前回(→こちら)の続き。
熱戦となった1996年夏の甲子園決勝、松山商業対熊本工業戦。
9回二死から同点ホームランという、これ以上ない劇的な展開で追いついた熊本工業。
勝負の世界は、追いついた方がそのまま勢いにのって追い越してしまうというのが常。熊工も押せ押せムードにのって、延長戦でもペースをつかむ。
10回の裏。熊工はヒットと送りバント、敬遠の四球で1死満塁の大チャンスを作り出す。
ヒットはもちろん、外野フライやスクイズ、エラーでも熊本工業が悲願の初優勝。
この絶体絶命の場面で、松山商業のベンチが動く。
マウンドは2年生エース新田から、3年生の渡部にゆずられている。新田はライトに回っていた。
監督はなんと、そのライトの新田をベンチに下げ、矢野選手と交代させたのである。
この采配、私にはにわかに意味がわからなかった。
守備固めということであろうが、ここまで追いこまれてからでは遅い気がしたし、新田投手を下げてしまっては、もしこのピンチをしのげても、万一そのあと渡部投手にアクシデントがあったらどうするのか。
それと、失礼なことに、「もう負けは決まってるのに、往生際が悪いなあ」という思いもあった。
同点の延長戦の裏で満塁。ふつうに考えれば、もう決まったも同然だ。男なら、死ぬときは小細工なんてせずに静かに斬られんかいと、そんなことすら考えていた。
そして数分後、そんな自分の不明を恥じることとなるのである。
この最後の最後の交代劇が、奇蹟を生むことになろうとは、我々はもとより、監督も矢野選手すら思いもしなかった。
なんたってすでに、スタジアムは「熊本工業優勝おめでとう」といったムード一色に染まっていたのだから。
私とハヤシ君は「思い出代打ってのはよくあるけど、思い出守備固めなんてめずらしいね」などと、呑気なことを言っていた。
交代のアナウンスも終わり、バッターボックスには熊本工業の本多選手。
こんなもん、勢いからして初球から打つのが男の子というもの。フルスイングした打球は、高々とライトに飛んでいった。
なんという皮肉か。それはそれで、まあいい思い出か。
最後のボールが、代わったばかりの矢野選手のところに飛ぼうとは。
1塁側の大歓声、3塁側のため息をのせて飛ぶ大飛球は、ライトの深いところへ。犠牲フライには充分すぎる飛距離である。
少し後退した矢野が、バックホームにそなえて前進しながら取る。3塁ランナーはタッチアップ。矢野が全力で投げる。
私はこの時点でもまだ、矢野選手のことを「往生際が悪い」と思っていた。「でもまあ、最後の思い出に、全力で投げたくもなるわな」と。
こういう冷めたヤカラは、土壇場で奇跡を起こせないのであろう。
バックホームの球はカットに入ろうとしたファーストの頭上を越えて、ものすごい勢いで本塁へ飛んでいく。
さっきは目の前をホームからレフトに放物線を見たが、今度は反対側でやはり反対に放物線を描いているのが見える。
ボールがミットに収まる、ランナーが飛びこむ、キャッチャーがタッチする、そして審判ののども裂けよというコール。
「アァァァァァウトォォォォォォォォ!」。
甲子園が爆発したような大歓声。スリーアウトチェンジ。
沢村選手のホームラン同様、私はこのときも、一瞬なにが起こったのかわからなかった。
ライトに打球が上がった時点で、もう試合は終わったものと思いこんでいたからだ。電車混む前に帰ろうかと。
そこにこの大歓声。スコアボードの10回裏に「0」の文字。ようやく理解できた。奇跡が起こったのだ。あらまあ。
延長は11回に入った。結果的に見て、試合はもうここで終わっていた。
前回、野球はドラマを起こした方が勝つといい、沢村のホームランはまさにそれだと言った。
だが、この矢野選手のバックホームはそれらをすべて帳消しにするほどの、大大大大その後さらに大がつく、特大のファインプレーであった。
矢野選手本人が、
「もう一度やれと言われても、絶対にできません」
と認めるような、まさしく万にひとつ、億にひとつのプレー。
選手交代の妙や、9回の同点劇時におけるアピールプレーのアヤなど細かい要素もはらんでの、絶対に再現不可能な一連の流れがそこにはあったのである。
11回の表、攻守ところを変えた松山商業が、機嫌よくせめまくって3点を奪う。
その裏、熊本工業は反撃の気力もなく無得点。
6-3で松山商業が優勝を決めた。
松山商業の校歌を聴きながら、私とハヤシ君はただただ「すごかったなあ」「こんなこともあるんやねえ」と、間の抜けた感想を言い合った。
勝つために必要なものとは、努力とか根性とか技術とか色々あるんだろうけど、たぶん最後の最後の本当の決め手になるのは「運とめぐり合わせ」なんだろうなと思った。
おまけ ※9回裏同点ホームラン→こちら
※奇跡のバックホーム→こちら
熱戦となった1996年夏の甲子園決勝、松山商業対熊本工業戦。
9回二死から同点ホームランという、これ以上ない劇的な展開で追いついた熊本工業。
勝負の世界は、追いついた方がそのまま勢いにのって追い越してしまうというのが常。熊工も押せ押せムードにのって、延長戦でもペースをつかむ。
10回の裏。熊工はヒットと送りバント、敬遠の四球で1死満塁の大チャンスを作り出す。
ヒットはもちろん、外野フライやスクイズ、エラーでも熊本工業が悲願の初優勝。
この絶体絶命の場面で、松山商業のベンチが動く。
マウンドは2年生エース新田から、3年生の渡部にゆずられている。新田はライトに回っていた。
監督はなんと、そのライトの新田をベンチに下げ、矢野選手と交代させたのである。
この采配、私にはにわかに意味がわからなかった。
守備固めということであろうが、ここまで追いこまれてからでは遅い気がしたし、新田投手を下げてしまっては、もしこのピンチをしのげても、万一そのあと渡部投手にアクシデントがあったらどうするのか。
それと、失礼なことに、「もう負けは決まってるのに、往生際が悪いなあ」という思いもあった。
同点の延長戦の裏で満塁。ふつうに考えれば、もう決まったも同然だ。男なら、死ぬときは小細工なんてせずに静かに斬られんかいと、そんなことすら考えていた。
そして数分後、そんな自分の不明を恥じることとなるのである。
この最後の最後の交代劇が、奇蹟を生むことになろうとは、我々はもとより、監督も矢野選手すら思いもしなかった。
なんたってすでに、スタジアムは「熊本工業優勝おめでとう」といったムード一色に染まっていたのだから。
私とハヤシ君は「思い出代打ってのはよくあるけど、思い出守備固めなんてめずらしいね」などと、呑気なことを言っていた。
交代のアナウンスも終わり、バッターボックスには熊本工業の本多選手。
こんなもん、勢いからして初球から打つのが男の子というもの。フルスイングした打球は、高々とライトに飛んでいった。
なんという皮肉か。それはそれで、まあいい思い出か。
最後のボールが、代わったばかりの矢野選手のところに飛ぼうとは。
1塁側の大歓声、3塁側のため息をのせて飛ぶ大飛球は、ライトの深いところへ。犠牲フライには充分すぎる飛距離である。
少し後退した矢野が、バックホームにそなえて前進しながら取る。3塁ランナーはタッチアップ。矢野が全力で投げる。
私はこの時点でもまだ、矢野選手のことを「往生際が悪い」と思っていた。「でもまあ、最後の思い出に、全力で投げたくもなるわな」と。
こういう冷めたヤカラは、土壇場で奇跡を起こせないのであろう。
バックホームの球はカットに入ろうとしたファーストの頭上を越えて、ものすごい勢いで本塁へ飛んでいく。
さっきは目の前をホームからレフトに放物線を見たが、今度は反対側でやはり反対に放物線を描いているのが見える。
ボールがミットに収まる、ランナーが飛びこむ、キャッチャーがタッチする、そして審判ののども裂けよというコール。
「アァァァァァウトォォォォォォォォ!」。
甲子園が爆発したような大歓声。スリーアウトチェンジ。
沢村選手のホームラン同様、私はこのときも、一瞬なにが起こったのかわからなかった。
ライトに打球が上がった時点で、もう試合は終わったものと思いこんでいたからだ。電車混む前に帰ろうかと。
そこにこの大歓声。スコアボードの10回裏に「0」の文字。ようやく理解できた。奇跡が起こったのだ。あらまあ。
延長は11回に入った。結果的に見て、試合はもうここで終わっていた。
前回、野球はドラマを起こした方が勝つといい、沢村のホームランはまさにそれだと言った。
だが、この矢野選手のバックホームはそれらをすべて帳消しにするほどの、大大大大その後さらに大がつく、特大のファインプレーであった。
矢野選手本人が、
「もう一度やれと言われても、絶対にできません」
と認めるような、まさしく万にひとつ、億にひとつのプレー。
選手交代の妙や、9回の同点劇時におけるアピールプレーのアヤなど細かい要素もはらんでの、絶対に再現不可能な一連の流れがそこにはあったのである。
11回の表、攻守ところを変えた松山商業が、機嫌よくせめまくって3点を奪う。
その裏、熊本工業は反撃の気力もなく無得点。
6-3で松山商業が優勝を決めた。
松山商業の校歌を聴きながら、私とハヤシ君はただただ「すごかったなあ」「こんなこともあるんやねえ」と、間の抜けた感想を言い合った。
勝つために必要なものとは、努力とか根性とか技術とか色々あるんだろうけど、たぶん最後の最後の本当の決め手になるのは「運とめぐり合わせ」なんだろうなと思った。
おまけ ※9回裏同点ホームラン→こちら
※奇跡のバックホーム→こちら