受ける青春と不思議流 中村修vs郷田真隆 「碁盤と将棋盤」事件について

2013年12月15日 | 将棋・雑談
 中村修のファンである。
 
 前回(→こちら)は、中村「不思議流」の魅力について語ったが、中村修といえばはずせないのが、あの有名なエピソードであろう。
 
 そう、中村修郷田真隆による
 
 
 「碁盤と将棋盤のちがい事件」
 
 
 というと、コアな将棋ファンは「ああ、あれね」と、ニヤニヤされるだろう。
 
 これは先崎学八段がエッセイで書いて好評だった、なんともバカバカしくも楽しいエピソードなのである。
 
 ことの発端は、先崎八段、中村九段、郷田九段の三棋士が、北海道に仕事で出かけたときこと。
 
 一仕事終え、夜は北の幸を堪能し、酔っぱらっていい気分になった中村と郷田が、突然口論をはじめたのだ。
 
 議題は「将棋盤碁盤のちがい」。
 
 まず中村が、
 
 
 「碁の盤には、四隅に星っていう点があって、そこに漆が盛ってあるだろ、でも、将棋盤にはないんだ」。
 
 
 これには一同、「さすがはプロだ、よく見ている」と感心したが、ひとり納得がいっていないのが、そこまで黙っていた郷田であった。
 
 
 「待ってください」
 
 
 やおら口を開くと、
 
 
 「将棋盤にもありますよ」
 
 
 シブイ豆知識を披露して、「ドーダ」と胸を張っていた中村だったが、後輩からの物言いに、ちょっとムッとする。
 
 「ないよ」というのに、郷田はきっぱり「あります」。
 
 棋士というのは温厚に見えて、たいそう意地っぱりな面があり、またそうでなければ、きびしい競争の世界を勝ち抜いていけない。
 
 だが、それにしてもその道のプロ同士が商売道具で「ある、ない」と意見が分かれてしまった。
 
 まあ、これだけなら、たいした話ではないのだが、そこはお互いにプロのプライドというものがあり、おまけに酔っている
 
 ましてや、郷田は棋界随一の硬派で鳴らす男だ。正しいと思った意見を、自分から曲げるわけがない。
 
 そこから「あった」「いやない」の水掛け論になり、とうとう郷田が、
 
 
 「中村さん、それでもあなたはタイトルを取った男ですか。あるものはあるんです」
 
 
 といえば、中村もカチンと来て
 
 
 「ない、絶対にない!」
 
 
 こういうとき、「どっちでもええやん」という正論だけは、絶対に吐いてはいけない。
 
 中身がどうでもよければよいほど、こういうのは無駄に白熱するものなのは、私も経験上わかる。
 
 それが如実に出たのが、郷田の次の言葉。
 
 
 「中村さん、今、絶対って言いましたね」
 
 
 ここで出た案が、なんとも振るっている。
 
 
 「じゃあ、100万円と100円で賭けましょう」
 
 
 そう言い放つと続けて、
 
 
 「点があったら、ボクが100万もらいます。なかったら、中村さんにボクが100円払います。それで賭けです」
 
 
 100万円100円
 
 いきなり意味不明のレートであるが、これにはアツくなっていた中村も一瞬素に戻って、
 
 
 「いや、意味わかんないんだけど」
 
 
 さすがにあきれたが、郷田は本気も本気の大マジで、
 
 
 「絶対っていいましたよね。ということは、どんなに不利な賭けでも受けられるはずですよ、100パーセントなんだから。だから、100円と100万円でもいいでしょう」
 
 
 なんだか、いいたいことはわからんでもないが、いい歳した大人が言うセリフでもないような気もする。
 
 おお、これが棋界きっての「硬派」の正体か。
 
 郷田はたとえそれが不利な戦い方でも、相手の得意戦法を堂々と受けることで知られるが、その男らしさがこんなところでも発揮されているのだ。
 
 この男は逃げるということを知らない。彼の将棋に耽溺し、そのリスペクトを隠そうともしない金井恒太五段なら、なんと反応するであろうか。
 
 こうして、前代未聞の100万円100円という、ハンディキャップマッチが行われたわけだが、いかんせん場所は北海道の酒場。
 
 答えを見たくても、将棋盤も碁盤も、あるはずがないのである。
 
 しかし、今さら
 
 
 「じゃあ、家帰ってから、ゆっくり見ましょうか」
 
 
 では、おさまらないのである。
 
 そこで先崎が出した妙案が、
 
 
 「そうだ、羽生に訊こう」
 
 
 もうである。普通の人なら寝ている時間だ。
 
 そこに、天下羽生善治を電話で呼び出して、酔っぱらい同士のクイズの答えを請うという。
 
 羽生からしたら、迷惑この上ない話であろう。ワシャ寝とるんや、と。
 
 だがそこはの席の勢い。深夜に電話をかけた先崎に、羽生は
 
 
 「寝てるところをなにかと思ったら……」
 
 
 あきれながらも、
 
 
 「見に行く気にもならないけど、たぶんあるんじゃないかな」
 
 
 これを聞いて、郷田はガッツポーズ
 
 100万円はともかく、勝負師というのは本職のみならず、じゃんけんでも勝ちたい種族なのだ。
 
 だが、負けたと思われた中村修もさるもの。羽生の答えを聞いて、ポツリとこつぶやいたのだ。
 
 
 「羽生時代も、これで終わった……」
 
 
 この飲み屋の楽しいやりとりの白眉は、このセリフであろう。
 
 羽生時代も、これで終わった。
 
 嗚呼、なんというカッコイイ台詞であろうか。
 
 私は先崎さんのエッセイで、このくだりを読むと、トイレだろうが電車の中だろうが、時と場所をわきまえずに爆笑してしまうのである。
 
 このように、中村修はその将棋のみならず、
 
 
 「羽生時代は終わった」
 
 
 この一言でも歴史に名前を残したのである。
 
 先崎さんもつっこんでますが、そんなもんで終わってたまるか
 
 それどころか、その後羽生善治は終わるどころか、無敵の七冠ロードをひた走ることになるという、見事かつ壮大オチがつくところが、また愉快であったのだった。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする