前回(→こちら)の続き。
降級をかけた一番で、絶体絶命の将棋を「大山哲学の集大成」のような手で逆転。
またしてもA級残留を果たした大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。
何度見てもすごい▲69銀。
ここでもう1年しのげれば、夢の「70歳A級」になるわけだが、この期の順位戦は降級どころか、まさに
「ウィニングラン」
と呼んでいいような展開となった。
「A級から落ちたら引退」
と話題を呼ぶ中、大山はここで負ければ試合終了というピンチを、圧勝から大逆転まで、様々な形でクリアしてきたわけだが、まあ今年も降級をおそれながらの戦いになることが、予想されるところ。
どころか、一度は克服したはずの肝臓ガンの再手術をリーグ途中で余儀なくされるなど、不運も重なることに。
ふつうなら、とてもトップ10プレーヤーたちの激しい戦いに、ついていける体調ではなかったはずで、今年こそいよいよ……。
というのが、レースの途中経過であったが、ここで大山はまたもや、あきれかえるような底力を見せる。
なんと、1992年の第50期A級順位戦では、手術前の微妙な時期に、小林健二八段を得意の受けつぶしで圧倒するなど(その将棋は→こちら)、ケタ違いのパワーを発揮。
その勢いのまま5勝3敗で、降級なんてどこ吹く風と、勝ち越しを確定させてリーグ最終日をむかえる。
また、ラストの相手が、6勝2敗の谷川浩司竜王ということもあって、これに勝ったうえで、やはり2敗の高橋道雄九段が敗れれば、どうだろう。
これは降級どころか、まさかの名人挑戦の目も出てくるではないか!
もう、正直なところ感動を通り越して、あきれるしかないが、ともかくも、この大山のがんばりに将棋界は沸きに沸いた。
なんといっても、最終戦には一般マスコミも多数取材におとずれ、ある人など、
「こんな場面を取材することができて感激してます」
現在、A級順位戦の最終局のことを、
「将棋界の一番長い日」
と呼ぶのは、この「大山フィーバー」があった、数シーズンの流れからなのである。
またこの将棋が、大山最晩年の傑作ともいえる内容で、観戦者をあきれさせることとなる。
大山の振り飛車に、谷川は居飛車穴熊にもぐって戦う。
大山と言えば、穴熊戦も得意としており、しかもその戦い方というのも、
「藤井システム」
のように組まれる前につぶすのではなく、組ませて、じっくり押さえこんでしまうというもの。
居飛車穴熊は駒がかたよっているため、ふつうはそれが有効な戦略で、実際AIなんかは、そうやって穴熊を完封してしまうと一時期話題を呼んだが、人間的にはそうではない。
久保利明九段は、たしか美濃囲いで左の銀を▲45歩、▲46銀と組む「真部流」について話していたとき、
「振り飛車7・3リードの局面でも、1手ミスしただけで1・9の敗勢になることがあるのが、穴熊を相手にしてイヤになるところ」
といった発言をしており、序盤で先取点を取っても、それをノーミスで逃げ切るのは、人間的にはほぼムリゲーなのだ。
これが「真部流」の美濃囲い。
格調高く、惚れ惚れするような美しさだが、それゆえに穴熊にくらべて薄く、人間的には「勝ちにくい」戦いを余儀なくされる
だが、それを唯一やってのけるのが、大山康晴の指しまわしで、この将棋ではそれが炸裂することになる。
まずは序盤の仕掛けのところ。
双方しっかりと組み合って、この場面。
後手が△35歩と、ちょっかいをかけたところ。
ふつうは▲同歩だが、3筋にアヤがつくのはイヤな感じ。
一目は▲64飛のさばきだが、それには返し技があるため、そこは気をつけないといけない。
そのあたりのことを考慮に入れて、大山は次の手を選んだ。
▲64飛と飛び出すのが、「おお!」という手。
ここまで何度か書いてきたが、晩年の大山が負けるパターンに、
「序盤から良くしようとして、そこで前のめりになって失敗」
というのがあった。
もともとの大山は超のつく慎重派だったが、年齢を重ねるごとに体力が落ちて、ガマンがきかなくなっていることが、その理由。
もっとも、これは大山にかぎらない話だが、この場面ではそれが良い方に出た。
この飛車走りには△45銀と取って、▲同歩に△73角というのが、怖い筋。
きれいな間接王手飛車がかかっているが、これには▲46角と打って、とりあえず受かっている。
△64角は▲同角で調子がいいから、後手は△34桂と土台の方を責めていく。
▲35角など逃げると、飛車がタダだが、▲37角と踏んばっても、△46歩と打たれて「オワ」。
一見、ハマり形に見えるが、これはもちろんのこと、大山の読み筋。
▲63飛成と成って、△46桂に▲同銀と取り返した局面を見てほしい。
先手は角銀交換で駒損だが、竜ができ、金銀4枚の「真部流」美濃囲いも美しく、また後手は△43の金取りを受けないといけないため、手番もまわってきそう。
後手の次の手は△52角なのだが、先手を取って守りたいとは言え、こんなところに貴重な大駒を使わせられれば、先手も満足だろう。
悠々▲68竜と引き上げて、この自陣竜がまた、いかにも「受けの大山」のペースである。
そこからも、大山は穴熊相手に、丁寧な手順を積み重ねていく。
たとえば、この場面。
△24歩と突いたのは、▲51歩成なら、待ってましたと△23角と転換する。
次に△44金と桂を取れば、角筋が▲67の竜にも届いていて、これは先手難局だが、大山は実に落ち着いたもの。
▲89歩と打つのが、おぼえておきたい手筋。
後手は△23角と同時に、△95角から、△77角成と、二本目のムチを振り回して、突破してくるねらいもある。
だから、△89同竜とさせて、その筋を消しておく。
たった一歩で反撃の筋を消されて、くやしいことこの上ないが、△77角成を残して△79竜は▲99の香が取れなくなる仕組み。
かといって、ここで△99竜だと、▲89に残った歩が竜の利きをさえぎって、目一杯働くことになってしまう。
まったく、うまいもので、この手の解説にあったのは、
「大山はこういう、1円をコツコツためて、1万円にしていくような手を得意としている」
少し進んで、▲43銀と打ったのも手厚い攻め。
よく、勝勢になったところからの決め方や、不利になってからのねばり方に
「棋風が出る」
なんていうが、これぞまさに大山流。
△53金に、▲34銀成と、このあたりの制空権を確保し、△23角を防いでおく。
後手は△52金と、懸案のと金のタネを取り払うが、▲同桂成、△同角に▲35成銀。
これぞまさに、「棋風が出た」場面である。
大山将棋の特長として、よく語られるのが、
「最初はバラバラだった金銀が、戦いながら自然に、玉の周りへと集まってくる」
金銀四枚の美濃に、成銀と竜までくっついて、これはもう固さでは、後手の2枚しかない穴熊よりも勝っていると言っていい。
なにより「厚み」が違って、後手からすれば、どこから手をつけていいのやらサッパリである。
そこからも、大山は落ち着いた指しまわしで優位を持続させ、快勝かと思われたが、最後の最後に少しばかりドラマがあった。
クライマックスが、この場面。
大山が▲53歩成としたところだが、これが波乱を呼びこんだかもしれない手。
控室の検討陣から大盤解説場のお客さんたちまでが、一斉に悲鳴を上げた、すごい踏みこみだったのだ。
(続く→こちら)