「永瀬王座が、和服を着てるやん」
なんて少しおどろいたのは、今期王座戦のことである。
現在行われている第71期王座戦五番勝負は、永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、挑戦者の藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う大勝負。
そこで、ふだんはタイトル戦でもスーツで通す永瀬が和服で対局しているのが話題になっているが、この手の話で忘れてはいけないのが、島朗九段であろう。
島は1980年(昭和55年)に17歳で四段デビュー。
同期に、早くからタイトルを取り活躍した高橋道雄、中村修、南芳一、塚田泰明などがいる「花の55年組」の一員だ。
C1時代に23歳で王位を獲得した高橋や、やはり23歳の若さで王将を獲得した中村、王座になった塚田といった早熟な面々とくらべると、やや出遅れていた感があった島が爆発したのが、1988年のこと。
「十段戦」を発展的に解消して生まれた新棋戦「竜王戦」で、
羽生善治
桐山清澄
大山康晴
中原誠
という、今見てもオソロシイ重量打線を次々に打ち取って、決勝七番勝負(1回目の大会で竜王がいないため「決勝戦」あつかい)に進出したのだ。
これまでのうっぷんを晴らすような大躍進だが、島はここでも勢いが衰えない。
本番の七番勝負では、なんと大豪米長邦雄九段を4連勝で吹っ飛ばし、初タイトルを獲得してしまうのだ。
これにはマジでブッたまげたもので、戦前の予想では経験と実績で上回る「米長有利」が圧倒的だったからだ。
そりゃ島だって強いから、勝ったこと自体はおかしくないけど、それにしたってスコアが4タテというのは、さすがにだれも予想できまい。
それくらいの衝撃だったわけだが、このときの島が4局とも高級スーツを着て登場したことは、この結果と同じくらい、いや下手するとそれ以上に話題を呼んだのだ。
将棋のタイトル戦といえば「和服」がお約束の中、堂々ブランド物のスーツ。
それだけでも異質なのに、島は他のところでも、今までとは違う言動を見せていた。
すすめられてもアルコールは一切口にせず、終始ソフトドリンクだけを手にし、対局やイベントの合間にホテルのプールでひと泳ぎ。
1日目指しかけの夜には、前夜祭で出逢った女子アナをナンパしてスポーツクラブのやはりプールで一緒に泳いだりと、これまでの棋士のイメージを覆すような、型破りな行動が目立ったのだ。
ふつう、タイトル戦の1日目の後は、封じ手や2日目の展開を考えたりして悶々とするもので、中原誠十六世名人をはじめとした一流棋士でも眠れない夜を過ごすものだという。
そこをナンパにスポーツクラブとは、自由が過ぎるというものだ。若大将か。
これにはマスコミも
「新人類」(「ゆとり世代」みたいなニュアンスの流行語)
「トレンディ棋士」
などと記事にして紙面を盛り上げたもの。
これには、そのワードセンスと「2周くらい遅れてる」感に、まだヤングだった私は今でいう「共感性羞恥」にいたたまれなくなったが(将棋はオジサンの文化なのですね。「Z世代」とか言ってるのも聞いてられないッス)、これが米長のペースを乱したことも結果に響いたようだった。
こういう、お互いの年代や将棋観が違うことによって起こるズレに、どちらかがイライラしてしまい(多くは年長者の方が)、力を発揮できないことがあるのは将棋の世界の「あるある」。
かつては、内藤國雄と高橋道雄の王位戦、中原誠と中村修の王将戦、森内俊之と渡辺明の竜王戦。
などなど、双方が意図しないところから生じる齟齬が、勝負を左右するケースはいくつかあげられ、将棋はメンタルのゲームというのが伝わってくる結果となっている。
当時の記事とか読むと、たとえば内藤などは無口な高橋が、感想戦でも一言もしゃべらないのに苦労しており、しょうがなく立会人である中原誠名人と、ずーっと話していたりとかしてたらしい。
情景を想像するだけで気まずくてしゃーないが、もちろん高橋に悪意はなく、こういう価値観や性格のしっくりこなさが(内藤はおしゃべりでサービス精神旺盛なタイプ)、内藤へのボディーブローになっていた。
なんとなくムッとするけど、物言いつけたら「器の小さい人間」とか思われそうだし、とはいってもこのモヤモヤは無視はできない感じもするし、でも、そもそもこの子も悪い子じゃないしなあ……。
じゃあ盤上で格の違いを見せつけたるわと言えば、それはそれで相手もメチャクチャ強いし、負かすのは大変で、ほなどないせえちゅうねん!
てな感じで、まあ自滅とまでは行かないが、ムダなフラストレーションをかかえたハンディは負うことになってしまう。
アスリートなんかが待遇にゴチャゴチャ言ったり、芸能人が「オレの名前を一番上にしろ」とかいうのは、もちろん単なるワガママのこともあるんだろうけど、中にはこういう
「意図はしてないけど、天然で発揮されてしまう盤外戦術」
これにやられないよう、警戒しているケースもあるのかもしれない。
(続く)