「《将棋を打つ》っていう人に対する反応って、むずかしいよなあ」。
先日、飲み屋で一杯やっているとき、そんなボヤキを発したのは、友人ミナミモリ君であった。
きっかけは、昨今の空前ともいえる将棋フィーバーのこと。
藤井聡太四段(C1昇級を決めて今は五段)の鮮烈デビューからはじまって、羽生善治竜王・棋聖の永世七冠達成などもあり、世間やネットで、将棋はかつてない大盛り上がりを見せている。
これには、長年の将棋ファンである私とミナミモリ君も、大いによろこんでいるのだが、こういった時期にかならず向き合うこととなるのが、
「将棋を打つ」
という言い回し。
将棋ファンにとっては、「ああ、あれね」と、たいていは苦笑とともに理解していただけると思うが、将棋は「指す」が正しい。
けど、これが世間ではあまり浸透していなくて、将棋を知らない人やライトなファンの方々は、けっこうな確率で「打つ」を使うのだ。
これに対して、どう反応していいのかというのが、毎度悩ましい。
「将棋は《打つ》じゃなくて《指す》が正解だよ」
と教えてあげるのが、まあ普通なんであろう。
こういうとき「へーそうなんだ」と納得してくれれば問題はないけど、中にはイラっとされて、
「いちいち、うっとうしいなあ」
「どっちでも同じだろ」
なんて逆ギレされることもある。
また、ネットやテレビなどで、そこそこ将棋に接している人の中には、
お前の方こそ間違ってるぞ。
だって、テレビで羽生さんが《打つ》って言ってたもん。知ったかぶりして、恥ずかしいなあ
なんて反対にさとされて、どうしたもんかと頭をかかえたりもする。
なにより、あまりにも「打つ」が幅を利かしている場所だと、いちいち訂正するのもこっちがめんどくさいし、偏屈な人みたいで場の空気を悪くしかねない。
そういった長年の経験を踏まえての、「むずかしい」という友の悩みになるわけだ。
ここに将棋ファンとして明言しておくと、将棋をすること、つまりスポーツでいう「play」を意味する言葉は「指す」なのです。
「将棋を指す」が正解。
「将棋を打つ」は間違い。
まず、この大前提をふまえた上で、ではここに
「テレビやネット中継では《打つ》を使ってたけど」
という疑問にお答えするならば、将棋において「打つ」のは持駒の場合のみなんです。
みなさんも、将棋番組や手元の将棋の本を、あらためてチェックしてみてください。
「打つ」という表記があれば、それは100%、駒台にある持駒を盤上に置くときだけなのです。
これは「絶対に」です。
「敵陣に飛車を打つ」
「角を打って馬を作る」
「銀の割り打ち」
「頭金を打って詰み」
「香車は離して打て」
「金底の歩を打つ」
などなど、そのすべてが持駒使用のときのみなのです。
それ以外、盤上の駒を動かすのはすべて「指す」。ゆえに、
「先手は初手▲76歩と打った」(×)
「▲68飛と打って四間飛車を選んだ」(×)
「▲88玉と打って矢倉に入城した」(×)
これらはすべて、必然的に誤りとなります。
全部「指す」が正しい。だから、厳密にはチェスも「指す」になるはず。
将棋を「play」するのは「指す」であり、「打つ」のはその中の
「持駒を使うとき」
のみに使う、限定用語とでもいうべきもの。
スポーツでたとえれば、サッカーをしていて、
「シュートを打つ」
「フリーキックを蹴る」
「ゴールを決める」
と言いますけど、
「サッカーを打つ」
「サッカーを蹴る」
「サッカーを決める」
とは言いません。野球なら、
「ボールを投げる」
「バットで打つ」
と言いますけど、同じく「野球を投げる」「野球を打つ」とは言わない。
まあ、意味は通じなくもないけど、間違ってるし、変な言葉でもある。それこそ、
「オレ、メッシ大好きなんだ。彼がサッカー蹴るときは、絶対見るからね」
「ワールドシリーズは残念。ダルビッシュはもっといい野球を投げられるのに」
なんて人がいたら、スポーツファンは「え?」ってなりますよね。少なくとも、
「どっちでも同じだろ」
って返されたら、「そうだよね」と、うなずくことはないはず。同じじゃないよ、と。
「将棋を打つ」
これはファン以外にはどうってことなくても、こちらからすると、それくらいに違和感のある言葉なんです。
お笑い好きにとっての「M―1のコント」とか。
ミリタリーファンにとっての潜水艦が「沈む」とか。
「アメリカの首都ニューヨーク」とか「ウィンブルドン男子シングル決勝」みたいな、気持ちはわかるけど、聞いた途端ガクッとしちゃうワードなんですよ。
ということで、この「将棋を打つ」問題は、整理すれば
「将棋を指す」が正しくて、持駒を使うときだけ「打つ」。
というだけのシンプルな話なんだけど、これがなかなか伝わってくれず、ひそかな将棋界の課題。
ただまあ、ここまで説明したところで、あらためて思うことには、間違って伝わるのも、ある程度しょうがない面もあるかもなあと。
それこそ、親戚のような関係の囲碁は「打つ」が正しいし、ゲームなのに「指す」なんて言葉にもなじみがなさすぎる。
そして、なによりというか、理屈抜きで、あの駒音の「打つ」感がインパクト充分。
「ビシ!」でも「パシ!」でも「バシ!」「パチーン!」など、表記は好みでも、あの木と木が触れ合う乾いた音は、「打ってるなあ」という気になるものなあ。
特にプロが奏でる本式の駒音は、盤と駒の良質さも相まって、耳になんとも心地よく響く。
これが「打つ」じゃないんだから、言葉ってむずかしい。
なので、テレビや雑誌など、言葉をあつかう商売の人には一応正しく使ってほしいけど、それ以外に関しては、
「一応、そういうことなんで」
としつこくない程度に、伝えておくくらいがいいのかなあと。
まあ、こういうのはファン歴が長くなってくると、自然と解消されるものなのでしょうけど、一応参考までに知っておいていただけると、うれしいです。