G・K・チェスタートン『ブラウン神父の知恵』を読む。
私は子供のころからのミスヲタであるが、けっこう未読の名作というのがある。
江戸川乱歩の『少年探偵団』から入って、
大人向け乱歩→シャーロック・ホームズ→アガサ・クリスティー→乱読バリバリ
という正統派な読者だったが、そこから先の王道であるエラリー・クイーンやジョン・ディクスン・カー、S・S・ヴァンダイン、それにチェスタートンはあまり読んでないのだ。
クイーンに関しては、あかね書房の「少年少女世界推理文学全集」で『エジプト十字架の秘密』と『十四のピストルのなぞ』(『靴に住む老婆』)。
大人になって、その後両方とも全訳版もチェックしたけど、あとは『フランス白粉の秘密』と『十日間の不思議』だけ。
カーは『火刑法廷』がメチャクチャにおもしろかったが、基本的に訳が読みにくかったのと、オカルト趣味に偏見があってそれ以上は手を伸ばさず。
チェスタートンは短編をアンソロジーで読んで、文章が回りくどくて読みにくいし、トリックも今見ると古くて、そこで止まってしまった。
というかそもそも、ヴァンダインとチェスタートンはあのころ手に入りにくかったのだ。
そんな偏りがあった理由は、そのころの自分が「ロジック」「トリック」というものに重点を置いておらず、どちらかといえばエンタメ性や文学性を重視していたから。
それはクリスティーのあとハマったのが、コーネル・ウールリッチ、クレイグ・ライス、ロアルド・ダール、ヘンリイ・スレッサー。
といった面々であることからわかるように、論理より物語性。
つまりは「推理小説」の「推理」より「小説」部分を重んじていたわけで、雰囲気とかキャラクターとかオチの切れ味とか、そういったほうを楽しむタイプの読者だったのだ。
まあ、ホームズも実はあんまり論理ないしね。
なので、ミスヲタを自認しながら意外と定番を押さえてなかったりもするんですが、ちょっと潮目が変わったのが、少し前に新訳された『オランダ靴の秘密』を読んでから。
創元推理文庫の新訳版を、たまたま古本屋で見つけたので買ってみたら、これがおもしろいんでやんの。
新訳のおかげか、ストレスなく解決編まで行きつけて(ミステリは最後がキモなのに、訳が悪いとそこまで行きつけない)、そこでのエラリーによるあざやかな推理には大感激!
おお、なんて論理的な!
あまりにきれいに様々な要素が結びつくため、その美しさはまるで体操競技のメダリストの演技のような、「アスリートの美」を感じさせた。
これには心底「まいりました」と言わざるを得なかった。
そっかー、これかー、北村薫先生や有栖川有栖さんが、しつこいくらいくりかえす「論理の美しさ」。
若いころはピンとこなかったが、大人になって成長したのか味覚が変わったのか「本格推理」のおもしろさに目覚めてしまった。
ということで、そこから『災厄の街』に飛んで、今ならいけるかとカーも『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』『夜歩く』を読んでみた。
どれもおもしろく、続いて『ブラウン神父の知恵』に進んだらこれも大アタリ。
開口一番の「グラス氏の失踪」がねえ、最高。
名探偵風な男が、流れるように推理を披露するところあたりから、「くるぞくるぞ」と期待が高まるが、オチのバカバカしいどんでん返しで「やっぱり」とニヤリ。
他の作品も切れ味スルドク、またオチにシニカルな風味もあって、こりゃおもしろいやとサクサク読む。
古典特有の大仰さや回りくどさも、それはそれで味である。
古典ミステリの王道中の王道『ブラウン神父』。
ドラマ版も超おもしろいので、活字が苦手な方はこちらもオススメ。
さすが本場BBCのミステリドラマはハズレがない。アマゾンプライムなどで見られます。
最近はこういう古典も電子書籍で簡単に買えるけど、子供のころは近所の本屋にポケミスとか売ってなくてねえ。
なもんで、わざわざ梅田まで出ないといけないから、そもそも手に入れるのが大変だったのだ。
その意味でも、今こういう作品を気軽に読める環境はありがたいことこの上ない。
次はアントニー・バークリーとか読もうかなあ。
(「古典は読むべきか」問題に続く)