修学旅行で女装パーティー

2014年01月20日 | 若気の至り
 「男の娘」というのがブームであるという。

 ウィキペディアによると、

 「男性でありながら女性にしか見えない容姿と内面を持つ者を指す言葉」

 とのことらしい。素人男子にはこの手の趣味や嗜好のことはよくわからないが、まあここはざっくり「スカートの似合う男子」くらいにとらえて話を進めたい。

 私自身自分の中に女子的要素がほとんどないため、こういった「女の子へのあこがれ」みたいなものは、もうひとつピンと来ないのであるが、過去に「女装」というものをしてみたことは何度かある。

 一時期演劇をやっていたことがあるので、そういった衣装自体はわりと着る機会はあったが、初めてのそれといえば、高校生のころまでさかのぼることとなる。

 高2の修学旅行(我が校では「HR合宿」といっていたが)だが、私の通っていた名門(自称)大阪府立S高校は夏休みの課題図書に太宰治『人間失格』やヘルマン・ヘッセ『車輪の下』と並んで、堂々とマルクス&エンゲルス『共産党宣言』が入っているという思想的におもしろい学校であった。

 そのために修学旅行でも、普通ならレクリエーションの時間になる夕食後の時間も「キャンプファイアー」「花火大会」「肝試し」なんていうイベントはあろうはずもなく、

 「討論」「総括」「自己批判」

 という行事になっていた。時代もすでに平成だったというのに、どんな学校や。

 そこではメガネをかけた学級委員長の女の子などが

 「○○さんが校則で定められた以上のおみやげ代を持ってきているのを見つけました。帝国主義的行動だと思います」

 などと口角泡飛ばしていた。

 また私の友人フルエ君は当時放送していた『不思議の海のナディア』を見たいがために討論を抜け出したところを発見され、

 「僕はアニメ見たさに学校行事をさぼろうとした腐ったプチブルです」

 と自己批判させられていたりなんかして、友には悪いが大爆笑なのであった。ええやん、アニメくらい見ても。ナディア、おもしろいよ。

 そんなふうに、他校の子らが学校の金で海外に遠征したり、ディズニーランドとか行ってるのに、我々は

 「アメリカの核は悪だが、中国の核はきれいな核」

 などについて語っており、楽しいはずの青春時代にいったい何をしてるのかと、当時はきわめてトホホな気分であった。

 ところが我々が2年生になるころ、どうも教育委員会やお役人たちが、そういう「思想的偏向」をよく思わなくなったらしく、我がS高を仕切っていた「私のカレは左きき」的な先生たちがみなパージされ、学校の雰囲気はかなり変わった。

 修学旅行からも「討論」などが廃止され、普通に「フィーリングカップル」みたいなイベントが行われるようになったのだ。

 自己批判からフィーリングカップル。ものすごい振れ幅というか、いきなりゆるすぎるような気もするが、それくらいに生徒たちも、「思想とか、ウザ」と感じていたわけだ。

 そらそうだよなあ。やっぱ健全な高校生たるもの、修学旅行で「ソ連の計画経済」についてなんか、語りたくないよなあ。枕投げしたいよ。

 そこで話し合った結果、我がクラスは「女装パーティー」をやることになった。

 これは女子が強く希望したもので、またなんともゆるいというか、パージされた先生が聞いたらゲバ棒持って追いかけてきそうなイベントであるが、私としては「女っちゅうのはなあ」という思いとともに、心中期するところがあった。

 それは女装パーティーなるものに秘かなる「勝算」があったからだが、その中身については次回(→こちら)に。


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