前回(→こちら)の続き。
1991年の第49期A級順位戦。
開幕5連敗と、降級(引退)一直線だった大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。
6回戦で南芳一棋王を退けて、まずは待望の上にも待望だった、1勝目をあげる。
依然、苦しい星勘定だが、順位下位の青野照市八段が2勝、真部一男八段が全敗と苦戦しているため、これでもかなり光が見えてきた状況だ。
それともうひとつ、大山に元気が出るのは、続く7回戦の相手が内藤國雄九段だったこと。
内藤はA級16期(当時)、王位と棋聖のタイトル4期、棋戦優勝13回という大棋士で、今期リーグも4勝2敗と、自力で挑戦権をねらえる位置にいるが、実は大山とは相性が最悪。
対戦成績は18勝48敗で、このころは10連敗中。
しかも、A級順位戦では11回戦って、1度も勝ったことがないという、苦手を通り越してほとんど天敵であり、まったく顔も見たくない相手なのだ。
この「顔も見たくない」というのはモノの例えではなく、実際、この2人には因縁が多い。
内藤は将棋界で幅を利かせられるのは「名人」だけである、というシステムを見抜き(当時の名人は今では信じられないほどの権威があった)、それを独占していた大山に、強い対抗意識を持っていた。
また大山も、将棋も人生も華やかで人気があり、また歌手活動や詰将棋作家としての活動など、多才さを発揮する内藤に強い嫉妬の念を抱いていた。
そのため、ことあるごとにぶつかり、カドを立ててきた歴史があったのだ。
要するに、人間的な相性が悪かったのだろうが、そのパワハラで蓄積された怒りや劣等感で、内藤は大山に対して意識過剰になってしまい、その力を発揮できずに敗れるのだ。
いわゆる「憤兵は散る」だが、これは内藤だけでなく、二上達也や加藤一二三など、多くの後輩棋士たちが、その犠牲になっている。
河口俊彦八段によると、力のおとろえた大山がA級を維持できたのは、若手時代に徹底的に痛めつけておいた、これらの棋士が同じクラスに長くいたから。
つまりは、それだけで2、3勝は確保できることになり、河口老師のボキャブラリーを借りれば
「お客さん筋」
を持っていたことが「68歳Aクラス」を、裏で支えていたのだと言うわけだ。
そういう背景もあって、注目が集まったこの一番だが、今回は中盤戦のやりとりで、早くも内藤が大量リードを奪う。
晩年の大山将棋によくあるのが、早く局面を良くしようと、つんのめって悪くなる展開。
要は、体力が落ちて、辛抱がきかないため「早く勝ちたい」とあせってしまうわけだが、わかっていても修正できないのが、年齢によるおとろえの、むずかしさなのだろうか。
終盤では、大山もあきらめたのか、さほど時間を使わずに指し、逆に内藤の方は腰を落として、じっくりとトドメを刺す想を練る。
図の局面、すでに将棋はお終いである。
後手玉は穴熊の深さを生かした、絶対に詰まない「ゼット」どころか、次に詰めろもかからない形。
なので、ここから詰めろならもちろん、もう一手かけて、次に詰めろが行く攻め、いわゆる2手スキの連続で攻めてすら、問題なく後手が勝つ。
そして、その手順はさほど、むずかしくもない、ときている。
具体的な手を言えば、まず私でも思い浮かぶ△58歩成が正解。
△48金からの詰めろなので、▲26飛と逃げ道を開けるが、そこで△48と、と捨てるのが軽妙な一手。
▲同玉なら、△49角が、
「玉は包むように寄せよ」
の格言通りの手で必至。
▲28玉なら、△39角、▲18玉、△38と、と自然に追って、これまた受けなし。
△48と、△49角は私レベルなら難解だが、プロなら一目の筋。
ましてや、後手を持っているのは詰将棋で鳴らし、寄せの名手と名高い内藤國雄である。
特に問題もなく終わると思いきや、ここでまさかという手が、盤上に披露された。
△67角と打ったのが、「え?」という手。
△49角成までの詰めろはわかるから、大山は▲26飛と逃げるしかない。
信じられないことだが、どうも内藤はここで飛車を上がって受ける手をウッカリしたらしいのだ。
△49角成は▲28玉でなんでもないから、△58歩成とするが、これでは攻め駒がダブって、いかにもおかしな手順。
▲28玉に、△48と、▲64桂。
そこまで進んだ局面を見れば、これが変調という言葉では、すまないことになっているのが、わかるであろう。
この2つの図を、くらべてみてほしい。
下が、角を打たず単に△58歩成とした図で、▲26飛、△48と、▲28玉で、内藤の手番。
角は手持ちのままで、△39角以下、後手が簡単に勝ち。
だが、本譜の順では、同じ形で角を無意味な△67に手放し、▲64桂も入って、これは丸々1手損していることになる。
わかりやすく整理すると、内藤から見れば現在の局面は、△58歩成、▲26飛、△48と、▲28玉に、そこで△67角と打ったのと同じ理屈なのだ。
下の図で、まさか△67角と打つ人はいないわけで、その代わりに先手から▲64桂が入ってるのも、メチャクチャに大きい。
こう考えると、内藤がとんでもない錯覚をしたことが、ご理解いただけるだろう。
それでも内藤はあきらめず、懸命に先手玉に食らいつくも、すでに将棋は勝てない流れになっていた。
後手が△35歩と、上部を封鎖したところ。
次に△29と、からの攻めがきびしく、後手玉は▲81金に△同飛と取れるから依然、詰みはない。
なら、まだ後手が勝ちそうだが、図で大山に決め手がある。
▲45馬と引くのが、攻防に見事に利いて先手勝ち。
▲81金からの一手スキをねらいながら、受けては△29とから王手ラッシュをかけられたとき、▲27の地点に利かして、これでほぼ「ゼット」になっている。
以下、△29と、▲18玉、△19と、▲同玉、△17香、▲18金、△39馬、▲17金、△同馬、▲75香、まで大山勝ち。
最初は左辺にいた大山玉が、反対側の下段まで追いつめられたが、飛車と馬の利きがピッタリで、どうやっても寄りがない。
まるで作ったような図で、まさに、
「勝ち将棋、鬼のごとし」
勝てば、名人挑戦に前進するという大一番で、天敵相手に完封勝ちペースの将棋を披露。
そこから、まさかのポカで逆転し、最後はこんな運命的な局面で敗れてしまう……。
私が内藤の立場だったら、耐えられないだろう。
大ピンチを切り抜けた大山だが、まだ試練は終わらない。
残留には最低3勝が必要で、あともう1勝、ノルマが残っている。
そして、次の相手はこれまた因縁の、青野照市八段であった。
(続く→こちら)