前回(→こちら)に続いて、熊田忠雄『拙者は食えん! サムライ洋食事始』を読む。
今の日本人はやたらとグルメだが、江戸末期から明治にかけて、外交や留学ではじめて
「外国のメシ」
これに接した日本人は、その味に苦戦を強いられた。
前回のカレーを「きたない」と感じたこともさることながら、特にフランス料理がきびしかったようで、
「食料の異なりには何分困り申候、何方にても随分美味重ね候得共、多くは獣肉にて、偶々魚肉を交へ候得どもこれまた油に揚げ、野菜至って少なく、たまたま菜の類、出し候てもまた油を加味致し、ボートル塗りつけ候品ゆゑ、一種も口に合候品無之……」(引用者注、一部表記できない漢字を変換しています)
「ボートル」とはバターのこと。
要するに、肉とバターが口に合わず、たまに魚が出てもそれもフライかなにかにしてあって、やはり油物。
野菜もないし、ちっとも口に合わないッス……と、嘆いているわけだ。
こうした当時の資料の抜粋を見てみると、昔の日本人にとって肉と油というのが、いかに重くて胃にしんどい物だったかがよくわかる。
とにかく、
「肉と油のにおいが耐えがたい」
というフレーズが頻出しているのだ。
中でも、なじみのない「ボートル」には例外なく苦戦しており、皆が皆、乳くさい臭いにやられ、ただでさえ
「ボソボソで味のないせんべいみたい」
と酷評されるパンが、さらに
「ボートルを塗りつけ候品ゆゑ」
ますます食べられなくなるとグチっている。
パンにバターが無理となると、たしかに洋食はつらかろう。
げにおそるべきは、ボートルのフレーバーなのである。
かろうじておいしく食べられるのは、フルーツかデザートのアイスクリームくらい。
この両者は比較的、文化的差異なく接せられるのは、なんとなくわかる。
甘い物は当時は高級品であったから、ありがたがられたろうけど、それ以外は肉も魚も一部例外をのぞいて、すべて全滅。
そんなカルチャーギャップに悩む誇り高き「サムライ」たちは、旅の道中延々と
「米が食いたい」
「豆腐が食いたい」
「沢庵が食いたい」
故郷の味を、なつかしむ記録を残している。
さらには、
「よその食いもんばっかでは体が保たん!」
とばかりに、船に大量の日本食を積みこんでいく。
米、味噌、醤油、日本酒などは当然として、その他にもたとえば、福沢諭吉ら38名がヨーロッパに渡った際には評議の末、船に乗せられることになったのが、
「椎茸、干瓢、紫薇(サルスベリ)、麩、芋かぶ、切干大根、葛粉、梅干し、浅草海苔、松茸、沢庵、菜漬、玉子、切鯣(するめ)、鮭、鰹節、くわい、里芋、人参、大根、束芋、薩摩芋、山葵、鯵干物、切昆布、若布(わかめ)、唐辛子、白砂糖、鳥芋、蓮根、古生が(生姜)、相鴨、にわとり、籾糠、尾張味噌」
高級料亭の仕入と見まがうかのような、堂々たる準備である。
どんだけ乗せるねん、と。
正直そこまでやるかとあきれるが、それほどに彼らにとって「獣肉」や「ボートル」は耐えがたいものだったのだろう。
ほとんど、トラウマである。
一昔前は、日本人が海外に行くと梅干しやインスタントの味噌汁を大量に持っていって、現地人のみならず日本人からも失笑を買っていたりしたものだが、なんのことはない。
我々の大先輩も、まったく同じことをやっていたのだ。
それも、市井の旅行者ではない。
これから外国に出て、広い世界で日本のために思いっ切り新しい風を浴びてこようという、大志に燃えた男たちが、まずその文化の根幹の食にしてからが
「バターが食えないから、味噌とか醤油を持っていっていいッスか」
腰がメチャクチャに引けており、船員から
「積み荷が多すぎる」
文句を言われる始末。それでもぎゅうぎゅうに詰めこみたい、日本の食材なのだ。
我々が日本茶やカップ麺を持っていく程度のこと、なにを責められることがありようか。
今の日本人にとってグルメは旅行中の楽しみだが、昔はかくも大変だったのだ。
先人の苦労がしのばれるとともに、今の我々はバターもフライも全然おいしく食べられるわけで、「慣れ」ってすごいよなあとも思ったものである。