「モテないわけではないのに、彼氏や彼女がいない人」
というのが、なぜか存在する。
「モテ問題」というのは、どうしても「ねたみ、ひがみ」の要素が入ってくるため、ともすると
「結局、女なんて、みんなイケメンがいいんでしょ?」
「胸が大きければ、男は簡単に鼻の下のばしちゃってさ。バッカみたい」
みたいな「結局は論」になりがちだが、もちろんのこと、そんな単純なものではない。
クズみたいな男がモテモテだったり、不美人でもカッコイイ彼氏がいたり、中にはスペックは高いけど
「異性や恋愛にあんまし興味がない」
から、ひとりで平気という人もいたりする。
かくのごとく「モテ」とはなかなかに法則化しにくく複雑怪奇であるが、中でも不思議なのが、冒頭に書いたような人々のこと。
まわりを見てると、結構いるんですよね。
見た目は悪くない、性格もいい。
大人の場合だと経済力もそれなりにあって、これといった欠点がないのに彼氏や彼女がいなくて、本人もさることながら周りの友人たちが、
「おかしいなあ。なんで、こいつに彼女(彼氏)がいてへんねやろう」
首をかしげたくなる人が。
そこで、あれこれと考えてみたり、友人知人を観察したり、聞き取り調査を行った結果、ひとつの仮説に至ることとなった。
それというのが、
「自分が好きになるタイプと、好きになられるタイプの不一致」
これではないかと。
恋愛というのは、基本として男女が、おたがいに相手のことを「好き」になり合って成立する。
もちろん、そこには打算や妥協もからんでこようが、原則として両者が相手に好意をもって、それが縁あってリンクしたときに「恋人」誕生ということになるわけだ。
ここでポイントなのは、恋愛とは片方の「好き」はあっても、もう片方の「好き」がなければ成立しないこと。
このズレこそが、「スペックは悪くないのに」問題のキモとなる。
あくまで私の見立てだが、こういう人は単にモテない場合もあるが、それ以外に、
「自分を好きになってくれる異性にピンとこない」
といったケースが、ままあるのだ。
逆に「さほどでもないのに、恋人が途絶えない」チームは、「自分を好きになってくれる人」の気持ちに敏感だ。
だから、すぐにそれに乗っかって恋が生まれる。
というと、
「それって、要するに『選り好み』してんじゃないの? 高望みはダメだって、多少は妥協しなきゃ」
などとアドバイスを送る、読者諸兄もおられるかもしれないが、そこである。
その考え方が、ややポイントをはずしているからこそ、この問題が難しくなっているのではあるまいか。
私も当初は、
「まあ、選ぶからなんかなあ」
と単純に考えていて、まあそれ自体は間違ってはいないのだろうけど、話を聞いていると、これは決して「選り好み」ではない。
その証拠に「スペックは悪くないのに」チームの面々が
「あの人がいいのに振り向いてくれない」
という相手が、かならずしも美人やイケメンとは限らないのだ。
いやそれどころか、
「あれ、あいつ別に、顔がいいわけじゃないけど」
「キミやったら、もっと上をねらえるんちゃう?」
みたいな人だったりする。
つまりそこには、「独自性」「多様性」が感じられるわけで、特にそこに「高望み」が感じられないことも多々。
なのに、なぜそこで「カップル成立」とならないのか。
それは、たとえば「イケメン」「美人」なら、「見た目にこだわらない人」を好きになってしまう。
「明るい人気者」なら「おとなしい子と、まったりしたい人」に好意を持つ。
「さわやかスポーツマン」なら「パートナーとクリエイティブな話をしたい文化系女子」とお近づきになりたい。
などといった、どう考えても振りむいてもらいにくい、「相性の悪い」相手を好んでしまうことが、あるからなのだ。
(続く→こちら)