前回(→こちら)の続き。
高3の授業選択時、「履修者が少ない」という理由で世界史の時間をなくすと通告されそうになった。
これには世界史選択者の私は怒り心頭である。いくら授業をしぼった方が教えるのに楽だからといって、少数派を切り捨てるとはなんたる暴挙か。それどころか、世界史の先生からも、「日本史にしたら?」と言い放たれる始末。
この学校の、この国の教育はどうなってしまったのか。偏差値のために学問の自由と生徒の自主性を奪おうとしている。こんなファッショは、天が許してもこの私がゆるさんぞ!
なんて息巻くと、先生はため息をつきながら、
「でもなあ、ホンマに今年は世界史取る子がおらへんのや」
だから、数の問題ではない。私は学問の本質について語っているのだ。学ぶことは有利不利ではない。偏差値も関係ない。学ぶものの、本当に歴史について学びたいという情熱こそが大事だと、再三言っているではないか。
それを、数が多い日本史にしなさいとは。そりゃあ、世界史は少しばかり人気では劣るかもしれないけど、それでもゼロというわけではあるまい。じゃあ、いってみなさい。そんな、クラスも構成できないほど人数が少ないなら、その数をここで教えてみろ!
と、高ぶる心でガツーンといってやると、その答えというのが、
「3人やねん」
そうであるか。3人であるか、たしかに日本史とくらべるとその総数では……て、え? え? え? さ、さ、3人?
ちょう待って。3人ってことは、指を折ってひい、ふう、みいの、みいで3人?
静かにうなずく先生たち。え? え? ホンマにたった3人なの?
ここで、ふたたび指を折りながら計算してみた。えーと、うちの学年はAからHまで8クラスあって、1クラス平均45人おるから、まあざっくりと全部で350人おるとしよう。
そのうちの3人ッスか?
「そうや」とおっしゃる先生方。これには、思わず「えー!」という声が出た。3人。1学年350人おって、その中で世界史を取ったのが、たったの3人。
私は振り上げた拳の降ろしどころもなく、その場で棒立ちになってしまった。350人中3人。はあー、そらあかんわ。先生が言うのも当然や。なんぼなんでも、たった3人のために授業はできません。
それどころか、すでに他の2人は「日本史にしてくれ」というと、特にこだわりもなく「はい、そうします」とすぐにOKしたのだという。
この2人は、もともと日本史でも世界史でも、どっちもでよかったらしい。それで、なにも考えず世界史に丸をしただけで、別に日本史でも倫理でも政経でもよかったのだ。
これで、残ったのは私ひとり。堂々のひとりぼっちだ。私も趣味や生き様などについて多数派になかなか乗れないことは、当ページでもよくネタにはしているが、それにしても349対1というのはまた極端な。
同期の中で、私ひとりが世界史。あとは全員日本史。こんなことあるんかいな。
よく恋愛ドラマで
「世界中を敵に回しても、僕は君を守る」
なんていうセリフがあったりするが、まさにそれである。我以外皆敵。大東亜戦争末期、ドイツ降伏後の大日本帝国みたい。世界全部対オレ様。
あっけにとられた私は、言葉も失って「はは、こら大爆笑……」と茫然自失したのであるが、先生の「じゃあ、納得やな」の一言には、凍りついた笑顔のままでうなずくしかなかった。
そらそうですわ、たったひとりのためにクラスなんて作ったら、先生が大変すぎます。学問の自由とか、そういう問題ちゃいますわ
なぜそこまで極端なことになったのかといえば、なんでも当時有名な日本史の予備校講師がいて、みなその人の本で勉強していたため、日本史が爆発的に人気になったのだと聞いた(今ググってみたら、菅野祐孝という先生でした)。
そこから、なんとなく
「社会なににする?」
「オレ日本史」
「じゃあ、オレもそうしよっかな」
「え、おまえら日本史にするの? じゃあ、オレもそうしよ」
と、倍々ゲームで増えていって、そうこうしているうちにいつのまにか「一党独裁」に決まってしまったのだという。げにおそるべきは、日本人の雰囲気に流されやすい民族性である。みんな、フワッとしてるなあ。
いくら信念の人である私とはいえ、こうまではっきり差がついてしまえばいかんともしがたい。数の暴力は反対だが、349対1のパーフェクトゲームを食らってはぐうの音も出ない。
もう、いっそさわやかすぎるマイナーっぷりだ。マツコ・デラックスさんは、ある番組で
「あたしは常に、あえてマイノリティーでいたいの」
と主張しておられたが、あえてとか全然思ってないのに、ごくナチュラルにマイノリティーであるというのも考え物である。再び言うが349対1。そうかー、仲間はひとりもいないのかー。さみしすぎるぞ。
そうして私は転びバテレンとして、関係のない日本史の授業を1年間受けたのであった。
そうなると、もちろんのこと受験では大きなハンディを背負わされたのではと心配される心優しい読者諸兄もおられるかもしれないが、実際のところ私が本格的に勉強をはじめたのは浪人が決まってからであった。
なので、高3時の授業はサボるか本を読むか寝るかの3択であったため、今考えたら社会が日本史だろうが世界史だろうが銀河帝国興亡史だろうが、私の人生にはカケラの影響もなかったのであった。
高3の授業選択時、「履修者が少ない」という理由で世界史の時間をなくすと通告されそうになった。
これには世界史選択者の私は怒り心頭である。いくら授業をしぼった方が教えるのに楽だからといって、少数派を切り捨てるとはなんたる暴挙か。それどころか、世界史の先生からも、「日本史にしたら?」と言い放たれる始末。
この学校の、この国の教育はどうなってしまったのか。偏差値のために学問の自由と生徒の自主性を奪おうとしている。こんなファッショは、天が許してもこの私がゆるさんぞ!
なんて息巻くと、先生はため息をつきながら、
「でもなあ、ホンマに今年は世界史取る子がおらへんのや」
だから、数の問題ではない。私は学問の本質について語っているのだ。学ぶことは有利不利ではない。偏差値も関係ない。学ぶものの、本当に歴史について学びたいという情熱こそが大事だと、再三言っているではないか。
それを、数が多い日本史にしなさいとは。そりゃあ、世界史は少しばかり人気では劣るかもしれないけど、それでもゼロというわけではあるまい。じゃあ、いってみなさい。そんな、クラスも構成できないほど人数が少ないなら、その数をここで教えてみろ!
と、高ぶる心でガツーンといってやると、その答えというのが、
「3人やねん」
そうであるか。3人であるか、たしかに日本史とくらべるとその総数では……て、え? え? え? さ、さ、3人?
ちょう待って。3人ってことは、指を折ってひい、ふう、みいの、みいで3人?
静かにうなずく先生たち。え? え? ホンマにたった3人なの?
ここで、ふたたび指を折りながら計算してみた。えーと、うちの学年はAからHまで8クラスあって、1クラス平均45人おるから、まあざっくりと全部で350人おるとしよう。
そのうちの3人ッスか?
「そうや」とおっしゃる先生方。これには、思わず「えー!」という声が出た。3人。1学年350人おって、その中で世界史を取ったのが、たったの3人。
私は振り上げた拳の降ろしどころもなく、その場で棒立ちになってしまった。350人中3人。はあー、そらあかんわ。先生が言うのも当然や。なんぼなんでも、たった3人のために授業はできません。
それどころか、すでに他の2人は「日本史にしてくれ」というと、特にこだわりもなく「はい、そうします」とすぐにOKしたのだという。
この2人は、もともと日本史でも世界史でも、どっちもでよかったらしい。それで、なにも考えず世界史に丸をしただけで、別に日本史でも倫理でも政経でもよかったのだ。
これで、残ったのは私ひとり。堂々のひとりぼっちだ。私も趣味や生き様などについて多数派になかなか乗れないことは、当ページでもよくネタにはしているが、それにしても349対1というのはまた極端な。
同期の中で、私ひとりが世界史。あとは全員日本史。こんなことあるんかいな。
よく恋愛ドラマで
「世界中を敵に回しても、僕は君を守る」
なんていうセリフがあったりするが、まさにそれである。我以外皆敵。大東亜戦争末期、ドイツ降伏後の大日本帝国みたい。世界全部対オレ様。
あっけにとられた私は、言葉も失って「はは、こら大爆笑……」と茫然自失したのであるが、先生の「じゃあ、納得やな」の一言には、凍りついた笑顔のままでうなずくしかなかった。
そらそうですわ、たったひとりのためにクラスなんて作ったら、先生が大変すぎます。学問の自由とか、そういう問題ちゃいますわ
なぜそこまで極端なことになったのかといえば、なんでも当時有名な日本史の予備校講師がいて、みなその人の本で勉強していたため、日本史が爆発的に人気になったのだと聞いた(今ググってみたら、菅野祐孝という先生でした)。
そこから、なんとなく
「社会なににする?」
「オレ日本史」
「じゃあ、オレもそうしよっかな」
「え、おまえら日本史にするの? じゃあ、オレもそうしよ」
と、倍々ゲームで増えていって、そうこうしているうちにいつのまにか「一党独裁」に決まってしまったのだという。げにおそるべきは、日本人の雰囲気に流されやすい民族性である。みんな、フワッとしてるなあ。
いくら信念の人である私とはいえ、こうまではっきり差がついてしまえばいかんともしがたい。数の暴力は反対だが、349対1のパーフェクトゲームを食らってはぐうの音も出ない。
もう、いっそさわやかすぎるマイナーっぷりだ。マツコ・デラックスさんは、ある番組で
「あたしは常に、あえてマイノリティーでいたいの」
と主張しておられたが、あえてとか全然思ってないのに、ごくナチュラルにマイノリティーであるというのも考え物である。再び言うが349対1。そうかー、仲間はひとりもいないのかー。さみしすぎるぞ。
そうして私は転びバテレンとして、関係のない日本史の授業を1年間受けたのであった。
そうなると、もちろんのこと受験では大きなハンディを背負わされたのではと心配される心優しい読者諸兄もおられるかもしれないが、実際のところ私が本格的に勉強をはじめたのは浪人が決まってからであった。
なので、高3時の授業はサボるか本を読むか寝るかの3択であったため、今考えたら社会が日本史だろうが世界史だろうが銀河帝国興亡史だろうが、私の人生にはカケラの影響もなかったのであった。