「その映画の観方は、小杉より吉田の方が正しいんとちゃう?」。
なんてことを思ったのは、ブラックマヨネーズが出ていたあるテレビ番組を見ているときのことだった。
映画というのは、観る人の立場や性格によって様々な解釈が出てくるのがおもしろい。
新海誠監督『君の名は。』は一般的には「号泣必至の大傑作」だが、評論家やプロのクリエイターといった玄人筋からは、
「ムチャクチャよくできた、お涙頂戴」
「魂を売ったけど、それでちゃんと当てたのは偉い」
などと、やや世間の温度とは違う。
映画『第9地区』では、そのおもしろさの反面、ややシナリオに荒いところがあり、映画評論家の町山智浩さんはハッキリと、
「ちょっとおかしいんだけどね」
と首をひねっていたけど(映画の内容自体はほめてます)、絶賛派のライムスター宇多丸さんは、
「あれは作り手側が、観客を信頼したうえで、《あえて》矛盾を残しているんです」
そう熱くフォローされていた。
かくのごとく、映画にかぎらず物語は「だれに、どの立場に肩入れするか」によって感想も違ってくるのだが、それが実にわかりやすい形で出たのが、ブラックマヨネーズの2人の会話だった。
かなり前の話になってしまうが、ブラマヨが司会をつとめる『マヨブラジオ』という深夜番組を見てたら、「好きな映画はなにか」という話題で、吉田さんがこう言ったのだ。
「オレは『フランケンシュタイン』やな」。
小杉さんとアシスタントの女子アナ林マオさんが「へー、どこがよかった?」と続きをうながすと、吉田さんは、
「あの映画、フランケンはなんも悪ないねん。せやのに、ただただ醜いっていうだけで、みんなから嫌われてるねん」。
そこから吉田さんの口調が激しくなり、
「オレと同じなんや。見た目が良くないからって、なんか怖いとか言われんねん」。
この時点でかなりアツくなっていた吉田さんは、
「そんで、孤独に耐えかねたフランケンが、山奥でひとり泣きながら吠えるシーンがあるねんけど、もう気持ちわかるんや。あれ、自分やもん。そこでもう、オレなんか号泣や!」
おおむね、こういった内容のことを熱弁していたのだ。
バラエティーとしてみると、ブラマヨの漫才でおなじみの、
「狂った屁理屈を押してくる吉田のボケ」
のようだが、『フランケンシュタイン』という映画を語るにおいて、これは重要なテーマである。
もともとこの映画、リメイク版は未見なのでわからないけど、元祖のボリス・カーロフ版にしろ、そのオマージュ作品(『シザーハンズ』とか)にしろ、作り手の意図は様々だが、観客側は
「フランケンシュタイン(正確には「フランケンシュタインの怪物」)がかわいそう」
という感想をいだくことが多い。
実際ストーリーを追うと、怪物は結果的に人を殺してしまうものの、それは「事故」であり、彼に悪意や殺意はこれっぽちもない。いやむしろ、子供のような無垢な心の持ち主なのだ(少女殺しは、そのイノセントさが原因になってしまい悲しすぎる)。
対称的に創造主であるフランケンシュタイン博士ら怪物を追い詰める側は、自分たちの正義を妄信したおそろしい人々のようにも見え、和田誠さんと三谷幸喜さんの対談でも、
「この映画では、怪物が一番まともなように見えますね(笑)」
と意見が一致していた。
このあたりのことは作家の本田透さんも「電波男」系の本で取り上げているけど、そう、
「フランケンシュタインの怪物がかわいそう」
という吉田さんの共感は、映画のテキスト的にも玄人の視点からでも、充分に「正しい」といってもいいものなのだ。
ところが、これに対するリアクションがおもしろかった。
相方である小杉さんは、吉田さんの熱弁を聴き終えたあと、やおらお腹をかかえて大爆笑したからだ。
(続く→こちら)
なんてことを思ったのは、ブラックマヨネーズが出ていたあるテレビ番組を見ているときのことだった。
映画というのは、観る人の立場や性格によって様々な解釈が出てくるのがおもしろい。
新海誠監督『君の名は。』は一般的には「号泣必至の大傑作」だが、評論家やプロのクリエイターといった玄人筋からは、
「ムチャクチャよくできた、お涙頂戴」
「魂を売ったけど、それでちゃんと当てたのは偉い」
などと、やや世間の温度とは違う。
映画『第9地区』では、そのおもしろさの反面、ややシナリオに荒いところがあり、映画評論家の町山智浩さんはハッキリと、
「ちょっとおかしいんだけどね」
と首をひねっていたけど(映画の内容自体はほめてます)、絶賛派のライムスター宇多丸さんは、
「あれは作り手側が、観客を信頼したうえで、《あえて》矛盾を残しているんです」
そう熱くフォローされていた。
かくのごとく、映画にかぎらず物語は「だれに、どの立場に肩入れするか」によって感想も違ってくるのだが、それが実にわかりやすい形で出たのが、ブラックマヨネーズの2人の会話だった。
かなり前の話になってしまうが、ブラマヨが司会をつとめる『マヨブラジオ』という深夜番組を見てたら、「好きな映画はなにか」という話題で、吉田さんがこう言ったのだ。
「オレは『フランケンシュタイン』やな」。
小杉さんとアシスタントの女子アナ林マオさんが「へー、どこがよかった?」と続きをうながすと、吉田さんは、
「あの映画、フランケンはなんも悪ないねん。せやのに、ただただ醜いっていうだけで、みんなから嫌われてるねん」。
そこから吉田さんの口調が激しくなり、
「オレと同じなんや。見た目が良くないからって、なんか怖いとか言われんねん」。
この時点でかなりアツくなっていた吉田さんは、
「そんで、孤独に耐えかねたフランケンが、山奥でひとり泣きながら吠えるシーンがあるねんけど、もう気持ちわかるんや。あれ、自分やもん。そこでもう、オレなんか号泣や!」
おおむね、こういった内容のことを熱弁していたのだ。
バラエティーとしてみると、ブラマヨの漫才でおなじみの、
「狂った屁理屈を押してくる吉田のボケ」
のようだが、『フランケンシュタイン』という映画を語るにおいて、これは重要なテーマである。
もともとこの映画、リメイク版は未見なのでわからないけど、元祖のボリス・カーロフ版にしろ、そのオマージュ作品(『シザーハンズ』とか)にしろ、作り手の意図は様々だが、観客側は
「フランケンシュタイン(正確には「フランケンシュタインの怪物」)がかわいそう」
という感想をいだくことが多い。
実際ストーリーを追うと、怪物は結果的に人を殺してしまうものの、それは「事故」であり、彼に悪意や殺意はこれっぽちもない。いやむしろ、子供のような無垢な心の持ち主なのだ(少女殺しは、そのイノセントさが原因になってしまい悲しすぎる)。
対称的に創造主であるフランケンシュタイン博士ら怪物を追い詰める側は、自分たちの正義を妄信したおそろしい人々のようにも見え、和田誠さんと三谷幸喜さんの対談でも、
「この映画では、怪物が一番まともなように見えますね(笑)」
と意見が一致していた。
このあたりのことは作家の本田透さんも「電波男」系の本で取り上げているけど、そう、
「フランケンシュタインの怪物がかわいそう」
という吉田さんの共感は、映画のテキスト的にも玄人の視点からでも、充分に「正しい」といってもいいものなのだ。
ところが、これに対するリアクションがおもしろかった。
相方である小杉さんは、吉田さんの熱弁を聴き終えたあと、やおらお腹をかかえて大爆笑したからだ。
(続く→こちら)