんじゃないかな」
これを聞いて、郷田はガッツポーズ。
100万円はともかく、勝負師というのは本職のみならず、じゃんけんでも勝ちたい種族なのだ。
だが、負けたと思われた中村修もさるもの。羽生の答えを聞いて、ポツリとこつぶやいたのだ。
「羽生時代も、これで終わった……」
この飲み屋の楽しいやりとりの白眉は、このセリフであろう。
羽生時代も、これで終わった。
嗚呼、なんというカッコイイ台詞であろうか。
私は先崎さんのエッセイで、このくだりを読むと、トイレだろうが電車の中だろうが、時と場所をわきまえずに爆笑してしまうのである。
このように、中村修はその将棋のみならず、
「羽生時代は終わった」
この一言でも歴史に名前を残したのである。
先崎さんもつっこんでますが、そんなもんで終わってたまるか。
それどころか、その後羽生善治は終わるどころか、無敵の七冠ロードをひた走ることになるという、見事かつ壮大なオチがつくところが、また愉快であったのだった。