映画『ヒッチコック』を見る。
アルフレッド・ヒッチコック。
いうまでもなくサスペンス界の大巨匠といえる偉大な映画監督で、その代表作『サイコ』の舞台裏をあつかった作品だ。主演はアンソニー・ホプキンス。
映画好きの間では、文句なしの大レジェンドであるヒッチ先生。
かくいう私も大好きで、イギリス時代をふくめ主要な作品はほぼ観ている。
好きなのは、表ベスト3が『ハリーの災難』『北北西に進路を取れ』『レベッカ』。
裏ベスト3は『ロープ』『救命艇』『スミス夫妻』。
いやあ、全然賛同されないけど、意外と『ロープ』好きなんですよ。
そんな映画界のレジェンドであり、今見ても古びないうえにハズレもほとんどないというヒッチ先生だが、その名を残すのは映画の才能のみならず、その特殊な性癖。
『ヒッチコック』の中でも描かれていたが異様な金髪フェチっぷりと、それをスクリーンの中で追いこんでいく、ドSな嗜虐嗜好である。
とにかく、ヒッチコックがヒロインにこだわったのは
「金髪のクールビューティー」
あらゆる作品を通して、ただひたすらにこれに執着し続けた。
中でもグレース・ケリーが大のお気に入りで、
「全作品、グレースで撮りたいヒッチ!」
そう公言しておられたというヒッチ先生。
グレースがモナコ公妃になってしまったときは地団駄ふんでくやしがり、その後『北北西に進路を取れ』のエヴァ・マリー・セイント、『めまい』のキム・ノヴァク。
『鳥』のティッピ・ヘドレンなどなど、金髪の(キム・ノヴァクはわざわざ髪を染めさせた)グレース・ケリーを再生産しようと奮闘したのだから業が深い。
「現実にはいない理想のヒロインを、作品の中で表現する」
というのは、クリエイターの基本だが、我らがヒッチ先生はそれだけでは終わらない。
なんと先生は、グレース・ケリーをはじめ、ヒロインに抜擢した女優たちをガンガン口説いていたそうである。
それも、それこそ自身が撮る映画の中のケーリー・グラントのようにスマートなものではなく、
「オレ金髪大好き! だからオレの女になれヒッチ!」
きわめて男らしく言い寄っていたのだという。なんというストレートな肉食。
というと、なんだかヒッチコックがただのゲスイおっさんみたいであるが、そうではないのである。
これはよくいわれることなのであるが、才能ある映画監督が一流になれるかそこそこで終わるかの判断基準に、
「主演女優を口説けるか」
という物差しがあるという。
ハリウッドでもヨーロッパでも日本でも、およそ映画監督で歴史に名を残すような人物は、一度はドあつかましくも、主演女優とつきあうなり結婚なりしている。
そこを、尻込みするような監督は、残念ながらなかなか一皮むけないのだというだ。
根拠があるかどうかはわからないが、妙に説得力のある話ではある。
チャーリー・チャップリンやリュック・ベッソン、ウッディ・アレンとかなど、なぜか変態度の高い名前が思い浮かんでしまうが、私は
「クリエイターの才能(というか、それを発揮するだけの情熱)というのは、その人の変態度に比例する」
という意見の持ち主であり、そういう意味ではヒッチ先生の態度は映画監督として、まったく正しいのである。
ただ、ヒッチ先生の場合は、無念なことにその映画史で間違いなく5本の指に入る才能にもかかわらず、いかんせんモテなかった。
グレース・ケリーをはじめ、狙った金髪にかたっぱしからフラれていったそうだ。
映画の中では奥さんのアルマに浮気をとがめられているシーンがあったが、先生は死ぬまで奥さん以外の女性を知らなかった、とも聞いたことがある。
なぜモテなかったのか。
たしかに、ヒッチ先生はハンサムでもないし、体系的にもたいそう肥えておられる。
だが上の世界の恋愛では「才能に惚れる」ということもあろうし、あの見た目もそれはそれで「愛嬌がある」といえなくもない。
なら、少なくとも一人くらいは
「ウチ、あの天才ヒッチの愛人なんよ!」
なーんてブイブイいわせる女優が出てもおかしくないのではと思うのだが、その疑問が解けたのは、『マーニー』という映画の制作秘話を聞いたときであった。
いったい、なぜヒッチコックはそのあふれんばかりの才能にもかかわらず、モテなかったのか。
次回(→こちら)に続きます。