前回(→こちら)の続き。
これまで、将棋界のあらゆる栄冠を獲得した羽生善治九段の、めずらしく撃ちもらした棋戦に「早指し新鋭戦」がある。
1988年決勝では、まさかの大ポカで中押し負けを食らったが、リベンジに燃える羽生は翌年もまた、決勝までかけあがる。
相手はふたたび、森内俊之四段。
戦型は後手になった羽生が、横歩取りの△33桂戦法。
そこから、相振り飛車のような力戦に。
森内が手厚い陣形を築いてから攻めかかり、ペースを握っているように見える。
図は森内が▲43銀と打ったところ。
△24飛は▲33角成。
△35飛には▲46金と取って、飛車をいじめていけば、先手先手で押さえこみが決まり、自然に勝てそうな流れ。
後手の指す手が、むずかしそうな局面だが、ここで鋭い手が飛んでくる。
△36桂と打つのが、若き日の羽生が見せた切れ味。
▲34銀成や▲46金なら、△48桂成と取って、玉を薄くしてから食いつこうという実戦的なねらいだ。
それでも先手がやれそうだが、装甲の一番固い部分をはがされたうえに、▲28の銀も壁になっているのも気になる。
後手から、△93桂とか△64角とか、△55銀に△76銀など、イヤミな手はたくさんあって、なにやかやと、嫌がらせをされそう。
秒読みで、これは怖すぎるということで、森内は▲36同歩と取るが、羽生も△同飛と王手して▲37歩の合駒にも、かまわず△同銀成と特攻。
▲同銀に、△56飛の十字飛車で金を取り返す。
いじめられていた飛車を、あざやかにさばいて、羽生がうまくやったかに見えたが、なんとこれが悪手だというのだから驚きだ。
▲65銀と打つのが、攻防にピッタリの手で、やはり先手がやれる形。
これで飛車が詰んでいるうえに、先手は▲28で壁になっていた銀を手順に活用できたのが大きいのだ。
桂打ちでは、ともかくも△35飛と浮くしかなかった。
▲46金には、△65飛でまだ長い戦いだったのだ。
以下羽生も、またもや飛車取りにかまわず、△36歩とたたいて勝負、勝負とせまるが、最後は森内が一手勝ちを果たす。
羽生の勝負手も切れ味鋭かったが、森内の落ち着きが、それに勝った形。
まさに、のちに名人戦で羽生を苦しめることとなる、腰の重さの萌芽を見るような内容だ。
こうして羽生は、またしても決勝の舞台で、森内に敗れた。
その後の羽生の実績を考えれば、この大会で優勝できなくても、その棋歴にかすりともキズがつくことはない。
ただ、最大のライバルに大舞台で「往復ビンタ」を食らったのだから、若手棋戦とはいえ、こちらの想像以上に、悔しさもひとしおだったのではあるまいか。
(「加藤一二三名人」誕生編に続く→こちら)