投了の匣 脇謙二vs野本虎次 1985年 第44期B級2組順位戦

2022年08月01日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「投了は最大の悪手」

 というのは、将棋の世界でまま聞く言葉である。

 敗勢になってもガッツでがんばる棋士や、まだねばる手があったのに、それに気づかなかったり、心が折れて卒然と投げてしまう人(こないだの神谷広志八段こちらとかこちら)やアべマトーナメント藤井猛九段みたいに)に対して使うこともあるが、要は安西先生の、

 

 「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

 

 ということだが、実際のところは「負け確」の将棋を投げずに指し続けるのは、相当な精神力が必要ではある。

 中にはもっとディープなケースがあって、自玉が詰んでないのに、あるいは逆に相手玉に詰みがあるのに、それを気づかず投げてしまう人もいたりする。

 文字通りの「最大の悪手」であり、今回はそういう将棋を。

 

 1985年、第44期B級2組順位戦の開幕戦。

 脇謙二六段と、野本虎次六段の一戦。

 前期、初参加で7勝3敗の好成績をおさめ、順位を5位につけた脇は25歳という若さもあって、当然昇級候補のひとりだった。

 だが、その大事な初戦を脇は落としてしまう。

 野本は前期に降級点を取っており、この期も2勝8敗と振るわず2度目降級点を食らってC1に落ちてしまうのだから、脇からすればよもやの「死に馬」に蹴られたわけだ。

 ただ、これだけなら、この世界でちょいちょい聞く話で、まあ順位戦の「あるある」ともいえること。

 実はこの将棋は結果もさることながら、その内容こそが大問題だった。

 まずはこの局面をみていただこう。

 

 

 

 先手の野本が▲74銀と打ったところで、ここで脇が投了

 以下、△同玉に▲66桂と打って、あとは金銀3枚があるから自然に追っていけば詰みということだ。

 ……とここで、

 「あれ? それちょっと、おかしくね?」

 首をひねったアナタはなかなかスルドイ。特に詰将棋が得意な人は違和感があるのではないか。

 そう、この場面をよく見ると、後手玉に詰みはない

 となれば、これは後手勝ちということになるが、その通り。

 なんと脇は、自分が勝っている局面で投了してしまったのだ!

 手順を追ってみよう。△74同玉▲66桂と打って、△84玉に▲85歩

 △同玉に▲74銀ともう一度ここに打って、△76玉▲67金△87玉▲98金まで、歩ひとつも余らないピッタリの詰みだ。

 

 

 ……に見えたが、この読み筋には、最後に信じられない大穴が開いていた。

 

 

 

 

 

 △96玉と、ここに逃げて詰んでないのだ。

 ▲88金空き王手しても、△97になにか合駒をねじこんで寄らず、後手優勢の終盤だった。

 形を見れば、脇がなにを錯覚したかは一目瞭然。

 最初の図と、見比べてほしい。

 

 

 

 この局面では、▲99にある香車の利きがまだ生きており、後手玉は△96玉逃げられなかった

 そのイメージがあったから、▲98金のとき、その金で▲99の香利きがさえぎられることをウッカリしたのだ。

 たしかに、いわれてみるとナルホドで、脇が混乱したのもわからなくもない。

 現に、私も子供のころ手順を頭の中で追って、▲98金の場面が不詰なのが一瞬わからなかったものだ。

 まさかの大錯覚で、開幕ダッシュに失敗した脇はこれに怒ったか、その後は競争相手の塚田泰明六段との1敗決戦を制しての7連勝

 2位に浮上し自力昇級の権利を得るが、ラス前の9回戦でベテラン吉田利勝七段に敗れて次点となった。

 脇はこの後、毎年のように好成績を上げるが、結局B1には上がれず、なんと22年もB2にとどまった。

 結果論的に見れば、あの野本戦の投了図が、脇の棋士人生を大きく左右したことになる。

 脇の実力からすれば、もっと上でも戦えただろうに、惜しい負け方であった。

 

 

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コメント (2)
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